「ピカソの父、ホセ・ルイス・イ・ブラスコ。彼はピカソの才能に気付き、筆を置いたそうだ。
 父親であり画家でもあったホセ・ルイス・イ・ブラスコは世紀の才能を前にどんな気持ちを抱いたか?」

 その問いかけは斜め前の席へ投げ掛けられた。彼女はサッと立ち上がり、規則正しく折り目のついたプリーツが揺れる。

「自分の運命を呪ったと思います」

 学園きっての優等生の唇から『呪い』というワードが迷いなく発せられ、ざわつく教室。
 僕も目線を上げて横顔を覗き込めば、彼女は通った鼻筋をすんと鳴らす。

「そ、そうだな。牧野みたいな捉え方も出来るか」
「息子でなければ才能を憎めたのに。身内であるから憎めなかったんじゃないかと考えます」

 中途半端な理解を示されると補足して着席。以降、ホワイトボードをまっすぐ見据え無言。
 そもそも僕らはホセ・ルイス・イ・ブラスコの本当の気持ちなど分かりやしない。だけど義務教育過程で耳障りのよい答えを教わっている。

「ホセ・ルイス・イ・ブラスコはサポートをするのが役目と気付いたんじゃないでしょうか?」

 次に指名した生徒の答えに先生は何処かホッとした顔。

「あぁ、大人達は未来(これから)を作っていく君達の可能性を見出し、育んでいくのが務め。先生も助力は惜しまないぞ、困った事があれば一緒に考えていこう」

 教科書にそった着地が決まった傍ら、屋上の鳩は飛び立つ。奇しくもホセ・ルイス・イ・ブラスコに筆を折らせたのはピカソが描いた鳩の絵らしい。

 窓越しに自由な翼を追い、大人達のサポートというカゴの中の僕はシャープペンを握り直す。


【呪いめいた恋をしておきながら君は泣くのだろう】



「ちょっといい?」

 授業を終え、牧野に声を掛けてみた。

「何? 桐山君」

 明らかに胸元の名札を見て返してくる。いちおう3年間同じクラスだが……残念な眉の上げ方をしておく。

「ごめん、顔と名前が一致しなくて。新聞部の桐山君、でしょ? 学園ニュース楽しく読んでるよ」
「それはどうも。牧野も七不思議に興味あるんだ? さっきも呪いって言ってたし」
「ーーこれって取材?」

 話が早くて助かる。新聞部の長として日頃からアンテナを巡らせ、設立以来の秀才と呼び声高い『牧野麻美(まきの あさみ)』にインタビューする機会を伺っていたんだ。

「私を取り上げても面白くなさそうだけど?」
「うん、頭が良くて美人な優等生って認識だった。人を呪ったり憎んだりしなそう。妬まなくたって全部持っている感じだから」

 牧野には表情はあるが考えが読めない。こちらを見上げたまま沈黙している。
 クラスメイトは僕らを遠巻きに眺め、次の授業へ向かう。

「やっぱり駄目? 七不思議もいいけどヒトコワもやってみたいなぁと」
「ヒトコワ……」
「知らない? 幽霊より生きた人間の方が怖いって話。牧野のブラックな部分を暴いたら部数は絶対伸びるんだけどな」
「そういえば新聞部の予算、減らされてるね」
「だろ? ゴシップであろうと書いて後輩に活動資金を作ってやりたくてさ」

 ズケズケ失礼を言っている自覚はある。牧野が高嶺の花として教室で浮く一方、僕はこの好奇心を煙たがられていた。

「……本当に私のブラックな部分、書いてくれる?」
「え? あ、あぁ!」
「なら取材を受けてもいいよ」

 予鈴が響き、牧野は規則正しく折り目のついたプリーツを揺らす。
 こんなに簡単に引き受けて貰えるとは思わず、僕はあんぐり口を開けた。

「それじゃ、昼休みに生徒会室で打ち合わせしよう」

 約束を前歯へぶつけるみたいに放り、教室から出ていく。そして後ろ手でドアを閉める際にバイバイと振った。