――ガタン、ゴトン。

 電車は、規則正しいリズムを刻みながら、僕を街から街へと運んでいく。
 まだ道半ば。
 窓の外には、見慣れた田舎の風景が広がっていた。
 延々と繰り返される田畑。
 白く曇り、中が見えないビニールハウス。
 街を取り囲んでいる山の稜線(りょうせん)

 その時だった。
 懐かしいけど、ここ数日、まったく感じていなかった振動。
 ポケットに入れたスマホが、永い眠りから覚めたように震えていた。
 僕はスマホを取り出すと、慎重にロックを解除した。
 画面右上の『×』印が消え、アンテナのマークが力強く表示されている。

「ネット、復旧した……?」

 僕は、思わず声を漏らした。
 手の中で、(せき)を切ったように、次々と通知が届く。
 
 SNSでフォローしているアカウントのポスト。
 クラスのグループチャットのメッセージ。
 友達からの個人的なメッセージ。
 
 その中には、裏垢『@name-kujy』に宛てられたモノもあった。
 僕が最後にポストしたのは、例の恥ずかしい『卒ハラ』発言。
 そこには、いくつものコメントがついていた。

『それな! マジで空気読めって感じ』
『こっちは卒業してやっと解放されるってのに』
『うちのクラスも同じだわ』

 顔も知らない誰かからの共感。
 以前の僕なら、これを見て『やっぱり僕だけじゃないんだ』って安心しただろう。
 今の僕は、少し違う気持ちだ。
 もしかすると、このコメントを書いた人たちも、僕と同じなのかもしれない。
 リアルな世界で何かを抱えて苦しみ、吐き出す場所を見つけられないでいる。

 僕は新しいポストを書き込む。

『僕は、ちゃんと本音を言ってみたよ』

 わずか数文字の短いメッセージ。
 けど、そこには僕のこの数日間のすべてが詰まっている気がした。
 
 投稿ボタンをタップする。
 しばらく経っても、『いいね』がつくことはなかった。
 それでいい。
 これは、誰かに共感してほしくてつぶやいた言葉じゃない。
 今の僕から過去の僕へのメッセージ。
 そして、僕のように悩む誰かへの祈りを込めたものだ。
 
 僕はアカウントを切り替える。
 もう、この場所に頼らなくても大丈夫だ。
 けど、決してこのアカウントを消すことはないだろう。
 だってこの醜さも、僕のかけがえのない一部なのだから。

 その時、一つの通知が届く。
 開いてみると、それは陽菜からだった。

『あの時の写真、送るね』

 メッセージに添えられていたのは、一枚の写真。
 ダブルデートの日、ショッピングモールのカフェで撮影したモノだ。
 橘と陽菜はうらやましいほど輝いていて。
 上地はいつも通りムスッとしていて。
 僕はやっぱり冴えなかった。
 この後、とんでもない修羅場が待ち受けていることも知らずに、いい気なもんだ。
 僕は、あの時の四人に笑いかけた。

 卒業式が近づくと、たくさんの恋が実ると聞く。
 なぜか、ここ数日間で僕と強く関わった人たちは、誰とも結ばれることはなかった。
 それでも、僕たちは何も手に入れられなかったわけじゃない。
 たくさん笑い、たくさん傷つき、一歩踏み出す勇気を手に入れた。
 そして、相手のことをもっと好きになり、ほんの少し、自分のことを好きになれた。

 電車は、知らない街へと入っていく。
 車窓から見える景色に、もう僕の故郷の面影はない。
 隣街のショッピングモールより大きな建物が、いくつも建ち並んでいる。
 僕がこれから生きていく新しい世界。
 目を回すほどたくさんの人々が、そこを行き交っていた。

 今、僕の胸を満たしているのは――。
 未来への微かな期待と、拭えない不安。
 手に入れた小さな勇気と、甘酸っぱくて決して忘れられない切なさ。
 僕はそれらをすべて抱きしめ、ガラスに映る、どこか不安げな少年に語りかける。

 君の物語は、まだ始まったばかりだ。
 きっと、この先もたくさんの壁にぶつかるだろう。
 死にたくなるほど悩んだり、落ち込んだりすることもあるはずだ。
 けど、安心していい。
 よく耳を澄まし、よく目を凝らせば、支えてくれる人は君のそばにたくさんいる。
 僕だって、その一人なんだよ。

 だから、君は自分の足で、心のままに走り出せ。
 君は――いや、僕は。
 それほど、弱くない。