三月は、所によりオフライン

 卒業式まで、あと一日。
 
 空は昨日とは打って変わって、どんよりとした曇り空だった。
 まるで、僕の心の中みたいに、スッキリしない。
 部屋には、荷造りが終わった段ボール箱が積み上がり、僕の居場所はベッドの上だけになっていた。
 いるモノといらないモノを整理したはすなのに、なぜか部屋がぐちゃぐちゃに見えるのは不思議だ。

 昨日、陽菜と別れてから、僕の頭の中は同じ問いがぐるぐる回っていた。
 陽菜に告白するのか、しないのか。
 陽菜のあの強さを見て、どちらを選択すべきか、分かっているはずなのに。
 僕も逃げちゃいけない――そう誓ったはずなのに。
 いざ、その時が近づくと足がすくんでしまう。
 当たり前だ。
 十八年間大切に育ててきた僕の弱い心が、ほんの数日で強くなるわけがない。

 それに、この告白はいわゆる負けイベント。
 陽菜は橘のことが好き。
 多分、現在進行系で。
 フラレたとはいえ、そんな簡単に気持ちは切り替わらないだろう。
 恋心は電気のスイッチみたいに、簡単に入り切りできるものじゃない。

 で、フラれたら?
 陽菜みたいに、『言ってよかった』と笑えるだろうか。
 いや、きっと無理だ。
 僕は陽菜ほど強くない。
 砕け散った心の破片を拾い集めるだけで、精一杯になるだろう。
 今の心地いい幼馴染の関係すら、失ってしまうかもしれない。
 それは、フラれることの何倍も恐ろしい。

 考えても考えても、答えが出ない。
 入り口しかない迷路に迷い込んだみたいに、同じ場所をぐるぐる回っているだけ。
 こんな時、相談できる相手がいたら。
 僕の頭に浮かんだのは、たった一人しかいなかった。
 僕は重い体を何とか起こし、家を飛び出した。



 ――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

 僕はつい先日訪れたばかりの家の前で、インターホンを連打していた。
 玄関のドアが開き、疲れた表情で現れたのは、上地美子。
 今日も安定の黒パーカー姿。
 彼女の辛口だけど的確なアドバイスが聞きたかった。

「ナメ久慈……お前、段々と図々しくなってきてねえ?」
「悪い。相当、切羽詰まってるんだ。今日も一人なんだろ?」

 上地は大きなため息をつく。
 けど、玄関のドアを大きく開け、僕を家へ招き入れた。

 この前と同じように、僕は床にあぐらをかき、上地はゲーミングチェアに座る。
 まるでデジャヴュだけど、僕は前回とはまた違う悩みを抱えている。
 上地は両腕を組み、僕を見下ろしながら口を開く。

「あの後、陽菜は大丈夫だったのか?」
「何とかな。『スッキリした』っていう強がりを言えるほどには、元気になったよ」
「そっか。これも、お前を行かせた私の名采配のおかげだな」
「いや、そこは僕の頑張りのおかげだろ」

 軽口をやり合ったことで、ほんの少しだけ心が軽くなった。
 僕は口元を引き締め、気になっていたことを聞く。

「そっちはどうだったんだよ」
「……どうって?」
「橘とのこと」

 上地は、めずらしく話題をそらそうとした。
 橘が好きなのは、陽菜か上地のどちらか。
 陽菜がフラれてたということは――そういうことだ。
 上地は自分の髪を乱暴にかきむしる。

「アイツ、私に『付き合ってほしい』とか、わけわかんねえこと言ってきただけだ」
「やっぱりか……橘のヤツ、何考えてんだよ」
「ナメ久慈……お前のこと、思い切り殴っていいか?」
「わ、悪い。僕は上地のこと、すごくいいヤツだって思ってる。けど、橘が好きになるタイプと思えなくてさ」
「……お前、たまに恥ずかしいこと言うよな」

 上地がゲーミングチェアをくるりと回転させ、僕に背を向ける。

「裏表のないハッキリしたヤツに、憧れてたんだってさ。けど、周りが『地味子』なんて私をバカにしてるから、告白をためらってたらしい」
「それ……本人が言ったのか?」
「ああ、ダセーだろ? わざわざ正直に言うなんてバカだよ、バカ。高いのは勉強と顔面の偏差値だけだ」
「で……なんて答えたんだ?」
「ご想像の通りだ。『私は二次元しか興味ねえから、三次元の男とか、マジでいらねえ』って言ってやった」
「うわ……トラウマになりそう」

 上地はメリーゴーラウンドみたいに回転し、再び僕に視線を向ける。

「本当しつこくてよ。『それなら友達になってください』って食い下がるもんだからさ。同じ東京に行くわけだし、困ったことがあったら、連絡ぐらいはしてやってもいい、とは言っといた」

 なんだかんだ言って、上地も優しいところがある。
 もしそんなことを言ったら、本人からとんでもない罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛んでくるだろうけど。

「お前の相談、どうせ陽菜に告白するべきか悩んでるって話だろ?」
「よく……分かったな」
「お前の頭ん中ぐらい、私にはお見通しだってーの」

 上地は僕をバカにするように笑った後、ふっと真面目な表情に変わる。

「私さ。人生で初めて告白されて、気づいたんだ」
「未経験の僕への当てつけか?」
「ああ、もちろん」

 僕が冗談めかして言ったが、上地は真剣そのものだ。

「誰かから本気で『好きだ』と言われるのは、案外悪くない気分だった。たとえ、どんなにタイプじゃなくてもな。私なんかじゃ想像つかないほど、でっけえ勇気を絞り出し、言葉にしてくれた。私はそれを『すげえ』と思ったし、素直に『ありがとう』とも思った」

 上地がはにかんだ笑みを浮かべた。
 そんな表情を見たのは初めてで、不覚にもドキッとした。
 僕は不安な気持ちそのまま、小さな声で尋ねる。

「みんな……そう思うものなのかな?」
「さてね。変なヤツに告白されて、『キモイ』って思うヤツもいるだろうさ」
「おい……僕の不安を煽らないでくれよ」
「あくまで、私の感想だからな。ただな、久慈の好きなヤツは、そんなヒドイことを言うと思うか?」

 考えるまでもない。
 僕は、きっぱりと首を横に振った。

「――そんなわけない」
「なら、やるべきことは決まったな。精々、盛大にフラれてこい」

 いつものぶっきらぼうな口調な上地。
 けど、それは春風のように温かく、僕の背中を押してくれた。
 僕は心に浮かんだ正直な気持ちを、リアルな世界でつぶやく。

「上地、ありがとな」
「……本当、キモい。軽々しくそういうことを女子に言うな。勘違いするヤツもいる」
「冗談キツイって。僕に言われて、喜ぶ女子なんているわけない」
「……はあ、何も分かってねえ」

 上地はなぜか、チェアを回転させるぐらいの勢いでため息をついた。
 僕は疑問に思いつつも、話を続ける。

「ああ、そうだ。上地、もう一つ相談があるんだけど」
「あ? まだあんのかよ」
「お前の最強のネット環境、ちょっと貸してくれないか? 調べたいことがあって」
「それも、陽菜絡みか?」
「まあ……そんなとこ」

 上地は怪訝(けげん)そうな顔をしながらも、ゲーミングチェアを僕のために開けてくれた。
 僕はチェアに座ると、キーボードに触れた。

 検索バーに、キーワードを入力。
 ヒットしたページを片っ端から覗いていく。
 いや、単にホームページの情報を調べるだけじゃダメだ。
 実際に通ってる人の意見も聞かないと。
 けど、一体どうやって?
 僕にそんな知り合いはいない。
 いや、待て。
 僕が知らなくても、世界中には知っている人がいる。
 SNSで、情報を集めればいい。

 僕は『スクールカースト』を可視化するプログラムを作った時のこと思い出す。
 まさか、こんな所でプログラミングスキルが役立つなんて。
 思わず、笑みがこぼれる。
 今度は、誰かをとがめるためではない。
 陽菜があきらめたように口にした、彼女の夢。
 その手助けのために使う。

 僕の十本の指が、キーボードの上を滑らかに動く。
 まるで、誰も聞いたことがない音楽を奏でるかのように。

「これで……完成だ」

 僕は、力強くエンターキーを押した。
 プログラムが動き出し、画面上にSNSで収集した情報が次々に表示されていく。

「久慈、これって……」
「どう思う?」
「お前にしては、やるじゃねえか」

 めずらしく上地に褒められ、僕はくすぐったくなった。

「なあ、プリンタは持ってるか? 今はネットが使えないし、印刷して渡そうと思って」
「めちゃくちゃイイのがあるぜ。こいつ一つで、アクスタから同人誌まで、何でも作れる」
「何を印刷するつもりなんだよ」

 上地に手伝ってもらい、僕は調べた結果を印刷した。
 出来上がった紙の束は、枚数に比べて不思議と重く感じた。
 
 これが直接、告白の成功に繋がりはしない。
 それでも、僕は伝えたかった。
 僕が抱いているのは『好き』という気持ちだけじゃないことを。
 彼女の夢を応援している。
 この想いが彼女の氷を、少しでも溶かすことを信じて。
 
 僕の心には、まだどんよりとした雲が立ち込めている。
 明日はきっと、激しい雨に襲われるに違いない。
 けど、それは長く続かないはずだ。
 次第に雨は止み、分厚い雲の切れ間から、柔らかな太陽の光が降り注ぐだろう。
 そんな天気を、僕は予報した。