卒業式まで、あと二日。
 
 それは、運命のダブルデートの当日でもあった。
 昨日、慣れない家電(いえでん)を使って、四人の予定を調整した。
 自分で遊びを企画するなんて、初めてのこと。
 待ち合わせ場所である駅前のロータリーに向かう最中、もしかして誰も来ないんじゃないかと心配になった。

 僕が少し早めに着くと、すでに橘が待っていてホッとした。
 相変わらず、モデルみたいにスタイルがいい。
 シンプルな白のパーカーに黒のパンツってだけなのに、なんでこんなにカッコよく見えるんだか。
 僕は何の特徴もない茶色のコートを羽織っていたが、きっとこれも橘が着ると、とんでもなく映えるのだろう。

「よう、久慈。早いな」
「まあな。遅刻するわけにはいかないだろ、今日は」

 僕は雲一つない、透き通るような青空を見上げた。
 上地の部屋で涙を枯らしてから、心はちょっとスッキリしたけど、今日の天気のように快晴ではない。
 すると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ごっめーん、遅くなった!」

 声の主は、もちろん陽菜だ。
 小走りで駆け寄ってくる彼女は、もちろんジャージ姿ではない。
 ふんわりとした丈の長いワンピースに、ジャケットを羽織っていた。
 春を先取りしたような明るい服装が、太陽みたいな彼女の笑顔によく似合っている。
 隣には、やっぱり黒ずくめの上地。
 対照的な二人が並ぶと、不思議とバランス良く見えた。

「全然、大丈夫だよ。俺たちも今来たとこだから」

 橘が爽やか営業スマイルで答える。
 さすが、恋愛偏差値も高い男。
 歯の浮くようなセリフも自由自在だ。
 僕だったら、そんなセリフを思いついても、口に出す勇気はない。

「それにしても、二人とも私服、気合入ってんじゃん。似合ってるよ」
「本当に? ありがと……」

 橘に褒められ、ぽっと頬を桜色に染める陽菜。
 僕は聞いてる方が恥ずかしくなり、ノイズキャンセリング機能つきのヘッドフォンがほしくなった。
 上地はあきれたような眼で橘を見る。

「適当なヤツだな。私のどこが、気合入ってるように見えんだよ」
「えっ……」

 予想外の答えに、橘は口をぽかんと開けて固まった。
 上地はポケットに手を突っ込み、スタスタと駅の中へ入っていく。
 橘は思ったよりダメージを受けたのか、陽菜に愛想笑いを振りまいた。
 僕はその隙を見計らい、上地に追いつく。

「待てって。初っ端から、空気悪くしてどうすんだよ」
「私は正直に言っただけだ。まさか、お前も私が気合いれておしゃれしたと思ってんの?」
「これっぽちも思ってない」
「だろ? あういう、軽いヤツ、私は大嫌いなんだ」
「分かる、分かるぞ……じゃなくて! 今日だけは、陽菜のために抑えてくれ」
「ちっ、分かったよ」

 話が終わると同時に、橘と陽菜が追いついてきた。
 まだ出発もしていないのに、僕は体育祭が終わった時のように激しく疲れていた。

 僕たちの住む四乃山町には、高校生が青春を謳歌できるようなスポットは存在しない。
 デート先といえば、電車で三十分かけて隣の四田(よだ)市まで遠征するのが、僕たちの学校では当たり前だった。
 なんて勝手知ったるような発言をしているが、僕にとって、実際に経験するのは今日が初めてだ。

 四田市駅に着くと、大手企業が全国展開するショッピングモールが僕たちを出迎えた。
 本来、こういうモールは大きな駐車場を造るため、土地代の安い郊外に建てられることが多いが、この駅前には広大な土地があり、価格も安かったらしい。
 四田市は、四乃山町よりはずいぶん発展しているが、都会から見ればどっちも田舎なのだ。

「みんな、こっちだ」

 ショッピングモールへ続く高架歩道に出ると、橘が皆をリードする。
 残念ながら、四田市も通信障害に襲われており、ネットは不通のまま。
 本来、発起人である僕が案内すべきだが、地図を調べることもできない。
 本当に勝手知ったる橘に任せておくのが良いだろう。

 陽菜がなぜか歩くペースを落とし、僕の隣に並んだ。

「翔太」
「何やってんだよ。橘のヤツ、先に行ってるぞ」
「お礼、言ってなかったと思って」

 陽菜は軽やかにステップを踏みながら、ニッと僕に笑いかける。

「本当にありがと。まさかあの翔太が、ここまでしてくれるなんて思わなかったよ」
「一言多い」

 僕が陽菜を追い払うように手を振ると、陽菜は小走りで橘に追いついた。
 もう僕には陽菜の背中しか見えないけど、僕の心には彼女のまぶしい笑みが記念写真のように残っていた。
 僕にとっては、十分な報酬だ。



 ショッピングモールに着くと、春からの新生活に必要なものを皆で買って回ることになった。
 平日だからか、モール内は思ったより空いていた。
 すれ違うのは家族連れや親子が多かったが、時折、高校生とおぼしきグループもいた。
 僕たちと同じように、思い出作りに励んでいるのかもしれない。

 僕のお目当ては、大学の入学式で必要なスーツだった。
 足を踏み入れたことのない紳士服のショップの前で、僕はガチガチに緊張していた。
 それに気づいたのか、陽菜が意地悪そうな笑みを浮かべる。

「翔太、ガッチガチじゃん。大学生になるんだから、服ぐらい気軽に買えるようになりなよ」
「うるさい。お前は僕の母親か」
「久慈、俺がいいのを見繕ってやるよ」

 橘がショップ店員さながらに、いくつかスーツを引っ張り出し、僕に合わせていく。
 僕はされるがままの着せ替え人形状態。
 最終的には、就活にも使えるモノが良いとの橘店員の金言を受け、ブラックのスーツに決めた。
 ネクタイは陽菜が独断と偏見で選んだ、青いストライプ柄。
 皆の前で試着すると、橘と陽菜に爆笑された。

「久慈、着せられた感ありありじゃん。なんか幼稚園のお遊戯会みてえ」
「ふふっ、橘くん、それはちょっと言い過ぎ」

 上地にいたっては笑いをこらえながら、スマホで写真を撮る始末。
 何十年先までネタにされそうで、僕はがっくりと肩を落とした。

 陽菜は就職先で必要だという落ち着いた服を、橘は新しいノートや筆記用具の一式を購入した。
 最後に上地のターンとなったが、必要なものはネットで全部揃えたらしく、パスした。
 買い物が終わると、ちょうどお昼を回っていた。
 僕たちは、飲食店フロアにあるカフェに入り、ランチを食べることにした。
 案内されたのは、向かい合わせのテーブル席。
 僕と上地のさりげないアシストにより、橘と陽菜が隣同士で座ることになった。

「へえ、上地さんは東京の芸大に行くんだ」
「そ。あっちに、デジタル専門の学科があってな」

 料理を待つ間、話題は上地の進学先に。
 僕と陽菜は、彼女の進学先を以前から知っていたが、橘は初耳だったらしい。

「実は俺も東京なんだよね。結構、近いからすれ違うこともあったり?」
「悪いけど、他人のフリすっから」
「普通に傷つくからやめて……」

 同じ街で暮らすことが分かり、橘と上地が盛り上がる。
 その様子を、うらやましそうに陽菜が見つめていた。
 好きな人とうまく話せないという、もどかしさだろうか。
 いや、きっとそれだけじゃない。
 四人のうち、就職するのは自分だけ。
 ちょっとした疎外感を感じているのかもしれない。
 僕は陽菜を元気づけようと、なるべく明るい声で言う。

「そ、そういや! 陽菜は就活、結構頑張ったんだろ? 数年後、就活に立ち向かう僕たちへ、何か使えるアドバイスをくれよ」
「ちょっと言い方ー。私の苦労を利用する気満々じゃん」

 陽菜が僕をジトッとした眼で見る。
 もちろん、長年の付き合いで、陽菜が本気で嫌がっていないことは分かる。
 僕と陽菜が投げた釣り針に、橘が食いつく。

「朝倉さんって、たしか駅前の観光案内所に就職するんだったよね?」
「うん。実はお父さんも、そこに勤めていてね」
「へえ……そうなんだ」

 橘が何とも歯切れの悪い反応をする。
 もちろん、それが意味することは分かっている。
 陽菜が、親のコネで入社したのではないかという疑い。
 僕が少し息を整えてから、助け舟を出す。

「それを聞いてさ。どうせ親のコネで入社したんだろ? ってツッコんだんだよ」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「それがさ……実際は全然違うんだ。あれには驚いたなあ」

 僕が意味深に言葉を止めると、橘が僕を食い入るように見つめた。
 計算通り。
 僕のコミュ力は、とんでもなくレベルアップしているようだ。
 ニヤリと笑みを浮かべ、僕は話を続ける。

「陽菜のヤツ、コネ入社は嫌だから『ちゃんと試験をしてください』って直談判したらしいんだ。それで、外部の企業が適性検査や筆記試験、面接を行うことになって、基準を見事クリア。晴れて就職が決まったんだって」
「何それ! 朝倉さん、すげー男前じゃん」
「陽菜って無駄にプライド高いからな」

 橘と上地が陽菜をはやしたてる。
 陽菜は恥ずかしそうに謙遜するが、まんざらでもない様子だ。

「お待たせしましたー。オムライスのセットの方は?」
「あ、私でーす」
 
 ちょうどいいタイミングで、女性の店員が料理を運んでくる。
 皆の前に、別々の料理が並ぶと、陽菜が店員に声をかけた。

「あの、すいません。写真を撮ってもらっていいですか?」
「はい、もちろんいいですよ」

 陽菜が自分のスマホを店員に渡した。
 橘と陽菜は手慣れた感じで、カメラに向かってポーズを決める。
 上地はいつもの無愛想な表情で、カメラに視線を向けるだけ。
 僕は慌てて、橘と陽菜の真似をした。

「じゃあ行きますよー。はい、チーズ」

 ――カシャッ。

 店内に乾いたシャッター音が響いた。
 陽菜は店員に御礼を言い、スマホを受け取る。

「ネットが復旧したら、みんなに送るね」

 絶対、ぎこちない表情で映ってるに違いない。
 写真を送られても、僕は視力検査の時みたいに、遠くから目を細めて見ることしかできないだろう。
 けど、もっと先の未来。
 僕はその写真を見て、今日のことを色鮮やかに思い出す。
 そんな予感がした。



 食事を終えた後に向かったのは、ゲームセンター。
 ここは僕の得意分野――と言いたいところだけど、昔から格闘ゲーム以外はからっきし駄目。

「うわー! あのクレーンゲーム、新しい景品入ってる!」

 陽菜が、クレーンゲームのガラスに張り付き、目を輝かせる。
 視線の先には、何の動物をモチーフにしたかよく分からない、謎のぬいぐるみ。
 僕にはどこが可愛いのかさっぱり分からなかった。
 橘がわざとらしく腕まくりをした。

「これなら、簡単に取れそうだな」

 自信満々でクレーンゲームの前に立ち、硬貨を入れる橘。
 おいおい、そんな宣言しちゃって大丈夫か?
 もし取れなかったら、橘の株は急降下すること間違いなしだ。

 数分後。
 僕の心配は、まったく不要だった。
 橘は数回挑戦しただけで、見事にぬいぐるみをゲット。
 彼に苦手なモノは、この世に一つも存在しないのかもしれない。

「はい、朝倉さん。プレゼント」
「ええっ!? いいの?」
「就職祝いってことで」
「ありがとう、橘くん!」

 満面の笑みで、ぬいぐるみを受け取る陽菜。

「ねえ、私も取ってみたい。コツ教えてくれる?」
「もちろん」

 盛り上がる二人は、(はた)から見ると、恋人同士にしか見えなかった。
 まったく、僕の気も知らないでいい気なもんだ。
 僕は心の中でため息を連発した後、二人に声をかける。

「僕と上地は、あっちのゲームをやって来るよ」
「うん? ああ」

 別行動を取ることに、橘が少し不思議がった。
 深く考えられる前に、僕は上地に目配せし、動き出す。
 ネットが繋がらないせいで、オンライン必須のゲームは軒並み、遊べなくなっていた。
 僕は十年以上前に流行った、格闘ゲームの台に座った。

「上地、勝負しないか?」
「いいぜ。暇つぶしにはなりそうだな」

 この格闘ゲームは、向かいの人同士で対戦できる仕様だ。
 上地がゲームの台の影に隠れた後、彼女の操作するキャラクターが画面上に現れる。
 僕は結構腕に自信があったのに、第一ラウンドはボロ負けした。

「くそっ……なかなかやるな」
「それはこっちのセリフ」
「何言ってんだ。上地の完勝じゃないか」
「ゲームの話じゃない。陽菜と橘のこと」

 第二ラウンドが始まる。
 レバーとボタンを激しく操作しながら、僕たちは会話を続ける。

「陽菜が落ち込んでいるとフォローしたり、さっきみたいに二人きりにしたり、なかなかできることじゃない。正直驚いたよ」
「お褒めにあずかり……光栄だねっ!」

 今度は僕が必殺技を叩き込み、上地を倒した。
 次のラウンドを取った方が、勝利。
 より一層気合を入れ、レバーを握った――その時、だった。
 
 いつの間にか、陽菜が僕の横に立っていた。
 先ほどまでの笑顔は消え去り、血の気の引いた真っ白な顔になっている。
 目が潤み、涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
 その場の空気が、一瞬にして凍りつく。

「翔太、美子……ごめん。私、先に帰るね」

 そう言うと、僕たちに背を向け、ゲームセンターを走り去った。
 
 ――何が、あった?
 
 あんなに、うまくいってたのに。
 いや、今はそんなことを考えてる状況じゃない。
 早く、陽菜を追いかけなければ。
 待て。
 もし最悪のことが起こったとしたら、僕より上地の方が――。
 
「迷うな!」

 上地が、今まで聞いたことのないほど大きな声を上げた。

「お前が、陽菜を追いかけろ。橘は、私に任せておけ」
「……ありがとう」
 
 僕は拳を固く握りしめ、陽菜の後を追った。