卒業式まで、あと二日。
それは、運命のダブルデートの当日でもあった。
昨日、慣れない家電を使って、四人の予定を調整した。
自分で遊びを企画するなんて、初めてのこと。
待ち合わせ場所である駅前のロータリーに向かう最中、もしかして誰も来ないんじゃないかと心配になった。
僕が少し早めに着くと、すでに橘が待っていてホッとした。
相変わらず、モデルみたいにスタイルがいい。
シンプルな白のパーカーに黒のパンツってだけなのに、なんでこんなにカッコよく見えるんだか。
僕は何の特徴もない茶色のコートを羽織っていたが、きっとこれも橘が着ると、とんでもなく映えるのだろう。
「よう、久慈。早いな」
「まあな。遅刻するわけにはいかないだろ、今日は」
僕は雲一つない、透き通るような青空を見上げた。
上地の部屋で涙を枯らしてから、心はちょっとスッキリしたけど、今日の天気のように快晴ではない。
すると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ごっめーん、遅くなった!」
声の主は、もちろん陽菜だ。
小走りで駆け寄ってくる彼女は、もちろんジャージ姿ではない。
ふんわりとした丈の長いワンピースに、ジャケットを羽織っていた。
春を先取りしたような明るい服装が、太陽みたいな彼女の笑顔によく似合っている。
隣には、やっぱり黒ずくめの上地。
対照的な二人が並ぶと、不思議とバランス良く見えた。
「全然、大丈夫だよ。俺たちも今来たとこだから」
橘が爽やか営業スマイルで答える。
さすが、恋愛偏差値も高い男。
歯の浮くようなセリフも自由自在だ。
僕だったら、そんなセリフを思いついても、口に出す勇気はない。
「それにしても、二人とも私服、気合入ってんじゃん。似合ってるよ」
「本当に? ありがと……」
橘に褒められ、ぽっと頬を桜色に染める陽菜。
僕は聞いてる方が恥ずかしくなり、ノイズキャンセリング機能つきのヘッドフォンがほしくなった。
上地はあきれたような眼で橘を見る。
「適当なヤツだな。私のどこが、気合入ってるように見えんだよ」
「えっ……」
予想外の答えに、橘は口をぽかんと開けて固まった。
上地はポケットに手を突っ込み、スタスタと駅の中へ入っていく。
橘は思ったよりダメージを受けたのか、陽菜に愛想笑いを振りまいた。
僕はその隙を見計らい、上地に追いつく。
「待てって。初っ端から、空気悪くしてどうすんだよ」
「私は正直に言っただけだ。まさか、お前も私が気合いれておしゃれしたと思ってんの?」
「これっぽちも思ってない」
「だろ? あういう、軽いヤツ、私は大嫌いなんだ」
「分かる、分かるぞ……じゃなくて! 今日だけは、陽菜のために抑えてくれ」
「ちっ、分かったよ」
話が終わると同時に、橘と陽菜が追いついてきた。
まだ出発もしていないのに、僕は体育祭が終わった時のように激しく疲れていた。
僕たちの住む四乃山町には、高校生が青春を謳歌できるようなスポットは存在しない。
デート先といえば、電車で三十分かけて隣の四田市まで遠征するのが、僕たちの学校では当たり前だった。
なんて勝手知ったるような発言をしているが、僕にとって、実際に経験するのは今日が初めてだ。
四田市駅に着くと、大手企業が全国展開するショッピングモールが僕たちを出迎えた。
本来、こういうモールは大きな駐車場を造るため、土地代の安い郊外に建てられることが多いが、この駅前には広大な土地があり、価格も安かったらしい。
四田市は、四乃山町よりはずいぶん発展しているが、都会から見ればどっちも田舎なのだ。
「みんな、こっちだ」
ショッピングモールへ続く高架歩道に出ると、橘が皆をリードする。
残念ながら、四田市も通信障害に襲われており、ネットは不通のまま。
本来、発起人である僕が案内すべきだが、地図を調べることもできない。
本当に勝手知ったる橘に任せておくのが良いだろう。
陽菜がなぜか歩くペースを落とし、僕の隣に並んだ。
「翔太」
「何やってんだよ。橘のヤツ、先に行ってるぞ」
「お礼、言ってなかったと思って」
陽菜は軽やかにステップを踏みながら、ニッと僕に笑いかける。
「本当にありがと。まさかあの翔太が、ここまでしてくれるなんて思わなかったよ」
「一言多い」
僕が陽菜を追い払うように手を振ると、陽菜は小走りで橘に追いついた。
もう僕には陽菜の背中しか見えないけど、僕の心には彼女のまぶしい笑みが記念写真のように残っていた。
僕にとっては、十分な報酬だ。
ショッピングモールに着くと、春からの新生活に必要なものを皆で買って回ることになった。
平日だからか、モール内は思ったより空いていた。
すれ違うのは家族連れや親子が多かったが、時折、高校生とおぼしきグループもいた。
僕たちと同じように、思い出作りに励んでいるのかもしれない。
僕のお目当ては、大学の入学式で必要なスーツだった。
足を踏み入れたことのない紳士服のショップの前で、僕はガチガチに緊張していた。
それに気づいたのか、陽菜が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「翔太、ガッチガチじゃん。大学生になるんだから、服ぐらい気軽に買えるようになりなよ」
「うるさい。お前は僕の母親か」
「久慈、俺がいいのを見繕ってやるよ」
橘がショップ店員さながらに、いくつかスーツを引っ張り出し、僕に合わせていく。
僕はされるがままの着せ替え人形状態。
最終的には、就活にも使えるモノが良いとの橘店員の金言を受け、ブラックのスーツに決めた。
ネクタイは陽菜が独断と偏見で選んだ、青いストライプ柄。
皆の前で試着すると、橘と陽菜に爆笑された。
「久慈、着せられた感ありありじゃん。なんか幼稚園のお遊戯会みてえ」
「ふふっ、橘くん、それはちょっと言い過ぎ」
上地にいたっては笑いをこらえながら、スマホで写真を撮る始末。
何十年先までネタにされそうで、僕はがっくりと肩を落とした。
陽菜は就職先で必要だという落ち着いた服を、橘は新しいノートや筆記用具の一式を購入した。
最後に上地のターンとなったが、必要なものはネットで全部揃えたらしく、パスした。
買い物が終わると、ちょうどお昼を回っていた。
僕たちは、飲食店フロアにあるカフェに入り、ランチを食べることにした。
案内されたのは、向かい合わせのテーブル席。
僕と上地のさりげないアシストにより、橘と陽菜が隣同士で座ることになった。
「へえ、上地さんは東京の芸大に行くんだ」
「そ。あっちに、デジタル専門の学科があってな」
料理を待つ間、話題は上地の進学先に。
僕と陽菜は、彼女の進学先を以前から知っていたが、橘は初耳だったらしい。
「実は俺も東京なんだよね。結構、近いからすれ違うこともあったり?」
「悪いけど、他人のフリすっから」
「普通に傷つくからやめて……」
同じ街で暮らすことが分かり、橘と上地が盛り上がる。
その様子を、うらやましそうに陽菜が見つめていた。
好きな人とうまく話せないという、もどかしさだろうか。
いや、きっとそれだけじゃない。
四人のうち、就職するのは自分だけ。
ちょっとした疎外感を感じているのかもしれない。
僕は陽菜を元気づけようと、なるべく明るい声で言う。
「そ、そういや! 陽菜は就活、結構頑張ったんだろ? 数年後、就活に立ち向かう僕たちへ、何か使えるアドバイスをくれよ」
「ちょっと言い方ー。私の苦労を利用する気満々じゃん」
陽菜が僕をジトッとした眼で見る。
もちろん、長年の付き合いで、陽菜が本気で嫌がっていないことは分かる。
僕と陽菜が投げた釣り針に、橘が食いつく。
「朝倉さんって、たしか駅前の観光案内所に就職するんだったよね?」
「うん。実はお父さんも、そこに勤めていてね」
「へえ……そうなんだ」
橘が何とも歯切れの悪い反応をする。
もちろん、それが意味することは分かっている。
陽菜が、親のコネで入社したのではないかという疑い。
僕が少し息を整えてから、助け舟を出す。
「それを聞いてさ。どうせ親のコネで入社したんだろ? ってツッコんだんだよ」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「それがさ……実際は全然違うんだ。あれには驚いたなあ」
僕が意味深に言葉を止めると、橘が僕を食い入るように見つめた。
計算通り。
僕のコミュ力は、とんでもなくレベルアップしているようだ。
ニヤリと笑みを浮かべ、僕は話を続ける。
「陽菜のヤツ、コネ入社は嫌だから『ちゃんと試験をしてください』って直談判したらしいんだ。それで、外部の企業が適性検査や筆記試験、面接を行うことになって、基準を見事クリア。晴れて就職が決まったんだって」
「何それ! 朝倉さん、すげー男前じゃん」
「陽菜って無駄にプライド高いからな」
橘と上地が陽菜をはやしたてる。
陽菜は恥ずかしそうに謙遜するが、まんざらでもない様子だ。
「お待たせしましたー。オムライスのセットの方は?」
「あ、私でーす」
ちょうどいいタイミングで、女性の店員が料理を運んでくる。
皆の前に、別々の料理が並ぶと、陽菜が店員に声をかけた。
「あの、すいません。写真を撮ってもらっていいですか?」
「はい、もちろんいいですよ」
陽菜が自分のスマホを店員に渡した。
橘と陽菜は手慣れた感じで、カメラに向かってポーズを決める。
上地はいつもの無愛想な表情で、カメラに視線を向けるだけ。
僕は慌てて、橘と陽菜の真似をした。
「じゃあ行きますよー。はい、チーズ」
――カシャッ。
店内に乾いたシャッター音が響いた。
陽菜は店員に御礼を言い、スマホを受け取る。
「ネットが復旧したら、みんなに送るね」
絶対、ぎこちない表情で映ってるに違いない。
写真を送られても、僕は視力検査の時みたいに、遠くから目を細めて見ることしかできないだろう。
けど、もっと先の未来。
僕はその写真を見て、今日のことを色鮮やかに思い出す。
そんな予感がした。
食事を終えた後に向かったのは、ゲームセンター。
ここは僕の得意分野――と言いたいところだけど、昔から格闘ゲーム以外はからっきし駄目。
「うわー! あのクレーンゲーム、新しい景品入ってる!」
陽菜が、クレーンゲームのガラスに張り付き、目を輝かせる。
視線の先には、何の動物をモチーフにしたかよく分からない、謎のぬいぐるみ。
僕にはどこが可愛いのかさっぱり分からなかった。
橘がわざとらしく腕まくりをした。
「これなら、簡単に取れそうだな」
自信満々でクレーンゲームの前に立ち、硬貨を入れる橘。
おいおい、そんな宣言しちゃって大丈夫か?
もし取れなかったら、橘の株は急降下すること間違いなしだ。
数分後。
僕の心配は、まったく不要だった。
橘は数回挑戦しただけで、見事にぬいぐるみをゲット。
彼に苦手なモノは、この世に一つも存在しないのかもしれない。
「はい、朝倉さん。プレゼント」
「ええっ!? いいの?」
「就職祝いってことで」
「ありがとう、橘くん!」
満面の笑みで、ぬいぐるみを受け取る陽菜。
「ねえ、私も取ってみたい。コツ教えてくれる?」
「もちろん」
盛り上がる二人は、傍から見ると、恋人同士にしか見えなかった。
まったく、僕の気も知らないでいい気なもんだ。
僕は心の中でため息を連発した後、二人に声をかける。
「僕と上地は、あっちのゲームをやって来るよ」
「うん? ああ」
別行動を取ることに、橘が少し不思議がった。
深く考えられる前に、僕は上地に目配せし、動き出す。
ネットが繋がらないせいで、オンライン必須のゲームは軒並み、遊べなくなっていた。
僕は十年以上前に流行った、格闘ゲームの台に座った。
「上地、勝負しないか?」
「いいぜ。暇つぶしにはなりそうだな」
この格闘ゲームは、向かいの人同士で対戦できる仕様だ。
上地がゲームの台の影に隠れた後、彼女の操作するキャラクターが画面上に現れる。
僕は結構腕に自信があったのに、第一ラウンドはボロ負けした。
「くそっ……なかなかやるな」
「それはこっちのセリフ」
「何言ってんだ。上地の完勝じゃないか」
「ゲームの話じゃない。陽菜と橘のこと」
第二ラウンドが始まる。
レバーとボタンを激しく操作しながら、僕たちは会話を続ける。
「陽菜が落ち込んでいるとフォローしたり、さっきみたいに二人きりにしたり、なかなかできることじゃない。正直驚いたよ」
「お褒めにあずかり……光栄だねっ!」
今度は僕が必殺技を叩き込み、上地を倒した。
次のラウンドを取った方が、勝利。
より一層気合を入れ、レバーを握った――その時、だった。
いつの間にか、陽菜が僕の横に立っていた。
先ほどまでの笑顔は消え去り、血の気の引いた真っ白な顔になっている。
目が潤み、涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
その場の空気が、一瞬にして凍りつく。
「翔太、美子……ごめん。私、先に帰るね」
そう言うと、僕たちに背を向け、ゲームセンターを走り去った。
――何が、あった?
あんなに、うまくいってたのに。
いや、今はそんなことを考えてる状況じゃない。
早く、陽菜を追いかけなければ。
待て。
もし最悪のことが起こったとしたら、僕より上地の方が――。
「迷うな!」
上地が、今まで聞いたことのないほど大きな声を上げた。
「お前が、陽菜を追いかけろ。橘は、私に任せておけ」
「……ありがとう」
僕は拳を固く握りしめ、陽菜の後を追った。
それは、運命のダブルデートの当日でもあった。
昨日、慣れない家電を使って、四人の予定を調整した。
自分で遊びを企画するなんて、初めてのこと。
待ち合わせ場所である駅前のロータリーに向かう最中、もしかして誰も来ないんじゃないかと心配になった。
僕が少し早めに着くと、すでに橘が待っていてホッとした。
相変わらず、モデルみたいにスタイルがいい。
シンプルな白のパーカーに黒のパンツってだけなのに、なんでこんなにカッコよく見えるんだか。
僕は何の特徴もない茶色のコートを羽織っていたが、きっとこれも橘が着ると、とんでもなく映えるのだろう。
「よう、久慈。早いな」
「まあな。遅刻するわけにはいかないだろ、今日は」
僕は雲一つない、透き通るような青空を見上げた。
上地の部屋で涙を枯らしてから、心はちょっとスッキリしたけど、今日の天気のように快晴ではない。
すると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ごっめーん、遅くなった!」
声の主は、もちろん陽菜だ。
小走りで駆け寄ってくる彼女は、もちろんジャージ姿ではない。
ふんわりとした丈の長いワンピースに、ジャケットを羽織っていた。
春を先取りしたような明るい服装が、太陽みたいな彼女の笑顔によく似合っている。
隣には、やっぱり黒ずくめの上地。
対照的な二人が並ぶと、不思議とバランス良く見えた。
「全然、大丈夫だよ。俺たちも今来たとこだから」
橘が爽やか営業スマイルで答える。
さすが、恋愛偏差値も高い男。
歯の浮くようなセリフも自由自在だ。
僕だったら、そんなセリフを思いついても、口に出す勇気はない。
「それにしても、二人とも私服、気合入ってんじゃん。似合ってるよ」
「本当に? ありがと……」
橘に褒められ、ぽっと頬を桜色に染める陽菜。
僕は聞いてる方が恥ずかしくなり、ノイズキャンセリング機能つきのヘッドフォンがほしくなった。
上地はあきれたような眼で橘を見る。
「適当なヤツだな。私のどこが、気合入ってるように見えんだよ」
「えっ……」
予想外の答えに、橘は口をぽかんと開けて固まった。
上地はポケットに手を突っ込み、スタスタと駅の中へ入っていく。
橘は思ったよりダメージを受けたのか、陽菜に愛想笑いを振りまいた。
僕はその隙を見計らい、上地に追いつく。
「待てって。初っ端から、空気悪くしてどうすんだよ」
「私は正直に言っただけだ。まさか、お前も私が気合いれておしゃれしたと思ってんの?」
「これっぽちも思ってない」
「だろ? あういう、軽いヤツ、私は大嫌いなんだ」
「分かる、分かるぞ……じゃなくて! 今日だけは、陽菜のために抑えてくれ」
「ちっ、分かったよ」
話が終わると同時に、橘と陽菜が追いついてきた。
まだ出発もしていないのに、僕は体育祭が終わった時のように激しく疲れていた。
僕たちの住む四乃山町には、高校生が青春を謳歌できるようなスポットは存在しない。
デート先といえば、電車で三十分かけて隣の四田市まで遠征するのが、僕たちの学校では当たり前だった。
なんて勝手知ったるような発言をしているが、僕にとって、実際に経験するのは今日が初めてだ。
四田市駅に着くと、大手企業が全国展開するショッピングモールが僕たちを出迎えた。
本来、こういうモールは大きな駐車場を造るため、土地代の安い郊外に建てられることが多いが、この駅前には広大な土地があり、価格も安かったらしい。
四田市は、四乃山町よりはずいぶん発展しているが、都会から見ればどっちも田舎なのだ。
「みんな、こっちだ」
ショッピングモールへ続く高架歩道に出ると、橘が皆をリードする。
残念ながら、四田市も通信障害に襲われており、ネットは不通のまま。
本来、発起人である僕が案内すべきだが、地図を調べることもできない。
本当に勝手知ったる橘に任せておくのが良いだろう。
陽菜がなぜか歩くペースを落とし、僕の隣に並んだ。
「翔太」
「何やってんだよ。橘のヤツ、先に行ってるぞ」
「お礼、言ってなかったと思って」
陽菜は軽やかにステップを踏みながら、ニッと僕に笑いかける。
「本当にありがと。まさかあの翔太が、ここまでしてくれるなんて思わなかったよ」
「一言多い」
僕が陽菜を追い払うように手を振ると、陽菜は小走りで橘に追いついた。
もう僕には陽菜の背中しか見えないけど、僕の心には彼女のまぶしい笑みが記念写真のように残っていた。
僕にとっては、十分な報酬だ。
ショッピングモールに着くと、春からの新生活に必要なものを皆で買って回ることになった。
平日だからか、モール内は思ったより空いていた。
すれ違うのは家族連れや親子が多かったが、時折、高校生とおぼしきグループもいた。
僕たちと同じように、思い出作りに励んでいるのかもしれない。
僕のお目当ては、大学の入学式で必要なスーツだった。
足を踏み入れたことのない紳士服のショップの前で、僕はガチガチに緊張していた。
それに気づいたのか、陽菜が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「翔太、ガッチガチじゃん。大学生になるんだから、服ぐらい気軽に買えるようになりなよ」
「うるさい。お前は僕の母親か」
「久慈、俺がいいのを見繕ってやるよ」
橘がショップ店員さながらに、いくつかスーツを引っ張り出し、僕に合わせていく。
僕はされるがままの着せ替え人形状態。
最終的には、就活にも使えるモノが良いとの橘店員の金言を受け、ブラックのスーツに決めた。
ネクタイは陽菜が独断と偏見で選んだ、青いストライプ柄。
皆の前で試着すると、橘と陽菜に爆笑された。
「久慈、着せられた感ありありじゃん。なんか幼稚園のお遊戯会みてえ」
「ふふっ、橘くん、それはちょっと言い過ぎ」
上地にいたっては笑いをこらえながら、スマホで写真を撮る始末。
何十年先までネタにされそうで、僕はがっくりと肩を落とした。
陽菜は就職先で必要だという落ち着いた服を、橘は新しいノートや筆記用具の一式を購入した。
最後に上地のターンとなったが、必要なものはネットで全部揃えたらしく、パスした。
買い物が終わると、ちょうどお昼を回っていた。
僕たちは、飲食店フロアにあるカフェに入り、ランチを食べることにした。
案内されたのは、向かい合わせのテーブル席。
僕と上地のさりげないアシストにより、橘と陽菜が隣同士で座ることになった。
「へえ、上地さんは東京の芸大に行くんだ」
「そ。あっちに、デジタル専門の学科があってな」
料理を待つ間、話題は上地の進学先に。
僕と陽菜は、彼女の進学先を以前から知っていたが、橘は初耳だったらしい。
「実は俺も東京なんだよね。結構、近いからすれ違うこともあったり?」
「悪いけど、他人のフリすっから」
「普通に傷つくからやめて……」
同じ街で暮らすことが分かり、橘と上地が盛り上がる。
その様子を、うらやましそうに陽菜が見つめていた。
好きな人とうまく話せないという、もどかしさだろうか。
いや、きっとそれだけじゃない。
四人のうち、就職するのは自分だけ。
ちょっとした疎外感を感じているのかもしれない。
僕は陽菜を元気づけようと、なるべく明るい声で言う。
「そ、そういや! 陽菜は就活、結構頑張ったんだろ? 数年後、就活に立ち向かう僕たちへ、何か使えるアドバイスをくれよ」
「ちょっと言い方ー。私の苦労を利用する気満々じゃん」
陽菜が僕をジトッとした眼で見る。
もちろん、長年の付き合いで、陽菜が本気で嫌がっていないことは分かる。
僕と陽菜が投げた釣り針に、橘が食いつく。
「朝倉さんって、たしか駅前の観光案内所に就職するんだったよね?」
「うん。実はお父さんも、そこに勤めていてね」
「へえ……そうなんだ」
橘が何とも歯切れの悪い反応をする。
もちろん、それが意味することは分かっている。
陽菜が、親のコネで入社したのではないかという疑い。
僕が少し息を整えてから、助け舟を出す。
「それを聞いてさ。どうせ親のコネで入社したんだろ? ってツッコんだんだよ」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「それがさ……実際は全然違うんだ。あれには驚いたなあ」
僕が意味深に言葉を止めると、橘が僕を食い入るように見つめた。
計算通り。
僕のコミュ力は、とんでもなくレベルアップしているようだ。
ニヤリと笑みを浮かべ、僕は話を続ける。
「陽菜のヤツ、コネ入社は嫌だから『ちゃんと試験をしてください』って直談判したらしいんだ。それで、外部の企業が適性検査や筆記試験、面接を行うことになって、基準を見事クリア。晴れて就職が決まったんだって」
「何それ! 朝倉さん、すげー男前じゃん」
「陽菜って無駄にプライド高いからな」
橘と上地が陽菜をはやしたてる。
陽菜は恥ずかしそうに謙遜するが、まんざらでもない様子だ。
「お待たせしましたー。オムライスのセットの方は?」
「あ、私でーす」
ちょうどいいタイミングで、女性の店員が料理を運んでくる。
皆の前に、別々の料理が並ぶと、陽菜が店員に声をかけた。
「あの、すいません。写真を撮ってもらっていいですか?」
「はい、もちろんいいですよ」
陽菜が自分のスマホを店員に渡した。
橘と陽菜は手慣れた感じで、カメラに向かってポーズを決める。
上地はいつもの無愛想な表情で、カメラに視線を向けるだけ。
僕は慌てて、橘と陽菜の真似をした。
「じゃあ行きますよー。はい、チーズ」
――カシャッ。
店内に乾いたシャッター音が響いた。
陽菜は店員に御礼を言い、スマホを受け取る。
「ネットが復旧したら、みんなに送るね」
絶対、ぎこちない表情で映ってるに違いない。
写真を送られても、僕は視力検査の時みたいに、遠くから目を細めて見ることしかできないだろう。
けど、もっと先の未来。
僕はその写真を見て、今日のことを色鮮やかに思い出す。
そんな予感がした。
食事を終えた後に向かったのは、ゲームセンター。
ここは僕の得意分野――と言いたいところだけど、昔から格闘ゲーム以外はからっきし駄目。
「うわー! あのクレーンゲーム、新しい景品入ってる!」
陽菜が、クレーンゲームのガラスに張り付き、目を輝かせる。
視線の先には、何の動物をモチーフにしたかよく分からない、謎のぬいぐるみ。
僕にはどこが可愛いのかさっぱり分からなかった。
橘がわざとらしく腕まくりをした。
「これなら、簡単に取れそうだな」
自信満々でクレーンゲームの前に立ち、硬貨を入れる橘。
おいおい、そんな宣言しちゃって大丈夫か?
もし取れなかったら、橘の株は急降下すること間違いなしだ。
数分後。
僕の心配は、まったく不要だった。
橘は数回挑戦しただけで、見事にぬいぐるみをゲット。
彼に苦手なモノは、この世に一つも存在しないのかもしれない。
「はい、朝倉さん。プレゼント」
「ええっ!? いいの?」
「就職祝いってことで」
「ありがとう、橘くん!」
満面の笑みで、ぬいぐるみを受け取る陽菜。
「ねえ、私も取ってみたい。コツ教えてくれる?」
「もちろん」
盛り上がる二人は、傍から見ると、恋人同士にしか見えなかった。
まったく、僕の気も知らないでいい気なもんだ。
僕は心の中でため息を連発した後、二人に声をかける。
「僕と上地は、あっちのゲームをやって来るよ」
「うん? ああ」
別行動を取ることに、橘が少し不思議がった。
深く考えられる前に、僕は上地に目配せし、動き出す。
ネットが繋がらないせいで、オンライン必須のゲームは軒並み、遊べなくなっていた。
僕は十年以上前に流行った、格闘ゲームの台に座った。
「上地、勝負しないか?」
「いいぜ。暇つぶしにはなりそうだな」
この格闘ゲームは、向かいの人同士で対戦できる仕様だ。
上地がゲームの台の影に隠れた後、彼女の操作するキャラクターが画面上に現れる。
僕は結構腕に自信があったのに、第一ラウンドはボロ負けした。
「くそっ……なかなかやるな」
「それはこっちのセリフ」
「何言ってんだ。上地の完勝じゃないか」
「ゲームの話じゃない。陽菜と橘のこと」
第二ラウンドが始まる。
レバーとボタンを激しく操作しながら、僕たちは会話を続ける。
「陽菜が落ち込んでいるとフォローしたり、さっきみたいに二人きりにしたり、なかなかできることじゃない。正直驚いたよ」
「お褒めにあずかり……光栄だねっ!」
今度は僕が必殺技を叩き込み、上地を倒した。
次のラウンドを取った方が、勝利。
より一層気合を入れ、レバーを握った――その時、だった。
いつの間にか、陽菜が僕の横に立っていた。
先ほどまでの笑顔は消え去り、血の気の引いた真っ白な顔になっている。
目が潤み、涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
その場の空気が、一瞬にして凍りつく。
「翔太、美子……ごめん。私、先に帰るね」
そう言うと、僕たちに背を向け、ゲームセンターを走り去った。
――何が、あった?
あんなに、うまくいってたのに。
いや、今はそんなことを考えてる状況じゃない。
早く、陽菜を追いかけなければ。
待て。
もし最悪のことが起こったとしたら、僕より上地の方が――。
「迷うな!」
上地が、今まで聞いたことのないほど大きな声を上げた。
「お前が、陽菜を追いかけろ。橘は、私に任せておけ」
「……ありがとう」
僕は拳を固く握りしめ、陽菜の後を追った。
