三月は、所によりオフライン

 卒業式まで、あと二日。
 
 それは、運命のダブルデートの当日でもあった。
 昨日、慣れない家電(いえでん)を使って、四人の予定を調整した。
 自分で遊びを企画するなんて、初めてのこと。
 待ち合わせ場所である駅前のロータリーに向かう最中、もしかして誰も来ないんじゃないかと心配になった。

 僕が少し早めに着くと、すでに橘が待っていてホッとした。
 相変わらず、モデルみたいにスタイルがいい。
 シンプルな白のパーカーに黒のパンツってだけなのに、なんでこんなにカッコよく見えるんだか。
 僕は何の特徴もない茶色のコートを羽織っていたが、きっとこれも橘が着ると、とんでもなく映えるのだろう。

「よう、久慈。早いな」
「まあな。遅刻するわけにはいかないだろ、今日は」

 僕は雲一つない、透き通るような青空を見上げた。
 上地の部屋で涙を枯らしてから、心はちょっとスッキリしたけど、今日の天気のように快晴ではない。
 すると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ごっめーん、遅くなった!」

 声の主は、もちろん陽菜だ。
 小走りで駆け寄ってくる彼女は、もちろんジャージ姿ではない。
 ふんわりとした丈の長いワンピースに、ジャケットを羽織っていた。
 春を先取りしたような明るい服装が、太陽みたいな彼女の笑顔によく似合っている。
 隣には、やっぱり黒ずくめの上地。
 対照的な二人が並ぶと、不思議とバランス良く見えた。

「全然、大丈夫だよ。俺たちも今来たとこだから」

 橘が爽やか営業スマイルで答える。
 さすが、恋愛偏差値も高い男。
 歯の浮くようなセリフも自由自在だ。
 僕だったら、そんなセリフを思いついても、口に出す勇気はない。

「それにしても、二人とも私服、気合入ってんじゃん。似合ってるよ」
「本当に? ありがと……」

 橘に褒められ、ぽっと頬を桜色に染める陽菜。
 僕は聞いてる方が恥ずかしくなり、ノイズキャンセリング機能つきのヘッドフォンがほしくなった。
 上地はあきれたような眼で橘を見る。

「適当なヤツだな。私のどこが、気合入ってるように見えんだよ」
「えっ……」

 予想外の答えに、橘は口をぽかんと開けて固まった。
 上地はポケットに手を突っ込み、スタスタと駅の中へ入っていく。
 橘は思ったよりダメージを受けたのか、陽菜に愛想笑いを振りまいた。
 僕はその隙を見計らい、上地に追いつく。

「待てって。初っ端から、空気悪くしてどうすんだよ」
「私は正直に言っただけだ。まさか、お前も私が気合いれておしゃれしたと思ってんの?」
「これっぽちも思ってない」
「だろ? あういう、軽いヤツ、私は大嫌いなんだ」
「分かる、分かるぞ……じゃなくて! 今日だけは、陽菜のために抑えてくれ」
「ちっ、分かったよ」

 話が終わると同時に、橘と陽菜が追いついてきた。
 まだ出発もしていないのに、僕は体育祭が終わった時のように激しく疲れていた。

 僕たちの住む四乃山町には、高校生が青春を謳歌できるようなスポットは存在しない。
 デート先といえば、電車で三十分かけて隣の四田(よだ)市まで遠征するのが、僕たちの学校では当たり前だった。
 なんて勝手知ったるような発言をしているが、僕にとって、実際に経験するのは今日が初めてだ。

 四田市駅に着くと、大手企業が全国展開するショッピングモールが僕たちを出迎えた。
 本来、こういうモールは大きな駐車場を造るため、土地代の安い郊外に建てられることが多いが、この駅前には広大な土地があり、価格も安かったらしい。
 四田市は、四乃山町よりはずいぶん発展しているが、都会から見ればどっちも田舎なのだ。

「みんな、こっちだ」

 ショッピングモールへ続く高架歩道に出ると、橘が皆をリードする。
 残念ながら、四田市も通信障害に襲われており、ネットは不通のまま。
 本来、発起人である僕が案内すべきだが、地図を調べることもできない。
 本当に勝手知ったる橘に任せておくのが良いだろう。

 陽菜がなぜか歩くペースを落とし、僕の隣に並んだ。

「翔太」
「何やってんだよ。橘のヤツ、先に行ってるぞ」
「お礼、言ってなかったと思って」

 陽菜は軽やかにステップを踏みながら、ニッと僕に笑いかける。

「本当にありがと。まさかあの翔太が、ここまでしてくれるなんて思わなかったよ」
「一言多い」

 僕が陽菜を追い払うように手を振ると、陽菜は小走りで橘に追いついた。
 もう僕には陽菜の背中しか見えないけど、僕の心には彼女のまぶしい笑みが記念写真のように残っていた。
 僕にとっては、十分な報酬だ。



 ショッピングモールに着くと、春からの新生活に必要なものを皆で買って回ることになった。
 平日だからか、モール内は思ったより空いていた。
 すれ違うのは家族連れや親子が多かったが、時折、高校生とおぼしきグループもいた。
 僕たちと同じように、思い出作りに励んでいるのかもしれない。

 僕のお目当ては、大学の入学式で必要なスーツだった。
 足を踏み入れたことのない紳士服のショップの前で、僕はガチガチに緊張していた。
 それに気づいたのか、陽菜が意地悪そうな笑みを浮かべる。

「翔太、ガッチガチじゃん。大学生になるんだから、服ぐらい気軽に買えるようになりなよ」
「うるさい。お前は僕の母親か」
「久慈、俺がいいのを見繕ってやるよ」

 橘がショップ店員さながらに、いくつかスーツを引っ張り出し、僕に合わせていく。
 僕はされるがままの着せ替え人形状態。
 最終的には、就活にも使えるモノが良いとの橘店員の金言を受け、ブラックのスーツに決めた。
 ネクタイは陽菜が独断と偏見で選んだ、青いストライプ柄。
 皆の前で試着すると、橘と陽菜に爆笑された。

「久慈、着せられた感ありありじゃん。なんか幼稚園のお遊戯会みてえ」
「ふふっ、橘くん、それはちょっと言い過ぎ」

 上地にいたっては笑いをこらえながら、スマホで写真を撮る始末。
 何十年先までネタにされそうで、僕はがっくりと肩を落とした。

 陽菜は就職先で必要だという落ち着いた服を、橘は新しいノートや筆記用具の一式を購入した。
 最後に上地のターンとなったが、必要なものはネットで全部揃えたらしく、パスした。
 買い物が終わると、ちょうどお昼を回っていた。
 僕たちは、飲食店フロアにあるカフェに入り、ランチを食べることにした。
 案内されたのは、向かい合わせのテーブル席。
 僕と上地のさりげないアシストにより、橘と陽菜が隣同士で座ることになった。

「へえ、上地さんは東京の芸大に行くんだ」
「そ。あっちに、デジタル専門の学科があってな」

 料理を待つ間、話題は上地の進学先に。
 僕と陽菜は、彼女の進学先を以前から知っていたが、橘は初耳だったらしい。

「実は俺も東京なんだよね。結構、近いからすれ違うこともあったり?」
「悪いけど、他人のフリすっから」
「普通に傷つくからやめて……」

 同じ街で暮らすことが分かり、橘と上地が盛り上がる。
 その様子を、うらやましそうに陽菜が見つめていた。
 好きな人とうまく話せないという、もどかしさだろうか。
 いや、きっとそれだけじゃない。
 四人のうち、就職するのは自分だけ。
 ちょっとした疎外感を感じているのかもしれない。
 僕は陽菜を元気づけようと、なるべく明るい声で言う。

「そ、そういや! 陽菜は就活、結構頑張ったんだろ? 数年後、就活に立ち向かう僕たちへ、何か使えるアドバイスをくれよ」
「ちょっと言い方ー。私の苦労を利用する気満々じゃん」

 陽菜が僕をジトッとした眼で見る。
 もちろん、長年の付き合いで、陽菜が本気で嫌がっていないことは分かる。
 僕と陽菜が投げた釣り針に、橘が食いつく。

「朝倉さんって、たしか駅前の観光案内所に就職するんだったよね?」
「うん。実はお父さんも、そこに勤めていてね」
「へえ……そうなんだ」

 橘が何とも歯切れの悪い反応をする。
 もちろん、それが意味することは分かっている。
 陽菜が、親のコネで入社したのではないかという疑い。
 僕が少し息を整えてから、助け舟を出す。

「それを聞いてさ。どうせ親のコネで入社したんだろ? ってツッコんだんだよ」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「それがさ……実際は全然違うんだ。あれには驚いたなあ」

 僕が意味深に言葉を止めると、橘が僕を食い入るように見つめた。
 計算通り。
 僕のコミュ力は、とんでもなくレベルアップしているようだ。
 ニヤリと笑みを浮かべ、僕は話を続ける。

「陽菜のヤツ、コネ入社は嫌だから『ちゃんと試験をしてください』って直談判したらしいんだ。それで、外部の企業が適性検査や筆記試験、面接を行うことになって、基準を見事クリア。晴れて就職が決まったんだって」
「何それ! 朝倉さん、すげー男前じゃん」
「陽菜って無駄にプライド高いからな」

 橘と上地が陽菜をはやしたてる。
 陽菜は恥ずかしそうに謙遜するが、まんざらでもない様子だ。

「お待たせしましたー。オムライスのセットの方は?」
「あ、私でーす」
 
 ちょうどいいタイミングで、女性の店員が料理を運んでくる。
 皆の前に、別々の料理が並ぶと、陽菜が店員に声をかけた。

「あの、すいません。写真を撮ってもらっていいですか?」
「はい、もちろんいいですよ」

 陽菜が自分のスマホを店員に渡した。
 橘と陽菜は手慣れた感じで、カメラに向かってポーズを決める。
 上地はいつもの無愛想な表情で、カメラに視線を向けるだけ。
 僕は慌てて、橘と陽菜の真似をした。

「じゃあ行きますよー。はい、チーズ」

 ――カシャッ。

 店内に乾いたシャッター音が響いた。
 陽菜は店員に御礼を言い、スマホを受け取る。

「ネットが復旧したら、みんなに送るね」

 絶対、ぎこちない表情で映ってるに違いない。
 写真を送られても、僕は視力検査の時みたいに、遠くから目を細めて見ることしかできないだろう。
 けど、もっと先の未来。
 僕はその写真を見て、今日のことを色鮮やかに思い出す。
 そんな予感がした。



 食事を終えた後に向かったのは、ゲームセンター。
 ここは僕の得意分野――と言いたいところだけど、昔から格闘ゲーム以外はからっきし駄目。

「うわー! あのクレーンゲーム、新しい景品入ってる!」

 陽菜が、クレーンゲームのガラスに張り付き、目を輝かせる。
 視線の先には、何の動物をモチーフにしたかよく分からない、謎のぬいぐるみ。
 僕にはどこが可愛いのかさっぱり分からなかった。
 橘がわざとらしく腕まくりをした。

「これなら、簡単に取れそうだな」

 自信満々でクレーンゲームの前に立ち、硬貨を入れる橘。
 おいおい、そんな宣言しちゃって大丈夫か?
 もし取れなかったら、橘の株は急降下すること間違いなしだ。

 数分後。
 僕の心配は、まったく不要だった。
 橘は数回挑戦しただけで、見事にぬいぐるみをゲット。
 彼に苦手なモノは、この世に一つも存在しないのかもしれない。

「はい、朝倉さん。プレゼント」
「ええっ!? いいの?」
「就職祝いってことで」
「ありがとう、橘くん!」

 満面の笑みで、ぬいぐるみを受け取る陽菜。

「ねえ、私も取ってみたい。コツ教えてくれる?」
「もちろん」

 盛り上がる二人は、(はた)から見ると、恋人同士にしか見えなかった。
 まったく、僕の気も知らないでいい気なもんだ。
 僕は心の中でため息を連発した後、二人に声をかける。

「僕と上地は、あっちのゲームをやって来るよ」
「うん? ああ」

 別行動を取ることに、橘が少し不思議がった。
 深く考えられる前に、僕は上地に目配せし、動き出す。
 ネットが繋がらないせいで、オンライン必須のゲームは軒並み、遊べなくなっていた。
 僕は十年以上前に流行った、格闘ゲームの台に座った。

「上地、勝負しないか?」
「いいぜ。暇つぶしにはなりそうだな」

 この格闘ゲームは、向かいの人同士で対戦できる仕様だ。
 上地がゲームの台の影に隠れた後、彼女の操作するキャラクターが画面上に現れる。
 僕は結構腕に自信があったのに、第一ラウンドはボロ負けした。

「くそっ……なかなかやるな」
「それはこっちのセリフ」
「何言ってんだ。上地の完勝じゃないか」
「ゲームの話じゃない。陽菜と橘のこと」

 第二ラウンドが始まる。
 レバーとボタンを激しく操作しながら、僕たちは会話を続ける。

「陽菜が落ち込んでいるとフォローしたり、さっきみたいに二人きりにしたり、なかなかできることじゃない。正直驚いたよ」
「お褒めにあずかり……光栄だねっ!」

 今度は僕が必殺技を叩き込み、上地を倒した。
 次のラウンドを取った方が、勝利。
 より一層気合を入れ、レバーを握った――その時、だった。
 
 いつの間にか、陽菜が僕の横に立っていた。
 先ほどまでの笑顔は消え去り、血の気の引いた真っ白な顔になっている。
 目が潤み、涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
 その場の空気が、一瞬にして凍りつく。

「翔太、美子……ごめん。私、先に帰るね」

 そう言うと、僕たちに背を向け、ゲームセンターを走り去った。
 
 ――何が、あった?
 
 あんなに、うまくいってたのに。
 いや、今はそんなことを考えてる状況じゃない。
 早く、陽菜を追いかけなければ。
 待て。
 もし最悪のことが起こったとしたら、僕より上地の方が――。
 
「迷うな!」

 上地が、今まで聞いたことのないほど大きな声を上げた。

「お前が、陽菜を追いかけろ。橘は、私に任せておけ」
「……ありがとう」
 
 僕は拳を固く握りしめ、陽菜の後を追った。