卒業式まであと四日。
――ピンポーン。
僕はとある家のインターホンを鳴らしていた。
僕と陽菜が住む、クッキーの型で抜いたような量産型の家とは明らかに違う佇まい。
黒い艶やかな瓦屋根に、風格ある門構え。
幼稚園の運動会が開けそうな広い庭には、立派な松が伸びていた。
昨日、陽菜の家でボタンを押した時とは、また違う緊張感が僕を襲う。
今日は本音をうまく語るのではなく、嘘をうまく語る必要がある。
ガラガラと引き戸が開き、一人の男が出てくる。
「久慈……?」
彼は僕を見て驚き、間の抜けた表情になった。
そんなだらしない顔でも、きっと女子たちからは黄色い声援が飛ぶだろう。
橘悠斗の容姿は、それほど完璧なのだから。
「悪いな。早速、助けてもらいたくなったんだ」
僕はちょっと芝居がかった口調で、あらかじめ用意したセリフを放った。
「――へえ、ダブルデートねえ」
通されたのは、陽光が降り注ぐ広い縁側だった。
磨き上げられた木の床の感触が心地よい。
目の前の大きな庭には、名前の分からない黄色の花が、風に揺れている。
僕と橘は、教室の隣の席と同じぐらいの距離を開けて座っていた。
席をくっつけてお弁当を食べるほど、僕たちは親しくない。
「もうすぐ卒業だろ? 高校最後の思い出作り、みたいな?」
僕はなるべく軽い感じで言ってみた。
単刀直入に『陽菜が君のことを好きらしいけど、どう思う?』なんて、聞くわけにはいかない。
だから、陽菜と橘をくっつけるための舞台を整えることにした。
「意外だな。久慈はそんなリア充イベントに、興味がないって思ってたよ」
「……まあ、否定はしないけどさ。けど、考えてみろよ。高校時代、一度も女子とまともにデートしたことないなんて、あまりにも寂しすぎるだろ? 大人になった時、死にたくなるかもしれない」
「なるほど」
橘が心底おかしそうに笑った。
僕からしたら半分本気だったのだが、橘にとっては百パーセント冗談に聞こえたらしい。
「でも、なんでダブルデートなんだ?」
「あのな……僕がデートに誘って、来てくれる女子がいると思うか? 橘を出しに使いたいんだよ」
「なるほど」
今度は心底納得するように、橘はうなずいた。
悪気のない天然ぶりに、僕は思わず橘を殴りたくなった。
「そういうことなら、お安い御用だ。俺でよければ協力するぜ」
あまりにもあっさりOKが出たので、僕はちょっと拍子抜けした。
安心するのはまだ早い。ここからが、本番。
ネットが使えれば、SNSを駆使して橘の恋愛事情を集められるのに、今はそれも不可能。
直接本人に探りを入れるしかない。
「マジで助かる。けど、本当にいいのか? もし彼女がいるなら、さすがにマズイだろ」
「あー、今はフリーだからな。何の問題もないよ」
橘は余裕のある笑みを浮かべ、肩をすくめた。
十八年間フリー記録更新中の僕にとっては、『今は』なんて一生吐けないセリフかもしれない。
「デートの相手はどうするつもりだ? 俺が適当に声をかけようか?」
「待て待て。橘が声をかける女子とか、僕にはハードルが高すぎる。緊張して心臓が止まるよ」
「なんだよそれ」
橘とよく話しているクラスの女子たちが、頭に浮かぶ。
明るい髪色で派手なメイクの子、モデルみたいにスタイルが良い子。
あまりにまぶしすぎて、隣に並ぶと僕は背景の一部として認識されそうだ。
「だからさ、僕でも気軽に話せる相手がいいんだよ」
「久慈が気軽に話せる? そんな女子いたっけ?」
「……ずいぶん失礼だな。ほら、朝倉とか、上地とか」
上地でカモフラージュしながら、さりげなく陽菜の名前を出す。
我ながら完璧な作戦だ。
そう思って橘の反応を窺うと――。
「えっ……」
これまで饒舌だった橘が、急に黙りこくった。
視線が池で迷子になった鯉みたいに右往左往し、耳が赤くなっているように見える。
なんだよ、この反応。まさか――。
「もしかして……好きなのか? 朝倉か上地が」
「はあ? な、何言ってんだよ!」
僕の言葉に、橘はさらに動揺したみたいだった。
声は裏返ってるし、あからさますぎる。
橘の予想外の反応に、僕は口元がニヤけるのを止められなかった。
この二日間、橘の完璧な仮面は、僕の前ではボロボロに崩れ去っている。
「隠さなくてもバレバレだって。顔に『好きです』ってスタンプが見えるぞ」
「う、うるさいな……そんなんじゃないって」
否定はしてるけど、全然説得力がない。
あとの問題は、陽菜か上地のどっちを好きかだ。
まあ、普通に考えたら分かる。
上地は、個性的で面白く、良いヤツに間違いない。
けど、彼女と付き合いたいという、SSRな男子はいない。
となると答えは一つ。
橘が好きなのは――陽菜。
陽菜の恋が叶う可能性が一気に高まった。
良かった、きっと陽菜は喜ぶ。
なのに、僕の胸の痛みは増していく。
――翔太、大丈夫だ。これぐらいの傷、何てことない。
僕は心の中に絆創膏を貼り、何とか笑みを作った。
「僕が助けてもらうつもりで来たのに、まさか、橘の助けになってしまうとはなー。性格の良い橘くんは、これを『一度だけの助け』にカウントしたりしないよな?」
「……嫌味なヤツだな。分かったよ。今回のノーカウントだ。これでいいだろ?」
「おお、さすが!」
僕たちは共犯関係になったみたいに、顔を合わせて笑い合った。
僕は隣に座る橘との距離を、心の物差しで測ってみた。
知り合い以上、友達未満。
そんな曖昧な距離に、僕たちは座っている。
「じゃあ、朝倉と上地には、僕から連絡しておく」
「ああ、よろしく頼む」
今回のクエストも無事達成だ。
これで作戦は次の段階に進める。
あとは、上地に話を通して、ダブルデートを実行するだけ。
こっちのハードルはそれほど高くないだろう。
上地はきっと、ぶつくさ言いながらも、陽菜のためとあらば一肌脱ぐに違いない。
そろそろお暇しよう。
そう思って立ち上がった時、ふと大事なことを忘れていたことに気づく。
「そういや、スマホがまったく使えないんだった。デートの時間や待ち合わせ場所が決まったら、橘にどうやって連絡すれば……」
「ああ、それなら心配ないぜ」
橘が部屋の中を指差す。
その方向を辿っていくと、渋い木製の小さな台の上に、やけにレトロな黒い電話が置いてあった。
ドラマでしか見たことがない、ダイヤル式のヤツだ。
「家電にかけてくればいい。あれは、通信障害なんて関係ないからな」
「なるほど」
今度は僕がうなずくターンだった。
スマホを手に入れ、いつでもどこでも連絡できることが当たり前になっていたけど、こういう時には役に立つアイテムだ。
母から聞いた話だと、好きな子に電話する時、家族が出てしまい、気まずい思いをすることもあったらしい。
僕みたいなコミュ力底辺の人間にとっては、想像するだけで身震いするシチュエーションだ。
もし僕が昔に生まれてたら、陽菜に電話一本かけるのにも、人生を賭けるぐらいの覚悟が必要だったかもしれない。
いや、もしかしたら、そういう不便さがあったら、僕のコミュ力も強制的にレベルアップできたかも。
僕は頭を横に振り、くだらない想像を振り払った。
残念なことに、僕はアニメの主人公のようにタイムスリップすることはない。
もちろん、異世界に転移することも転生することもない。
ただ今を、与えられたスペックで突き進むしかないのだ。
――ピンポーン。
僕はとある家のインターホンを鳴らしていた。
僕と陽菜が住む、クッキーの型で抜いたような量産型の家とは明らかに違う佇まい。
黒い艶やかな瓦屋根に、風格ある門構え。
幼稚園の運動会が開けそうな広い庭には、立派な松が伸びていた。
昨日、陽菜の家でボタンを押した時とは、また違う緊張感が僕を襲う。
今日は本音をうまく語るのではなく、嘘をうまく語る必要がある。
ガラガラと引き戸が開き、一人の男が出てくる。
「久慈……?」
彼は僕を見て驚き、間の抜けた表情になった。
そんなだらしない顔でも、きっと女子たちからは黄色い声援が飛ぶだろう。
橘悠斗の容姿は、それほど完璧なのだから。
「悪いな。早速、助けてもらいたくなったんだ」
僕はちょっと芝居がかった口調で、あらかじめ用意したセリフを放った。
「――へえ、ダブルデートねえ」
通されたのは、陽光が降り注ぐ広い縁側だった。
磨き上げられた木の床の感触が心地よい。
目の前の大きな庭には、名前の分からない黄色の花が、風に揺れている。
僕と橘は、教室の隣の席と同じぐらいの距離を開けて座っていた。
席をくっつけてお弁当を食べるほど、僕たちは親しくない。
「もうすぐ卒業だろ? 高校最後の思い出作り、みたいな?」
僕はなるべく軽い感じで言ってみた。
単刀直入に『陽菜が君のことを好きらしいけど、どう思う?』なんて、聞くわけにはいかない。
だから、陽菜と橘をくっつけるための舞台を整えることにした。
「意外だな。久慈はそんなリア充イベントに、興味がないって思ってたよ」
「……まあ、否定はしないけどさ。けど、考えてみろよ。高校時代、一度も女子とまともにデートしたことないなんて、あまりにも寂しすぎるだろ? 大人になった時、死にたくなるかもしれない」
「なるほど」
橘が心底おかしそうに笑った。
僕からしたら半分本気だったのだが、橘にとっては百パーセント冗談に聞こえたらしい。
「でも、なんでダブルデートなんだ?」
「あのな……僕がデートに誘って、来てくれる女子がいると思うか? 橘を出しに使いたいんだよ」
「なるほど」
今度は心底納得するように、橘はうなずいた。
悪気のない天然ぶりに、僕は思わず橘を殴りたくなった。
「そういうことなら、お安い御用だ。俺でよければ協力するぜ」
あまりにもあっさりOKが出たので、僕はちょっと拍子抜けした。
安心するのはまだ早い。ここからが、本番。
ネットが使えれば、SNSを駆使して橘の恋愛事情を集められるのに、今はそれも不可能。
直接本人に探りを入れるしかない。
「マジで助かる。けど、本当にいいのか? もし彼女がいるなら、さすがにマズイだろ」
「あー、今はフリーだからな。何の問題もないよ」
橘は余裕のある笑みを浮かべ、肩をすくめた。
十八年間フリー記録更新中の僕にとっては、『今は』なんて一生吐けないセリフかもしれない。
「デートの相手はどうするつもりだ? 俺が適当に声をかけようか?」
「待て待て。橘が声をかける女子とか、僕にはハードルが高すぎる。緊張して心臓が止まるよ」
「なんだよそれ」
橘とよく話しているクラスの女子たちが、頭に浮かぶ。
明るい髪色で派手なメイクの子、モデルみたいにスタイルが良い子。
あまりにまぶしすぎて、隣に並ぶと僕は背景の一部として認識されそうだ。
「だからさ、僕でも気軽に話せる相手がいいんだよ」
「久慈が気軽に話せる? そんな女子いたっけ?」
「……ずいぶん失礼だな。ほら、朝倉とか、上地とか」
上地でカモフラージュしながら、さりげなく陽菜の名前を出す。
我ながら完璧な作戦だ。
そう思って橘の反応を窺うと――。
「えっ……」
これまで饒舌だった橘が、急に黙りこくった。
視線が池で迷子になった鯉みたいに右往左往し、耳が赤くなっているように見える。
なんだよ、この反応。まさか――。
「もしかして……好きなのか? 朝倉か上地が」
「はあ? な、何言ってんだよ!」
僕の言葉に、橘はさらに動揺したみたいだった。
声は裏返ってるし、あからさますぎる。
橘の予想外の反応に、僕は口元がニヤけるのを止められなかった。
この二日間、橘の完璧な仮面は、僕の前ではボロボロに崩れ去っている。
「隠さなくてもバレバレだって。顔に『好きです』ってスタンプが見えるぞ」
「う、うるさいな……そんなんじゃないって」
否定はしてるけど、全然説得力がない。
あとの問題は、陽菜か上地のどっちを好きかだ。
まあ、普通に考えたら分かる。
上地は、個性的で面白く、良いヤツに間違いない。
けど、彼女と付き合いたいという、SSRな男子はいない。
となると答えは一つ。
橘が好きなのは――陽菜。
陽菜の恋が叶う可能性が一気に高まった。
良かった、きっと陽菜は喜ぶ。
なのに、僕の胸の痛みは増していく。
――翔太、大丈夫だ。これぐらいの傷、何てことない。
僕は心の中に絆創膏を貼り、何とか笑みを作った。
「僕が助けてもらうつもりで来たのに、まさか、橘の助けになってしまうとはなー。性格の良い橘くんは、これを『一度だけの助け』にカウントしたりしないよな?」
「……嫌味なヤツだな。分かったよ。今回のノーカウントだ。これでいいだろ?」
「おお、さすが!」
僕たちは共犯関係になったみたいに、顔を合わせて笑い合った。
僕は隣に座る橘との距離を、心の物差しで測ってみた。
知り合い以上、友達未満。
そんな曖昧な距離に、僕たちは座っている。
「じゃあ、朝倉と上地には、僕から連絡しておく」
「ああ、よろしく頼む」
今回のクエストも無事達成だ。
これで作戦は次の段階に進める。
あとは、上地に話を通して、ダブルデートを実行するだけ。
こっちのハードルはそれほど高くないだろう。
上地はきっと、ぶつくさ言いながらも、陽菜のためとあらば一肌脱ぐに違いない。
そろそろお暇しよう。
そう思って立ち上がった時、ふと大事なことを忘れていたことに気づく。
「そういや、スマホがまったく使えないんだった。デートの時間や待ち合わせ場所が決まったら、橘にどうやって連絡すれば……」
「ああ、それなら心配ないぜ」
橘が部屋の中を指差す。
その方向を辿っていくと、渋い木製の小さな台の上に、やけにレトロな黒い電話が置いてあった。
ドラマでしか見たことがない、ダイヤル式のヤツだ。
「家電にかけてくればいい。あれは、通信障害なんて関係ないからな」
「なるほど」
今度は僕がうなずくターンだった。
スマホを手に入れ、いつでもどこでも連絡できることが当たり前になっていたけど、こういう時には役に立つアイテムだ。
母から聞いた話だと、好きな子に電話する時、家族が出てしまい、気まずい思いをすることもあったらしい。
僕みたいなコミュ力底辺の人間にとっては、想像するだけで身震いするシチュエーションだ。
もし僕が昔に生まれてたら、陽菜に電話一本かけるのにも、人生を賭けるぐらいの覚悟が必要だったかもしれない。
いや、もしかしたら、そういう不便さがあったら、僕のコミュ力も強制的にレベルアップできたかも。
僕は頭を横に振り、くだらない想像を振り払った。
残念なことに、僕はアニメの主人公のようにタイムスリップすることはない。
もちろん、異世界に転移することも転生することもない。
ただ今を、与えられたスペックで突き進むしかないのだ。
