「ごめん」
「ありがとう」
「嫌い」
「好き」

 自分の想いを表現する、とてもシンプルな言葉だ。
 幼い僕は素直に口にしていたはずなのに、十八歳の僕は口にしなくなった。

 なぜそうなったのだろうか。
 気恥ずかしいから? まさか。
 学校で学んだ小難しい言葉たちが、最初に覚えた言葉を奥深くに押し込んでしまったんだ。
 そんな場所から引っ張り出すには、それなりのパワーと時間がかかる。
 机の奥にしまった、くしゃくしゃのプリントを取り出す時みたいに。
 これは、有力な説だと僕は思う。
 けど――。

『ごめん』
『ありがとう』
『嫌い』
『好き』

 不思議だ。
 スマホなら、どんな言葉でもすぐに引っ張り出せる。
 ちょいっと画面を指でなぞり、送信ボタンをタップするだけ。
 僕の想いは光の速さで空を駆け抜け、相手に届く。
 直接語り掛けるより速い。
 相手がちゃんと読んだかまで分かるなんて、完璧だ。

 だから、君にはスマホで伝えることにしたんだ。
 決して、直接話す勇気がないわけじゃない。
 
 そう決意したばかりなのに。
 さっきからスマホの調子が悪い。
 画面の右上には、ネットの不通を示す『×』印が表示されている。
 いくら僕の街が田舎だといっても、余程の奥地に行かない限りは見たことがない。
 この駅前のロータリーだったら、いつも繋がっていたのに。

「……こちらは、四乃山(しのやま)町役場です」

 ふいに頭上から降ってきた声に、僕は視線を上げる。
 古びたポールの先についたトランペットスピーカーから、ノイズ混じりの町内放送が流れ始めた。

「現在、町一帯で大規模な通信障害が発生しております。原因は現在調査中ですが、インターネット回線、モバイル回線ともに、広範囲で繋がらない状況が続いております。復旧の目処は立っておりません。町民の皆様には、ご不便をおかけしますが――」

 英語の先生がよく言う『良いニュースと悪いニュース』ってヤツだ。
 良かったのは、スマホが壊れたわけじゃなかったということ。
 最悪なのは、もちろん、君に僕の想いを伝える手段が断たれたこと。
 卒業式まであと一週間しかないっていうのに、なんて素敵なタイミングなのだろう。

 このまま、もし。
 もしも、卒業までネットが使えなかったら。
 僕は自分の口で、それを伝えなければならない。
 心の奥に沈んだ言葉を引っ張り出すための、パワーを溜めなければいけない。
 君と、離れ離れになってしまう前に。

 僕が君へ伝えたいのは。

 ――ごめん。

 この一言で、伝わるだろうか。
 そんなわけない。
 僕が抱えている想いは。
 
 春の木漏れ日のように暖かくて。
 夏の嵐のように激しくて。
 秋の山々のように色鮮やかで。
 冬の朝のように静寂で。

 そういう、一言で表せられないモノなんだ。
 どうしても、シンプルな言葉を選択しないといけないなら。
 とてもありきたりで、嫌になってしまう。
 つまり。

 ――好きだ。

 僕は君に恋をしている。
 多分、ずっと前から。