彼はなんだか浮かない顔つきでぼんやりと教室の隅を見つめている。彼が何を考えているのか全くわからない。
「あのもしかて……気分を害してしまいましたか?」
私が体を傾け、顔を覗き込むとさっきの表情とは打って変わってやわらかい笑顔を浮かべている彼。なんだか気を使わせてしまい、私の中で罪悪感が募っていく。
「違うよ、大丈夫だから」
私の頭に乗せられたその手のぬくもりから、体全体に熱が廻っていく感覚におぼれていく。
「あ、ごめんっ……そんなに嫌だったか?」
頬に流れた涙を手で拭う。ああ、今度は誤解させてしまった。
「安心してしまっただけなので、すみません誤解させてしまって。授業始めてください」
まだどこか気にしているのか、ちらちら私のことを見てやっと教卓に歩き始めた。その間に私は手の甲を軽く目元に添えた。
「じゃあ気を取り直して、今から二限目を始めます。今日話し合う悩みは……どうしようもなく彼に会いたくなる、か」
プリントを見つめたまま沈黙が流れる。それを真っ先に破ったのは彼だった。
「新しい恋を始める、それがいいんじゃないか」
「あんな恋をしてしまったら、もう無理ですよ。もしできたとしても彼と比べちゃうだろうし」
アドバイスに対する否定を最後に、また沈黙に包まれた。今度はバトンを受け継いだように私がその沈黙を破る。
「それに最初で最初の恋は、彼がいいんです。彼じゃなきゃダメなんですよ」
この誰にも言えなかった思いを、こうして誰かに言うことができた。だけどわがままを言ってしまえばこの言葉は、本人に伝えたかった。でもこのことは誰に言うかは関係なしに、胸を張って声を上げることができるの。
「そうか、困るくらいに愛しているんだな」
「そういうことになりますね」
少し場の空気が和んで、彼の顔にも自然な笑みが広がっている。そんな事実に私は安堵のため息をこぼす。


