わたくしこと高嶺由衣は、昨日以上に。
加えて、今朝の列車のとき以上に! 非常に、不機嫌だ。
……なぜなら一年一組の教室だけでは飽き足らず、一年生が過ごす一階のあちこちで。
海原昴が、話題になっているからに違いない。
「なんかすっごく、映画みたいな展開だったんだって!」
「三組の子が近くで見てたらしいけど、もうすっごい興奮してた!」
「わたし、美術部の先輩にね。海原君と同じクラスなのって聞かれたちゃった〜!」
昨日『公開処刑』されたはずのアイツが、今朝はヒーローなの? いったい、どんな展開ならそうなるの?
おまけに……。ミフジツキコって、誰それ?
その人、昨日の騒ぎの原因じゃなかった? で、なんで今度はヒロインになってるの?
……百万歩くらい譲って、その辺は勝手に盛り上がっててくれればいいよ。でも極めつきの質問が、これ。
「ねぇねぇ高嶺さん! 海原君って中学校の時どんなだったの?」
そんなの! 聞きに来ないでよ!
みんな、そんなに目をキラキラさせたって。
海原なんて基本鈍感だし、テキトーだし、マイペースだし……。
アイツはたまに女子に誘われてお弁当とか一緒に食べたりしてたけど、心配してわたしが近くで食べてあげていると、なんだかいつもその女子と気まずくなって食べなくなるみたいで。
仕方がないからわたしが一緒に食べてあげるっていう、わけわかんないことが何度もあったし。
あぁ、とにかく中学の頃なんてどうでもいい。アイツについてわたしに聞かれても困るんだよね、ホント!
みんながヒーローと思うのは、お好きにどうぞ。
でもアイツは結局今朝の電車でも、学校でも。わたしのことをチラチラ見てくるくせに、まだ肝心のことはなにもいってこない。
昨日だって話してこないから、おかげでわたしは寝不足な上、授業の予習とかが進まなくて……って。
アレ?
最悪だ……。教科書忘れたじゃん!
えーっと、英語の先生。藤峰佳織っていったっけ?
やさしそうだから、たぶん忘れても怒らないよね。
ま、そもそも。まだそんなに使わないかもしれないし……。
「あら、高嶺さん。もしかしてテキスト忘れたのかな? じゃぁミスター・ウナハラ、シェアしてあげて!」
ゲッ……。
なんで、わたしがいうより先に気付くの? おまけに、シェアってさ! こ、高校生でも机とかくっつけるの?
しかもなーんか、この先生アイツとの距離が無駄に近いんだよね……。
その証拠に、海原がなにもいい返さないまま。微妙な雰囲気で机をくっつけると。無言で教科書を、わたしの机に載せてくる。
いま、絶対うしろの女子たち。こっち見て、なんかいってたよね。 いいよ、別に代わってあげたって!
そう……。
わたしの代わりになれる自信があれば、いっくらでも代わってあげるから!
……授業が始まると、海原がテキストに手で隠しながらなにか書いている。
シェアしながらいたずら書きとかしなくていいじゃん、アンタ子供なの?
それから、手がずれたのでつい目で追うと、えっ……。
「色々、ごめん」
いまそれいうの? ずるいよ、それ!
おまけに、この距離でこっち見ないでよ! ち、近いから。
……結局思わず、小さな声で答えてしまった。
「もういいよ、許してあげる」
ま、いっか。
処刑されてようが、ヒーローごっこしてようが。わたしにとってアンタは、アンタのままだから。
そう思うと、わたしの気持ちが、なんだか楽になった。
「はい、高嶺さん!」
「えっ?」
「そのスマイル、ゴージャス!」
せ、先生……。もしかして、ずっと見てた?
……藤峰佳織。
うーん、この先生。わたしちょっと苦手かも……。
「……ミスター・ウナハラ。連日、ショータイムで忙しいんだって?」
……授業の終わりに、わざわざ僕の近くにきたからなにかと思えば!
頼むから、耳元でそんなことをいわないでくれ、藤峰先生。
「疲れた〜」
なぜだか、隣の高嶺がぐったりしている。でもようやく、普通にしゃべれそうだ。
「どうした、あの先生か?」
「ほんと、もうなんかさー、すっごい疲れたー」
「あだ名は『女王』らしい」
「なんかわかる〜」
「で、しゃべると魂が抜かれる気がするって……」
「わたしもすでに抜かれたかも〜」
よし! なんか仲直りできたかも!
「……ちょっと待って、海原」
「ん?」
「ねぇ、アンタその情報どこから手に入れた?」
「え、あ、あぁ……」
「あ〜はいはい。どうせどこかの先輩女子がいってたんでしょ〜」
極めて冷めた声で、高嶺が答える。ど、どうやら、完全に機嫌を直してくれたわけではないらしい……。
でも、これはきっとチャンスだ!
「なぁ、それはそうと高嶺。あのな……」
「あ、わたしパス」
中身も聞かずに撃沈なんて、さすが高嶺だ……。
「……ねぇ。う、海原君?」
呼ばれた声に僕が振り向くと、まだ名前を覚えていない同じクラスの女子が数人いて。
「どうかした?」
「えっとね、入る部活とか。もう決めたかな、って?」
……僕は、今朝の出来事を脳ミソをフル回転させながら思い出す。
僕の入る部活は、もう決まっている。でも、確か三藤先輩の願いは、高嶺とふたりで入部すること。
ただ、あれ?
春香先輩は『ひとつ』かなえてあげるといって、僕を誘ってくれた。
単なる部員数を増やすだけなら、もしかして目の前の女子たちが入部してくれれば解決なのか?
その場合、高嶺は無理に誘わなくてもよくなる。でもこれって『円満解決』に、なるのだろうか?
思わず僕は、横目で高嶺の席を見るけれど。
あれ? さっきまでいたはずなのにいなくなってる……。
「えっと、僕は……」
答えかけた所で教室の扉のほうから、アイツの声が有無をいわさぬ調子で僕を呼ぶ。
「海原、呼んでるよ!」
高嶺が早く来いといって、他の女子との会話を打ち切りにさせる。
「ごめんね、呼ばれてるみたいで……」
「じゃぁ海原君、またね〜」
そんな感じで、僕は廊下に出たのだけれど……。
「へ? 誰もいないじゃん」
「あれー? 呼ばれてたと思ったけど〜?」
素知らぬ顔で高嶺が、目線を思いっきり外したまま白々しく答える。
いったいコイツはなにがしたいんだ? そう思いながら僕が教室に戻ろうとした、そのとき。
廊下の遠くから今度は本当に、僕を呼ぶ声が聞こえる。
「お〜い、海原君と。あ、もしかして高嶺さん?」
美しくうわずったその声の主は、春香陽子だ。
「よかったー。月子があなたの名前を知らないっていうから、美也ちゃんと聞いて回って、ようやく高嶺さんだってわかったんだよー」
そう屈託なく笑う春香先輩のうしろでは。
都木美也が僕を見つけて、左手で大きく手を振っている。
思わず、廊下にいた一年生の女子たちがみとれて、男子たちはおぉっと声を上げる。
「ふ〜ん」
僕がギョッとするより早く、そうつぶやいた高嶺が、一歩前に出る。
「はじめまして〜。海原の『保護者』の高嶺由衣と申します」
「うわぁー。ほんと栗色の髪の毛なんだね、かわいい〜!」
「なんか三年男子が、かわいい一年生がいるって喜んでたけど、ほんとだね〜!」
「いやぁ、おふたりのお美しさに比べたら全然ですよ〜」
出た!
高嶺の、肩を少し越えた長さで先端にややウェーブのかかった栗色の髪の毛に右手の人差し指を絡ませ。少し首を斜めに傾けながら、その大きな目を精一杯細めて笑う、という謎のあざとかわいいポーズ!
おまけに、無駄に高いコミュニケーション能力を発揮して。
一気に春香先輩と都木先輩との距離を、縮めているじゃないか!
「えっと……。先輩方のご用件は?」
高嶺に、ペースに乱されないように。
なんとか主導権を取り戻すべく、僕がふたりに質問する。
「あ、そうそう。海原君が高嶺さんをね。ちゃんと誘えたか気になってね、ちょっと来てみたんだ」
春香先輩それはまだ……といいかけた僕の右足に、激痛が走る。
うぉぉっっ……。
た、高嶺が一瞬の早技で、思いっきり勢いをつけて。僕の足を、かかとで踏んできた……。
「え〜、そうだったんですか〜? もう海原って鈍感、じゃなくってマイペースだから、ちーっともそんなこといってくれなくってー。え、もしかして、わたしもおふたりとご一緒できるんですかー?」
ぜ、絶対家に帰ったら五寸釘で呪ってやろうと思える、この高嶺の演技……。
「え、えっと、美也ちゃんはね……」
そうだ高嶺、都木先輩は同じ部活じゃない。
そもそもお前、何部かさえ知らんだろう?
「と、とりあえず。陽子のお誘いを聞いてあげてもらえるかな?」
あれ、都木先輩のそのいい回し。
なにか微妙な感じが……。
「はい!喜んでお伺いします!」
大丈夫か高嶺?
お前、たぶん半分も現実を理解してなくない?
そうしているうちに授業が始まるので、続きはお昼休みに集合してから、ということになる。
「あぁ! 海原ってもう部活決まってたんだねー! そっかー、わたしと一緒か〜」
その、無駄に大きな声で教室に入る高嶺はいったい。
誰に向けていっているのだろう?
……とはいえ、三藤先輩のリクエストがかないそうで安心した。
で、浮かれていた僕には聞こえなかったのだけれど。
自席に座る直前、高嶺由衣は……。
「海原の『保護者』は、わたしだから。わたしを乗り越えないと海原は、絶対手に入らないんだから……」
そんなことを、小さな音量で、口にしていたようだ。


