翌朝に、なってしまった……。
「な、なぁ……」
昨日は結局、昼休みが終わってからあとも、アイツは僕の話を聞いてくれなかった。
「あ、あのさ……」
いや、さらに最悪なことに、目線を合わせようとさえしなかった。正直、そこまで露骨に嫌がることかと思わなくもないけれど。
なんだか、あと味の悪い一日を過ごす羽目になってしまった……。
……駅に到着した列車に乗り、いつもの席に座る。
僕たちの通う『丘の上』へは。
まずローカル線で三十分。それから一度乗り換えて、約二十分でスクールバスの出る最寄駅に到着する。
毎日僕が自宅の最寄り駅から利用しているローカル線の車両には、かつて観光客が多く訪れた時代の遺物とでもいうべきか。『転換式クロスシート』なる座席が採用されている。
少し解説すると、この座席は進行方向に向かってふたり掛けを並べたり。あるいは逆向きに倒せば、四人がグループ席として一緒に過ごすことが出来るすぐれものだ。
正直僕は車両が少々古いのを除くと、乗り換え先の列車とか、都会によくあるロングシート。要するに長いベンチが続く座席より。このほうがずっとよいだろうと、ちょっぴり自慢したくなる。
……ただし、今朝は少し事情が異なる。
実は毎朝、僕の乗る次の駅から隣に座るのは……。
あの、高嶺由衣だ。
「……このクロスシートってさぁ、絶対誰かとふたりで隣に座るじゃん」
中学の、いつの頃からか。
乗り換え駅までの三十分間は、僕の隣がアイツの指定席になった。
「まぁ知らない人よりはマシだから。わたし、アンタの隣に座ってあげる」
なんともまぁ、上から目線の理屈だが。アイツの考えそうなことではある。
ついでにいうと高嶺は基本は窓際に座るが、雨の日は湿気で髪の毛が乱れるからと、かたくなに通路側に座ろうとする。
ちなみに乗り換え駅から先は、どのみち混雑して座れない上。女子トークがしたいとの理由で、僕とは別の車両で通っている。
……アイツの乗る次の駅に、到着する。
「た、高嶺。おはよう……」
「海原……。おはよ」
ふたりでぎこちないあいさつをかわすと。そのまま僕の前を、アイツは無理やり窮屈そうに通り過ぎる。
晴れているから窓際なのは、変わらないけれど。
いつもなら僕の足をちょっとごめんとかいって、一度横にずらしてから通り過ぎるのに。どうやらきょうは、それさえもいいたくないのだろう。
次の駅を過ぎてから僕はようやく。
「あ、あのさ高嶺。昨日は、ごめん……」
頑張って謝ってみたのだけれど。
「解決した訳じゃないから、嫌だ」
窓の外を眺めながら、僕を見ることもせず。和解の提案をアイツが瞬殺する。
また次の駅を出発して、列車がひとつトンネルを抜けたとき。
「隠しごととか、嫌いだから」
高嶺は既にいいたいことを決めてきたように、ボソリとつぶやく。
僕は神妙な顔をしながら、続きの言葉を待つ。
「高校始まったばかりなのに、こんなの嫌だから」
続けてなにかぶつぶつといっている声が、うまく聞こえない。
遠慮しながら、少し顔を近づける。
「わたしより、初めて会った先輩のほうが大事だもんね……」
あぁ、昨日も聞かされた、そのセリフ。こ、これは相当重症だ……。
と、とてもじゃないが。まさかその『先輩』に、入部しないかと誘われているんだとはいえた雰囲気ではない。
中途半端なご機嫌取りが通じる奴ではいし……。あぁ。い、いったいどうしたものか……。
「……着いたら起こして」
僕が次の句を発する前に、高嶺はそう宣言すると。
その栗色の髪の毛だけを僕の眼前に差し出し、一切の意思疎通を経ってしまう。
……三藤先輩に、いったいなんといえばいいのだろう?
とりあえず、僕だけが入部するのではダメか、聞いてみるしかないか?
入学早々難題にぶち当たった僕は、本当に寝ているのかわからない、隣席の栗色の塊をもう一度見てから。怒られない程度に、小さくため息をついた。
……わたしは、ふたりのひとつ前の列の席で。
ややぎこちないほど首を窓際に伸ばしながら、必死に漏れ聞こえる会話に耳を澄ませていた。
「……な、なんなのこの展開?」
ふたりがわたしの存在にまったく気付いていないことは、彼らが中学生の時代から知っている。
そう、この背ズリの高い転換式クロスシートなる座席は、程よいプライベート感があるので。
元々朝に強くないわたしが窓際のスクリーンを閉めてしまうと、ホームからわたしの顔が見えることもないのだ。
海原くんはわたしの次の駅から、栗色の髪の毛の女の子はその次の駅から乗車する。
習慣化された毎朝の光景と呼ぶべきか、ふたりはいつもうしろの扉から車内に入るため。
わたしの存在には、これまでまったく気づいていない。
逆にわたしは、あの女の子のやや大きな声や、彼とのやり取りをこれまで『それなりに』聞いてきた。
だからこそ、今朝の展開は予想外だった。
口数の少ないふたりが、小さな声で途切れ途切れのやり取りしかしない。
「ごめん」
「嫌だから」
そんな声がどうにか聞こえたけれど、いったい、あなたたちはなにをもめているの?
なにか、問題になることでもあったの?
「……なんで?」
そういえば。
昨日の朝の春香陽子の第一声も、乗り気ではなかった。
「わたしは、海原くんに入部してもらえたらいいなと思って……」
「月子〜。答えになってないよ〜」
「それなら、栗色の毛の女の子がいたほうが入りやすいかと思って……」
「あの〜。もっとわかりにくくなったよ〜」
陽子が困惑するのは、わかるけど。
「ねぇそもそも、海原君って誰なの?」
「……海原くんは、海原くんよ」
そう簡単には、説明できない存在なの。
「う〜ん、ちっとも説明になってないな〜」
そのとき、気になって時計を見たら。
「もうこんな時間! 行かないと! 海原くんが来ちゃう!」
「え? ちょ、ちょっと月子!」
……そのあとは、なんというか。
予想外の騒動、みたいな感じになった。
昼休みが終わって、教室への戻り道。わたしは陽子から、再度きちんと説明して欲しいといわれたけれど。
「……ふたりが入部したらするわ」
あの答えは……。
陽子に失礼だったと、あとから反省している。
それに加えて、今朝のふたりだ……。
どうやらわたしは、色々間違えたのかもしれない。
……いまさらだけれど、そんなことにやっと気がついた。
わたしは、自分でも気がつかないうちに。後悔と自責の念で、思わず両手を強めに握りしめていて。
それをわたしの隣席にいつも座る女の人が、目ざとく見つけたばかりか。
小さくほほえんだことに気づけるほど……。
あのときのわたしは、冷静ではいられなかった。


