恋するだけでは、終われない


「やっと、終わったね!」
 都木(とき)美也(みや)が、声を弾ませながら爽やかに笑う。
「テスト、キツかったー!」
 高嶺(たかね)由衣(ゆい)が、大きな声で、雄叫びをあげる。
「これでひとつの、区切りだね」
 春香(はるか)陽子(ようこ)は、少しほっとしたような声で、やさしく語る。
「結局毎日一緒だった気がするのだけれど、気のせいかしら?」
 三藤(みふじ)月子(つきこ)だけは、いつものままだ。

 中間テストのあとも、六月、そして七月と。
 毎日はときにおだやかで、基本にぎやかで、ほとんど騒がしい毎日が続いてきた。

 僕たちの関係は、大きな変化もなく『あのころ』のままだ。
 そう、僕たちは変わらず。
 この『五人』で、いや先生を加えた『六人』で。

 ……一学期の終わりを、迎えようとしていた。


 期末試験と、それに伴う部活中断期間から解放されたこの日。
 いつもの部室に、いつものように集まると。
 再びにぎやかなときが、流れ出す。


海原(うなはら)(すばる)部長。それではよろしくお願いします」
 春香先輩にうながされ、僕が口を開こうとしたそのとき。
 あれ?
 いま、誰かノックしませんでした?

 五人が、一斉に扉のほうに注目して。
 互いの顔を、不思議そうに見合わせる。
 扉が開くと、顧問の藤峰(ふじみね)佳織(かおり)が、顔だけ出してくる。
 いつもは『くノ一』とかそんな感じで、黙って侵入してくるのに。
 わざわざノックするなんて、いったいどういうことだろう?

「でも、あのノックの音って、藤峰先生とは違いますよね?」
 三藤先輩のささやきに、都木先輩が。

「どこかで聞いことあるんだけどねぇ……? えっと、確か……」
 そういいかけたところで。
「ちょっ、ちょっとみんな! わたしを待たずに始めるなんて、ひ、ひどいわ……」
 えっ……。
 もしかして藤峰女王って、繊細だったの?
「先生、すいませんでした!」
 なんだか、涙を流しそうな顔をされたので。
 あわてて僕は、謝ったのだけれど。

 女王の、その目を見ていると。
 あぁなんだか、い、嫌な予感しかしない……。
 すると、先生は扉を開くと同時に。
 イタズラっぽい笑顔を満開にして、大きく叫ぶ。
「サプラーイズ!」

 ……僕たち五人の目は、確かに点になった。
 そこにはなぜか、高尾(たかお)響子(きょうこ)先生が。
 大きなパンの紙袋を、四つも抱えて立っている。

「なんか佳織からね! あなたたちの部活の『独自ルール』、そろそろ撤廃かもって噂を聞いたんだけど?」
 へ? 開口一番がそれなんですか?
「いえ、そんなことはさておき。高尾先生……、いったい本日は、どのようなご用件でしょうか?」
 三藤先輩が、ほんのり両耳を赤くしながら。
 平然を装いつつ、その来訪者に問いかける。
「抜け駆けとか、そんなことは起こりませんし! 大体。ここにそんな対象者なんて、どこにもいないんで!」
 負けてなるものかと、高嶺が声を上げるけれど。なんの話をしてるんだ?

 ……いやそれよりさ、いまはさ。
「由衣ちゃん、それより高尾先生だよ」
 そうだそうだ、春香先輩はいつだって正しい。
「独自ルールについては、またあとで話そ」
 ……あ。
 大抵は正しいに、訂正だ。


「えっとね、部内だとか校内だとか。もう、世界は広いんだから関係ないんじゃない? そうだよね、昴君?」
 もうひとつ。
 聞こえるはずのない声が、飛び込んできて。
 え……。
 どうしてここに?
 高尾先生のうしろから、赤根(あかね)玲香(れいか)が満面の笑みで現れると。
 三藤先輩と高嶺が、思わず同時に、天を仰ぐ。

「わざわざ他校にきてまで、引っ搔き回す必要はないのじゃないかしら?」
「玲香先輩、それとこれとは別なんですけど!」
 ……いや、三藤先輩も高嶺も、それじゃなくてさ。
 そもそも、高尾先生と玲香ちゃんがなんでここにいるのか、聞かないんですか?

 いつものふたりの反論など、もちろん気にせず。
 玲香ちゃんが、ことさら上機嫌でニコニコしている。
「ねぇねぇ先生、もう発表してもいい?」
「うーん、どう思う、佳織?」
「公式コメントとしては、まだ時期的にはノーでしょうけどねぇ……」
 そういうと藤峰先生は、部室の扉の鍵を閉める真似をしてから、あざとくウインクして僕たちを見て。
「わたしたち、そんなこと気にしないもんね!」
 両腕を腰に当てて、無駄に高らかに宣言する。

「じゃ、そういうことで! 玲香ちゃん、どっちが先にする?」
 どういうことかなど、気にしても仕方がない。
 ただどうやら、サプライズがふたつあるらしい。
 玲香ちゃんに、響子先生が先だといわれ。
 みんなが、一斉に高尾先生のほうを見る。

「では、発表します。このたび高尾響子、引越しします!」
「え?」
「なので朝の『指定席』は、一学期で一旦解散ね。いままでありがとう!」
「そうなの?」
 朝の三人が、思わず顔を見合わせる。
 ただ話しは、まだ続くらしい。
「そして二学期から。こちらで佳織と一緒に、英語を教えまーす!」
 今度は『機器部』の五人全員が、互いに顔を見合わせる。
「な〜に。採用試験は通過したし、心配しなくて大丈夫よ〜」
 藤峰先生が、笑顔で補足しているけれど。
 僕たちが心配なのは、『採用後』のことなんですけど、ね……。

「はい注目! 次は、赤根玲香さんからの発表です!」
 藤峰先生が、サプライズは終わらないと僕たちに告げると。
 今度は、『坂の上』の制服を着た玲香ちゃんが。
 まるでスポットライトを全身に浴びているように、光り輝きながら。
 とびきりの笑顔とともに、一歩前に出る。
「はーい。二学期から、『丘の上』でお世話になりまーす!」

「へ?」
「は?」
「そうなの?」
「ウソっ!」
「お、おめでと〜!
 僕たち五人の反応を楽しみながら、玲香ちゃんが続ける。
「もう試験を受けて、合格しちゃった〜」
 お、おめでとう……。
「みんなこれから、よろしくね!」
 こ、こちらこそ……。
「あ、だから昴くんと月子ちゃんと由衣ちゃん」
 玲香ちゃんは、スッと息を吸うと。
「響子先生の空いた朝の席は、わたしが座らせてもらうね!」
 そう高らかに宣言した。

「あと、『美也先輩』と『陽子ちゃん』」
 玲香ちゃんは、今度はそのふたりに呼びかけると。
「わたしも『放送部』に、入部していいですか?」
 どんどん話しを続けている。


 し、新情報の洪水が、凄まじい……。
 高尾先生と、玲香ちゃんが同じ高校に?
 あと、おまけに玲香ちゃん。
 ……最後になにか、いわなかった?

「高尾先生おめでとうございます。赤根さんも……。一応おめでとう」
 さすが、三藤先輩。
「ただもしかして、最後にあなた。『放送部』っていわなかったかしら?」
 全部、聞き逃さなかったんですね。

「あぁ、それなんだけどね!」
 藤峰先生が、いきなり一歩前に出て。得意げに話しだす。
「もう部員が、六人になるでしょ? そしたらいつまでも機器いじりだけっていうのも、きっと退屈かなぁって思ってね!」
「藤峰先生……。それは『放送部』にする理由に、満たないのでは……」
 三藤先輩が、食い下がるけれど。
 一応、藤峰先生が困ったようなフリ、だけしてから。
「いや〜、もう手遅れ」
「えっ?」
「響子の推薦文を、学校の偉い人たちに出すときにね」
 は、はぁ……。
「『放送部強豪校の顧問で、本校の放送部副顧問として相応しく……』とか、なんかもっともらしいこと書いちゃったのよ〜」
 先生、絶対ワザとでしょう……。
 おまけにいま、『副顧問』とかいわなかった?

「……あ、そういえばわたしも!」
 なに、玲香ちゃん? まだあるの?
「面接でね。そんな強豪の元部員なので、こちらの『放送部』で頑張りますっていっちゃった〜」
 あぁ、ここにもうひとり、確信犯がいたのか……。


 ワクワクしている、目の前の三人を前に。
 三藤先輩が、半ば悟ったようにフリーズしている。

 一方ほかの機器部のメンバーは、というと……。 
「これでもう。玲香ちゃん、月子ちゃん、陽子ちゃん、由衣ちゃん……だね!」
 ダメだ、春香先輩はポイントがずれている。
 せ、せめて都木先輩は……。
「もういっそ、『美也ちゃん』も悪くないかも?」
 な、なんでそこなの……。

 だが、たぶんコイツだけは現実的なはずだ。
 頼むぞ、高嶺!
 え……。
 なに、そのしたり顔?


「うーん、これはどうしましょうかねぇ〜」
 い、嫌な予感しかしない……。
「えーっと。確か今年の活動方針って……」
 アイツは、ワザとひと息置いてから。
「『カワリタイ』でしたよね? 『月子』先輩?」
 そういって、先輩を見てニコリとする。


 ……三藤先輩は、顔を下に向けたまま。
 高嶺の質問には答えずに、静かに立ち上がり。

 続いて、僕たちにくるりと背を向けると。
 一度深呼吸してから、一気に窓を全開にする。


 部室にいるみんなが、先輩のうしろ姿だけを見つめて、返事を待つ。

「なに、もしかして怒ったの?」
 ……いや高嶺、これは違う。
 三藤先輩は、きっと。



 ……すっかり葉の茂った、中庭の藤棚を見つめているのだろう。



 先輩の背筋が、美しく伸びる。
 そのまま大きく息を吸うと、両手を口元に運んで。
 次の瞬間。

 青い空に。

 よく澄んだ、僕の大好きな美しい声が響き渡った。



「うなはらーすばるーー。部長のあなたが、決めなさーーーーーい!」


 いい終えると三藤先輩が、その長く黒い髪の毛の先を右手でさらりと払う。


 次の瞬間。
 思わず口を開けて固まる、僕の横を。
 いくつもの影が、弾けたように。
 一斉にとおり過ぎた。


 高嶺が、玲香ちゃんが。
 都木先輩に春香先輩も。
 おまけに藤峰先生と高尾先生までもが、窓から空に向かって大きな声を出す。
 三藤先輩が、再び加わり。
 大きな空に向かって、タイミングはバラバラだけど。

 笑顔で同じ言葉を。
 みんなが何度も、何度も繰り返す。

「うなはらーすばるーー!」

「部長のあなたが、決めなさーーーーーい!!!!!!!」



 ……さんざん叫び終えたのち。
 三藤先輩が、いつもの表情に戻って席に着く。
 ただし顔だけは、真っ赤だ。
 高嶺がゼエゼエしたり、春香先輩までもが肩で息をしている。
 ほかのみんなも、同様になりながら。
 相席だったりなんだりしながら、近くの椅子に座る。


「……なんなのこの部活。最高だよ!」
 一瞬おいて、玲香ちゃんがそういうと。
 涙を出しながら笑いだす。

 つられて泣くビービー泣くヤツや、静かにひとすじだけ涙を流す先輩。
 冷静に入部届けを用意する先輩や、誰かがこぼした紅茶を拭き始める先輩もいて。
 パンの袋を抱きしめたり、遠く空の向こうを見つめて格好つけている先生もいる。
 みんなが、それぞれ違うことをしていても。


 ……この『放送室』の中はいま。
 最高にあたたかい。


 たったいま。
 僕は、みんなに返しきれなほどの力をもらった。


「『放送部』に、変わりましょう」

 僕はそう宣言して、立ち上がると。
 テーブルの中央にまっすぐ右腕を伸ばして、手のひらを精一杯広げる。
 それからみんなが、一斉に立ち上がり。
 次々と手を、重ねていく。


 全員の両手を、最後に包むのは。
 僕が残しておいた、左手だ。


 僕が、みんなの顔を見て。
 みんなが、お互いの顔を見る。
 その目を、瞳を、顔を見れば。
 すべてが、わかる。

 ここにいる『放送部』の仲間の気持ちが。
 いまなら、わかる。


 一呼吸おいて。
 僕は、三藤先輩のほうを向く。


 ……先輩、どうかお願いします。



「……ではコールを。副部長お願いします!」
「……わたしは、イヤよ」

 ま、まさか……。

 間髪入れず、完璧なまでに拒否された……。



「ここでそれなのー!」
 春香先輩が、これまで聞いたことのないくらい大きな声でツッコミを入れて。
 それを聞いたみんなが、一斉に声を出して笑いだす。

「ちょっとヤバイ、また涙出てきた」
「月子ちゃん、絶対おかしいってー」
「最高だね、月子ちゃん!」

 ……僕は、ここでも自分をとおす三藤先輩が。
 とてつもなく格好いいと思った。


「だって……。言葉は、いまならなくてもわかる……」
 さすがに、気まずくなったのか。
 三藤先輩がボソリと、つぶやいた。


「それ! いい!」
 突然、高嶺が叫んだ。

「格好いいかも」
「あなたたちらしいわ」
「うん、それにしよう!」
「ゴージャス!」
「最高!」

 ……あぁ、やっぱり。
 三藤先輩って、いつも。
 いいこというんですね。



 もう一度、僕が右の手のひらを机に置くと。
 みんなの手が、再び重ねられていく。
 
 大きくひらいた、僕の左手で。
 みんなを最後に包み込んだと思った、その瞬間。


 ……もうひとつ、僕の大好きな白い手が。


 やわらかくも、意志を持って。


 ふわりと着地した。



「じゃ、せーのでいきますよ……。せーの!」




「言葉は、いまならなくてもわかる!!!!!!!!」



 これが、僕たち『放送部』の始まりだ。
 きょうが、みんなが、みんなでいられる場所を見つけた日の。

 ……本当の始まりだ。




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