「た、高嶺さん!」
……講堂の機器室に忘れた筆箱を、無事に見つけて、教室棟に戻る渡り廊下で。
わたしは、突然。
うしろから呼ばれたらしい。
面倒だけど、半分だけ振り向いてみる。
なんだ、山川俊か……。
それって、愛想笑いのつもり? 一応声だけ聞いたからさ、教室戻っていい?
「よぅ!」
別の声がして、驚いたら。
あぁ、都木先輩の『元彼』になったんだよね。
三年生の長岡仁が、山川の隣で手をあげている。
「珍しい組み合わせですね」
長岡先輩に返事をすると、山川があからさまにがっかりしたらしくて。
「お、俺は無視されたのに……。長岡パイセンなら振り返ってくれるんだ……」
あぁ、アイツがいたら相手させるのに。
あ、でも長岡先輩がまぁまぁと肩を叩いて慰めている。楽できて、よかった!
……でも、あれ?
このふたりって、いつのまに仲良くなったの?
「あ、もしかしてバレー部入った?」
正直、山川の『動向』について『どうこう』聞くつもりもないのだけれど……。
うわっ、これって海原のいいそうな親父ギャグじゃん。
そんなことをつい思いながら、作り笑顔で聞いてみる。
「そ、そうなんだ。実はオレさぁ……」
「おぅ、こいつなかなかいいセンスをしててな!」
長岡先輩も、山川を無視して話しをし始める。
やっぱ山川だけあって、どこにいってもそんな扱いなんだね。
「……で、色々としごき甲斐もありそうだから、入部してもらったぞ」
なるほど、途中を聞き損ねたけれどまぁいっか。
「先輩も振られたから。暇なんですね〜」
まずい!
ナチュラルに口から出かけて、わたしは慌てて止める。
なんか、三藤先輩の性格が移ったのかな?
わたしは海原いわくの『黙っていればかわいい』女の子なんだから、笑顔だよね、笑顔。
……でもそれって、いったいなんのため?
誰のため?
ダメだわたし……。
横をとおりすぎる女子たちが、チラリと長岡先輩を見ていくのに。
ちっとも興味が、湧いてこない……。
そういえば今朝、隣のクラスの子にアイツのこと聞かれたっけ?
やっぱりダメだ。
こうやってほかの男子と話してるのに……。
なぜだか、アイツのことがついて回る。
「……って、聞いてる? 高嶺さん」
「あ、ごめん。ちょっとほかのこと考えてた」
山川の残念そうな顔を見て、長岡先輩が笑う。
あれ?
わたしなにか悪いことしちゃった?
「いや。気にするな! よし山川、走るぞ!」
長岡先輩が、しょげる山川の背中を豪快に叩いて。ふたりがダッシュで教室棟へと消えていく。
三年生が廊下をダッシュって、どうなの? しかも部長じゃないの?
あ……。
でもその前、山川はなにいってたんだろう?
ま、いっか。
大事ならまたいってくるよね?
「……あれ、由衣ちゃん。さっきの長岡先輩?」
今度はわたしの好きな、やさしい声がしたと思うと。
目の前に春香先輩と、都木先輩まで!
「えー。まさか由衣に手を出そうとした、とか?」
「都木先輩、違いますよ〜。同じクラスの男子がバレー部に入ったらしくて、それで話してだだけですよ〜」
「そっか、じゃぁよかった〜」
えっ?
もしかして都木先輩って、まだ長岡先輩に未練とかあるとか?
わたしを心配したんじゃなくて、気になったとか?
「あ。念のためいっとくけど、わたしなんの未練もないから! 心配しないでね、陽子!」
都木先輩の、笑顔が添えられたその言葉は。
まるで半分わたしの心を読んでいるかのようで、ちょっとドキッとする。
「なんで美也ちゃんがわたしにいうの? そこ、由衣ちゃんじゃないの?」
「も〜、そんなの気にしない気にしない!」
都木先輩はそういって、明るく笑っているけれど。
気にならなくもないよね、それ。
……まぁいい。
ところでふたりは、どうしてここに?
「えっと、海原君に頼まれごとがあって機器室にいくんだけど。由衣ちゃんも一緒にいく?」
「いきませんから!」
予想以上に大きな声になってしまい、春香先輩が驚いた顔をしている。
しまった!
いきなり、アイツの名前が出たからって。
わたし、なんでムキになってるんだろう?
「あーごめんごめん。こら陽子、いきなり部長の名前を出したらダメだよー」
都木先輩が、わたしに気をつかってくれているのがわかる。
本当は、ごめんなさいって、わたしが先にいうべきなのに……。
「すいません……。急ぐんで失礼します……」
今度は、とても小さな声になると。
わたしはふたりの返事も聞かず、そのまま教室へと走り出した。
……妙に落ち着かない気持ちのまま、帰りのホームルームが終わって。
わたしは机の横にかけていた荷物を取ろうと、手を伸ばす。
「なぁ、このあとちょっといいか?」
アイツを山川が呼び止めて、思わずわたしが動きを止める。
「どうした山川? 秘密の話しなら先に秘密だといってくれ」
「えっ……」
アイツのめんどくさいいい回しに、山川が固まる。
あぁ、まったく。
アンタがわたしに聞かせるためにいってるのがわかるのって、世界中でわたしだけだからね!
「なら先いっとくから」
素っ気なくわたしが答えるのも、アイツはすでに理解している。
特に、秘密の話しじゃなさそうだから。
わたしとしては、アンタと部室にいってあげてよかったのだけれど。
まぁ、男同士の友情ってやつ?
たまには少し深めてからきなよ。
わたしはひとり、中央廊下を歩きながら。
アイツはいま、なにを話しているのだろうかと考えてみる。
別に、話しの中身自体は気にならない。
ただ、高校生の男子がどんな話をしたら、アイツはどんな風に答えるのかを知りたかっただけだ。
中学のころから、アイツには親友らしき存在はいないけれど。
でも色々な人に相談されたり、頼られることはよくあった。
女子からだって、そうだ。
それがいわゆる『恋愛』に発展しかけたことも……。あった気がする。
「あぁ、だからなんなのよ?」
「どうしたの高嶺さん? 青春のお悩み中かな?」
うわっ……。
思わず口にした独り言を、藤峰先生に聞かれてしまった!
「高嶺さんがひとりなんて珍しいと思ってついてきたんだー。どこからいたのか、全然わからなかったでしょー?」
イタズラっぽく笑う先生に、怒る気はしない。
だけどひとこと返すくらいはいいだろう。
「なんでもないですよ。別に気にしないでください」
「まぁそういうと思ったわ〜。でもわたしで良かったら、いつでもウェルカムだからね!」
この先生は、わたし以上に人の心にズカズカと入り込む。
でもたぶん、わたしと同じで。
実はその対象って、あまり多くない気がする。
職員室の前で、先生に手を振る。
作り笑いとか不要なのが、いまのわたしにはとってもありがたい。
「そう、その笑顔が、わたしは好きだな!」
……わたしも、その笑顔が好きだよ、先生!
不思議なことだけど、藤峰先生のおかげで。わたしは少しだけ、心が軽くなった気がした。
部室に入ると、丁度春香先輩と三藤先輩が講堂に出かけるところで。
「二年の学年集会だから、ふたりでやっとくね!」
春香先輩が、楽しそうにいう一方で。
「都木先輩は、講習が追加で入ったそうよ。なので海原くんをよろしく」
もうひとりは相変わらず、アイツを会話に挟んで伝えてくる。
ただ、なんとなく。
「そんなの、いわれなくてもわかっています!」
……なぜかこのときだけは。
そう三藤先輩にいい返す気に、なれなかった。


