「そういえば、部長なんだって? 一年生なのにすごいね!」
「いや、たまたまなっただけだよ。それより『れいかちゃ……』、じゃなくて『赤根さん』。渉外担当ってなんだか、会社みたいな響きだね?」
あ、危なかった……。
うしろを歩く高嶺由衣が、握りしめた拳をかろうじて引っ込めた気配を感じると。
「あら、少し遅れてからとめてあげようと思ったのに、残念だわ」
三藤先輩が僕に聞こえるように、なんだか物騒なことを口にしている。
……また『赤根さん』、かぁ。
わたしは、思いがけない再会を果たした昴君が。
わたしを呼ぶたびに、どんどんよそよそしくなるを不満に思いつつも。
さすがに昴君のうしろに控える四人に、『少しだけ』遠慮することにした。
「うちの放送部、この辺じゃそれなりに有名なんだよ」
昴君が、そうなの? みたいな顔でわたしの説明を聞いている。
ほんとに、『放送部』の部長なんだよね?
なのにうちの学校知らないの?
そんなことを思いつつわたしは、いまは無人の放送室に到着すると、扉を開いて昴君たちを招き入れる。
「失礼します」
バラバラに見えた五人の声がなぜか揃って、ちょっと驚く。
「……えっと、中央のスタジオが、校内放送用で。左は主に朗読で、右がラジオ用って感じかな。ここに入りきれない機材は、体育館の倉庫に置いたりしてるんだ」
「す、すごいここ! 本物って感じ!」
あれ、そんなに設備とか違うのかな?
私立だから充実しているんじゃないの?
えっと高嶺さん、だっけ?
そんなに喜んでくれるなんて……。
どうしよう、笑顔は結構かわいいよね。じゃぁ、わたしもちょっと愛想よくしてみたらいいのかな?
そう考えたわたしは笑顔を添えて、ありがとうと返してみる。
すると高嶺さんは、少しだけ驚いたような顔をしてから。
「ど、どうも……。なんか安っぽい感想ですいません」
ちょっとだけ照れたような声で、返事をしてくれた。
……なんだ、結構いい子なんだ。よかった。
「きょうは、ほかのみなさんは誰もいないの?」
えっと、春香さんだよね?
「あ、きょうはそれぞれのパートで外出中なんで、わたしだけなんです」
「じゃぁ、わざわざ赤根さんだけ残ってくれたってことなの? ありがとう!」
……都木先輩、か。
なんか、上級生なのに。
随分とやさしい解釈をしてくれるなぁ……。
「実際はちょっと、違うんですけどね……」
「えっ?」
「いえ、なんでもないです」
……まずいまずい。
そのやわらなかな雰囲気に、つい余分なことをいいかけたわたしは、慌てて話題を変える。
「響子先生が、よくお話しされている伝説の親友がいらっしゃるからって」
あの藤峰先生が、どんな人なのかはまだよくわからないけれど。
「ほんとは、ほかのみんなも残りたいっていっていたんですけど。コンテストの準備に集中しろと、わたし以外は学校から追い出しちゃったんです」
少なくとも、先生たちふたりがとっても仲良しだということは。痛いほど理解できた。
そう、『わたしとは』違って……。
……あの藤峰先生が、伝説の人?
その昔、全国高校生パン早食い選手権とかで優勝でもしたのか?
それにコンテストって、いったいなんの話しをしているんだろう?
そもそも。校内放送に朗読にラジオって、ここは放送部じゃなくて放送局かなにかなのか?
先ほどから玲香ちゃんの説明ひとつひとつを聞いていると、僕の頭の中に、一瞬にして大量の質問が沸いてくる。
ただ、実はなによりも僕は。
玲香ちゃん『ひとり』が学校に残った、という点がなんとなく気になった。
僕がそんなことを考えていると、三藤先輩が。
「赤根さん、笑わないで聞いてくれるかしら?」
えらく真顔で聞くもんだから、玲香ちゃんが一瞬、なにかに呑み込まれたような顔をする。
そうだよね、あの三藤先輩のまっすぐな瞳に見つめられたら……。やっぱりドキドキするよね。
玲香ちゃんが、気を取り直したように小さく頷く。
「わたし、あなたの部活のこと。まったくといっていいほどわからないわ」
「もう、月子ったら」
……春香先輩が、ど直球の三藤先輩のコメントに苦笑いする。
「そうきたか〜、でも素直でよろしい」
都木先輩が、思わず口に出す。
で、肝心の玲香ちゃんはというと……
「ごめんなさい。三藤さんのいっていることが、わたしもよくわからない。本当に放送部だよね?」
隣で聞いていた高嶺の口が、半開きになったまま止まっている。
いや、いいじゃないか。
このふたりの先輩たちは、これで素直に話し合えてるんだよ。
「……なるほどねー。よくわかんないけど、なんかそれで色々わかった!」
都木先輩と春香先輩、それに高嶺の三人が、自由に各スタジオの中を歩き回っているあいだに。
僕は玲香ちゃんに、自分たちが『機器部』であるという話しをする。
とはいえ、僕もよくわからないことだらけなので、上手には説明できなくて。
「昔は『放送部』だったのよ。でもいまは、人手不足で行事の機器調整とかだけするから『機器部』なの」
そういって、三藤先輩が助け舟を出してくれたのだけれど。
……というか。
最初から僕にも、そう説明してくれたらよかった気が……。
おまけにきょうは、やけにナチュラルに、昔は『放送部』だったっていいませんでした?
「でももう五人もいるんだから、変わってみたら?」
玲香ちゃんの素朴なひとことが、都木先輩にも聞こえたらしく。僕たちに変わって補足してくれる。
「え、えっとね……。これからゆっくり変わっていこうかって、そんなことを海原君が提案してくれてね。そしたら藤峰先生がここに連れてきてくれたんだ」
「そうなんですね、それも謎だったんです」
「どうして?」
思わず、僕が聴いてしまう。
「だって、藤峰先生って伝説の人だって聞いてたからね。『丘の上』の放送部って、コンクールに出ないだけで校内ではすっごく活動が盛んなんだと思ってたの」
「そんなわけないわよ」
「ないない」
三藤先輩と都木先輩、元部長のふたりがあっさりと否定する。
「あぁ、だからさっき三藤先輩の質問に、本当に放送部なのって聞いたんだね」
「そういうことっ!」
玲香ちゃんの声が一段あがって、昔のようにハイタッチしようと両腕を僕に伸ばしてくる。
「えっ?」
……パシッ。
玲香ちゃんの声がしたあと、乾いた音がして。
なぜか都木先輩が、ぎこちない感じのハイタッチをしてから。
「えっ? あ、わたしじゃなかったかぁ〜」
なんか微妙な声色でいいながら、三藤先輩のほうを見ている。
三藤先輩は、特に返事をしなかったけれど。
その右腕が、僕の目の前に伸びていて。
だから僕は先輩に当たりそうで、玲香ちゃんに腕を伸ばさなかったのだ。
「そ、そろそろ戻る時間だね!」
春香先輩が、このタイミングで声をかけてきて。
「アンタなにしてんの?」
高嶺が声を僕に、視線を三藤先輩と玲香ちゃんに交互に向けながら近づいてくる。
「ふ〜ん」
玲香ちゃんは、それだけいうとチラリと僕を見てから。
「じゃ、戻りましょっか?」
誰もいない方向に声をかけてから、歩き出した。
途中で合流した高尾先生が、藤峰先生を含んだ女性陣をトイレに案内して。
玲香ちゃんと僕は、ひと足先に会議室に向かうことになった。
「玲香ちゃんの学校の放送部って、凄いんだね」
「う〜ん。まぁちょっと古いけど、設備はちゃんとあるね。あと、実績もこのあたりだったら文句なしだよ」
そ、そんなに強豪校だったんだ……。
でも玲香ちゃんの顔は、ちっとも得意げではなくて。
「ただ、それだけじゃ部活って、楽しくないよ……」
なんだか、とても遠い先をみるような目をしている。
小学校のころの彼女は、もっと明るくて。いつでもいっぱい、笑っていた気がする。
「昴君たちってさ、すっごい仲良さそうだね」
さっきよりまた小さな声で、玲香ちゃんが言葉を足す。
「うーん、みんなそれぞれキャラが濃いからさぁ……。実際はすーんごく大変なんだよねぇ……」
僕は、少しでも気楽になってもらおうと。
できるだけ大袈裟にため息をついてみる。
「それ! もうきょうだけで、すんごくわかるー!」
あ、昔の玲香ちゃんが戻ってきそうだ。
「バチバチしたり、キャァキャアしたり、毎日凄そうだね!」
「いやぁ、ほんとそうだよ」
「でもさ……」
あ、あれ……。
「それでも仲がいいって、わたしは羨ましいなぁ……」
いまままでの僕なら、この流れなら当然。
「玲香ちゃんは、楽しくないの?」
そう無遠慮に、質問していただろう。
ところが、わずかながら女心について経験値が付いてきたおかげか。
僕の中のなにかが、口に出しかけた言葉を引き留めた。
僕はもう一度、玲香ちゃんの横顔を見る。
今度は、僕の視線に気がついたようで。
彼女は慌てて、取り繕うような笑顔を見せてくれた。
そんなことをさせるつもりは無かったのに、ごめん……。
……少しの沈黙のあと。
「でさ?」
いきなり玲香ちゃんが、僕の腕を引っ張り顔を近づけると。昔よく見たような笑みを浮かべる。
「昴君はさぁ。いったい、どの子と付き合ってるの?」
「えっ……」
意表を突かれた質問に、僕が立ち止まると。
「きゃっ!」
え……?
その声と同時に、僕の背中に当たったのは……、三藤先輩?
僕が慌てて振り向くとそこには。
「もう! いきなり止まらないでくれるかしら。あと赤根さん、海原くんの腕をいますぐ離しなさい!」
おでこに、右手を当てながら。
三藤月子が少し上目遣いに、僕たちを見ている。
「え〜、別にぃ〜。昔はもっと近かったよね〜、昴君?」
玲香ちゃんは、ちっとも動揺することなく。
「もしかして三藤さんって、わたしたちの話しを盗み聞きしてたの?」
かつての『デストロイヤー』という異名に負けないくらい、堂々と先輩に聞く。
「ち、違いますけど!」
「ふ〜ん」
「な、なんといっても! わたしたちの部活は『恋愛禁止』なのよ!」
なぜか自暴自棄、じゃなくて。
自慢気な表情で、三藤先輩が答える。
「なにそれ? そしたら昴君、一生彼女できないじゃん!」
えっ? れ、玲香ちゃん……。
「仕方がないでしょう……。それに『一生』なわけ、ないじゃない……」
予想外の返しだったのか、三藤先輩の声が小さくなり。
おまけに、僕にしかわからない程度だろうけれど。先輩の耳の先が、ほんのり赤くなってる。
すかさず玲香ちゃんは、今度は真面目な顔になると。
「ねぇ、三藤さん?」
「な、なにかしら……」
「それって『学外』の人とか、関係ないんだよね?」
「えっ……」
「関係ないよね?」
玲香ちゃんが二度も繰り返すから。僕は、適当なことで掻き回さないでね……とでもいいかけたのだけれど。
「そうね、関係ないわ」
「え?」
三藤先輩が、今度は形勢逆転だといわんばかりに。
「そう、『学外の人』には、関係ないことだわ」
そう玲香ちゃんに伝えると。
「いくわよ、海原くん」
先輩が僕のブレザーの袖を引っ張ると、会議室へと歩き出す。
すると、ここまでの状況を知らない高嶺がいきなり……。
「ちょっと三藤先輩! こんなところでなにしてるんですか!」
いきなり遠くから大声で吠えながら、走り出す。
頼む、や、やめてくれ……。ここは他所様の高校だぞ……。
「もう、どこでもそうやってもめるのやめてよ〜」
走り出す前の高嶺のいた場所で、春香先輩が苦笑いしながらいって。
都木先輩が、そのうしろから。
「全員、静かに〜!」
ちっとも静かじゃない声を、まっすぐに届けてくる。
そのまたうしろで、大人がふたり笑い合っていたのは見えたけれど。
「佳織、元気な子たちだねぇ〜」
「でしょー響子。この先が楽しみじゃない?」
さすがにそんな会話も、それが意味すこることまでもは。
このときの僕には、わからなかった。
……加えて。
その一部始終の流れを作った、赤根玲香だけは。
このときひとりだけ違う空気感だったことに、僕たちは誰も気がついていなかった。
……そう、わたしはそのとき。
素直にみんなが、羨ましかった。
自分が過ごしたかった空間が、目の前にある。
でもそこまでの距離は、このままではとっても遠い。
いったい、わたしは。
どうすればいいの?
……羨むだけでは、終われない。
わたしの心の中にそんな想いが、芽生えたのだとすれば。
それは間違いなく、この日のことだ。


