放課後、全員が指定席に落ち着いたのを確認した僕は。
高嶺由衣に目で合図してから、口を開く。
「機器部の当面の活動内容として、まずは先輩たちは僕たち一年生に、『放送機器』の使いかたを教えてください」
高嶺が眉毛をきっと上げて、三藤先輩の反論に身構える。
まったく、もう少し力を抜けばいいのに……。
ところが三藤先輩は僕たちではなく、都木先輩のほうをじっと見つめている。
「えっと……。月子ちゃんと陽子、忘れちゃったかもしれないし、よければわたしにも教えてくれる?」
一瞬の沈黙後、都木先輩がやわらかな笑顔で言葉を添える。
「もちろん! いいよね、月子?」
春香先輩が少しホッとした表情と、少しだけ遠慮したようすで三藤先輩を見つめる。
三藤先輩は一瞬目を閉じ、その長い髪を右手で控え目にスッと撫でると、言葉を繋ぐ。
「部長がそう決めたのなら、従うわ」
「もう、いちいち海原だから納得するって口にするのが……」
ほとんど駄々っ子状態の高嶺を制したのは、春香先輩だ。
「『由衣ちゃん』は、ヤキモチ妬かないんだよー」
驚くべきことに、春香先輩のやさしい笑顔が、高嶺の戦闘モードを凌駕した。
高嶺の目が大きく開き、一度吐き出しかけた言葉を飲み込むのがわかった。
……で、いったいなんっていうつもりだお前?
「は、春香先輩! いま名前呼びしてくれましたよね! もう先輩に、一生ついていきます!」
感激で、泣き出さんばかりの表情になる高嶺を見て。
都木先輩が笑顔で、高嶺の頭をポンポンとやさしくたたく。
その光景を見てあっけに取られた三藤先輩が、背筋を伸ばしたまま横を向き、首を伸ばして上目遣いに僕を見てささやく。
「確かああいうのを、あざとかわいいっていうのよね? 海原くんはどう思う?」
どう思うって……。
正直それよりも、セーラー服からちらりと見えた先輩の首筋の白さに。
思わず見とれてしまいました……。
すると突如、キャラ変した高嶺の鋭い声と人差し指が、容赦なく僕を刺す。
「部室内でなにしてるんですかそこのふたり! 近いから!」
この変化自在な高嶺をみるたびに、僕は思うのだ。
ほんとお前は、『黙っていれば相当かわいい』のに……と。
「……では、機器の使用方法などの説明は陽子お願い。部室内で基本的な操作方法を練習して、必要に応じて講堂などで実地演習をしましょう。使用許可などは、わたしが手配します」
手際良く指示する三藤先輩を、都木先輩がニコニコしながら見つめている。
「なーんか懐かしいね、こういうの」
「せ、先輩もきちんと覚えてもらいますからね!」
「あ、三藤先輩ちょっと照れてません?」
「由衣ちゃん、月子が意識しちゃうからダメだよぉ〜」
四人が仲良くしてくれている限りは、僕はまるで天国で暮らしているようだ。
でもずっとこのときだけが続く……、わけがないのが。この部活だよな、きっと。
「ただ、部長は『委員会』の準備があるので、そちらを優先してください」
三藤先輩が引き続き指示を出す。
え? なんですか、それ?
「そうだったね……。じゃぁ部長、大変だろうけど頑張って……」
都木先輩の目が、なんとなく同情的なのは。
気のせいだろうか?
「あ、思い出した! わたし副部長外れてよかったー。ありがとう月子、海原君!」
どうして春香先輩は、そんなに安心したような笑顔なんですか?
「うーん、よくわかんないけど、大変なのはアンタは得意だもんね、じゃ、頑張って!」
高嶺、お前は絶対どうでもいいとしか思ってないだろう……。
まるで自分たちはバカンスに行くかのようなノリで、三人がいう。
高嶺はさておき、ふたりの先輩は経験者ですよね?
……ということは、なんだかすごく嫌な予感がするんですが。
「念のため規約をもう一度確認しますけれど。わたしの記憶では書記の都木先輩も、当日は出席をお願いすることになるはずです」
「ウソっ……」
涼しい顔で返す三藤先輩の声を聞き、都木先輩が大袈裟に頭を抱え込む。
「あ、あの……。『委員会』って、僕が出るんですか? そ、そんなに大変なんですか?」
「部長だから当たり前よ。大変かどうかについては、わたしはもう二度とやりたくないという感想から、察してもらっていいかしら?」
どこか遠くのほうを眺めながら、真顔で三藤先輩が告げる。
あの……。僕、いまから脱走してもいいですか?
「……さっきは由衣ちゃんって、勝手に呼んじゃってごめんねー」
「わたしも、由衣って呼んじゃおっかなー?」
「もう大歓迎です! おふたりにそう呼んで頂けるの、わたしず〜っと憧れてたんですよ。もう、最高です!」
一気に距離感が縮んだ三人が、部室の灰色の大きなキャビネットを開きながら、楽しそうに作業を始める。
一方三藤先輩は、特にそれを気にするそぶりも見せず、もうひとつの黒色のほうを開く。
そして几帳面に並べられている青色の分厚いファイルから、迷うことなく幾つかを取り出すと。
手際よく、机の上に並べ始める。
「ちょっと、海原くん……」
「どうしました、先輩?」
「だから、ちょっとね……」
「……?」
三藤先輩が左手で髪の毛を耳にかけながら、右手の人差し指でテーブルを軽くたたく。
その両目も、なにかを伝えてくれているのだけれど……。
僕にはいまいちわからない。
「もう、いい。仕方がないわ」
小さくつぶやいた先輩は、おもむろに立ち上がると。
自分の椅子を、僕の真横に置き直す。
思わず、僕は反対側に椅子を三十センチほどずらしてしまった。
「もう、なにしてるの? 隣にいてくれないと、書類が読めないじゃない」
なるほど、やっと理解した。
僕は思いがけず、至近距離となった先輩のほうをみる。
あ、もしかしてまた耳が赤くなっています?
その瞬間、頭の上に重たいなにかがガツンと落ちてくる。
「海原も、三藤先輩も! 近いから!」
い、いま……。
悪魔が、なにか頭上でわめいていますか?
「……なんだか痛そうだけれど、大丈夫?」
春香先輩が心配そうに、僕に声をかける。
な、なんですか、この重たくて冷たい物体は……
「あ、ごめん。手元が狂って、ボックスが『たまたま』アンタの頭に落ちたみたい」
こともなげに冷たくいい放つ高嶺を見て、都木先輩が吹き出す。
「まーったく、まだ春なのにこの部室、暑いよねー」
まるでなにごとも起こっていないかのように、三藤先輩はファイルをめくり始める。
み、三藤先輩も。フォローとかないんですか……。
だがそのとき、僕はふと気がついた。
先輩と、僕の椅子の距離が。
……先ほどよりもっと、近くなっていた。


