やっと終わった……。
そう安堵して自席に戻った僕に、興奮気味の山川俊の声がやってくる。
「師匠!」
「へ?」
「いや、師匠だよ! お前、ホントすげえんだなぁー」
おい……。た、頼むからやめてくれ……。
隣の席から、尋常じゃないくらいの殺気が漂っているくらい、わかるだろう!
午前中の、三回ある休み時間。
山川いわくの『三人の美女』が、三回にわたってかわるがわるやってきた。
いうまでもなく都木美也、三藤月子、春香陽子の三人だ。
「カイハラっすね!」
「えっと……。海原君ね」
「カイハラですよね!」
「海原くんよ、念のため」
「カイハラお探しっすよね!」
「海原君、かなぁ……。あ、ありがと……」
朝からまた日直だったり、配布物の仕分けだったり、なんだかよくわからない雑用を教卓でこなすことが続いている僕が指名したわけでは、決してないけれど。
山川が、非常扉に張り付いて。上から降りてくる先輩たちがくるたびに、鼻を伸ばしながら要件を聞いている。
本人は高級ホテルのドアマン気取りなんだろうけれど。
どう見てもその仕草が、鼻水を垂らしたコメツキバッタみたいで……。
先輩たちはみんな、少し顔がひきつっていた。
「おかげさまで、目の保養になりました、師匠!」
えっ、まだ喋るの?
「お前が美女と会話しているあいだ、ひとりここでさぁ〜」
日本全国の山川さんに敵意はないのだけれど。
ノーデリカシーを漢字であてはめるとしたら、山川、そう書くしかないだろう。
音量ボタンのついていない山川のおしゃべりは、当然高嶺由衣の耳にも聞こえていて。
その怒りはもう、爆発寸前だ。
「……上級生って、暇なんだね」
いつもより低いトーンの高嶺の声が、怖すぎる……。
おまけに、こういうときに限って先生がなかなか教室に現れないなんて、出来過ぎじゃないか!
「で、アンタ。なにいわれてたの? あ、不愉快な話は省いてくれていいんで」
要するに、答えないという選択肢はないが、話題には気をつけろといわれているらしい。
高嶺さん。おかげで余計に答えにくいです……。
もちろん、僕のしょうもない考えは読まれているらしく。
高嶺が微妙に、僕の上履きの先を踏み付けているのがわかる。
大きく開いた両目に赤い炎は見えないけれど、確か炎の色温度で白とか青は危険なやつだ。
いつもより三倍は速くクルクルと栗色の髪の毛の先で人差し指を回転させながら、アイツはこちらを見続ける。あぁ、絶対マズイやつだ……。
「……まぁ、話しにくいなら無理しなくていいけど。その代わり、きょうのお昼ちょっと付き合ってよ。部活のこと、先輩たち抜きで相談したいから」
待ち切れなくなった高嶺が、僕にデジャブな要求を突き付ける。
「そ、それだ……」
「は?」
「人物は入れ替わるけれど、先輩たちもみんなそれぞれ、同じ意味のことをいいにきた」
「は?」
「だから、さぁ……」
まったく奇妙なことに、先輩たちがそれぞれ。
部活のことで『僕とだけ』話しをしたいと、みんな同じことをいいにきたのだ。
「あのぅ師匠。それっていわゆるハーレムじゃ……」
「山川うっさいから! わたしとコイツの話しだから! あと百年くらい黙ってて!」
山川が、歯の抜けたラクダみたいな顔をしているのはさておいて。
それ以上にお前さ、毎回いうけど。
黙っていないと、男子のファンがまた減るぞ……。
事実、僕と目が合った男子数名の表情を見て……。
ダメだこりゃ、思わず僕は小さくため息をつく。
「で。アンタはなんて答えて回ってんの?」
山川やほかの男子など眼中にないとばかりに、高嶺が続ける。
「とりあえず、昼休みに部室に集合しましょうって……。だからお前もよろしく」
「え……それ意味ないじゃん?」
「なんでだ? 部活の相談だったら、それでいいんじゃないのか?」
高嶺が、ふーっとやや大袈裟にため息をつく。
それきりアイツは、興味を失ったのかはたまた言葉を失ったのか。視線を教科書に落とし、ページをパラパラとめくりだす。
まぁこの授業を受けたら昼休みだから、ブツブツいっていても仕方のないことだと悟ってくれたのだろう。
……しかしきょうは、なかなか授業始まらないなぁと思った、そのとき。
そういえばさっきまで話していた、春香先輩だけが。
最後に、違うことを口にしたのを思い出した。
「あ、あとね海原君。藤峰先生が、テキストとか重たいから授業前に取りにきてだって」
カチ、カチ、カチ。
真っ白になった頭に、教室の掛時計の針の音が無情に響く。
僕が、全速力で教室を飛び出したあとで。
「『相談』したいっていったじゃん。浮かれてるからじゃないの? 海原の、バカ」
そう高嶺がボソリとつぶやいたそうだ。
息を切らせながら、英語科準備室という名の地獄に着くと。
「あーらミスター・ウナハラ。近頃美人ばかりに見とれているから、こんなことになるのかしらねー」
「す、すいません!」
「ま、だからってこのわたしを待たせていい理由にはならないんだけど。わかる?」
女王、いや先生は。
笑顔とは裏腹に……。ちっとも目が笑っていない……。
……そのあとは、ただでさえ重たいテキストに加え。
絶対にきょうの授業に必要ない、藤峰先生の私物の英語の本などを山積みにされた箱を持ち、教室に向かう。
「一冊でも落としたら、絶交だから」
生徒に対して絶対通用しない理屈だと思うけれど、きっとこの先生には通用しないだろう。
ただ、先生は手ぶらな上。
僕に仕返しができたので、すこぶるご機嫌がよくなってきたらしく。
「ミスター・ウナハラ、君のおかげであの子たちの顔が明るくなってきててね、感謝しているわ」
先輩たちの話しを、うれしそうに口にする。
「そ、そうなんですか? で、でも僕なんていなくても、みなさんいままでも十分美人で人気だったと思うんですけれど?」
「あぁ、君は彼女たちのことを、ちっとも理解してないねー。それに顔が明るくなるって、そういう上辺のハナシとはまったく別のことだよ」
そういうと藤峰先生は、意味深な目で僕を見ると。
実に楽しそうな笑顔になる。
あぁ、まったくこの先生は……。
でも、あれ?
なんか似たような光景。
最近、藤峰先生以外ともあった気がするんだよなぁ……。
「よしあとちょっとよ! もう少し、ハリーアップ!」
頭にぼんやりと浮かびかけたヒントをかき消すように、先生が大きな声で号令をかける。
その声に驚いたらしく。
一瞬他教室で授業中だった先生や生徒たちが、廊下側の開いていた窓や扉越しにこちらを見る。
「こら、ミスター・ウナハラ! 廊下は静かにっ!」
「す、すいません!」
え?
反射的に、謝ってしまったけれど。いまの僕のせいにしちゃうんですか?
まったく……。
藤峰先生は教師のくせに、ほんと……。
自由すぎる。


