重要なことが、すんなり決まるときだってあるらしい。

 「でさ〜、音楽室に行ったら吹奏楽部の先輩たちが勢揃いしてて〜」
 放課後、教室を出て部室に向かうあいだ。高嶺(たかね)由衣(ゆい)が延々と語り続ける。
 どうやらきょうは、すこぶる機嫌がよいらしい。
 うむ、こうしているときの高嶺は、しゃべっていてもそこそこかわいい。

 部室の扉を開けると、すでに三藤(みふじ)月子(つきこ)春香(はるか)陽子(ようこ)の両先輩が各々の指定席に着席済みだった。
「わたしの指定席!」
 そういって、高嶺は迷うことなく春香先輩の前に座る。
 三藤先輩は、今朝のことなどまるでなかったかのように冷静な顔をして。
海原(うなはら)くんも、どうぞ」
 自分の前の席を僕に『手』を差し出して勧めてくれる。
 あぁ、僕は今朝。あの手を握っていたんだよな……。

 なにげなく向けた僕の視線を感じたのか、三藤先輩が慌てて手を引っ込める。
「なに、いまの?」
 そのようすを鋭い眼差しで見抜いた高嶺から、尋問が始まりそうになったそのとき。絶妙のタイミングで唯一の高三生、都木(とき)美也(みや)が現れる。

「まったく、ほんといつも陽子たちはくるのが早いよね〜。ふたりともほんとに、ホームルーム出てるの?」
「ご心配なく。で、きょうは先輩。どちらにお掛けになりますか?」
 相変わらず、三藤先輩はいいかたに『トゲ』がある。
 隣で春香先輩が苦笑しながら、三藤先輩の背中をまぁまぁとなだめる姿に。なんともいえず愛情というか、やさしさを感じてしまう。
「まだ居候みたいなもんだからねー、末席にお邪魔しとくね」
 都木先輩の言葉には『トゲ』はなくて、だが本当になにか遠慮しているのがよくわかる。
 ただ、それでもこの空間をともに過ごそうと決めたのだという、意志の強さも感じられる。
 きっとあの先輩は、まっすぐな心の持ち主なのだろう。
 そんなふうに、僕は勝手に考えた。


「……きょうは、新しい部長を決めようと思います」
 突然、意志の強さでは部内随一の三藤先輩が、また驚くべきことをいい出す。
「え? 月子じゃないの?」
 副部長の春香先輩も、驚いたようで。
 ……ということはまたしても、これは三藤先輩の独断なのか。

「わたしは去年、どうしてもやらざるを得ない状況で拝命しただけなので、今年はやらないわ」
 こうも涼しくいい切れる三藤先輩って、やっぱりすごいなと僕は思う。
 同時に。その視線を一直線に浴びて苦笑いしている、前部長の都木先輩を思わず見てしまう。
「ええっと……」
 一瞬、そんなふうに戸惑ったあと。
「わたしはもう三年だし、残りもそんなに長くないからねぇ〜。それに、返り咲くほどの分際でもないしねぇ〜」
 そうやって、明るく笑顔で返せる都木先輩はやはり大人だ。

 ところが。このような状況で、必ずしゃべらずにはいられないヤツが、ここにひとり。
 そう、上級生だろうと誰だろうと。
 いうべきことを口にする、時々正論お化けの高嶺が口を挟む。
「別に、いままででどおりの体制で問題なさそうですけど、だめなんですか?」
 すると、明るくその通りだねとでも答えると思っていた都木先輩が。
「きっと月子ちゃん。部長は、ほかにやってほしい人がいるんだよね?」
 三藤先輩が、左手でセーラー服の肩に掛かった髪先をそっと撫でる。
 その姿を見た春香先輩のやわらかな表情が、やさしく三藤先輩を包み込む。
 ほんと、あのふたりには言葉は要らないようだ。

 カチ、カチ、カチ。
 秒針が鳴らない部室の時計の針を、春香先輩が数えたような気がした。

「いいよ、月子の好きにやりなよ。で、『あとのふたり』はどうするの?」
 春香先輩が、高嶺と僕の意見を聞いているのだと、一瞬勘違いしたのだけれど。僕たちがなにか答えるより先に、三藤先輩が言葉をつなぐ。

「高嶺さんさえ良ければ、都木先輩とわたしが、『部長』を支えていくのがよいと思うの」
「ま、そうなるよね。月子ちゃんらしいや」
 都木先輩が仕方ないか、という風に答える。

 ……ん?
 ちょっとなにか、変じゃないか?

 僕が高嶺に顔を向けると、意外にもなにひとつ動揺することなく、この上なく冷静な目で見つめ返される。
 え?
 もしかしてお前も、なんの話しか理解しているわけじゃないよな?
「あの……。イマイチ話が読めていないんですが?」
 僕の、誰に発したともいえぬ言葉に。
 隣からため息がして、それから。
「あのー、みなさん。おわかりのとおり海原って実はそんなに賢くないんで」
「へ?」
「ただわたしに気を遣われたり、あとで説明させられるのも嫌なんで。どなたかお願いできませんか?」

 ……結局それから。
 三藤先輩が主となり、春香先輩がフォローしながら解説してくれた。
 部長が、一年生の僕。
 副部長は、二年生で現部長の、三藤先輩。
 部員が三人以上なので、取り決めにより書記も置く必要があり、それが最高学年で前部長の、都木先輩。

「え……。ふつう逆じゃないですか?」
「ここが『ふつう』に見えてるのは、アンタだけ」
「わたしには、『ふつう』の定義が難しそうだけれど。常識にとらわれる必要はないわ」
 高嶺と三藤先輩が、妙なところで息を合わせて。
 でも、春香先輩はそれでいいのだろうかと、思ったけれど。
 無邪気そうな笑顔で拍手しているので……。
 きっと、問題ないのだろう。

 僕はもう一度、本当にお前はそれでよいのかと高嶺を見る。
 高嶺は、そんなの知らないわよといわんばかりに僕から目を逸らすと、挙手をしてから。

「そういえば、先輩がたに確認ですけど。前に聞いた謎ルールって、現在も有効なんですよね?」
 なんだっけ、それ?
「先輩がたから伝えられてきたことなので」
 三藤先輩が、以前と同じく『模範解答』をする。
「それで三藤先輩は納得なんですね、みたいな話し。藤峰(ふじみね)先生が聞いてましたよね?」
 あぁ、そういえばあったな。
 部活内の『恋愛禁止』という謎ルール。……って、またそこに食いつくのか?
 もしかして、これってまたなにか……。
 もめだす合図ですか? 頼むから勘弁してくれよ……と思った矢先。意外にも高嶺自身が、矛を納める。

「わたしは、別にそれで構いません」
 高嶺はいうが早いか、僕の背中に思いっきりグーパンチをしてきて。
「ま、しっかり見物させてもらうよ、新米部長」
 そういうと、高嶺はいつものように少し首を傾げながら。その大きな目を、精一杯細めて笑う。
 僕は、サボるなよ! なんだかそんなふうにアイツにいわれた気がした。
「執行部の先輩がたも、もちろん、見させて貰いますので」
 高嶺はそういいながら、なぜか立ち上がり胸の前で腕を組む。相変わらず遠慮のないヤツだ。
 だが、僕は忘れていた……。
 この部活には、そんな女子たちがほかにもいることを……。

「なかなか上から目線の新入部員だけど、まぁ嫌いじゃないわ」
 長い髪を右手でさっと払い、三藤先輩も立ち上がる。

「それならわたしも、居候気分は卒業しようかな?」
 都木先輩も、楽しそうな顔で立ち上がる。

「もう、いちいちもめないでいいから〜」
 春香先輩が、両手を横に交互に広げながら立ち上がる。

 すると立ち上がった四人の美女たちが、一斉に僕を見下ろして。
 そしてなぜか……。

 こんなときだけは、心も。
 声もひとつに、僕に覆い被さってくるのだ。

「だから部長、しっかりしなさい!」

 ……こうして。

 僕は、きょうから。
 『機器部』の部長となった。