「くっくっく。しかし滑稽だったな、男爵家のバカどもは」
軽快に走る馬車の中。マニーノ=モージャー侯爵は、お抱え商人であるハラブリンと共に笑いを堪えていた。
「ブヒョヒョ、まさか本当にあの魔境が畑になると信じているとは。あんな土で作物が育つわけがないでしょうに」
「だがそのおかげで、俺たちはボロ儲けさせてもらったがな」
この二人はたしかに、ジャガー男爵へ大量の資金援助をした。
しかしその対価は、『一か月以内にこれまでの貸しをすべて返済すること。さもなければ即時財産を没収し、男爵領を明け渡す』というものだった。
貸しの総額は金貨四千枚。下位貴族なら数年は遊んで暮らせる額だ。とてもじゃないが、貧乏な男爵が一か月で返済するなど不可能である。
「誰かが助けてくれるなんて甘い考えじゃ、貴族社会は生き残れねぇのさ。今回の件は、奴にとっていい経験になるだろう」
「高い勉強代にはなりますがね、ブヒョヒョ」
懐から葉巻を取り出すと、ハラブリンが慣れた手つきで火をつけた。さすがは商人というべきか、人にすり寄るのが上手い男だ。
「ですがジャガー男爵といえば、なにかと噂の多い男。国王陛下のお気に入りともいわれております。油断は禁物なのでは……」
冒険者としての功績を挙げ、一代で貴族にまで成り上がった豪傑。その実力は、強大な力を持つドラゴンを倒すほどだという。
「はんっ、どうにも嘘くさい。俺もその報告を聞いたときは驚いたが、討伐したドラゴンの死体なんて、誰一人として見ていないそうじゃないか」
「そ、それはそうなのですが」
希少なドラゴンの素材が出回れば、商人の間で必ず話題になる。それがないということは、どうせ噂が独り歩きしているだけ、というのがモージャー侯爵の見解だ。
「そもそもお前だって、アイツの腑抜け具合をその目で見ただろう。情けなくペコペコするしかないヘタレ男が竜殺しだと? はっ、笑わせてくれる。どうせトカゲの魔物あたりをドラゴンと言い張ったんだろうさ」
「ブヒョ!? それはあり得るかもしれませんな! なにせ男爵は学のない農民出身。魔物の見分けもできない愚か者なのでしょう」
なるほど、とハラブリンは何度も頷く。
(しかしあんな男をこの地に置くなんて、陛下はなにをお考えなのだ? 領地の管理なら俺の方が上手くできるというのに……)
胸中で募った不満を追い出すように、侯爵は葉巻の煙をふぅと吐いた。
「おい、ハラブリン。例の計画はどうなっている」
「えぇ、えぇ。首尾良くいっておりますとも。閣下こそ、この地に相応しいと国中に知らしめましょうぞ」
男爵からこの地を奪ったのち、さらなる地位と名声を手に入れる。そしていずれは王族との繋がりを……。侯爵は王城で見掛けたうら若く美しい姫たちを想像し、舌なめずりをした。
欲深き男の野望は、とどまることを知らない。
「まずは一か月後。アイツらの絶望した顔を拝むのが、今から楽しみだ」
* * *
これからボクはどうすればいいんだろう。
侯爵たちが帰途についてからも、ボクはしばらく外でうずくまっていた。こんな調子じゃ、サクヤ様から託された使命だって果たせそうもない。
「ははは。ボクにできることなんて、なにもないじゃないか」
自虐的な笑いが口から漏れる。
前世でだってそうだ、ボクはなにも成し得なかった。人並みの努力もしたけれど、いつもあと一歩というところで失敗してばかり。
そんな人生だったからこそ、今世ではと意気込んだけれど、結果はご覧のありさま。
「はぁ……もういっそ全部投げ出したいよ」
現実から目を逸らしたくなるけれど、どこを見渡せど荒地しかない光景に、絶望感は増すばかり。ボクはただ、この貰った新しい命でスローライフを楽しみたかっただけなのに。
種を蒔くワクワク、芽が出たときの喜び。
収穫した新鮮な野菜を味わう感動……。
今度こそ思う存分に植物と触れ合えると思ったのになぁ。
膨れ上がった期待感が、破裂した風船のように一気にしぼんでしまった気分だ。
「そもそも土がここまでガチガチに硬化するって、いったいどういう理屈なんだろう」
せめて土が掘れたらいろいろと試せるのになぁ。
前世の知識と経験があるボクなら、ふかふかで栄養たっぷりの土にできる自信がある。そんなことを考えながら地面に手を伸ばすと、
「あ、あれ?」
右手が土に触れた瞬間、違和感を覚えた。アスファルトのように硬度の高い土が、豆腐のように柔らかいのだ。それになんだか生温かい。
っていうか、明らかに沈んでますよねボクの右手!?
「な、なんだこれ!?」
思わず大声を出してしまったけれど、それどころではない。このままでは沼のようにどこまでも腕が飲み込まれてしまう。
慌ててズブズブと手を引き抜くと、腕にべっとりと土が付いていた。しかもただの土ではない。ボクが前世でよく見たものに似ている。そう、これは――、
「粘土……?」
だけどそれは、男爵領にあるはずのないものだ。
「ど、どうして?」
先ほどママが小石で叩いたときは、金属音が返ってくるほどだったはず。
じゃあこれはなに? 神の奇跡?
夢じゃないかと疑いつつ、ボクは再び地面に手を付けた。今度は土を掘るイメージで指に力を入れる。
「やっぱり現実だ。泥みたいに柔らかくなってる……」
スライムのようにドロドロで、手ですくってみると指の隙間から簡単にこぼれ落ちていく。それに地面に落ちた後もちゃんと柔らかいまんまだ。
「キッカケは……ボクがそう願ったから?」
土が掘れたらいいのに、と考えながら土に触れたからこうなったとしか思えない。
それならばと、今度は手に残っている粘土へ向けて、元に戻れと念じてみた。
「お、おぉ……!」
願い通り、ゆっくり固まっていく。
しかも好きな硬度で止められるようだ。
「ってことは、ボクの意思で変えられるのか」
粘土をいろいろな形にしてみる。
板型や棒状、お椀など自由自在に変化していく。
だけど美術センスが足りないのか、はたまた不器用なのか。ボクの技術では繊細なものは作ることができず、歴史の教科書にあった縄文土器や土偶みたいな不格好なものばかりでき上がっていく。
うぅっ、今のところは完成度について目を瞑ろう。
「あとは要練習ということで……」
スーパーボールをイメージして作ったお団子を地面に投げてみると、ボヨンと弾んで地面を転がっていった。よし、感覚は掴めてきたぞ。
これなら畑の土だって作れるかもしれない。ふかふかした土なら植物も育つし、水だって吸収できる。まさに理想の土地だ!
「でもなんで急に、こんなことができるようになったんだろう」
考えられるとすれば、スキルしかないだろう。サクヤ様が五才になったボクにジョブを与え、そのおかげで特殊なスキルを覚えた――そう考えれば合点がいく。
あっ、分かったぞ。
この粘土化のスキルで使命を果たせってことだね?
今のボクができそうなのは、子供の粘土遊び程度のレベルが低いものなんだけど……でも、うん。可能性が生まれただけでも大きな前進だ。
サクヤ様から与えられた力なら、きっとなにか意味があるはず。そう信じて今はできることをやってみよう!
よしっ、と気合を入れ直し、ボクは拳を握りしめた。
「あれ? なんだろう、これ」
その握りしめた右手の甲に、この世界の文字で小さく【練土術師】と刻まれていた。


