「ったく。どうして侯爵の俺が、わざわざこんなクソ田舎なんぞに出向かにゃならんのだ」
「ブヒョヒョッ。まぁまぁ、マニーノ様。閣下が魔境を直々に訪れ、援助をしたと聞けば、国王陛下の(うれ)いも軽くなるでしょう」
「ふんっ、相変わらずハラブリン商会の会長は口が達者だな」

 良かった、ギリギリでセーフだ! 玄関から出たところに彼はいた。商人と思しき男性と一緒に、馬車へ乗ろうとしているところだった。

「ま、待ってください!」
「――ん?」

 慌てて声を掛けると、二人はこちらを振り返る。

「なんだ、男爵のところのガキじゃねぇか」

 立派な顎髭をもじょりと触りながら、鋭い眼光でボクを見下ろす巨漢の男性。
 彼こそが王国の中でも屈指の広さを誇る耕作地を持つ、マニーノ=モージャー侯爵だ。

 真っ白なワイシャツに上質な生地のベストを身に纏い、宝石付きの指輪をいくつも手に嵌めている。見るからにお金持ちって感じだ。

 若干白髪の生え始めたアッシュグレーの短髪を見るに、おそらく年齢は四十代半ばくらいだろうか。自信に満ち溢れており、他者を見下すことに慣れている感じがある。

 これが本物の貴族、それも侯爵という上から数えた方が早い(とうと)い人……パパとはまったく違う生き物みたいだ。貫禄からくるプレッシャーに、思わずたじろいでしまいそうになる。

「マニーノ様。下位貴族の子供なぞ、相手にする必要はありませんぞ」
「まぁそういうなハラブリン。所詮は成り上がったばかりの男爵家だ。礼儀もロクに教えられておらんのだろう」

 侯爵は(いさ)めるように言ったけれど、ボクを馬鹿にしているのがありありと伝わってきた。

 そして隣の男性。ハラブリンと呼ばれた人が商会長か。侯爵よりも年上……というか頭がツルツルで老け顔だから歳が分かりづらいな。

 商会長は食欲が旺盛なのか、さっきから何度も手に持った布袋からなにかを取り出しては、口にホイホイと放り込んでいる。おかげで頬がパンパンだ。膨らんだお腹と相まって、不細工なキングハムスターみたい。

 それにしてもすっごい嫌な言い方だなぁ。たしかに急に話し掛けたのは失礼だったかもしれないけどさ。かといって文句なんて言えるわけもなく。ムッとした気持ちを抑えつつ、ボクは用件を話すことにした。

「今日はパパを助けてくれてありがとうございました。お礼にこれを侯爵様にお渡ししたくて……」
「お礼だと?」

 ボクはポケットに右手を突っ込むと、あるものを取り出した。そしてモージャー侯爵たちに見えるよう、背伸びして掲げた。

「……なんだ、これは魔石か?」
「はい。とても貴重なものだと聞きました。お返しするお金の足しになればと思って……」

 そう、これはさっきママに貰ったばかりの誕生日プレゼントだ。赤と青の魔石がボクの手のひらに乗っている。渡すのは惜しいけれど、家族のためなら仕方がない。

 だけどそれらを見た二人は互いに顔を見合わせると、同時に噴き出した。

「はははは! おい、聞いたかハラブリン。このガキ面白いぞ!」
「まったくですなマニーノ様! まさかこんな魔石で我らに媚を売るなんて、腹がよじれて痩せてしまいそうです! ブヒョヒョヒョ!」

 馬鹿にしたように笑う二人。どちらも魔石を受け取ろうとする気配がない。それに『こんな魔石』って……パパは手に入れるのに苦労したはずなのに!

 不穏な流れに焦りを感じ始めていると、でっぷりと膨らんだ腹を抱えていた商会長が、ゼェゼェと息苦しそうにしながらボクを見た。

「あんまりにも不憫(ふびん)なので、一つ情報を教えて差し上げましょう。魔石というのはですね、大きさで価値が決まるのですよ」
「大きさ? ……ってことはつまり」
「我が商会では数多くの魔石を取り扱ってきましたが……ブヒョヒョッ。そんな飴玉のようなサイズでは、小型の魔道具すら動かせませんよ」

 やれやれと呆れた顔で首を振られてしまった。つまりこの魔石は――、

「せいぜい、色のついた石ころ程度の値しかつかないでしょうな」

 そ、そんなに安いの!?
 うぅ、そりゃあ侯爵たちが受け取ってくれないわけだ。

 落ち着いてみれば、そんなに高価なものをママが五才児のボクにくれるわけがなかった。よくよく考えれば、簡単に分かることじゃないか。

 自分の浅はかな考えに頭を抱えていると、侯爵がこちらへ歩み寄ってきた。

 え、なに? なんで近づいてくるの?
 思わず後ずさりしてしまうと、彼はニヤリと口角を上げた。

「想像以上の馬鹿っぷりに思わず笑っちまったが……いいか、よく聞け。愚かで無能な親を持ったことには同情してやる。だが返済は金貨一枚たりともまけてやらんからな。期日までに全額揃えておくよう、父親にしっかりと伝えておけ」

 それだけ言うと身をひるがえし、早々と馬車の中に入ってしまった。もうここに用はないってことなんだろう。続いてハラブリン商会長がボクの元にやって来た。

「こんな呪われた土地に固執するなんて、まったくもって無謀の極みですよ」
「で、でも侯爵様のおかげでまた農業ができるって……」
「ブッヒョヒョ、我々はあくまで『できたらいいね』と応援したに過ぎませんよ。簡単に人の言葉を信じてしまうなんて、貴方たち一家は本当に頭の中がお花畑ですねぇ。そうだ、そんな貴方に相応しいものをあげますよ」

 そう言って商会長さんは手に持っていた布袋を、ボクに押し付けた。

「なんだよ、これ……」

 袋の口を開いてみると、小さな種がギッシリと詰まっていた。だけどこれは、なんの変哲もない、ただの、ヒマワリの種だ。顔を上げると、下卑た笑みを浮かべる男と目が合った。

「運が良ければ、芽が出るかもしれませんよ? まぁ女神様も見捨てた土地で、そんな奇跡が起きるとは思えませんけどね。ブーヒョヒョ!」

 こっ、このっ……お前たちに人の心はないのかよ!?

 あまりの屈辱で頭がカッと熱くなると同時に、自分の足が震えているのが自覚できた。

 でもここで理性を捨てちゃダメだ。
 もしかするとこの人たちは、ボクを怒らせるのが目的なのかもしれない。危害を加えられたとかいって、保護者であるパパが責任を問われたら――それだけは避けなきゃ。

 だからここは、込み上げてくる汚い感情と言葉を吐き出さないように耐えるしかない。

「おや、子供のくせに耐えましたか。ですがその悔しそうな顔を見られただけでも十分ですよ。それでは、失礼」

 涙を浮かべるボクを見たハラブリンは満足そうに笑うと、踏み台(ステップ)をギシギシと鳴らしながら豪奢(ごうしゃ)な馬車に乗り込んでいく。

 そうして彼らは、ボクの心に深い(わだち)を残して去っていった。


「行っちゃった……」

 一人残されたボクは、大量の種が入った袋をギュッと握りしめた。ギリギリまで我慢していた透明な(しずく)が、地面にポタポタと落ちていく。

「じゃあ、ボクたち男爵家の未来はどうなるの……?」

 援助というのは全部デタラメだった。このまま農業ができなければ、莫大な借金だけが残ることになる。そうなれば貴族としての務めが果たせず、爵位は返上だろう。領地や屋敷も失い、一家全員が路頭に迷うことになる。

 あれれ?
 もしやボク、五才にしてバッドエンド確定?

「どうしよう。このことをパパたちに伝えるわけにもいかないし」

 イケオジが幼児退行するほど必死に頭を下げたのに、これじゃあんまりだ。真実を知れば、ママだって悲しむ。じゃあどうすれば……。

 ボクは「うぅ~」と(うな)りながらその場にしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。