「な、なにこれ……」
普通の土なら石が刺さるか、多少は抉れるだろう。だけど今のはなんだ? 小石を弾き返したぞ? それも土とは思えないカキンッという金属音を鳴らして。
「すっごいカチコチでしょう? とてもじゃないけれど、これじゃあ畑を耕せないわ」
ママはしょんぼりと肩を落とした。ちなみにスキルを使ってもダメらしい。過去に王国の屈強な騎士や優秀な魔法スキル使いがどうにかしようと試みたんだけど、彼らは小さな窪みひとつ作れなかったらしい。
なるほど、だからそれで『神様に見捨てられた土地』なのか。いや、実際には見捨ててはいないんだけれど……って、サクヤ様はこんな場所で農業を広めろっていうのか? いくらなんでも無理でしょ!
「この国の王様も頭を悩ませていてね。そこでパパに白羽の矢が立ったの。どうにかして元の土地に戻せないかって」
「えぇ? さすがに無茶ぶりじゃない?」
「そうよねぇ。それでもママたちは十五年近く、いろいろと試してきたんだけれど……」
たしか一番上のお姉ちゃんが今、十八才だったはず。ということは幼い子供を育てながら、こんな危険な土地で頑張ってきたのか……。
「ごめんなさいね。もっとお金に余裕があれば、ネルちゃんにお腹いっぱいご飯を食べさせてあげられるんだけど」
国からの援助はあるものの、それらは領民に回しているため、家計は火の車。食料を満足に調達するお金がない。
ママはボクの頬に荒れた手を当てながら、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。
「ママ……」
そんなささくればかりの手に、俺は覚えがあった。うだるような暑さの夏も凍える冬も、過酷な農作業をこなしつつ、しっかりと愛情を向けてくれた、前世の母の手だ。だからこそ現世のママも、長い間苦労してきたのが伝わってきた。
「ママはその……今の生活が辛くはないの?」
そんなボクの問いに、ママはキョトンとした後、
「――辛いに決まってるじゃない」
と、さも当然のように答えた。
「だ、だったらさっさと諦めて、他の土地に移住を……」
「でもね。ママには貴方や他のみんながいる。大好きな人たちが一緒だから、辛いと思うよりも私は今、とっても幸せなの」
そう言ってボクを優しく抱き締めた。
「それに頑張っているのはパパも同じ。だからママもまだ諦めないわ」
「パパが?」
「そうよ。今も隣領の侯爵様に、援助のお願いをしているところなの」
ということは、今日来ているお客様というのは、その侯爵様だったんだね。
後ろを振り返り、一階にある応接室の窓を見上げると、カーテン越しに誰かが頭を下げているシルエットが目に入った。聞き覚えのある声で「領民のためにどうかご援助を」という切実な嘆願も聞こえてくる。
「さぁ、そろそろお家に戻りましょうか」
「……うん」
まだ完全に納得できたわけではない。でも反抗する気になんてなれなかった。
ママは困ったような顔でボクを見ていたけれど、すぐに普段の笑顔へと戻った。
「そうだ。今日はネルちゃんのお誕生日だし、お祝いにママの宝物をあげちゃうわ」
宝物?
宝物ってなんだろう?
ママは首を傾げるボクの手を取り、家の中へ。そして寝室に向かうと、鏡台の引き出しからなにかを取り出して、ボクの両手にそっと乗せた。
「わぁ……」
手のひらに転がる二個のビー玉。否、この世界の宝石だった。それぞれ赤と青にキラキラと光っていて、とても綺麗だ。前世でいうところの青いサファイアや赤色のルビーとも似ている。
「これは魔石っていってね。とても貴重なものなのよ」
「ませき……?」
初めて聞く単語に戸惑っていると、ママは魔石について教えてくれた。
なんでもこれは、魔物から採れる不思議な石なんだとか。人が呼吸をするように、魔物は瘴気を吸って生きている。その瘴気が魔物の体内で蓄積されていくと、このような結晶になるんだって。なんだか人間の胆石や尿管結石みたい……なんて思ったけど、黙っておこう。
「そう簡単に魔石にはならないの。結晶になるまでには、たくさんの瘴気や時間が必要になるのよ」
「ってことはつまり、魔石がある魔物は強いの?」
「正解! ネルちゃんはママに似て頭が良いわね~」
簡単に思いつくことを口にしただけなのに、よしよしと頭を撫でられてしまった。
見た目は子供でも中身は大人なので、かなり恥ずかしいな。かといって拒むのも変だし……うぅ、顔が熱くなりそうだ。
それにしても綺麗な石だけど、アクセサリーにでも使うのかな? と思ったら、これは一般的に魔道具の燃料として使われていて、王都なんかじゃ高値で取引されているそうだ。
それじゃあこの魔石も相当お高いんじゃ……。
「結婚する前にね、パパからプレゼントしてもらったの。あの人はこれを手に入れるのに苦労したって笑っていたわ」
「えっ!? そんな大切なもの、ボクが貰っちゃっていいの?」
「いいのよ。ネルちゃんが必要だと思ったときに使ってちょうだい」
ママはボクを膝の上に乗せると、私にとっての一番の宝物は貴方たちなんだから、といってそっと頬にキスをした。
なんだよもう、ボクの母親は女神様の生まれ変わりなのか!?
そうしてしばらく、ボクは嬉しい気分に浸りながらママと談笑していた。
実母に甘えるなんて、前世の記憶が邪魔して最初こそ気恥ずかしかったけれど……レイナという人物があまりにも包容力に溢れているおかげで、不思議と慣れてしまった。
うぅむ、母性おそるべし。
でも心休まる時間っていうのは、こういうのをいうんだろうな。
だけどそんな楽しい時間は突然、終わりを告げてしまう。
バンッと扉が開いたと同時に、情けない叫びを上げる男性が部屋に飛び込んできたのだ。
「レイナぁあ~! 疲れたよぉおお」
「あら、パパじゃない。お疲れさま」
ママはボクを膝の上に抱いたまま、嬉しそうに目を輝かせる。
話し合いは終わったのかなと思っていると、立ったままボクを見下ろしているパパと目が合った。え、なに? 大柄な男に無言でジッと見つめられると怖いんですけど。
「こら! 実の息子に嫉妬するんじゃありません」
「うぅ、だってぇ……」
な、なんだか気まずいな。なにかを感じ取ったボクはママのそばを離れると、入れ替わるようにパパがママに抱きついた。いや、行動が早いな!?
しかも見事なまでのドヤ顔をボクに向けている。ママのことが大好きなのは分かったけれど、いくらなんでも大人げないぞ。それに交渉は上手くいったの?
「ふふふ、聞いてくれ二人共。モージャー侯爵から莫大な資金を借りられたぞ!」
「えっ、それって返済する必要があるのよね? 大丈夫なの?」
「一か月で返す必要はある。だがウチの領で農業ができるようになれば、借金なんてすぐに返せるさ。そのための秘策もちゃんと用意したしな! がははは」
「もうっ、また調子のいいことを……お金のやりくりをする私の身にもなってよねパパ」
ママはそう言いつつも、猫のようにすり寄ってくるパパの頭を撫でている。パパもパパだけど、ママも中々に甘い。
それにしても、ボクのパパってこんな人だったっけ?
たった一代で貴族にまで成り上がった凄い人。自分の中では、そんなイメージだっただけに、ギャップからくる衝撃が大きいんですけど。
外見だって身長は一九〇センチ近いし、ガタイも良い。ダンディな顎鬚も相まってかなりのイケオジなのに……。
「うぅ、貴族の相手しんどい! 今日はもう仕事しない! レイナに癒されたい……」
「はいはい。頑張ったパパは偉いわね~」
「レイナぁ~しゅきだよぉ~」
はぁ、こんな調子で本当に大丈夫なのかな。一番上のお姉ちゃんが出稼ぎをしてくれているけれど、それだって男爵家を建て直すほどの期待はできないのに。
……とはいえ、立場が上の人との交渉事が大変だってのはよく分かる。パパを見ていると、営業職だったころの自分を思い出して同情の念が湧いてくる。
「……余計なお世話だろうけれど、なにもしないよりはマシかな」
保険は多い方が良い。幼いボクが打てる手は少ないけれど、今やれることはやっておこう。
「あら、ネルちゃんどこに行くの?」
「キッチンでお水を飲んでくる!」
その場で適当に考えた嘘で答えると、イチャつく両親を背に部屋を飛び出した。
小さい足をシャカシャカと一生懸命に動かし、目的の人物がいるであろう場所へとひた走る。
お願い、頼むから間に合ってくれ……って、あそこにいるのは!?
普通の土なら石が刺さるか、多少は抉れるだろう。だけど今のはなんだ? 小石を弾き返したぞ? それも土とは思えないカキンッという金属音を鳴らして。
「すっごいカチコチでしょう? とてもじゃないけれど、これじゃあ畑を耕せないわ」
ママはしょんぼりと肩を落とした。ちなみにスキルを使ってもダメらしい。過去に王国の屈強な騎士や優秀な魔法スキル使いがどうにかしようと試みたんだけど、彼らは小さな窪みひとつ作れなかったらしい。
なるほど、だからそれで『神様に見捨てられた土地』なのか。いや、実際には見捨ててはいないんだけれど……って、サクヤ様はこんな場所で農業を広めろっていうのか? いくらなんでも無理でしょ!
「この国の王様も頭を悩ませていてね。そこでパパに白羽の矢が立ったの。どうにかして元の土地に戻せないかって」
「えぇ? さすがに無茶ぶりじゃない?」
「そうよねぇ。それでもママたちは十五年近く、いろいろと試してきたんだけれど……」
たしか一番上のお姉ちゃんが今、十八才だったはず。ということは幼い子供を育てながら、こんな危険な土地で頑張ってきたのか……。
「ごめんなさいね。もっとお金に余裕があれば、ネルちゃんにお腹いっぱいご飯を食べさせてあげられるんだけど」
国からの援助はあるものの、それらは領民に回しているため、家計は火の車。食料を満足に調達するお金がない。
ママはボクの頬に荒れた手を当てながら、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。
「ママ……」
そんなささくればかりの手に、俺は覚えがあった。うだるような暑さの夏も凍える冬も、過酷な農作業をこなしつつ、しっかりと愛情を向けてくれた、前世の母の手だ。だからこそ現世のママも、長い間苦労してきたのが伝わってきた。
「ママはその……今の生活が辛くはないの?」
そんなボクの問いに、ママはキョトンとした後、
「――辛いに決まってるじゃない」
と、さも当然のように答えた。
「だ、だったらさっさと諦めて、他の土地に移住を……」
「でもね。ママには貴方や他のみんながいる。大好きな人たちが一緒だから、辛いと思うよりも私は今、とっても幸せなの」
そう言ってボクを優しく抱き締めた。
「それに頑張っているのはパパも同じ。だからママもまだ諦めないわ」
「パパが?」
「そうよ。今も隣領の侯爵様に、援助のお願いをしているところなの」
ということは、今日来ているお客様というのは、その侯爵様だったんだね。
後ろを振り返り、一階にある応接室の窓を見上げると、カーテン越しに誰かが頭を下げているシルエットが目に入った。聞き覚えのある声で「領民のためにどうかご援助を」という切実な嘆願も聞こえてくる。
「さぁ、そろそろお家に戻りましょうか」
「……うん」
まだ完全に納得できたわけではない。でも反抗する気になんてなれなかった。
ママは困ったような顔でボクを見ていたけれど、すぐに普段の笑顔へと戻った。
「そうだ。今日はネルちゃんのお誕生日だし、お祝いにママの宝物をあげちゃうわ」
宝物?
宝物ってなんだろう?
ママは首を傾げるボクの手を取り、家の中へ。そして寝室に向かうと、鏡台の引き出しからなにかを取り出して、ボクの両手にそっと乗せた。
「わぁ……」
手のひらに転がる二個のビー玉。否、この世界の宝石だった。それぞれ赤と青にキラキラと光っていて、とても綺麗だ。前世でいうところの青いサファイアや赤色のルビーとも似ている。
「これは魔石っていってね。とても貴重なものなのよ」
「ませき……?」
初めて聞く単語に戸惑っていると、ママは魔石について教えてくれた。
なんでもこれは、魔物から採れる不思議な石なんだとか。人が呼吸をするように、魔物は瘴気を吸って生きている。その瘴気が魔物の体内で蓄積されていくと、このような結晶になるんだって。なんだか人間の胆石や尿管結石みたい……なんて思ったけど、黙っておこう。
「そう簡単に魔石にはならないの。結晶になるまでには、たくさんの瘴気や時間が必要になるのよ」
「ってことはつまり、魔石がある魔物は強いの?」
「正解! ネルちゃんはママに似て頭が良いわね~」
簡単に思いつくことを口にしただけなのに、よしよしと頭を撫でられてしまった。
見た目は子供でも中身は大人なので、かなり恥ずかしいな。かといって拒むのも変だし……うぅ、顔が熱くなりそうだ。
それにしても綺麗な石だけど、アクセサリーにでも使うのかな? と思ったら、これは一般的に魔道具の燃料として使われていて、王都なんかじゃ高値で取引されているそうだ。
それじゃあこの魔石も相当お高いんじゃ……。
「結婚する前にね、パパからプレゼントしてもらったの。あの人はこれを手に入れるのに苦労したって笑っていたわ」
「えっ!? そんな大切なもの、ボクが貰っちゃっていいの?」
「いいのよ。ネルちゃんが必要だと思ったときに使ってちょうだい」
ママはボクを膝の上に乗せると、私にとっての一番の宝物は貴方たちなんだから、といってそっと頬にキスをした。
なんだよもう、ボクの母親は女神様の生まれ変わりなのか!?
そうしてしばらく、ボクは嬉しい気分に浸りながらママと談笑していた。
実母に甘えるなんて、前世の記憶が邪魔して最初こそ気恥ずかしかったけれど……レイナという人物があまりにも包容力に溢れているおかげで、不思議と慣れてしまった。
うぅむ、母性おそるべし。
でも心休まる時間っていうのは、こういうのをいうんだろうな。
だけどそんな楽しい時間は突然、終わりを告げてしまう。
バンッと扉が開いたと同時に、情けない叫びを上げる男性が部屋に飛び込んできたのだ。
「レイナぁあ~! 疲れたよぉおお」
「あら、パパじゃない。お疲れさま」
ママはボクを膝の上に抱いたまま、嬉しそうに目を輝かせる。
話し合いは終わったのかなと思っていると、立ったままボクを見下ろしているパパと目が合った。え、なに? 大柄な男に無言でジッと見つめられると怖いんですけど。
「こら! 実の息子に嫉妬するんじゃありません」
「うぅ、だってぇ……」
な、なんだか気まずいな。なにかを感じ取ったボクはママのそばを離れると、入れ替わるようにパパがママに抱きついた。いや、行動が早いな!?
しかも見事なまでのドヤ顔をボクに向けている。ママのことが大好きなのは分かったけれど、いくらなんでも大人げないぞ。それに交渉は上手くいったの?
「ふふふ、聞いてくれ二人共。モージャー侯爵から莫大な資金を借りられたぞ!」
「えっ、それって返済する必要があるのよね? 大丈夫なの?」
「一か月で返す必要はある。だがウチの領で農業ができるようになれば、借金なんてすぐに返せるさ。そのための秘策もちゃんと用意したしな! がははは」
「もうっ、また調子のいいことを……お金のやりくりをする私の身にもなってよねパパ」
ママはそう言いつつも、猫のようにすり寄ってくるパパの頭を撫でている。パパもパパだけど、ママも中々に甘い。
それにしても、ボクのパパってこんな人だったっけ?
たった一代で貴族にまで成り上がった凄い人。自分の中では、そんなイメージだっただけに、ギャップからくる衝撃が大きいんですけど。
外見だって身長は一九〇センチ近いし、ガタイも良い。ダンディな顎鬚も相まってかなりのイケオジなのに……。
「うぅ、貴族の相手しんどい! 今日はもう仕事しない! レイナに癒されたい……」
「はいはい。頑張ったパパは偉いわね~」
「レイナぁ~しゅきだよぉ~」
はぁ、こんな調子で本当に大丈夫なのかな。一番上のお姉ちゃんが出稼ぎをしてくれているけれど、それだって男爵家を建て直すほどの期待はできないのに。
……とはいえ、立場が上の人との交渉事が大変だってのはよく分かる。パパを見ていると、営業職だったころの自分を思い出して同情の念が湧いてくる。
「……余計なお世話だろうけれど、なにもしないよりはマシかな」
保険は多い方が良い。幼いボクが打てる手は少ないけれど、今やれることはやっておこう。
「あら、ネルちゃんどこに行くの?」
「キッチンでお水を飲んでくる!」
その場で適当に考えた嘘で答えると、イチャつく両親を背に部屋を飛び出した。
小さい足をシャカシャカと一生懸命に動かし、目的の人物がいるであろう場所へとひた走る。
お願い、頼むから間に合ってくれ……って、あそこにいるのは!?


