「し、死んでる……?」
ヒグラシも寝静まる八月の深夜零時、自宅マンションのベランダにて。
会社の出張から帰宅したばかりの俺の目に、暗闇の中で横たわる亡骸が飛び込んできた。
「紅里ぃ! どうしてこんな姿に……」
慌てて駆け寄り、力なくグッタリしている彼女を両手で抱き寄せる。着ているスーツが汚れようが、そんなことはどうだっていい。
「お願いだ、返事をしてくれ!」
都会の生活に憧れ、大学受験と共に田舎を飛び出して早十年。立派なアラサーの社畜となった俺は、実家へ帰りたいと毎日のように泣いていた。
そんな自分の癒しとなっていたのが、愛する妻(ベランダ菜園のミニトマト)だったというのに!
「俺たちの子供(果実)が大きくなったねって、昨日まで一緒に喜んでいたじゃないか……!」
それが出張を終えて帰宅してみれば、この惨状である。可哀想に、濃いグリーンの葉なんて、萎れて痛々しい姿になってしまった。だが俺を襲った悲劇はそれだけではなく――。
「そんなっ。紫苑、翠……!」
他の鉢植えにあったナスやピーマンまで萎びているだと!?
嘘だろ、愛称までつけて種から大切に育てていたのに……今年の夏は異常な暑さだと聞いていたが、まさかたった一日で枯れてしまうとは。くそっ、この世に神はいないのか!?
「うぅっ。俺が出張になんて行かなければ、こんなことには……」
そもそも製薬会社の営業マンって仕事がハード過ぎるのがいけない。
病院のドクターに薬を売り込むのが俺の仕事なんだが、頭のいい先生たちを納得させるためには当然、薬の知識が山ほど必要になるわけで。
元々文系で医学に疎かった俺は、入社してから六年経った今でも日々の学習に追われ続けている。今日だって、会社命令で地方の学会に参加してきたところだった。
本来なら出張先で一泊するところを、嫁(野菜)たちが心配という理由で、最終の新幹線で帰らせてもらったのだが……はぁ、間に合わなかったか。
「あー、もう鬱だ。こうなったらヤケ酒でも飲んで、ふて寝するしか……ん? なんだ?」
冷蔵庫にストックしてあるビールを取りにいこうとしたところで、ズボンのポケットに入れていたスマホが震え出した。
電話か?
表示は……田舎の実家?
「はい、もしもし。あぁ、母さんか。どうしたの?」
電話口から聞こえる実母の声で我に返った俺は、腕の中の紅里(ミニトマト)をそっと床に置いた。
「あー、来週? 悪いけど、今回も帰省は無理そうなんだよね」
用件はお盆休みの確認だったらしい。
こちらがやんわりと断ると、「またなの?」と呆れた声色へと変わった。
……この感じ、なんだか懐かしいな。
マシンガンのように続く有難いお叱りを聞き流しつつ、俺はベランダの手すりに背中を預けて空を見上げた。
建物という額縁に切り取られた都会の夜空は狭く、輝く星たちもいない。真っ黒な背景に孤独な月がひっそりと浮かぶ、物寂しいキャンバスがただあるだけだ。
「え? 恋人? 違うよ、仕事だって。今も出張から帰ってきたばっかりでさ。疲れたから、酒でも飲んで寝ようかと思っていたところ」
そんな愚痴をこぼすと、今度は心配そうな声が返ってくる。
「あ、いや……大丈夫、ちゃんと食べているよ」
もちろん、真っ赤な嘘だ。昼はだいたいカップ麵かおにぎりだし、夜はコンビニ弁当ばかり。栄養なんて考える余裕はない。
だけど声を聞いていたら、母さんの肉野菜炒めが急に食べたくなってきた。農家をやっているだけあって、これまた野菜が美味いんだよなぁ。
「仕事が落ち着いたら、こっちから連絡するからさ。親父にもよろしく言っておいてよ。……うん、うん。それじゃまた」
このままだといずれボロが出そうなので、適当に話を終わらせて電話を切ってしまった。
……はぁ。
なにが悲しくて、実の親にこんな嘘を吐かなきゃならんのか。
「そりゃあ俺だって、帰れるなら実家に帰りたいよ」
夕焼け色に染まる稲穂の絨毯に、忙しないセミの声。家に帰れば畳の部屋に寝転がって、婆ちゃんと一緒にテレビの大相撲を見ていたっけなぁ。
懐かしい記憶を振り返ると、無邪気だったあのころが一番幸せだったように思える。今じゃ仕事と勉強に追われ、プライベートな時間もまともにとれない日々だしね。
「それに、父さんのことも心配なんだよな……」
母さんいわく、このところ父は足を悪くして寝てばかりらしい。前に会ったときは、元気に畑を耕していたのに。
いやいや、何を弱気なことを考えているんだ。ここで俺が出戻ったところで、なんの解決にもならんだろう。
我が儘を言って農家を継がずに、都会へ出てきたんだし。今さら逃げ帰るわけにはいかない。ここで立派にやっていくことがなによりの恩返しだ。
「それに……瑚乃葉ちゃんとの約束もあるしな」
スマホの待ち受け画面に表示された、少女とのツーショット写真。
高校生ぐらいの彼女は制服の代わりに薄青色の病衣を纏っている。それでも暗い表情など一切せず、満面の笑みでピースをしながら、画面越しに俺を見つめている。
この子と出逢ったのは、俺がまだ新人だったころ。
当時の俺は、営業のノルマを達成することばっかり考えていて、売った薬がどんな人に届いているかなんて、まるで頭になかった。
そんなときに知り合ったのが、営業先の病院で入院していた瑚乃葉ちゃんだった。病気と闘う彼女を間近で見ているうちに、やがて俺は自分勝手な考えを改めた。
残念ながら、数年前に瑚乃葉ちゃんは亡くなってしまったけれど……この子と出逢えたおかげで、彼女みたいに病気で苦しむ患者さんのために、より良い薬を届けたいって思えるようになったんだ。
だからこうして今も俺は、どうにか社畜生活を頑張れているのだが……。
「きゃああ!」
なんだ? ベランダで物思いにふけっていると、右隣の部屋から唐突に悲鳴が上がった。
「俺という彼氏がいるのに! どうして他の男なんかと会うんだよ!」
「誰が彼氏ですか! ただのストーカーのくせに、私の部屋へ勝手に入ってきて……警察を呼びますからね!」
おいおい、カップルの喧嘩か? と思いきや、女性の言葉から察するにそうじゃなさそうだ。
気になった俺は、仕切りの壁から頭を出してみた。覗き見るのは犯罪だが、さすがに今は緊急事態だからしょうがない。
偶々なのかベランダの窓は開いており、隣室の様子が窺えたのだが――、
「そうやってお前も、俺を捨てるのか……?」
「ちょ、ちょっと!? なにをするつもり!?」
なんと黒パーカーの男が、刃が剥き出しの三徳包丁を肩掛け鞄から取り出すところだった。一方で隣人の女性は恐怖で腰を抜かしたのか、その場にへたり込んでしまう。
やべぇ、このままじゃ死人が出るぞ!?
「通報……ダメだ、それじゃ間に合わねぇ!」
そこからは完全に無意識の行動だった。気づけば俺は、手すりを乗り越えて隣のベランダへと向かっていた。そして床で完全に硬直している女性の隣を抜け、包丁を向けてこちらに走りくる男の前で両手を広げた。
「ってぇ……」
ドン、と重い衝撃を受けた直後、腹の中心に熱を感じた。
――いたい。
――くるしい。
だけど床を転がり、のたうち回ることしかできない。
すると俺を刺した犯人は溢れ出る血を見てビビったのか、「うわぁあ!」と喚きながら玄関の外へと逃げていった。
「だ、大丈夫ですか!?」
隣人さんはまだ立てないのか、床を這うようにして俺の元へやって来た。声は震えているし、可哀想に顔なんて涙でグチャグチャだ。
途中で救急車、と気づいたのか、彼女がスマホに手を伸ばしているが……もうダメだ。俺の意識はもう、どんどんと遠くなっていく。
「ごめん、母さん。親孝行、できなかった……」
寒い。自分の身体が急速に冷えていくのを感じる。頬を涙が伝い、硬質的なフローリングの床を濡らしていく。
これで俺の人生は終わりなのか……苦しい社畜生活も、煩わしい人間関係も、痛いのも苦しいのも、もうこりごりだ。
あぁ、もし来世があるのなら。
そのときは田舎で平和なスローライフをしたいなぁ――。
……んん、あれ?
眩しい。それに人の話し声?
ゆっくりと目を開けてみると、なぜか俺は畳の上に寝転んでいた。久々に嗅ぐイグサの匂いを不思議に感じながら、むくりと起き上がる。
十畳くらいの和室だ。部屋の中心には木目調のちゃぶ台が置かれていて、そこにお茶とミカンが並んでいる。続いて視界に入ったのは、昔懐かしい箱型テレビを眺める老婆の姿だった。
「……婆ちゃん?」
檜皮色とも称される暗い茶色の着物を纏った、白髪頭の痩せた老婆が座布団の上にちょこんと座っている。
その姿を見て、「天国でまさかの再会か!?」とも思ったが、記憶にある祖母とは顔がまるで違う。
じゃあここは、いったいどこなんだ?
「――で起きた傷害事件により、刃物で腹部を刺された二十代の男性が死亡しました。亡くなったのは現場のマンションに住む会社員の土尾練さんとみられ、警察は逃走した犯人の行方を……」
解像度の荒い画面に映る男性キャスターが、そんなニュースを淡々と読み上げている。ちなみに土尾練とは俺の名前だ。ってことは……。
「お察しの通り、お主はこの事件で死んでしもうたよ。つまり今のお主は魂の状態、というわけじゃな」
湯呑の中身をズズズと飲みながら、お婆さんは横目で俺を見た。皺だらけで目は細いが、やけに眼光が鋭い。
あー、やっぱり死んだのか。でも手足はあるし、刺された腹の痛みもない。なんだか妙な感覚だな。たしかにショックだけど、それよりも死後の世界があったことの方に驚いている。
「じゃあここは天国?」
少なくとも地獄ではなさそうだが……あれ? これってまさか、創作話でよくあるような、異世界転生ってやつの流れじゃないか? ってことは、このお婆さんはもしかして――。
「ふふふ、察しが良いの。儂は女神サクヤ。実はお主に頼みたいことがあってな。魂を儂の神域に呼ばせてもらったというわけじゃ。……なんじゃ、その『えぇー?』って顔は」
「い、いやそんなことは別に……」
こちらにジト目を向けているサクヤ様から、スススと視線を逸らす。この人に睨まれると、心を見透かされていそうで妙に怖いんだよな。
「ふんっ。さてはお主、『こういう転生イベントの女神様って普通、美人なお姉さんが定番なのに』とか失礼なことを考えておるんじゃろ。悪かったな、見た目がヨボヨボの婆さんで」
凄い、バレている。あまりにも正確に本音を読まれてしまい、ウッと息が詰まりかけた。
だって女神というより、死神と言われた方が納得できる容貌なんだもの。
「まったく……まぁよい。それよりも、ここに呼び出した理由を説明するぞ?」
「は、はい」
「お主にはまず、儂が管理しておる世界に転生してもらう。そこでとある重要な使命を果たしてほしいのじゃ」
サクヤ様は声のトーンを落としながら、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
ていうか『儂の管理している世界』だって? サクヤって日本人っぽい名前だけど、地球の神様じゃなかったのか?
それに重要な使命ってなんだろう。まさか勇者になって魔王を倒せ……じゃないよな?
悪いがそれならお断りだ。武道の経験なんて、高校の授業でやった剣道ぐらいだし。ビビりな俺に、危険な戦いなんてできっこない。
「安心せい。お主にやってほしいのは、枯れた大地に緑を満たし、豊穣神である儂の威光を広めることじゃ」
「……え?」
「いわば、土地の再開発じゃな」
どういうことだ? 思ったよりもだいぶ平和的なお願いだったぞ?
それにサクヤ様って豊穣の神様だったんだ。でも見た目で連想するのは、豊穣っていうよりも枯れ木なんじゃ……おっと、また睨まれてしまった。
「命拾いしたな、口に出していたら問答無用で地獄に落としておったわ」
セーフセーフ。口は禍の門っていうが、危うく地獄の門をくぐらされるところだったぜ。
「……だがお主の感想もあながち的外れではない。非常に不本意ながら、な」
「え?」
サクヤ様は溜め息を一つ吐いてから、伏し目がちに事情を語り始めた。
「儂は『生命の樹』と呼ばれる神樹を通じて、豊穣の力を世界にもたらしておってな」
「まさかその『生命の樹』とやらに問題が?」
「その通り。原因不明の理由で枯れてしもうてな。それから大地が荒れ始め、豊穣神を信じる者は急速に減っていったのじゃ」
うわぁ、それは御愁傷さまだ……。
「神力の源である信仰心が薄れたことで、ピッチピチだった儂もこの通りというわけじゃ」
顔の皺をさらに深めて悲しそうにするサクヤ様。いやピッチピチて。そういう口調がもうお婆さんじゃないですか。だけどまぁ、心は乙女なのだろう。深掘りするとまた逆鱗に触れそうだし、これ以上は考えないようにしよう。
ともかく、なんとなく事情は把握した。だけど具体的に俺はなにをすれば?
「お主が死の間際に願ったことは儂に届いておる。『来世があれば田舎でスローライフがしたい』のじゃろ? ただそれを叶えればいいだけじゃよ」
――え? あぁ~、たしかにそんなことを考えていたような?
でもそんなことでいいんですか?
「儂らの世界は、学問や技術があまり発展しておらぬ。ゆえにお主が持つ農業の経験や知識は絶大な力を持つ。それらと神が与える加護を上手く使えば、枯れた大地に緑を取り戻すこともいずれ可能になるじゃろう」
えぇ~本当かなぁ?
そんな簡単に上手くいかない気がしますけれど。
「って待ってください! 今、神様の加護って言いませんでした?」
おいおいおい。サクヤ様の口から、聞き捨てならないワードが飛び出してきたぞ?
「そうじゃ。儂らの世界では、神の加護としてすべての者にジョブを与えておってな、職業に準じた便利なスキルを使うことができる。お主は儂の使徒となるわけじゃし、なにか特別なものをくれてやろう」
おぉっ!? それってまさか、チートってやつじゃないですか!
「ふふふ。そして見事目的を達成した暁には、お主が飛んで喜ぶような褒美も用意してある」
うっひょー、それなら話は別ですってば!
前世では酷い最期を迎えてしまったけれど、神様直々の加護があるなら、今度こそ幸せな人生を送れるのでは?
「よし、やる気になったようじゃし、さっそく転生させるとしよう」
サクヤ様はうんうんと機嫌が良さそうに頷くと、パチンと指を鳴らした。すると同時に、俺の全身が淡くぼんやりと光り始めた。
うーん。出逢ったばかりなのにもうお別れか。そう思うと、なんだかちょっと寂しい。
「あ、そうだサクヤ様」
「ん? なんじゃ」
自分の身体が足先から光の粒子になって解けていく。その様子を見下ろしつつ、俺はサクヤ様にとあるお願いをすることにした。
「達成したときのご褒美なんですけど……それって、他の人に譲渡できませんか?」
「……時と場合による。内容を言うてみい、手短にな」
一瞬でサクヤ様の目が鋭くなった。でも俺は怯まずに言葉を続ける。
「その相手っていうのは、田舎にいる両親なんです」
言うまでもなく、俺はとんでもなく親不孝なバカ息子だ。だけど死んだと知った母さんたちはきっと、深く悲しんでいると思う。
「両親から俺に関する記憶を失くしてほしいんです。できれば最初から、この世にいなかったことに――」
「それはできぬ」
ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ話も途中だっただろうが!
「な、なんでだよ……神様ならそれくらいできるだろ!?」
「魂ある者を存在しなかったことにしろじゃと? たとえ其奴がどんな人間のクズであろうと、それは世界の理 に反する。いくら神でも許されぬ行いじゃぞ!」
明らかなる拒絶。サクヤ様から有無を言わせぬ圧を感じた。
こうしている間にも、固く握りしめた自分の拳が消えている。話せる時間はもう残り僅かだろう。
「そんな……どうしてだよ……」
湧き起こる感情の行き場に困って俯いていると、サクヤ様は小さく溜め息を漏らした。
「あまり気に病むでない。他人を救ったお主の善行を、ご両親は誇りに思うじゃろう。悲しみもいずれは薄れるじゃろうて」
「……そう、でしょうか」
「お主の気持ちは十分に理解した。儂のできる範囲で努力してみよう」
さっきとは打って変わって慈しみに満ちた、優しい口調だった。俺が顔を上げると、サクヤ様は困ったように「あぁもう、別れ際にそんなシケた顔をするな」と苦笑していた。
……ここで意地を張っても仕方ないか。そもそも俺が勝手に死んだのであって、サクヤ様に八つ当たりすること自体がお門違いなんだし。
「分かりました。両親のこと……どうかよろしくお願いいたします」
「儂に任せておけ。ともかくお主は異世界を楽しんでこい。その方が両親も安心するじゃろう」
「そっか……きっとそうですよね!」
サクヤ様の言う通り、やり直せるチャンスだしな。今度はきっと上手くやれるさ!
そう考えた途端、ようやく転生への期待感が湧いてきた。
ふひひ、待ってろよ異世界。スキルで美味しい野菜をたくさん育てて、夢だったスローライフを満喫するぞ!
「さぁ、ゆくが良い。願わくば、お主の新たな人生に幸多からんことを――」
手を合わせて祈る女神サクヤ様に見送られながら、俺の身体は光の粒子になって完全に消えた。
気づけば転生してから、すでに数年の歳月が過ぎていた。
というのも五才の誕生日である本日、めでたくも前世の記憶が甦ったのだ。
ちなみに物心がつくまでの記憶はぼんやりとだが覚えていて、現在はすべての記憶が融合された感じだ。
てっきり生まれた直後から自我が芽生えるものだと思っていたけれど、冷静に考えれば赤ん坊の状態じゃロクに動けもしないわけで。
もしかしたら女神サクヤ様が気を使って、このタイミングにしてくれたのかもしれない。
そうそう、サクヤ様に感謝といえばもう一つ。
「これは当たりなんじゃないか……?」
両親の寝室で、俺は母親の鏡台に映る自分を前に一人呟いた。
今世での名前はコーネル=ジャガーというらしい。
なんとサンレイン王国にある、ジャガー男爵家の次男坊だったのだ。
下級とはいえ貴族の子供にしてくれるなんて、サクヤ様もサービス精神が旺盛である。
ちなみに外見はというと、ちょっと癖のある金髪にクリッとした青色の瞳をした、愛嬌たっぷりの顔立ちをしている。
加えて五才児らしいぷにぷにの肌に小さな背丈だ。無邪気な笑顔でお願い事をされたら、なんでも言うことを聞いてあげたくなる愛らしさがある。
嗚呼、我ながら最高のショタに生まれたんじゃなかろうか。
それもこれも、親の遺伝子のおかげである。今度の両親は目鼻立ちのクッキリした外国人顔。高身長で美形だし、これなら自分の成長した姿に期待で胸が膨らむというもの。
ここまで恵まれていると、ジョブとスキルも気になってくる。
ちょうど五才になった段階で神様からジョブを貰えるらしいし、もしかしたらすでに、なにかしらのスキルを習得しているかもしれない。
「ふっふっふ、ついに俺のチート生活が始まるってわけだな」
おっと、つい頬が緩んでしまった。ボクは今、純粋無垢なコーネル君なんだし、年相応の振る舞いと言葉遣いを心掛けなくっちゃ。
前世の知識も扱いに注意だね。サクヤ様に農業のノウハウを普及させてくれと言われているけれど、出る杭は打たれるというし。あまり目立ち過ぎず、平和なスローライフを目指そう。
「よし、それじゃまずは確認作業をしよう。そうだ、お外でスキルを試すついでに、これから耕す予定の畑も見てみたいな」
これまでのコーネル君は、滅多に家の外へ出させてもらえなかった。というのもこの世界には、猛獣とは比べ物にならないほど凶暴な魔物がいるようで、軽々しく散歩もできないらしい。
特にこのジャガー男爵領は人の少ない辺境ゆえに、討伐されていない魔物が多いんだとか。
「でも外出チャレンジをするなら、今が絶好のチャンスなんだよね」
本日は我が家に大事なお客様が来ていて、両親はそちらにかかりきり。一番上のお姉ちゃんは出稼ぎに出ているし、お兄ちゃんは自分の部屋に引き籠もって出てこない。
つまり、やるなら今しかない!
というわけでさっそく部屋を出て階段を下り、こっそりと玄関へ向かう。
貴族の家といっても日本のちょっと大きい田舎の一軒家ぐらいの広さしかないし、使用人さんもいない。内装だってあちらこちらがボロボロだ。
素人が壁の穴を板で塞いだような形跡すらあるし、どこからか埃っぽい隙間風が吹いてくる始末だ。ここまで酷いと、本当に貴族家なのか不安になってくるんだけど……。
「さてさて、ついに異世界とのご対面だ」
どうにか誰にもバレずに、玄関までやって来ることができた。
途中で応接室の壁越しにボソボソと話し声が聞こえていたけれど、今は盗み聞きをしている場合じゃない。興奮を抑えきれないボクはワクワクしながら、ドアに手を伸ばし――、
「あら、ネルちゃん。私に黙ってどこに行くつもりなのかしら?」
「ふあっ!?」
だ、誰だ!? 身体をビクッとさせながら声のした方を振り返ると、自分と同じ碧眼の女性と目が合った。
「母さん!?」
ウェーブのかかったロングの金髪と、シンプルめな赤いワンピースの裾を優雅に揺らしながら、その人物はこちらにゆっくりと近づいてくる。
彼女はボクの母親であるレイナ=ジャガーだ。アラフォーだけどとにかく若々しくて、二十代でも通るような容姿をしている。
「母さんですって? 嫌だわ、私の可愛いネルちゃんが急に大人びた言葉遣いを……」
「き、聞き間違いだよママ! それよりどうしてここに? お客様の相手はいいの?」
さっきまでパパと一緒に、応接室にいたはずだよね!?
「だってネルちゃんの不穏な気配を察したんだもの。ママ、慌てて飛んできたわ」
「え? 気配?」
「そうよ。たとえ視界にいなくとも、子供の居場所なんてママにはお見通しなんだから」
ムフー、と自慢げに胸を張るママ。正直、親の威厳よりも何倍も可愛さが勝っている。
いやいや、待って? なんか今、さり気なく恐ろしいことを言われた気がするぞ……。
そういえばこのママ。可愛らしい見た目に反して、怒らせると人が一八〇度変わるんだっけ。自分が怒られたことはまだないけれど、男爵家の当主であるパパが一方的に叱られているところを何度か見た記憶がある。
(この人だけは怒らせちゃまずい……)
それだけは確信できる。ボクはパパと同じ目に遭いたくないし、ここはどうにか穏便に誤魔化そう。
「えぇっと。どんなスキルを貰ったのか、お庭で確かめてみようかと……」
「んー、ネルちゃんの気持ちは分かるけれど、お外はとっても危ないのよ? だからそれは、あとでパパと一緒に試しましょうね」
くっ、ダメか?
だが簡単には諦めないぞ!
「お庭で土遊びするだけでもダメ? ボク植物が大好きだし、お花とか見てみたい!」
こうなったら渾身の必殺技、『ショタのおねだり~上目遣いを添えて~』である。すると効果てきめんだったのか、ママは目を大きく見開いた。これは成功したか――と思いきや、すぐに悲しそうな表情へと変わってしまった。
「ネルちゃん。まだ幼い貴方には教えていなかったけれど……この呪われた土地ではね、お花や野菜は育たないのよ」
「えっ……?」
いやいや、なにを言っているの?
植物も育たない場所でどうやって暮らすのさ。
しかもなんだ、呪われた土地って。サクヤ様はそんなこと言っていなかったよ?
「口で説明しても理解できないわよね。それじゃあ少しだけ、ママと一緒にお外を見てみる?」
そう言ってママはボクの隣に来ると、玄関のドアを静かに開け放った。
「――えっ?」
徐々に露わになる光景に、ボクは思わず言葉を失くしてしまう。
どこまでも続く不毛の荒野。目の前に広がっていたのは、まさに死の世界だった。
「こ、これは……」
「もう少し外で見てみましょうか。ママから絶対に離れないでね?」
口をポカンと開けて呆然としていると、ママはボクの手を引いて、ゆっくりと外へ踏み出した。
乾いた風が吹き、かすかに砂埃の匂いがする。照りつける太陽の眩しさに目を細めながら、ボクは辺りをゆっくり見渡した。
「なんだよ、これ」
屋敷の周りは村なのだろう。だけど茶色い地面の上に数軒の家がまばらに立っているだけで、雑草すら一本も生えていない。他には、はるか遠くで雲の上まで伸びる黒いタワーが……。
「あれは生命の樹だったものよ」
「真っ黒いアレが!?」
「そう。そして神木から豊穣の恵みが消えた今、あの木の周囲一帯は、神様に見捨てられた魔境といわれているわ」
かつてここは、生命の樹を中心にたくさんの緑で溢れていたとママは言う。
だけどある日突然、生命の樹は枯れてしまった。すると地中から邪悪な瘴気が溢れ出し、地上の生命を次々と奪い始めた。
瘴気が蔓延した後に残ったのは、心のない恐ろしい魔物と、どうやっても耕せない呪われた大地だけ。瘴気による侵食は今も広がりつつあり、ボクたちの王国を徐々に蝕んでいるんだとか。
でも耕せないってどういうことなんだろう。有毒物質の汚染や、単なる砂漠化なら、わざわざそんな表現はしない気がするけれど……。
ボクが不思議そうに首を傾げていると、ママは地面に転がっていたなにかを拾い上げた。
なんだろう、先の尖った小石?
「見ていてね……えいっ」
可愛い掛け声と共に、ママはその拾った小石を地面へと叩きつけた。
「な、なにこれ……」
普通の土なら石が刺さるか、多少は抉れるだろう。だけど今のはなんだ? 小石を弾き返したぞ? それも土とは思えないカキンッという金属音を鳴らして。
「すっごいカチコチでしょう? とてもじゃないけれど、これじゃあ畑を耕せないわ」
ママはしょんぼりと肩を落とした。ちなみにスキルを使ってもダメらしい。過去に王国の屈強な騎士や優秀な魔法スキル使いがどうにかしようと試みたんだけど、彼らは小さな窪みひとつ作れなかったらしい。
なるほど、だからそれで『神様に見捨てられた土地』なのか。いや、実際には見捨ててはいないんだけれど……って、サクヤ様はこんな場所で農業を広めろっていうのか? いくらなんでも無理でしょ!
「この国の王様も頭を悩ませていてね。そこでパパに白羽の矢が立ったの。どうにかして元の土地に戻せないかって」
「えぇ? さすがに無茶ぶりじゃない?」
「そうよねぇ。それでもママたちは十五年近く、いろいろと試してきたんだけれど……」
たしか一番上のお姉ちゃんが今、十八才だったはず。ということは幼い子供を育てながら、こんな危険な土地で頑張ってきたのか……。
「ごめんなさいね。もっとお金に余裕があれば、ネルちゃんにお腹いっぱいご飯を食べさせてあげられるんだけど」
国からの援助はあるものの、それらは領民に回しているため、家計は火の車。食料を満足に調達するお金がない。
ママはボクの頬に荒れた手を当てながら、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。
「ママ……」
そんなささくればかりの手に、俺は覚えがあった。うだるような暑さの夏も凍える冬も、過酷な農作業をこなしつつ、しっかりと愛情を向けてくれた、前世の母の手だ。だからこそ現世のママも、長い間苦労してきたのが伝わってきた。
「ママはその……今の生活が辛くはないの?」
そんなボクの問いに、ママはキョトンとした後、
「――辛いに決まってるじゃない」
と、さも当然のように答えた。
「だ、だったらさっさと諦めて、他の土地に移住を……」
「でもね。ママには貴方や他のみんながいる。大好きな人たちが一緒だから、辛いと思うよりも私は今、とっても幸せなの」
そう言ってボクを優しく抱き締めた。
「それに頑張っているのはパパも同じ。だからママもまだ諦めないわ」
「パパが?」
「そうよ。今も隣領の侯爵様に、援助のお願いをしているところなの」
ということは、今日来ているお客様というのは、その侯爵様だったんだね。
後ろを振り返り、一階にある応接室の窓を見上げると、カーテン越しに誰かが頭を下げているシルエットが目に入った。聞き覚えのある声で「領民のためにどうかご援助を」という切実な嘆願も聞こえてくる。
「さぁ、そろそろお家に戻りましょうか」
「……うん」
まだ完全に納得できたわけではない。でも反抗する気になんてなれなかった。
ママは困ったような顔でボクを見ていたけれど、すぐに普段の笑顔へと戻った。
「そうだ。今日はネルちゃんのお誕生日だし、お祝いにママの宝物をあげちゃうわ」
宝物?
宝物ってなんだろう?
ママは首を傾げるボクの手を取り、家の中へ。そして寝室に向かうと、鏡台の引き出しからなにかを取り出して、ボクの両手にそっと乗せた。
「わぁ……」
手のひらに転がる二個のビー玉。否、この世界の宝石だった。それぞれ赤と青にキラキラと光っていて、とても綺麗だ。前世でいうところの青いサファイアや赤色のルビーとも似ている。
「これは魔石っていってね。とても貴重なものなのよ」
「ませき……?」
初めて聞く単語に戸惑っていると、ママは魔石について教えてくれた。
なんでもこれは、魔物から採れる不思議な石なんだとか。人が呼吸をするように、魔物は瘴気を吸って生きている。その瘴気が魔物の体内で蓄積されていくと、このような結晶になるんだって。なんだか人間の胆石や尿管結石みたい……なんて思ったけど、黙っておこう。
「そう簡単に魔石にはならないの。結晶になるまでには、たくさんの瘴気や時間が必要になるのよ」
「ってことはつまり、魔石がある魔物は強いの?」
「正解! ネルちゃんはママに似て頭が良いわね~」
簡単に思いつくことを口にしただけなのに、よしよしと頭を撫でられてしまった。
見た目は子供でも中身は大人なので、かなり恥ずかしいな。かといって拒むのも変だし……うぅ、顔が熱くなりそうだ。
それにしても綺麗な石だけど、アクセサリーにでも使うのかな? と思ったら、これは一般的に魔道具の燃料として使われていて、王都なんかじゃ高値で取引されているそうだ。
それじゃあこの魔石も相当お高いんじゃ……。
「結婚する前にね、パパからプレゼントしてもらったの。あの人はこれを手に入れるのに苦労したって笑っていたわ」
「えっ!? そんな大切なもの、ボクが貰っちゃっていいの?」
「いいのよ。ネルちゃんが必要だと思ったときに使ってちょうだい」
ママはボクを膝の上に乗せると、私にとっての一番の宝物は貴方たちなんだから、といってそっと頬にキスをした。
なんだよもう、ボクの母親は女神様の生まれ変わりなのか!?
そうしてしばらく、ボクは嬉しい気分に浸りながらママと談笑していた。
実母に甘えるなんて、前世の記憶が邪魔して最初こそ気恥ずかしかったけれど……レイナという人物があまりにも包容力に溢れているおかげで、不思議と慣れてしまった。
うぅむ、母性おそるべし。
でも心休まる時間っていうのは、こういうのをいうんだろうな。
だけどそんな楽しい時間は突然、終わりを告げてしまう。
バンッと扉が開いたと同時に、情けない叫びを上げる男性が部屋に飛び込んできたのだ。
「レイナぁあ~! 疲れたよぉおお」
「あら、パパじゃない。お疲れさま」
ママはボクを膝の上に抱いたまま、嬉しそうに目を輝かせる。
話し合いは終わったのかなと思っていると、立ったままボクを見下ろしているパパと目が合った。え、なに? 大柄な男に無言でジッと見つめられると怖いんですけど。
「こら! 実の息子に嫉妬するんじゃありません」
「うぅ、だってぇ……」
な、なんだか気まずいな。なにかを感じ取ったボクはママのそばを離れると、入れ替わるようにパパがママに抱きついた。いや、行動が早いな!?
しかも見事なまでのドヤ顔をボクに向けている。ママのことが大好きなのは分かったけれど、いくらなんでも大人げないぞ。それに交渉は上手くいったの?
「ふふふ、聞いてくれ二人共。モージャー侯爵から莫大な資金を借りられたぞ!」
「えっ、それって返済する必要があるのよね? 大丈夫なの?」
「一か月で返す必要はある。だがウチの領で農業ができるようになれば、借金なんてすぐに返せるさ。そのための秘策もちゃんと用意したしな! がははは」
「もうっ、また調子のいいことを……お金のやりくりをする私の身にもなってよねパパ」
ママはそう言いつつも、猫のようにすり寄ってくるパパの頭を撫でている。パパもパパだけど、ママも中々に甘い。
それにしても、ボクのパパってこんな人だったっけ?
たった一代で貴族にまで成り上がった凄い人。自分の中では、そんなイメージだっただけに、ギャップからくる衝撃が大きいんですけど。
外見だって身長は一九〇センチ近いし、ガタイも良い。ダンディな顎鬚も相まってかなりのイケオジなのに……。
「うぅ、貴族の相手しんどい! 今日はもう仕事しない! レイナに癒されたい……」
「はいはい。頑張ったパパは偉いわね~」
「レイナぁ~しゅきだよぉ~」
はぁ、こんな調子で本当に大丈夫なのかな。一番上のお姉ちゃんが出稼ぎをしてくれているけれど、それだって男爵家を建て直すほどの期待はできないのに。
……とはいえ、立場が上の人との交渉事が大変だってのはよく分かる。パパを見ていると、営業職だったころの自分を思い出して同情の念が湧いてくる。
「……余計なお世話だろうけれど、なにもしないよりはマシかな」
保険は多い方が良い。幼いボクが打てる手は少ないけれど、今やれることはやっておこう。
「あら、ネルちゃんどこに行くの?」
「キッチンでお水を飲んでくる!」
その場で適当に考えた嘘で答えると、イチャつく両親を背に部屋を飛び出した。
小さい足をシャカシャカと一生懸命に動かし、目的の人物がいるであろう場所へとひた走る。
お願い、頼むから間に合ってくれ……って、あそこにいるのは!?
「ったく。どうして侯爵の俺が、わざわざこんなクソ田舎なんぞに出向かにゃならんのだ」
「ブヒョヒョッ。まぁまぁ、マニーノ様。閣下が魔境を直々に訪れ、援助をしたと聞けば、国王陛下の憂いも軽くなるでしょう」
「ふんっ、相変わらずハラブリン商会の会長は口が達者だな」
良かった、ギリギリでセーフだ! 玄関から出たところに彼はいた。商人と思しき男性と一緒に、馬車へ乗ろうとしているところだった。
「ま、待ってください!」
「――ん?」
慌てて声を掛けると、二人はこちらを振り返る。
「なんだ、男爵のところのガキじゃねぇか」
立派な顎髭をもじょりと触りながら、鋭い眼光でボクを見下ろす巨漢の男性。
彼こそが王国の中でも屈指の広さを誇る耕作地を持つ、マニーノ=モージャー侯爵だ。
真っ白なワイシャツに上質な生地のベストを身に纏い、宝石付きの指輪をいくつも手に嵌めている。見るからにお金持ちって感じだ。
若干白髪の生え始めたアッシュグレーの短髪を見るに、おそらく年齢は四十代半ばくらいだろうか。自信に満ち溢れており、他者を見下すことに慣れている感じがある。
これが本物の貴族、それも侯爵という上から数えた方が早い貴い人……パパとはまったく違う生き物みたいだ。貫禄からくるプレッシャーに、思わずたじろいでしまいそうになる。
「マニーノ様。下位貴族の子供なぞ、相手にする必要はありませんぞ」
「まぁそういうなハラブリン。所詮は成り上がったばかりの男爵家だ。礼儀もロクに教えられておらんのだろう」
侯爵は諫めるように言ったけれど、ボクを馬鹿にしているのがありありと伝わってきた。
そして隣の男性。ハラブリンと呼ばれた人が商会長か。侯爵よりも年上……というか頭がツルツルで老け顔だから歳が分かりづらいな。
商会長は食欲が旺盛なのか、さっきから何度も手に持った布袋からなにかを取り出しては、口にホイホイと放り込んでいる。おかげで頬がパンパンだ。膨らんだお腹と相まって、不細工なキングハムスターみたい。
それにしてもすっごい嫌な言い方だなぁ。たしかに急に話し掛けたのは失礼だったかもしれないけどさ。かといって文句なんて言えるわけもなく。ムッとした気持ちを抑えつつ、ボクは用件を話すことにした。
「今日はパパを助けてくれてありがとうございました。お礼にこれを侯爵様にお渡ししたくて……」
「お礼だと?」
ボクはポケットに右手を突っ込むと、あるものを取り出した。そしてモージャー侯爵たちに見えるよう、背伸びして掲げた。
「……なんだ、これは魔石か?」
「はい。とても貴重なものだと聞きました。お返しするお金の足しになればと思って……」
そう、これはさっきママに貰ったばかりの誕生日プレゼントだ。赤と青の魔石がボクの手のひらに乗っている。渡すのは惜しいけれど、家族のためなら仕方がない。
だけどそれらを見た二人は互いに顔を見合わせると、同時に噴き出した。
「はははは! おい、聞いたかハラブリン。このガキ面白いぞ!」
「まったくですなマニーノ様! まさかこんな魔石で我らに媚を売るなんて、腹がよじれて痩せてしまいそうです! ブヒョヒョヒョ!」
馬鹿にしたように笑う二人。どちらも魔石を受け取ろうとする気配がない。それに『こんな魔石』って……パパは手に入れるのに苦労したはずなのに!
不穏な流れに焦りを感じ始めていると、でっぷりと膨らんだ腹を抱えていた商会長が、ゼェゼェと息苦しそうにしながらボクを見た。
「あんまりにも不憫なので、一つ情報を教えて差し上げましょう。魔石というのはですね、大きさで価値が決まるのですよ」
「大きさ? ……ってことはつまり」
「我が商会では数多くの魔石を取り扱ってきましたが……ブヒョヒョッ。そんな飴玉のようなサイズでは、小型の魔道具すら動かせませんよ」
やれやれと呆れた顔で首を振られてしまった。つまりこの魔石は――、
「せいぜい、色のついた石ころ程度の値しかつかないでしょうな」
そ、そんなに安いの!?
うぅ、そりゃあ侯爵たちが受け取ってくれないわけだ。
落ち着いてみれば、そんなに高価なものをママが五才児のボクにくれるわけがなかった。よくよく考えれば、簡単に分かることじゃないか。
自分の浅はかな考えに頭を抱えていると、侯爵がこちらへ歩み寄ってきた。
え、なに? なんで近づいてくるの?
思わず後ずさりしてしまうと、彼はニヤリと口角を上げた。
「想像以上の馬鹿っぷりに思わず笑っちまったが……いいか、よく聞け。愚かで無能な親を持ったことには同情してやる。だが返済は金貨一枚たりともまけてやらんからな。期日までに全額揃えておくよう、父親にしっかりと伝えておけ」
それだけ言うと身をひるがえし、早々と馬車の中に入ってしまった。もうここに用はないってことなんだろう。続いてハラブリン商会長がボクの元にやって来た。
「こんな呪われた土地に固執するなんて、まったくもって無謀の極みですよ」
「で、でも侯爵様のおかげでまた農業ができるって……」
「ブッヒョヒョ、我々はあくまで『できたらいいね』と応援したに過ぎませんよ。簡単に人の言葉を信じてしまうなんて、貴方たち一家は本当に頭の中がお花畑ですねぇ。そうだ、そんな貴方に相応しいものをあげますよ」
そう言って商会長さんは手に持っていた布袋を、ボクに押し付けた。
「なんだよ、これ……」
袋の口を開いてみると、小さな種がギッシリと詰まっていた。だけどこれは、なんの変哲もない、ただの、ヒマワリの種だ。顔を上げると、下卑た笑みを浮かべる男と目が合った。
「運が良ければ、芽が出るかもしれませんよ? まぁ女神様も見捨てた土地で、そんな奇跡が起きるとは思えませんけどね。ブーヒョヒョ!」
こっ、このっ……お前たちに人の心はないのかよ!?
あまりの屈辱で頭がカッと熱くなると同時に、自分の足が震えているのが自覚できた。
でもここで理性を捨てちゃダメだ。
もしかするとこの人たちは、ボクを怒らせるのが目的なのかもしれない。危害を加えられたとかいって、保護者であるパパが責任を問われたら――それだけは避けなきゃ。
だからここは、込み上げてくる汚い感情と言葉を吐き出さないように耐えるしかない。
「おや、子供のくせに耐えましたか。ですがその悔しそうな顔を見られただけでも十分ですよ。それでは、失礼」
涙を浮かべるボクを見たハラブリンは満足そうに笑うと、踏み台をギシギシと鳴らしながら豪奢な馬車に乗り込んでいく。
そうして彼らは、ボクの心に深い轍を残して去っていった。
「行っちゃった……」
一人残されたボクは、大量の種が入った袋をギュッと握りしめた。ギリギリまで我慢していた透明な雫が、地面にポタポタと落ちていく。
「じゃあ、ボクたち男爵家の未来はどうなるの……?」
援助というのは全部デタラメだった。このまま農業ができなければ、莫大な借金だけが残ることになる。そうなれば貴族としての務めが果たせず、爵位は返上だろう。領地や屋敷も失い、一家全員が路頭に迷うことになる。
あれれ?
もしやボク、五才にしてバッドエンド確定?
「どうしよう。このことをパパたちに伝えるわけにもいかないし」
イケオジが幼児退行するほど必死に頭を下げたのに、これじゃあんまりだ。真実を知れば、ママだって悲しむ。じゃあどうすれば……。
ボクは「うぅ~」と呻りながらその場にしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。
「くっくっく。しかし滑稽だったな、男爵家のバカどもは」
軽快に走る馬車の中。マニーノ=モージャー侯爵は、お抱え商人であるハラブリンと共に笑いを堪えていた。
「ブヒョヒョ、まさか本当にあの魔境が畑になると信じているとは。あんな土で作物が育つわけがないでしょうに」
「だがそのおかげで、俺たちはボロ儲けさせてもらったがな」
この二人はたしかに、ジャガー男爵へ大量の資金援助をした。
しかしその対価は、『一か月以内にこれまでの貸しをすべて返済すること。さもなければ即時財産を没収し、男爵領を明け渡す』というものだった。
貸しの総額は金貨四千枚。下位貴族なら数年は遊んで暮らせる額だ。とてもじゃないが、貧乏な男爵が一か月で返済するなど不可能である。
「誰かが助けてくれるなんて甘い考えじゃ、貴族社会は生き残れねぇのさ。今回の件は、奴にとっていい経験になるだろう」
「高い勉強代にはなりますがね、ブヒョヒョ」
懐から葉巻を取り出すと、ハラブリンが慣れた手つきで火をつけた。さすがは商人というべきか、人にすり寄るのが上手い男だ。
「ですがジャガー男爵といえば、なにかと噂の多い男。国王陛下のお気に入りともいわれております。油断は禁物なのでは……」
冒険者としての功績を挙げ、一代で貴族にまで成り上がった豪傑。その実力は、強大な力を持つドラゴンを倒すほどだという。
「はんっ、どうにも嘘くさい。俺もその報告を聞いたときは驚いたが、討伐したドラゴンの死体なんて、誰一人として見ていないそうじゃないか」
「そ、それはそうなのですが」
希少なドラゴンの素材が出回れば、商人の間で必ず話題になる。それがないということは、どうせ噂が独り歩きしているだけ、というのがモージャー侯爵の見解だ。
「そもそもお前だって、アイツの腑抜け具合をその目で見ただろう。情けなくペコペコするしかないヘタレ男が竜殺しだと? はっ、笑わせてくれる。どうせトカゲの魔物あたりをドラゴンと言い張ったんだろうさ」
「ブヒョ!? それはあり得るかもしれませんな! なにせ男爵は学のない農民出身。魔物の見分けもできない愚か者なのでしょう」
なるほど、とハラブリンは何度も頷く。
(しかしあんな男をこの地に置くなんて、陛下はなにをお考えなのだ? 領地の管理なら俺の方が上手くできるというのに……)
胸中で募った不満を追い出すように、侯爵は葉巻の煙をふぅと吐いた。
「おい、ハラブリン。例の計画はどうなっている」
「えぇ、えぇ。首尾良くいっておりますとも。閣下こそ、この地に相応しいと国中に知らしめましょうぞ」
男爵からこの地を奪ったのち、さらなる地位と名声を手に入れる。そしていずれは王族との繋がりを……。侯爵は王城で見掛けたうら若く美しい姫たちを想像し、舌なめずりをした。
欲深き男の野望は、とどまることを知らない。
「まずは一か月後。アイツらの絶望した顔を拝むのが、今から楽しみだ」
* * *
これからボクはどうすればいいんだろう。
侯爵たちが帰途についてからも、ボクはしばらく外でうずくまっていた。こんな調子じゃ、サクヤ様から託された使命だって果たせそうもない。
「ははは。ボクにできることなんて、なにもないじゃないか」
自虐的な笑いが口から漏れる。
前世でだってそうだ、ボクはなにも成し得なかった。人並みの努力もしたけれど、いつもあと一歩というところで失敗してばかり。
そんな人生だったからこそ、今世ではと意気込んだけれど、結果はご覧のありさま。
「はぁ……もういっそ全部投げ出したいよ」
現実から目を逸らしたくなるけれど、どこを見渡せど荒地しかない光景に、絶望感は増すばかり。ボクはただ、この貰った新しい命でスローライフを楽しみたかっただけなのに。
種を蒔くワクワク、芽が出たときの喜び。
収穫した新鮮な野菜を味わう感動……。
今度こそ思う存分に植物と触れ合えると思ったのになぁ。
膨れ上がった期待感が、破裂した風船のように一気にしぼんでしまった気分だ。
「そもそも土がここまでガチガチに硬化するって、いったいどういう理屈なんだろう」
せめて土が掘れたらいろいろと試せるのになぁ。
前世の知識と経験があるボクなら、ふかふかで栄養たっぷりの土にできる自信がある。そんなことを考えながら地面に手を伸ばすと、
「あ、あれ?」
右手が土に触れた瞬間、違和感を覚えた。アスファルトのように硬度の高い土が、豆腐のように柔らかいのだ。それになんだか生温かい。
っていうか、明らかに沈んでますよねボクの右手!?
「な、なんだこれ!?」
思わず大声を出してしまったけれど、それどころではない。このままでは沼のようにどこまでも腕が飲み込まれてしまう。
慌ててズブズブと手を引き抜くと、腕にべっとりと土が付いていた。しかもただの土ではない。ボクが前世でよく見たものに似ている。そう、これは――、
「粘土……?」
だけどそれは、男爵領にあるはずのないものだ。
「ど、どうして?」
先ほどママが小石で叩いたときは、金属音が返ってくるほどだったはず。
じゃあこれはなに? 神の奇跡?
夢じゃないかと疑いつつ、ボクは再び地面に手を付けた。今度は土を掘るイメージで指に力を入れる。
「やっぱり現実だ。泥みたいに柔らかくなってる……」
スライムのようにドロドロで、手ですくってみると指の隙間から簡単にこぼれ落ちていく。それに地面に落ちた後もちゃんと柔らかいまんまだ。
「キッカケは……ボクがそう願ったから?」
土が掘れたらいいのに、と考えながら土に触れたからこうなったとしか思えない。
それならばと、今度は手に残っている粘土へ向けて、元に戻れと念じてみた。
「お、おぉ……!」
願い通り、ゆっくり固まっていく。
しかも好きな硬度で止められるようだ。
「ってことは、ボクの意思で変えられるのか」
粘土をいろいろな形にしてみる。
板型や棒状、お椀など自由自在に変化していく。
だけど美術センスが足りないのか、はたまた不器用なのか。ボクの技術では繊細なものは作ることができず、歴史の教科書にあった縄文土器や土偶みたいな不格好なものばかりでき上がっていく。
うぅっ、今のところは完成度について目を瞑ろう。
「あとは要練習ということで……」
スーパーボールをイメージして作ったお団子を地面に投げてみると、ボヨンと弾んで地面を転がっていった。よし、感覚は掴めてきたぞ。
これなら畑の土だって作れるかもしれない。ふかふかした土なら植物も育つし、水だって吸収できる。まさに理想の土地だ!
「でもなんで急に、こんなことができるようになったんだろう」
考えられるとすれば、スキルしかないだろう。サクヤ様が五才になったボクにジョブを与え、そのおかげで特殊なスキルを覚えた――そう考えれば合点がいく。
あっ、分かったぞ。
この粘土化のスキルで使命を果たせってことだね?
今のボクができそうなのは、子供の粘土遊び程度のレベルが低いものなんだけど……でも、うん。可能性が生まれただけでも大きな前進だ。
サクヤ様から与えられた力なら、きっとなにか意味があるはず。そう信じて今はできることをやってみよう!
よしっ、と気合を入れ直し、ボクは拳を握りしめた。
「あれ? なんだろう、これ」
その握りしめた右手の甲に、この世界の文字で小さく【練土術師】と刻まれていた。
「練土術師?」
練土術師ってなんだ?
錬金術師じゃなくって?
いや、おそらく文字通りなんだろうけれど。このタイミングで現れたということは……。
「これがボクに与えられたジョブってこと?」
そうなると、さっき使ったスキルは《粘土工作》ってところかな。ボクのクオリティじゃ工作というより粘土遊びだけど、まぁ良しとしよう。
それにしても随分と粘土に特化したジョブだなぁ。スキルだってどう考えても戦闘向きじゃないや。
「うーん、まぁ戦いたいわけじゃないし。畑を耕せるならそれでいいよね」
まだまだ疑問は尽きないけれど、いつまでも考えていたって仕方がない。ひとまず土を柔らかくして、畑を作ってみよう。
「そうだ、どうせならこれを蒔こうかな」
あることを思いついたボクは、小さな布の袋を持ち上げた。
袋の中身は、あの嫌味な商人がくれたヒマワリの種だ。殻はすでに取り除かれ、先の尖ったクリーム色の中身が露わになっている。
この世界で種蒔きをしたことがないし、これがちゃんと発芽するかは分からない。でもあいにくと他に種を持ち合わせていないし、数だけは大量にあるから、運が良ければ一つくらいは芽が出るかも。そう考えたボクはさっそく行動に移すことにした。
「《粘土工作》」
地面に触れながら念じると、やはり先ほどと同じような柔らかい土になった。これで種を植えても大丈夫なはず!
空いている左手を袋の中に突っ込んで種を一粒摘まむと、右手で掘った穴の中にそっと種を放り込む。そして土で埋めて、優しくポンポンと叩いた。
あとは定期的に水を与えてやれば大丈夫だろう。男爵領で井戸は掘れないが、幸いにも村の近くを川が流れているから水の心配はいらないはず。
「どうか芽が出ますように」
仕上げに両手を合わせて、神域にいるであろうサクヤ様にお祈りをする。
さてさて、どうなるのか楽しみだ。
前世と同じヒマワリなら一週間くらいで発芽するけれど、この世界でも同じかは分からない。ここは気長に待つとしよう。
あぁ、そうだ。ママたちにジョブの報告をしなくっちゃ。
――ぽこんっ。
家に戻ろうと立ち上がったその瞬間、拍子抜けするような音が足元から聞こえてきた。なんだろうと視線を下げてみる……と、地面から顔を出している小さな双葉が目に入った。
「えっ?」
いったいなにが起きたのか理解できず、思わず変な声が出てしまった。
パチクリと瞬きを何度繰り返しても、二枚の葉っぱが間違いなくそこにある。ぷっくりとした柔肌に瑞々しい艶のある緑色。嗚呼、なんて可愛らしいんだろう!
「うわぁぁぁ! 芽だ! 芽が出た、やったぁ!」
思わず歓喜の声が上がる。それだけじゃ収まらなかったボクは、嬉しさのあまりその場で地面に這いつくばると、葉っぱにすりすりと頬擦りを始めて……って違う!
「いやいやいや、いくらなんでも早過ぎだってば!」
正気を取り戻したボクは、ついそんなセルフ突っ込みをしてしまう。
「しかもどんどん大きくなっているし……」
驚くべきは、今も成長を続けていることだ。茎はどんどん太く、空にズンズンと伸びていき、葉はワサワサとその数を急速に増やしていく。
――この世界の植物だから?
いや、そんな不可思議な話は聞いたことがない。
――じゃあボクのスキル?
それも違うだろう。
だって粘土工作師とはなんの関係もないし。
植物の知識があるからこそ、眼前で起きている現象が余計に理解できない。
今や茎なんて鉄パイプより太くなっているし、見上げてみれば背丈はボクの倍近く、二メートルを優に超える高さにまで育っていた。
花の部分だけでも、広げた傘ぐらいのサイズがあるんじゃないかな。あまりに大き過ぎて、ボクの身体をすっぽりと覆うほどの影を落としている。正直、かなりの威圧感だ。
「あ、あはは……これはさすがに予想外だ」
思わず乾いた笑いが口から漏れる。その一方で、ボクの心臓はバクバクと高鳴ってやまなかった。
ただの五才児ならビビッて逃げ出すところだけど、あいにくとボクは普通じゃない。
こんな植物を自分で育てたなんて、最高にワクワクするじゃないか。
こうなってくると、もっとこの不思議なヒマワリについて調べてみたくなる。
「おぉ、凄いな。種までしっかりと巨大化しているんだ」
ヒマワリといえば花の中心に無数の種が集中しているのが特徴的だ。目の前にある巨大な花もそうなのだけれど、種の一つ一つが明らかにおかしなサイズをしている。
「――よし、採取してみよう」
小さな両手を茎に回して支えにしながら、葉っぱを足場にしてよじ登る。凄い、ボクが乗ってもビクともしないや。
んしょんしょと息を吐きながら、どうにかこうにか種を一つ、花から引き抜いた。
「やっぱり大きいな」
蒔いたときは指の爪ぐらいの可愛いサイズだったのに、今は子供の手のひらほどもある。
やっぱり中身も肥大化しているんだろうか。確認したくとも殻は頑丈で、非力なボクでは割ることができない。
だけどここで諦めてなるものか。
道具を使えるのが人間の強みだ。
スキルで柔らかくした粘土を矢じりのような尖った形に変えてから、最高硬度にして殻に叩きつける。それを何度か繰り返すと、どうにか殻の中身を取り出すことができた。
「うーん、見た目は巨大なヒマワリの種だな」
特に色味に変化があったとかではなく、単にサイズが大きくなっただけみたいだ。
となると次に気になるのは味だ。
あまり日本では馴染みがなかったけれど、ヒマワリの種は立派な食べ物なんだよね。
海外ではオヤツとして食べられているし、圧搾して油にもできる優秀な食材なのだ。
つまりこれが食糧として利用できれば、この荒れ果てた地に革命が起きる。
そう、だから食べられるかどうかの確認は必要な行為なのだ――。
「よし、食べてみよう」
……いろいろと建前は言ったけれど、ぶっちゃけるとお腹がペコペコなのだ。さっきから自分のお腹からぐぅぐぅと音が鳴りやんでいない。
というわけで、いざ実食だ。
おにぎりを食べるように両手で種を掴むと、先端の方から口に含んでみた。
「んっ? んんんん?」
おそるおそる齧ってみる。
するとカリッという軽快な音とともに、香ばしいナッツのような味が口の中に広がった。
「食べられる……というより、普通に美味しいぞ!?」
お腹が膨れればいいやと味は期待していなかったけれど、とんでもない。
咀嚼すれば咀嚼するほど自然な甘味を感じられて、食べるのがやめられない止まらない。
本来ならローストした方が風味は良いんだろうけれど、生のままでも十分だ。
「うむむむ、不思議だなぁ」
ポリポリ、ムシャムシャと頬張りながら首を傾げる。
確認のために、袋の中に残っていた普通の種と食べ比べてみたのだが、驚くほどの差があった。
なんと巨大化したヒマワリの方が、明らかに味が良かったのだ。
巨大化もそうだけど、ここまで味が変わるともはや別の植物に進化したとしか考えられないぞ?
「あっ……」
考察しながらモグモグと食べていたら、あれだけ大きかったはずの種が手の中から消えていた。一粒でも満足感はあるけれど、もっと食べたいと脳が訴え続けている。
見上げれば、数えるのも面倒になるほど大量の種が花に残っている。
たしか一本のヒマワリから取れる種は数百から千近かったような。
もしこれらの種をすべて蒔いたら、いったいどうなるか――。
想像するだけで、ボクの喉元がゴクリと鳴った。