寂しがりな青のブルース

 ひたすら勉強をして頭に詰め込んで、そしてただ息をして……過ぎゆく季節に流されながら、がむしゃらに生きていた。
 大学に通い始めて1カ月経った頃、純平から相談があると電話がかかってきて真剣に耳を傾ける。

「あのさ、今度の休みに俺の運転で若菜と遠出することになって……葵も来る?」
「……なんでだよ!? わざわざデートに邪魔者呼ぶ!? 相談ってこれ?」
「まぁ、そんなとこ。忙しいの?」
「あー、講義もけっこう詰めたし、バイトも掛け持ちで始めたからさ」

 たぶん相談は口実で俺のことを心配してくれているのだろうとすぐにわかった。

「そっか、で、寂しくない? 情報欲しくない?」
「……ふぅっ、言ったろ? 俺はもう苦しめたくないから関わらないって」
「そうね。まぁ、たまに俺ん家の田んぼ、手伝ってくれたりしてるよ……」
「……うん、みんなでささえてやって」

 俺の強がりを見抜いて純平はさりげなく安心材料をくれた。
 記憶にしまった大事な思い出、スマホにしまった大事な宝物たち……寂しい夜をそれだけで乗り切って、そうして踏ん張って俺は毎日生きてた。

 彼女に……燦めく希望の欠片が降り注いでくれればいい―――そう願って。

 そのひと欠片が……俺にも降ってきたのだろうか……?

 母さんは退院して故郷の四国にある実家で暮らすことになった。梅雨真っ盛りで鬱陶しい天気だったが、母さんを送り届ける機に数日俺も滞在した。
 中学以来訪れていなかった田舎の自然と祖父母の温かさに触れ、疲労していた気持ちがほっと安らぐ。

 なにより母さんが精神的に安定していて、家族で笑って過ごせた事が良かった。本当に、本当に久しぶりに、心穏やかな日々だったと思う。

 東京に俺が戻る朝、母さんとふたり縁側に座って話をした。これからの不安が完全に無くなったわけではない。ここからが再スタートだから……

「母さん、何か……困ってる事はない?」
「困ってる事? そうね……長閑で暇な事かしら?」
「ははっ、余裕だね」
「……葵、ありがとうね」

 俺達は少しの寂しさを、笑顔を見せ合って安心へと変えた。いつの日か、涙を流して……大笑いする事もできるような、期待をのぞかせながら。

「俺ね、大学編入も考えてるんだ。できるだけ頑張ってみるつもり」
「凄い、葵ならきっとできるわ。私も頑張って働こうかな? できるかわからないけど……」
「母さんならできるよ。俺の、母さんだからっ」
「ふふっ、そうね。葵のお母さんだもんね、ふふふっ」

 俺達は少し顔を見上げて……遠くを眺めながら前向きな話を交わす。
 雨上がりの空は、澄みきった青色で綺麗だった。眩しいくらいの太陽の光が天から降り注ぎ、もうすぐ燦めく初夏がやって来ると……梅雨空に少しの期待をしていたのに……。

 どうして運命は、こうも俺達を引き裂こうとするのか―――。

「純平? どした?」
「あー、葵、落ち着いて聞いて……」

 言われなくてもいつになく俺は落ち着いていたが、珍しく純平は動揺していた。四国から東京に戻って大学生活にも慣れた頃、朝にかかってきた電話にでると純平は言葉を濁して変な様子だった。

「えーと、まっ、真白がさ! ……山から落ちてっ、大怪我した」
「は―――?」
「昨日救助されて手術は終わったんだけど、骨折とそこらじゅう打撲してて……首から下、動かせないかもって」
「……いっ、意識は!?」
「まだ戻ってない。そんでおじさん達が……真白は身投げしたんだって……死のうとしたってパニクってるから俺らもまだ混乱してて――」
「っ違う!」

 咄嗟に否定の言葉が飛び出した。そんなの考えなくたってわかる!

「でもさ、真白が落ちたとこ、登山道から外れた場所からだって救助隊に言われて、それでみんな……」
「絶対に違うっ!!」

 秘密の場所だ、真白は秘密の場所に行ったんだ!
 真白の住む町が一望できるその場所から……死のうなんて思うはずがない!

 そこで俺と真白が手にしたものは、奇跡と―――『幸せの証』。
 決して消えることのない『希望』だ。

「真白は生きようとしてる! 信じてっ! 真白は、生きるのをあきらめたりしないから、絶対。みんな疑ったりしないで応援してやって!」

 俺は必死に純平に伝えて電話を切り、窮地に頭を掻き乱した。この場で次に自分がすべき事は何もないと、何もできないとわかっていて、ただドクドクと騒ぐ心臓に焦りもがく。

 なんで俺、東京なんかにっ……また、繰り返すのか?
 ダメだ。今度こそ、真白を救ってあげなければいけない、絶対に。
 俺が、真白を!
 ここで待ってなんかいられるかよ!

 急いで東京を出発した。移動中、スマホのメッセージで状況を教えてもらう。
 真白が山に登ったのは一昨日、夜になっても帰宅しない真白の捜索願が出された。
 そして昨日の朝方、山の側面に滑落しているのを発見。高校近くの大病院にヘリ搬送されたそうだ。
 命に別状はない、が純平が言ったように意識が戻っておらず、後遺症についても言及できない状態と……。

 必ず、必ず、真白は目を覚ますから。まだ……まだまだその優れた瞳で、美しい景色を見たいと望んでいるはずだ!

 ―――息を切らし真白の病室にたどり着いたのは正午過ぎ。彼女がそこに居ると確信を得たのは、ご両親が病室の前で話をしていたからだ。
 真白の父親と目が合って、俺は深く頭を下げてその場に留まった。まず父親の許可をもらわなければ、これ以上、真白に近づくことができない。
 予測通りに左足をずるようにして俺の方へ、娘が見えないよう立ちはだかった。

「真白さんの側に、行かせてもらえませんか……」
「……娘はまだ目を覚ましていないんだ。それに、娘が君に会いたいとは……私には思えない」

 玄関で謝罪をした時よりも険しくやつれた表情で、その視線は明らかに怒気混じりだ。確実に俺を遠ざけようとしている。

「もしかしたら、君が原因で、山でひとり終わらせようとした……可能性も捨て切れないからね」

 突き刺すような眼つき……帰れ、そう示してる。
 真白を大事にしているんだ、断固として娘を守ろうとしてる。それでも……

「……俺に会いたくない、可能性はあります。でもっ、彼女は山で命を終わりにしようなんて、絶対に考えません! 真白は自然を大事にしていました。空も、花も、虫も、労わるように観察して、最高に輝いている瞬間を綺麗に描いて……その美しい絵で、見た者に幸せをくれていました。俺も、真白の絵にいつも励まされています。だから、命を大事にしてきた真白を、俺は、信じます! 絶対に真白は命を粗末にしません! 俺に真白を救うチャンスをください!」

 俺も、父親に負けないくらい、真白を守りたい気持ちがあるんだ!

 揺るぎない視線で戸惑い疑う不安を撃ち破ろうと訴えた。強く強くあきらめない感情を湧かして真白の父親と向き合っていると、突然、背中の方から大きな声がする。

「私も真白を信じる!」
「!?」

 後ろを振り返ると最上(もがみ)が真剣に父親を見つめて、隣の佐伯(さえき)は両手で口元を覆い繰り返しうなずいていた。その横で上下する恋人の頭を純平が優しく撫で、そして俺を見てひとつ大きくうなずいた。3人は俺の味方になって援護してくれる。

「真白の絵には凄い力がある! それで、真白の力を引き出す力が彼にはある! だから私はふたりを信じるよ、おじさん」
「おじさん、真白には神崎くんの力が必要なんだよ……」
「葵のこと、信じて。頼むよ、おじさん」

 俺達の熱い視線が集中すると次第に堅い表情は崩れていった。深く肩でひと息吸うとそれまでの考えを吐き出すように長いため息をつく。すると真白の父親は改まって俺達を見た。

「……わかった。君達は真白の大事な友達だ。私からお願いするよ、どうか真白に、力を与えてやってくれ」

 そして、足を揃えると不自由な下半身を支えに、ぎくしゃくと俺達に頭を下げた。そのお辞儀ひとつの意味を俺は噛み締めて、腰を折り曲げ深々と御礼を返す。
 父親の後ろで見守っていた真白の母親にも視線を向け礼をすると、涙を堪え体を震わせながら返礼をくれた。

 俺は熱くなった喉元を鎮めると純平達に協力を求める。皆の側に歩み寄り自分の考えを話した。
 「絵が描きたい、真白と文化祭で描いた絵を―――」。

 俺達は高校に行って事情を説明し、美術室を使わせてもらう許可を得た。ついで俺は元担任と再会して卒業まで度重ねた迷惑も詫びる。
 廃部になってしまった美術部の元部長は職員の間でも有名人で、この惨事を悔やむ声と見舞う気持ちを代わりにたくさん貰った。そして……

 まだ同じ場所で輝いている真白の描いた桜の絵をじっくりと鑑賞してから、美術室へ向かう。懐かしい校舎の風景に揺られ、一歩一歩近づいてく真白の場所……もう胸がいっぱいだった。ここにも、もう二度と来れない、そう思ってたからだ。

 扉の向こうで真白が絵を描いている、美術室の入口で感じた雰囲気はあの頃と同じだった。
 ただそこに真白はいない……。
 虚しい空っぽの教室だと急に寂しさに襲われたが……?

 定位置だった真白の席はまるで主がいるみたいに、イーゼルが立てられキャンバスも置かれているようだった。
 最上と佐伯がそこに直進して、居ないはずの真白が描く背後から、眺めるように顔をほころばせる。

「真白がまた帰って来ると思って、私ら片さないで置いておいたんだぁ」
「真白が最後に描いてた絵、小さいから応募用じゃないよね。プレゼント用だよ、きっと」

 真白の、絵……プレゼント?
 あぁ、ほんとだ、小さめのキャンバスに―――

 俺が不思議に思って近づくと二人がどいて俺に場所を譲ってくれた。「星だ……」真白が描いたという絵は一目で輝いた星を題材にしたのだとわかった。

 星空だ、天の川?
 この1等星の位置は……どっかで……?
 『わかる? あれが夏の大三角で……』
 『うん。あの星が確か一番遠い……あっ』
 公園で真白と見た星空だ!
 じゃあ、この鮮やかな虹色の星達は……虹の天の川……っ!?

 俺が言ったんだ、山で見た奇跡の虹を描いた真白の絵に。『幸せの証』と真白が名づけた絵を見せて貰った時に、虹の天の川みたいだと俺は言った。
 じゃあ……この絵のタイトルは―――

「…… 幸せな……アオイ世界 、っ」

 キャンバスを裏返すと、真白の字でそう書いてあった。タイトルを知った瞬間、体中のすべての感覚が熱く湧き上がり胸の辺りに集まってくる。段々と『幸せなアオイ世界』の文字はボヤケて震え出した。

 俺の―――幸せは―――
 寂しい夜が無いように……虹の天の川を架けて……願ってくれた?

 こんなに綺麗な、(アオイ)の世界があったら―――幸せに……決まってるよ―――

 真白の優しさが……温かさが……
 俺を包んで……まるで側にいるみたいに……

 暗く澱んだ記憶も、重苦しい記憶も、全部。
 真っ白に塗り替えて俺に燦めく世界を描いてくれた―――。

「……おー、懐かしー。これこれ、先生に頼んで借りてきたよー、って…………葵、泣きすぎっ」
「……え?」

 純平が美術室に入って来て、俺の異変に気づくとのけぞって驚いた。自分でも知らないうちに涙が零れていたみたいだ。
 両手は大事に絵を抱えているから、勝手に流れる涙は放ったらかしにしていると、純平が机に何かを置いて肩をポンポンと叩く。

「これ、俺らの卒アル。葵、どうせ見てないでしょ? 開いて見な、葵と真白の幸せってやつ残ってるから……」

 俺は卒業アルバムを担任が送ってくれたのに……一度も見ていない。いや、開けなかった。純平はそれも見抜いていて、わざわざ俺に持ってきてくれたのだ。

 この中に……俺と真白の幸せが……?

 卒業アルバムは濃紺色のカバーに『 翔華 』と金色で文字入れがあった。ゆっくりとその表紙をめくり、1ページ……また1枚と思い出を開いてゆく―――。

「あら、また若菜も泣いてんの? 泣き虫で可愛いなぁ。よしよし」
「ちょっとそこ! イチャつかないで!」
「俺ら今一番ラブい時期なの。あ、柚子はバイトの先輩だっけ、狙ってんの?」
「若菜ぁ、純平に喋ったな~!?」
「えっ、そうだったかな?」

 賑やかな話声を耳にしながら、俺はアルバムをめくり続けた。校訓に校歌、校門に校舎の外観や校庭の風景、教室の様子に諸先生方の集合写真。
 そして、クラス写真の1組に俺が居て、2組に真白が居る……英語の授業風景に真白と俺……体育祭……文化祭……!

 アートパフォーマンスで描いた作品、真白とふたりで……作り上げた……幸せ。
 ここに、残ってた。

 自分達の手で生み出した『幸せの証』を背にして、俺と真白は笑顔で写っていた―――。

「早くやろっ、もう放課後だし」
「夜の施錠前には終わらせないとな」
「あんまり時間ないね……ちょっとそこ! いつまでも泣いてないで指示出ししてっ。あんたが言い出しっぺでしょ!」

 俺に激が飛んできて涙を拭う。
 もう一度、文化祭と同じに再現する。青空に虹を架けて星を降らせるんだ―――。

「……画用紙大きすぎない?」
「うーん……病室だもんな」

 紙を繋げてキャンバスを作成し色塗りをする。水色を全面に……6色で虹を描く。

「ちょっとさぁ、私ら絵心なさすぎじゃない?」
「……お世辞にもヒドいな」
「私達、鑑賞する目は肥えてるのにねぇ」
「気持ちだろ! 大事なのは気持ち!」

 悪戦苦闘しながらも皆で黄色の星を描き入れ完成させた。もう外は暗くなっていて急いで病院へ向かう。
 病室に到着すると真白の父親が病院側に許可を取ってくれて、俺達は慎重に絵を天井に張った。

 真白はベッドの上でピクリともしない……。
 そんな姿をなるべく近づかないようにして見つめては、胸が軋んで押しつぶされそうだった。

「真白、ゆっくりでいいから、起きるんだよ」
「またみんなでお茶する約束、忘れないでね」

 女子達が真白の側で声をかけ、そっと静かに病室を出た。端で見守っていた俺が最後に出ようとすると、父親が前に立ち塞がってきたのでビクリと驚く。
 すると廊下の椅子に置かせてもらった真白の絵を俺に手渡した。

「ありがとうございます……」
「今夜は……君に付き添いを頼んでもいいかな?」
「え?」
「下の子が居るから妻は家に帰したんだ。私も一度帰って持ってくる物があってね。朝にはまた戻って来るから、それまで、真白の側に居てやってくれるかな?」
「っ―――はい!」

 予測していなかった言葉に俺は心底喜び声を張った。純平達が俺を見て微笑んでいて、真白の側に居てもいい許しを貰えた実感を噛み締める。
 そして、ひとり俺だけが病室に戻り、ベッドサイドに置かれた椅子を壁際に引いて座った。側に寄りすぎない配慮はしなければ……俺はまだ謝罪を直接真白にできていないのだから。

 膝の上で両手を組んで、ざわめく気持ちを落ち着かせた。俺は懺悔でもするように、眠り続ける真白へそっと語りかける―――。

「……真白? 俺ね、本当は寂しがりなんだ。十歳まで母さんと寝てたの、笑えるだろ? 真白がひとりでずっと絵描いてるって知って……すごく強い子なんだって思った。山で一晩も怖かったよな……暗くてひとりで悲しかったよな……そんな寂しい世界に戻りたくないって思っちゃうよな。でもみんな、真白のこと信じて待ってるから……真白も自分の力を信じて。真白は強いから大丈夫。うん、大丈夫……もう、怖くないよ―――……」

 真白……どうか、目を覚まして……
 そうしたら一番に『奇跡』をプレゼントするから。希望で燦めく世界を、真白に見せてあげるから――――――。