寂しがりな青のブルース

 やっと落ち着けたのか、また寂しくなったのか、どっちかわからない。予測していた事なのに気持ちは追いついてこなかった。
 自室は勉強机とベッドを残しておいたまま、家の中は3人で暮らしていた時とほぼ変わっていなかった。でも……洗面所には女物の化粧品。取り残された誰かの忘れ物。
 それから……リビングの光景には離婚前に言い争う両親の記憶の声が重なった。

『―――結婚前から関係にあったって言うの!? 酷いわ! 私と葵は一体……』
『何度も離れようとした、でもどうにも彼女を放っておけなかったんだっ』

 俺の居場所が前と同じにあるわけではなくて、最も居心地の良かった真白の側が……恋しい気持ちが少しだけ溢れる。
 『困った時は連絡してほしい……』
 俺だけにくれた声を手繰り寄せ、その優しさに甘えたかった。

 スマホで送ったメッセージにすぐ既読がつく。「ははっ」電話したら出てくれそうだとコールして耳に当てた瞬間、もう真白の声がした。
 愛しくて、会いたくて……仕方がない。

「うん。……へぇ。……」

 目を閉じて彼女の声に聞き入る。側に居るような温かさが俺を包んだ。
 少し困ってどもる間も、時々悩む気の抜けた声色も、真白の喋り方が俺は好きだった。

 『クリスマスに会おう!』電話でした約束は東京の寂しさと受験勉強に負けない力になった。久しぶりに東京から抜け出し大原鉄道の電車に乗るとそれだけで胸が弾んだ。最後のバイトもきちっとやり遂げて高校で待つ真白に会いに行く予定が……クリスマスなので店がめちゃめちゃ忙しくバイト上がりが遅くなってしまった。

 ようやく終わってから店の外に出るともう真っ暗だ。真白の帰宅時間はとっくに過ぎていたし高校も閉門している。何の連絡もなしにずっと待たせていただろうと俺は慌ててスマホのメッセージで謝罪する。焦ってゴメンのスタンプを指がつりそうなくらい連打した。真白のメッセは塩対応なのを俺は忘れていない。

 ヤベェ、怒ってるかな……?
 電話……してみようか、出てくれるかな?

 悩んでいる間に既読がついて返事がくるか緊張してスマホを見つめていると、『始業式は遅刻しないでね』と表示され心が跳ねた。即レスしてリアタイでメッセのやりとりを少しする。すっかり笑顔になって画面を眺め、ほっとした気持ちでスマホを閉じた。

「やっぱ、こっちは星空が綺麗だな……」

 気づけば空を見上げていて、星を見つめることは彼女を見る感覚と同じなのかもしれなかった。
 そのあとすぐ東京に帰って翌朝からは予備校に通い詰めだ。受験前の冬期講習はかなりハードだけれど、年が明けたら始業式が待っているから……張り切って勉強に励んでいたのに―――

「真白が入院した! 手を怪我したみたいだ!」

 ……え?
 真白が……手を!?

 純平がかけてきた電話に最初は理解できなかったが、耳を疑う情報が続いて動揺が走る。
 誰も真白と連絡がつかない、友達や純平が真白の家や学校に状況確認をしてくれているけれど、年末もあり警察も介入してるとあって錯綜した状態らしい。

 学校で不審者に襲われたってマジかよ!?
 それで手を怪我して入院って……酷いのか?
 真白、真白が……なんで俺、東京なんかにっ。

 向こうの様子を聞いてただ待ってるだけなんて、おかしくなりそうだった。
 真白の手の怪我は軽いとか、でも検査入院が必要だとか、いろいろ話が純平から伝わってくるが、余計に不安を煽るばかりだった。

 そして、一報を受けてから2日後にかかってきた先輩からの電話で、俺はこのアクシデントの詳細を全て把握できた。

「ごめん! 葵くんごめん! 私が葵くんの話を彼氏にしたら高校に乗り込んじゃって! 真白ちゃんが居たから詰め寄ったみたいなの。それで私が駆けつけた時には真白ちゃんが倒れてて、手から血を流して、それでっ……」

 そうゆう事か。
 ……全部、全部、俺のせいじゃんか―――。

 頭の中が青ざめる程の罪悪感が生まれ、凶器みたいに鋭く尖って、神経を伝わり全身に下がってゆく。
 体中を切りつけ、傷ついた所から懺悔を吹き零していた。

 すげぇ……痛くて、苦しい。
 真白の、これが真白の、受けた痛みだよ……恐怖だよ!
 俺が守って、真白を守ってやんなくてどーすんだよ!!
 俺が、俺がきっかけ、作ったんだからさ……。

 自分の愚かさに呆れて頭を抱え込んだ。犯した過ちの重さにうずくまる。傷ついた彼女を案じ、どうやってお詫びをすればいいのか頭を回転させようとして、動転するほどの問題が浮かび上がった。

 真白、絵……描けるようになる、よな―――?

 俺は目を泳がせてあらゆる方法から答えを探ろうとしたが、そんな不可能な事に兆しさえ閃くわけもなかった。もう正常じゃいられなく頭がおかしくなりかけている。

 真白と話をしなきゃいけない。ちゃんと謝らないといけない。ちゃんと、絵が描けるか確認しなきゃいけない!

 狂いそうな気持ちで出した俺の決意は、遂げようとしてもどれも叶わなかった。真白は退院して家に戻っているはずだが、スマホに連絡がつかない。
 俺だけではなく未だに誰とも繋がっていないそうで……よっぽど真白を追い詰めた何かに苦しめられているのだろう、と胸を締めつけた。

 痛恨の思いで新年を迎え塞ぎ込んでいたところ、純平から真白の様子を聞くことができた。親同士の電話に割って入り真白の母親から説明を受けたらしい。本人の意思で純平から皆に、俺にも伝えるよう頼んだようだ。確認できた真相は先輩が言っていた内容とだいたい一致していた。

 美術室に侵入した先輩の彼氏に驚いて、美術道具の刃物で防御したが、転倒した際に手を切り気絶した。目眩があって念の為に検査入院していたと。先輩のDV被害から警察による調査を受け、真白の怪我は学校下の事故扱いになった……いろいろあって真白は静養している、と。

 心が……張り裂けそうで……胸ぐらをつかみ拳にじわじわと憤りを込めた。

 どんなに辛い思いをさせてしまったのだろう……真白はただ絵を純粋に……なんで俺じゃなかったのか。
 俺が蒔いた種だと知っているのに、俺が真白を巻き込んだのに、どうして俺を責めないのか!

 居ても立ってもいられずに、純平に協力を依頼していた。真白の家に連れて行ってほしい、直接謝罪したい、真白はなんにも悪くない事を証明したかった―――。

「……おじさん、真白の父親ね、昔に遭った事故で足が不自由なんだ。おばさんは明るい人なんだけど、おじさんはあまりニコニコしないから、俺が話つけてみるよ。なんとか真白に会いたいもんな」
「純平、サンキュ……」

 真白の家まで純平が案内してくれる。「ここ、真白ん家」と教えた手で俺の肩をポンと叩いた。気合いと安心感をその合図から感じ取る。
 俺は制服のネクタイを締め上げて純平の後に続いた。停めてあった車には白の四葉マークの青いステッカー、身体障害者の標識が付いていた。

「突然押しかけてすみませんっ。神崎葵と申します」

 玄関で対応してくれたのは真白の父親だった。堅物そうな印象を受ける、と同時に向き合うと心臓が速く大きく鳴りだした。言葉が萎縮してしまいそうだったが、自分を戒め誠実に伝えようと努める。

「まっ真白さんに、怪我を負わせてしまったことの発端は、俺の軽率な発言にありました。せ、責任を感じています。申し訳ありませんでした……」

 父親の顔を見て震えそうな声を正しながら届けた。背筋を整え頭を下げてから、もう一度勇気を絞り出す。

「全部俺のせいです。彼女に……謝罪させて貰えないでしょうか?」

 怒りをにじませる、でもなく。
 呆れている、でもなく。
 真白の父親は黙って表情ひとつ変えず俺の話を聞いてくれていた。だからといって受け入れてもらえるわけではなく、それは俺が何をしようと効果がないという、始めから揺るがない頑なな意思表示である事を知る。

「娘は静養中でね。これ以上負担をかけたくないんだ。謝罪は必要ないよ。君が悪いとは聞いていないし。
 事を荒立てず将来の道筋をつけるのが大事な時だろう? 娘の事も放っておいてあげてくれないか?」

 そう、静かに言った。
 騒ぎ立てるような真似をしに来た俺達に、落ち着き放った父親らしい振る舞いでなだめられた。逆らってはいけないという威厳さえ感じる。真白を守れるのはこの人だけなのだと、俺はじわりじわり無力さを痛感し始めていた。

「おじさん……お願いっ。
 こいつ悪い奴じゃないから、俺が保障する! ホントイイ奴なんだ。ほんの一瞬でいいから、扉越しでも……ダメ?」
純平(じゅんぺい)、悪いが連れて帰ってくれんか」

 丁寧に言葉を繋いで真白に会わせてもらえないかと懇願したが、純平の援護を(もっ)てしても無理みたいだ。俺にできる事はもうこれくらいしかない、最後だと腹をくくり、頭を振りかぶるようにして下ろした。

「大変っ申し訳ありませんでした!」

 精一杯、謝罪だけはちゃんと伝えようと……。
 なかなか起こせなかった頭を、純平が代わりに引っ張り上げた。そのとき―――ガタッ。玄関前の階段上から音が聞こえた気がした。

 ……真白?

 彼女の気配を微かに感じながらも、姿は見せてもらえないし、声も聞くことはできなかった。自業自得だと後悔に押し潰されそうな体を無理に玄関から外へ出した。
 少しすると純平が戻ってきて、動けなかった俺の肩に腕を回し一緒に歩く。真白の家を後にしてなんの話をしてたかわかんない内に、バス停に着いて駅に向かうバスを待ってた。

 すごく寒いのに純平はバスが来るまで居てくれて、「受験勉強大変だろうけど、俺の事も構ってくれよ?」そう言いバスに乗った俺に手を振った。
 『生存確認するから無視すんな』俺のための偽りの裏に心配そうな顔を見た。

 数人の乗客を通り越してバスの後方へ。俺は二人掛けのシートに座った。
 窓の外は薄い夕焼けと殺風景な真白の町が、前から後ろへ流れてゆく。
 去年の誕生日、山から真白と乗ったバスの同じ席で見た景色は……もっと燦いていた―――。

『え~、純平、外出してんだって。じゃあ俺は駅まで直行だ。真白のバス停までどれくらい?』
『後45分くらいかな……』
『暇だぁ、ふぁ~。……はい、片っぽイヤホン』
『私に? ありがと……』

 バスの揺れが気持ち良かったのか、山登りが疲れたのか、うっかり……俺が駅まで爆睡して真白がさっきのバス停で降りれなかったんだ。

「ふっ……」

 思い出し笑いが零れる。美術室で真白と初めて話した時を振り返れば、その時も昼寝をしていた自分に半ば呆れておかしくなった。
 風景に思い出ばかりが重なって流れる……。

 あの時は話すより前に頭突きし合うとか、衝撃だったな。
 あぁ、英語の授業でも居眠りしてたら、頭突きみたいな痛みで目が覚めた時もあった。あれもたぶん、真白が起こしたんだろう……。
 美術室でも仮眠してると真白がいつも起こしてくれて……俺、寝てばっかだったな。 

 秘密の公園でも星空を見ながら並んで眠った……逃げ出した夜は……朝まで背中合わせで寝てくれた……。
 真白が側に居てくれるだけで、俺……。

 キャンバスに向ける姿、よく観察する大きな瞳、絵を描く真剣な顔つき。
 眉をしかめる変顔に、目を見開いた仰天顔も。

 口をぎゅっとして我慢しながら泣く顔……キラキラと溢れんばかりの笑顔……。

 俺の世界は、たくさんの真白でいっぱいだった――――――

「ふっ、う……」

 もう二度と、真白に会えないんだ―――。

「うぅっ……ひぐっ……っ」

 俺は、真白に会っちゃいけないんだ。
 ダメなんだ。俺と会ったら辛い事を思い出してしまうから、俺が真白を苦しめるから!

「ひっ、くっ、ん―――……」

 こんなに好きで、好きで。
 真白のこと大好きだったのに―――。

 傷つけたくないから、あきらめたのに―――。

 もっと酷い目に合わせるくらいなら、正直に、好きを宣言しとけばよかった。

 そしたら誰かの囮の彼氏になんて、考えも起きなかったろう……
 今さらなんだよ……遅いんだよ……

「うぅっ――――――」

 座席でちっさく小さく丸まって、止まらない涙に狼狽えて手で覆い隠す。喉元で引っ込めようとした嗚咽は抑えられず、自分の胸に吐き出した。

「ひっく、ひぐっ―――はっあ、くっ―――」

 真白の居ない世界が、俺にとって一番辛い世界だと……たったいま……知った。

 大切なものを取り戻せない、自分の無力さが情けなくて悔しくて……あまりに早く訪れた彼女との別れに、俺は泣き崩れた。

 それから二度と、高校にも行かなかったし、彼女に電話もしていない―――。