4月18日



 この日は、コヨミ皇国への使節団の現地入りの準備と現地の港や街道の改装と建物等の改築作業の進捗状況の視察も兼ねて、日本国の各省庁職員達が、外務省職員達を筆頭する先遣隊を現地入りさせて居ました。











 コヨミ皇国へと派遣されたメンバーの中でも、正式な担当者が決まるまでの繋役に選ばれて居た人物。



 外務官僚の臨時交渉担当官的な立場に成りつつある藤原敬二。



 その他には外務省から5人。防衛省を除く各省庁から1人づつ派遣されて居ました。



 日本国政府は、アースティア世界へと転移災害で転移して以降は、最初に接触に成功したコヨミ皇国政府との交渉の末に、先ずは相互貿易による経済こうりわ柱にして、文化・軍事を含めた臨時協定を基本的とする協定を確立。



 その為には、コヨミ皇国側に日本国内の大型船舶が行き来が出来る様に、湾港設備の拡充する事が必要だと確認し合うって居た。



 其処で万代藩・万代港と南西国藩・加古島港の改修工事が進めらて居た。



 そうした理由から現地に到着した一行は、作業現場を監督する経産省から派遣された常駐している官僚と職員が日本からやって来た視察団一行を万代藩主・伊達愛海が出迎えて居ました。



 その伊達愛海の人物像は、天才にして変わり者、ボッタクリ大好きの商売大好きの変人にして、伊達家がスポンサーとして運営して居る伊達商会の商会長。



 座右の名は私の人生はボロ儲けと言う名言を残し、何時もお気に入り扇子には、その言葉が掛かれて居ました。



 今でも万代市立博物館には、彼女の使用の扇子が展示されて居り、現代万代市の基礎を築いた変わり者にして、偉大な女傑藩主として万代市民から愛されて居ります。



 日本はこの万代港と加古島港の開発で、ユーラシナ大陸進出の足掛かりを得て、アースティア世界での経済力と軍事力での基盤を固めて行く個に成って行くのです。





 万代港への歩き方



 コヨミ皇国・万代市国際空港から定期運行市営バスで20分。

 万代港バス停から徒歩で8分。