人生は椅子取りゲームだ。求める栄光の椅子がたった一つなら、それを賭けて戦うしかない。
この間の高校受験も同じだ。合格枠が決まっているのだから、僕が受かった分、他の誰かが落ちてしまったのも仕方ない。
本当に欲しいものなら、相手を蹴落としてでも自分が座るしかないのだ。
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今、僕の目の前には椅子があった。玉座と聞いてイメージするような、しっかりとした肘掛けがあって、赤くて触り心地が良さそうな生地に、金の装飾がついた立派な椅子。
それから、椅子の近くに床に倒れている、長い黒髪に泣き黒子が印象的な少女、雪原夢莉さん。
「……ゆ、雪原さん!? 大丈夫!?」
やけに存在感のある椅子よりも、今は目の前で倒れたクラスメイトだ。僕は慌てて声を掛けた。
「ん……あれ、花宮くん……? ここは?」
「わからない、僕も今目が覚めたばかりで……」
改めて辺りを見渡すと、そこは白くて影一つない、どこまでも広がる空間だった。目を凝らしても天井や壁の境目すら見当たらず、ずっと眺めていても終わりの見つからない途方もなく広い空間なのだろう。
屋外だとしたらこんなに無音なことは有り得ないし、屋内だとして何のための施設なのかもわからない。
「……」
得体の知れない恐怖から、僕たちは思わず無言になってしまう。それでも少しでも情報を得るために、唯一の存在感を誇るこの椅子を目印に、僕たちはそれぞれ辺りを散策することにした。
けれど不思議なことに、いくら歩いて離れたとしても椅子の大きさは一定から変わらず、遠近感覚が狂うのを感じた。お互いの存在だけが、この異様な空間での指標だった。
「ダメだ、終わりも何もない……」
「こっちもダメ……」
しばらく散策を続けても何の成果も得られず諦めて椅子の方に戻ると、彼女も同じ感想を持ったのか力無く肩を落としていた。その姿が、先日受験結果を見た時の様子と重なって、胸が痛む。
「まあ、その内助けが来るかも知れないし、今は少し休んで体力を温存しよう」
「そうだね……」
疑問は尽きないものの、今は彼女の存在だけが拠り所だった。受験のことは一旦置いておいて、まずは良好な関係を保ちたい。
この空間において明らかに異質な椅子に腰かける気にはなれなくて、椅子を背凭れにして並んで床に座る。
「……花宮くんも、どうしてここに居るのか思い出せないの?」
「うん……残念ながら」
「それじゃあ、もう少し前のことから思い出していこう。そうしたら、流れで何か思い浮かぶかもしれないし」
彼女の提案に従って、僕たちは昔から遡ってお互いの話をすることにする。ここでは時間の経過もわからない、いくらでも話せる気がした。
「じゃあ、まずは幼稚園の……」
「ふふ、そんなに前から?」
「あっ。いや、こんな遡る必要ないか……」
「ううん……聞きたい」
「……じゃあ、幼稚園の時。ちょうどこんな風に最後の一つの椅子があって、椅子取りゲームに負けて泣いちゃった話から……」
思えば僕は昔から負けず嫌いで、そのくせ肝心なところで負けてはいつも悔しい思いをしてきた。
だからこそ、高校受験では後悔しないようにと、寝る間も惜しんで勉強してきたのだ。念願叶っての志望校への合格。それなのに、卒業式を前にこんなおかしな場所に迷い込んでしまった。
どうしてこんなことになってしまったのかとぼんやり考えながら、僕は幼稚園時代の思い出を語った。
「……それで、結局椅子取りゲームの優勝賞品の飴は貰えなかったんだよね。悔しかったなぁ」
「それって……これ?」
「え?」
「ふふ、この飴、あの時からずっとお気に入りなの」
そう言って不意に彼女はポケットから赤い包みの飴を二つ取り出して、一つを僕に手渡し、もう一つは自らの口に運んで頬を綻ばせる。その表情とキラキラの包み紙には、見覚えがあった。
「あ……もしかして、きみ、あの時の……?」
「そう。わたしも、昔から負けず嫌いだったから……あの時も絶対負けないぞーって頑張ったんだよね」
そういえば、目元の小さな黒子は、記憶の中の笑顔と一致している。どうして気付かなかったのだろう。雪原さんがあの時の少女だったのかと驚く僕に対して、彼女はにやりと笑みを浮かべた。
「違う組だったし、わたしその時は雪原って名字じゃなかったからね。名前が違うからわかんなくてもしかたないよ。……でもそっかぁ、あの時泣いてたの花宮くんだったんだ」
「う、嘘だよ! 泣いてない!」
勝利の味を噛み締めながら笑うその様子に、当時も負けた悔しさと同じだけ、あんなに喜んでいるなら良いかという気持ちになったのを思い出す。
勝利した少女の無邪気で嬉しそうな笑みは、朧気な僕の初恋だった。
それにしたって十年以上前の、幼稚園のレクリエーション。そんな忘れていてもおかしくない記憶がお互い鮮明なのは、それだけ本気で競い合っていた証拠だろう。負けず嫌い同士親近感を覚えながら、ふと彼女は言葉を続けた。



