立ち上がってもどこも痛いところはない。身体までは白くなっていない。白いのは、周りの環境だけのようだ。病院じゃないなら何なんだ、ここは。
歩いて三歩半、本棚に向かう。そう、自分の部屋の配置とまるで同じだ。
紡木は写真立てを手に取った。白く反転してはいるが、それは去年紡木が嫌がる恋人に無理を言って、一緒にセルフィーしてもらったスマホの画像を引き伸ばしたものに間違いなかった。
「本当は撮りたいよ、紡木と。だけどさ、俺がそういうの残せないって知ってるだろう」
「分かってます。絶対外へは出さないから」
パティシエ修行時代の師匠だった友成と一緒に写っている写真は、修行を終えて研修生のみんなと撮った時の一枚と、あとはこの水族館での一枚きりだ。
よく分からないが、大事な一枚がこうも真っ白になられては困る。一体どうしてこうなったのか、ひとまず紡木は部屋を出てみることにした。
友成から独立して自分のパティスリーを開店させたのが三年前。紡木が三十歳の時だった。友成から紹介された中古の物件は資金的にも規模的にもちょうど良く、販売スタッフをひとり雇っても賄えるまでには経営も軌道に乗っている。
パティスリーの二階に自宅兼事務所を置き、黙々と洋菓子作りに精を出している毎日のはずだった。
(一階に降りてみれば何か分かるか……)
やけに物音のしない静かな店内と厨房は、そこもまた一面が真っ白だった。ステンレスのはずの冷蔵庫もシンクも作業台も、洗って乾かしておいた道具類も、ショーケースも全部白。レジもディスプレイの花瓶も、スタッフが活けてくれている花ももれなく白い。
自分の店のようで自分の店でない。トラックにはねられてどうやって自宅へ帰ってきたかも分からない。この不可思議な状況をどう理解すればいいのか。
違和感はまだある。白い窓枠の外を見れば、店の前の通りに人の姿がまるでない。店を構えたのは賑やかな商店街の一角だ。人通りがないなんてこと、あり得ない。
結局一階に降りてみたところで、紡木の置かれた状況は何一つ判明しなかった。警察に問い合わせてみたとしても、答えてもらえるかどうか。
「スマホ……どうしたっけ」
ひとりごとが店内に響く。紡木が身につけているのは、記憶に新しいお気に入りのコートとセーター、少しでもスタイルをよく見せたいと何度も試着した紺のテーパードパンツ。友成との待ち合わせに着て行った時のままだ。
コートのポケットを探る。あった。取り出したスマホは、表面のガラスが割れてぐちゃぐちゃになっていた。……どういうことだ。
「じゃあやっぱり、俺は事故にあったのか?」
問いかけてみても、だれも答えてはくれない。
歩いて三歩半、本棚に向かう。そう、自分の部屋の配置とまるで同じだ。
紡木は写真立てを手に取った。白く反転してはいるが、それは去年紡木が嫌がる恋人に無理を言って、一緒にセルフィーしてもらったスマホの画像を引き伸ばしたものに間違いなかった。
「本当は撮りたいよ、紡木と。だけどさ、俺がそういうの残せないって知ってるだろう」
「分かってます。絶対外へは出さないから」
パティシエ修行時代の師匠だった友成と一緒に写っている写真は、修行を終えて研修生のみんなと撮った時の一枚と、あとはこの水族館での一枚きりだ。
よく分からないが、大事な一枚がこうも真っ白になられては困る。一体どうしてこうなったのか、ひとまず紡木は部屋を出てみることにした。
友成から独立して自分のパティスリーを開店させたのが三年前。紡木が三十歳の時だった。友成から紹介された中古の物件は資金的にも規模的にもちょうど良く、販売スタッフをひとり雇っても賄えるまでには経営も軌道に乗っている。
パティスリーの二階に自宅兼事務所を置き、黙々と洋菓子作りに精を出している毎日のはずだった。
(一階に降りてみれば何か分かるか……)
やけに物音のしない静かな店内と厨房は、そこもまた一面が真っ白だった。ステンレスのはずの冷蔵庫もシンクも作業台も、洗って乾かしておいた道具類も、ショーケースも全部白。レジもディスプレイの花瓶も、スタッフが活けてくれている花ももれなく白い。
自分の店のようで自分の店でない。トラックにはねられてどうやって自宅へ帰ってきたかも分からない。この不可思議な状況をどう理解すればいいのか。
違和感はまだある。白い窓枠の外を見れば、店の前の通りに人の姿がまるでない。店を構えたのは賑やかな商店街の一角だ。人通りがないなんてこと、あり得ない。
結局一階に降りてみたところで、紡木の置かれた状況は何一つ判明しなかった。警察に問い合わせてみたとしても、答えてもらえるかどうか。
「スマホ……どうしたっけ」
ひとりごとが店内に響く。紡木が身につけているのは、記憶に新しいお気に入りのコートとセーター、少しでもスタイルをよく見せたいと何度も試着した紺のテーパードパンツ。友成との待ち合わせに着て行った時のままだ。
コートのポケットを探る。あった。取り出したスマホは、表面のガラスが割れてぐちゃぐちゃになっていた。……どういうことだ。
「じゃあやっぱり、俺は事故にあったのか?」
問いかけてみても、だれも答えてはくれない。



