来実から衝撃の宣言を受けたのは、二学期末テストが終わり、意気消沈していた後だった。その言葉を聞いた瞬間、教室中の音が消えた。
「クリスマスイブに、西川くんに告白する」
 ――ついに来たか。
 それが率直な感想だった。
 告白してみれば、と勧めたのは、他でもない私だったと思う。いつかこうなることは覚悟していた。
 すぐに音を取り戻して、来実に向かって笑みを作る。
「クリスマスイブってことは、デートした後に、ってこと?」
 ちょうどその日からこの学校は冬休みに入る。
「うん。昨日誘ったら、いいよ、行こうって言ってくれたんだ」
「そっか。頑張ってね、応援してるから」
 全ての感情を飲み込んで、はっきりと告げる。感情を抑えることが、いつからか、来実が相手でも当たり前になっていた。
「うん!ありがとう。終わったら、報告するね」
 元気よく頷いた来実は、その後少し顔を暗くして、
「……もし失敗しちゃったら、慰めてくれる……?」
 私の耳に顔を寄せて不安そうに呟いた。
「……うん、もちろん。でも、大丈夫だと思うよ」
 振られてしまったときに慰めることくらい、来実がそれを望むのならいくらでもする。それに関しては胸を張って言える。
「ありがとう、沙月。――大好き」
「……っ」
 急に愛の言葉を告げられて、鼓動が一瞬止まったような錯覚に陥った。
 ――どうせ、西川くんの方が。
 嬉しさよりも、わけのわからない嫉妬が、心の中で大きく現れた。
 ごめんね、来実。私はそれを与えられるほど立派な人間じゃない。本当は、もっと、来実と――。
 罪悪感が募ってどうかしそうだった。それでも、私の黒い心を悟られないように、来実が私への罪悪感を抱かないように、笑顔を作る。この数ヶ月で作り笑いが得意になってしまった。
 もう無理かもしれない。心のどこかでそんなことを感じていた。

 帰宅してすぐにSNSを見ることは、もう習慣のようになっていた。
 その日にあった嫌なことを忘れられるように、ネットの世界に浸り、みぞれくんのことだけを考える。
 だけど今日は、アプリを開いておすすめ欄の投稿を目にした瞬間、息が止まった。
【みぞれくんって学生時代いじめっ子だったんだって】
【みぞれってやつ、いじめしてた上に他の活動者を攻撃してるってマジ?】
【みぞれくん、いじめとか攻撃とか、嘘だよね?信じたのに……】
「なに、これ……」
 無数の非難の投稿を目にして、目眩がした。先週からちらほらと同様の投稿が増えていたけれど、まさかここまでになるなんて。おすすめ欄はみぞれくんへの非難の渦だった。
 炎上、の二文字が頭に浮かぶ。
 みぞれくんがそんなことをしているはずがない。私と同じ考えの人を探したけれど、非難している人の方が圧倒的に多く、数えられるくらいの擁護の投稿はなんの救いにもならなかった。
 吐き気がしてきて、思わずスマホを投げ出した。
 どうしてこんなことに。
 みぞれくんの配信を欠かさず訪れ、動画も全て見ている私からすれば、彼に限ってそんなことはありえない。
 みぞれくんはたとて心ないことを言われても誰のことも批判せず、常にリスナーのことを大切にしてくれる。
 過去の配信で、みぞれくんが自分の過去について話してくれたことがある。
『僕がネットの世界に来た理由はね、高校生のときに上手く学校に馴染めなかったからなんだ』
 みんなの迷惑にならないように頑張っていて、成績も良かったけれど、ある日突然糸が切れてしまって、その日から学校に行けなくなったという。
 みぞれくんはクラスメイトと価値観がなかなか合わず、友達もできなくてひとりぼっちだったそうだ。
 だから、自分と同じように頑張っているのに報われないと感じている人、それ以外でも全ての悩んでいる人に癒しを届けたい。それが、そのときに聞いたみぞれくんの決意だった。
 だから、そんなみぞれくんがいじめをしたり他の活動者さんを悪く言うなんておかしい。
 気が気じゃないまま夕食やお風呂を済ませた後、部屋に戻ってスマホを見ると、みぞれくんからのメッセージが投稿されていた。
【最近ネット上で、僕が過去にいじめをしていた、他の活動者様を攻撃しているというような噂が飛び交っていますが、そのような事実は一切ありません。応援してくれているみんなは、くれぐれも誤った情報に呑まれないようにしてください。
 ただ、そのような噂が出てしまい止められなかったことは僕の落ち度だと思っています。不快な思いをさせてしまってごめんなさい。これからもみんなを癒やせるように活動していくから、応援よろしくお願いします】
 コメント欄はだいぶ荒れていたけれど、私はみぞれくんのことを信じる。疑う理由がない。みぞれくん自身が否定してくれたことで一安心した。
 みぞれくんが謝る必要なんて一切ない。いちばん傷ついているのはみぞれくんのはずなのに。活動者ってすごい、とますます尊敬するとともに、私だったら耐えられないなと思った。
 私は、なにかあったときにこんなふうに落ち着いて対応できるだろうか。
 ネットの世界にもっと深く入り込んでしまえば、きっと傷つくことも多くなる。
 それも覚悟で、夢を持っていたつもりだったのに。いざ目の当たりにすると、私では耐えられる気がしない、
 考えが、悲観的な方向へ、沈んでいく。
 将来の唯一の光さえも、消え始めていた。

           ◇

 退屈な冬休みに入り、クリスマスイブを迎えた。クリスマスなんて私にとっては普通の日となにも変わらない。
 普段の休日のようにできるだけ勉強して、あとはゆったり過ごていたらいつの間にか夜になった。
 来実は今頃告白しているのだろうか。晩御飯を一緒に食べて、その後公園行って……とか、冬休み前に話してくれていた気がする。私は自分のドロドロとした感情を抑えるのに必死で話がほとんど入ってこなかった。
 一度来実に「最近調子悪そうだけど大丈夫?」と尋ねられたことがあるけれど、「ちょっとした頭痛が続いてるだけだから大丈夫」と言ってなんとかやり過ごした。
 ベットに転がってスマホを開くと、SNSでみぞれくんからの投稿が届いていた。
 その内容を見て、どくん、と心臓の嫌な音が自分の耳にまで届く。
【この後二十一時から、今後の活動について配信で説明をします。不安にさせてしまい本当にごめんなさい】
 ――嘘だよね、みぞれくん。
 最悪の可能性が頭をよぎる。そうなりかねない状況なのは私もよくわかっていた。
 みぞれくんがありえない噂に関するコメントを投稿してからも、彼への誹謗中傷は収まらなかった。だから私はみぞれくん本人の投稿以外を見るのをやめていた。
 火元のない火事がどうしてこんなに拡大してしまったのだろう。
 みぞれくんを無神経に傷つける人たちのことが許せない。心の底から怒りとそれ以上の悲しみを覚えていた。
 そんな報告、聞きたくない。でもみぞれくんはもう、そうするしかないほど追い込まれている。
 どうか、私の思い違いでありますように。
 そんなことを願いながら、午後九時、みぞれくんの配信を開く。
『みんな、来てくれてありがとう』
 みぞれくんの声はいつもの何倍も低く暗く沈んでいて、苦しそうだった。
 そんな声を聴くだけで胸が張り裂けるような思いがした。
『まずは……こんなことを話すことになってしまって、本当にごめんなさい』
 謝らないで。みぞれくんはなにも悪くない。悪いのは、誹謗中傷やその煽り、拡散をした人たち。
『今回の件で、本当に僕も、つらくて、いろいろ考えて』
 みぞれくんが配信で自分が「つらい」と言うのは初めてだった。そのたった数文字が、重く重く心を潰してくる。
『やっぱり、こうすることが、今は、僕にとっても、リスナーさんを傷つけないためにも最善の選択なのかなって思って……。僕のリスナーさんはみんな優しいから、そのせいで僕の代わりに傷ついているところを見るのが、本当に苦しくかった』
 いちばん優しいのはそんなことを言えるみぞれくんだよ。どうしたって届かない思いを心の中で呟く。
『――僕は、明日から、しばらく活動をお休みします』
「……っ、」
 私の虚しい願いは、あっさりと打ち破られた。
 それがみぞれくんや私たちリスナーにとって最善の選択であることは、論理的には理解している。それでも受け入れたくなかった。みぞれくんには、ずっとそばにいて、癒しを届け続けてほしかった。
 今まで当たり前のように隣にいてくれた人が、明日からはいなくなる。想像するだけで意識が霞んで息ができなくなって、生きれそうになかった。
 どうして、みぞれくんが。
 その後もみぞれくんはこれまでのことやこれからのことを話してくれていたけれど、活動休止ショックが大きく、全て私の耳を素通りしていった。
 そして、ちょうどみぞれくんの配信が終わったとき、追い打ちのように一件の通知が届いた。
 来実からだった。
 震える指でメッセージを開く。もはや、来実としては望まない結果になることを心から望んでいた。
【告白成功したー!沙月、応援ありがとう!】
 でも、その望みもまた叶わなかった。来実にとっては最高の結果なのに。私もできるなら思い切りそれを祝いたいのに。
 ねえ、来実まで、離れないでよ……。
 唇を噛んで溢れそうな感情をぐっと堪える。口の中で血の味がした。
 さっきまで憎んでいたネットに、今はとても感謝していた。もし対面だったら、来実のことを傷つけてしまっていたかもしれないから。
【おめでとう】
 そう一言送るのが精一杯だった。私が今まで言ってきた中で、いちばん心のこもっていない「おめでとう」だった。
 スマホを置いて天井を仰ぐ。体に力が入らない。
 私にはもう、居場所がない。
 それを自覚して、突然寂しさが襲ってくる。寂しいって、こういうことなんだ。
 周りの空気でさえも、私のことを嫌っているような感覚。全てが私から離れていく。
 これは、私のせいだ。
 私が〝もっと〟を求めなかったら、たぶんこんなことにはならなかった。自業自得というやつだ。
 ほんの少しでも孤独を和らげるために、毛布を頭から被って目を閉じた。
 それなのに、いつもは心地良いはずの毛布も、私の心を包んではくれなかった――。