「好きな人ができたの」
その言葉を聞いたとき、私は自分の耳を疑った。
すきなひとができた。
新年度特有のぎこちなさも和らいできた四月の終わり、騒がしい昼休み。
来実の放ったその言葉だけが、やけに大きく響いた。
最近ぼーっとしてること多いけど大丈夫、と尋ねたことに対する答えがそれだった。
「……だっ、誰?」
心の中で決して穏やかでない風が吹くのを感じながら、訊くべきだと思った問いかけを投げる。
「西川優翔くん」
頬を真っ赤にしながらぼそっと呟く来実は、まさしく恋する女の子だった。
西川くん――始業式の日に来実が、あの子かっこいい、と言っていた男の子だ。
「は、早くない?」
私の方が動揺しているのは、今まで恋愛というものに見向きもしなかった来実に好きな人ができたから、ではない。いや、それもあるけれど、それだけではなかった。
「いや、えっと、あのね、私が階段で転びかけちゃったときに、たまたまそこにいた西川くんが支えてくれて……」
「それで、一目惚れしちゃったってこと?」
「そうだけど、はっきり言わないでよっ」
来実は可愛いから、今まで何度か告白されたことがある。でも全て断っていて、その度に相手のことを思って心を痛めていた。来実にとってはそれがとてもストレスになっていたはずだ。
それだけ恋はせずともその痛みを知っているはずの来実が、まさか誰かを好きになるなんて。
でも、好きになってしまったものはどうしようもない。彼女の好きを止める権利は私にはない。そもそも始業式の日の時点で薄々そんな気はしていた。
「来実は、西川くんと、その、付き合いたいの?」
「えっ!?待って、それはまだ気が早いよ」
「でも、好きってそういうことでしょ……?」
「そうかもしれないけど……とりあえず、ちょっとずつ仲良くなってからだよ」
「確かに。……応援するから、頑張って」
「ありがとう、沙月」
赤い頬のままで来実が微笑んだ。天使のような笑顔に見惚れる一方で、暗い気持が渦を巻いていた。
応援する、と伝えるとき、つかえてしまったのはどうしてだろう。
私は来実の恋なら応援したい。来実に幸せになってほしい。その気持ちに嘘はない。
なのに、どうしても全力で応援できる気がしない。応援したいのに。来実の恋を叶えるためなら、なんだってすると言いたいのに。
大切な人に、大切な人ができてほしくない。
こんなつまらない人間といつも一緒にいてくれる、大切で大好きな友達。そんな彼女のことを心から応援できないなんて、最低だ。
「沙月?どうしたの?」
心配そうな声で、私は自分が呆けてしまっていたことに気付いた。
「ううん、なんでもない。それより来実、西川くんのことちゃんと捕まえちゃってね。来実なら行けるよ」
慌てて言葉を紡いで誤魔化す。これも全部私の本心だ。来実なら大丈夫。心配もあるけれど、きっと来実なら西川くんと上手く仲良くなれる思う。
「捕まえるって……。そんな強引なことしないよ。でも、うん、頑張るね」
来実と西川くんに仲良くなってほしい。そう思っているはずなのに、心のどこかが、なにを言っているんだと叫んでいた。
自分の奥底の醜い本音が、這い上がろうとしてきている。
やめて、出るな、私の暗いところ。私は来実を応援する。来実が望むような幸せを手に入れられるよう協力する。
黒い渦を抑えつけるように、私は必死に自分に言い聞かせた。
当たり前のように私だけの側にいてくれたものが離れていく、その兆しを感じていた。
帰り道、今日はなんとなく遠回りをしようかなという気分になった。疲れてしまったときや、家に帰りたくないときにはよくそんな考えが浮かぶ。疲れすぎてしまったら即刻帰って寝ることもあるけれど、今日は帰る気分にならない。
家に帰りたくない、というのも少し違う。ただ頭を整理するために外の空気を浴びて落ち着きたい。
元気良く草が生い茂る河原。そこに生えている桜の木は、もうどれも黄緑色に変わっていた。
ソメイヨシノの鮮やかで優しいピンク色も、いつの間にか見られなくなっていた。次はまた一年後だ。
桜が咲き誇って人々を魅了してくれるのは、短いあいだだけ。どうしてあんなに早く散ってしまうのだろう。
土手の脇の道を歩いていると、桜の木の下で一人の女の子が座っているのを見つけた。あの日の望月くんのようだった。
私服だから分かりづらいけれど、見た目からしておそらく私と同い年くらいだ。風が吹いてその長い黒髪をさらりと揺らした。
なびいた髪の隙間から、切なさを孕んだ横顔が覗いた。
雰囲気があの日の望月くんと似ている。それどころかほぼ同じだ。けれどどこか、生気が欠けているようにも見えた。
あの子はどんな人生を送っているんだろう。
私の中の危ない好奇心が想像を膨らませる。クラスで孤立していて、学校に居場所がないのだろうか。家族との仲が悪く、家にいたくないのかもしれない。何十億人もいる世界でひとりきりになってしまって、こんな場所に居場所を求めたとも考えられてしまう。
自分の思考が良くない方向に回っていることに気付き、ふーっと大きく息を吐いた。
なにやってるんだろう、私。
人の人生を勝手に想像して、勝手に悲劇のヒロインに仕立て上げて。そんなことをしていてもなにも始まらない。しかもだいたい間違っている。
私がそうなりたいだけなのだろうか。
いっそ悲劇のヒロインくらいに苦しみが降りかかっていれば、悩むことを縛らなくて済んだのに。
私には救いがある。表面上は満たされている。だから悩む必要なんて、本当はないはずだ。
また一つ息を吐き出してから、再び歩き始めた。
家に帰って部屋に入ってから、私は来実のことをずっと考えた。
来実は唯一無二の親友で、私を支えてくれる大切な存在。
初めて出会ったのは中学三年生のときだった。中二までの私は友達はいたものの広く浅い付き合いで信頼し合えるような人とは出会えていなかった。だから、気を遣ってばかりの関係に辟易していたし、疲れていた。
反抗期真っ只中で親との関係も最悪だったことも相まって、なにもかも思い通りに行かない日々が続いた。
こんな人間関係は、私が欲しいものじゃない。これが続くなら友達なんていない方がいい。そう思って、中三のときは極力友達を作らないようにした。
周りの人を不快にさせたいわけではなかったから、最低限の会話や挨拶はし、話しかけられたら愛想よく答えていた。でも自分から話しかけることや面白いことを言ったり、話を広げるようなことは敢えてしなかったから、当然ながら友達はできなかった。
そして私はひとりになった。それでいいと思っていたはずなのに、少し時間が経つと誰ともつながっていないことがとても怖くなった。弱くて救いようのない迷える子羊。それどころか、子羊よりも弱かったと思う。
誰かを求めて教室を観察していたとき、一人の女の子が目に入った。
誰にでも優しく接して、全てのお願いを受け入れてしまう。それゆえにいろんな人から話しかけられるのに特定の人とつるむことはなく、格段に仲の良い子も持っていない様子で、普段は一人でいることが多い。
それが、来実だった。
彼女に私と似たようなものを感じ、早速話しかけてみた。
『あ、あのっ、来実ちゃん』
『姫野さん。どうしたの?』
『えっと、なにか特別な用事があるわけじゃないんだけど、もし良かったら私とお話ししない?』
『えっ……。私でいいの?』
『うん!前から来実ちゃんと話してみたかったんだ』
人に話しかけるのをやめていたせいで第一声が上手出せなかったけれど、来実は戸惑いつつもみんなが言うように「優しく」対応してくれた。
そんな来実に惹かれて、私はそれ以来積極的に彼女とコミュニケーションを図った。普段から話しやすい話題の種を持っていなかったため会話が上手く続けられなかったこともあるけれど、来実が何でも快く受け止めてくれたからだんだんと仲良くなることができた。
初めのうちは訊かないと離してくれたなかった来実自身のことも、少しずつ自分から話してくれるようになった。
『みんなに頼ってもらえるのは嬉しいけど、苦しい……』
それが、来実がずっと抱えていた悩みだった。
『優しいって言われるのが前は嬉しかったのに、最近は、それが呪いの言葉にしか聞こえなくて』
来実は「優しい」から、当時のクラスメイトのお願いを全て聞き入れて一人で多くの荷物を背負ってきた。ノート写させて、鉛筆貸して、などはいい方だけど、来実が断らないことに気付くと、自分の委員会の仕事を頼んだり、職員室に行くなどの嫌な役を押し付けたりするようになった。
来実がそのことを話してくれた後に一度、放課後に一人で教室掃除をしている来実を見たことがある。
『あれ、他の人は?』
『みんな用事があるって言って、帰っちゃった』
そう言った来実の無理な笑顔を見たとき、どうしようもない怒りが込み上げてきたのを覚えている。あれほど強い感情を抱いたのは先にも後にもそのときだけだ。
『全部来実だけに任せて……!私先生に言ってくるよ』
『待って!いいよ、沙月』
『でも、これじゃ来実がつらいままだよ』
『ううん、いいの。私がこうしていれば、なにもトラブルを起こさなくて済むから』
それを聞いて、私は自分の心を呪った。来実が重圧に耐えてまで保ってきたものを崩壊させしまうところだった。
来実は先生が怒ったり誰かが困ることがないように、無理難題を押し付けられても引き受けていたのだ。
結局私は来実の掃除を手伝うことくらいしかできなかった。来実は、ありがとう、と言ってくれたけれど、私は彼女の心を救うことはできなかった。
けれど高校生になってからはそういうこともほとんどなくなり、来実に笑顔が増えた。私に力なんてないのに、来実は今も親友でいてくれている。
大好きで大切で、私にとっていちばんの味方。
そのはずなのに、なんで私の心はこんなにも暗いんだろう。
――なんで、恋なんてしちゃったの?
「……っ」
決して口にしてはいけない言葉が出る前に、唇をきつく結ぶ。
もし、来実と西川くんが付き合うことになったら、私は――。
この抑えきれない、けれど抑えなければいけない感情に名前をつけるなら、これはきっと、焦りだ。
自分の黒い感情を消せないまま夜を迎え、今日もみぞれくんの配信の時間になった。
スマホをつけて配信が始まるまで待機する。
しばらくして、水色の瞳を持つ真っ白な男の子が画面に映った。改めて、イラストがこんなにも自在に動くなんてすごいなと思う。
これなら顔を見られずとも配信ができ、多くのものを届けられる。私もいつかこんなふうに――。
『みんなこんばんは〜、お待たせしました、みぞれで〜す』
みぞれくんのふわふわした声が静かな部屋に溶ける。一気に体の力が抜け、張り詰めていた心が解ける。
みぞれくんとの時間は、厳しい現実から目を背けることができる。
『こんばんはー。今日も来てくれてありがとう。一日お疲れ様〜』
彼の一言一言が私の生きる力になっていく。
お疲れ様、という何気ない単語だけで、生きててよかったと思えてしまうから不思議だ。
たくさんのコメントが次から次へと画面の端を流れていく。今日もみぞれくんは愛されている。このコメントの中にアンチコメントのようなものはほとんど見たことがない。
普段そんなつまらないことをしている人の心もここに来るとみぞれくんの声で浄化されるのかもしれない。
『最近暑くなってきたよね〜。夏になったら僕溶けちゃいそうだよ』
笑いながらまったりと話すみぞれくんが、たまらなく大好きだ。
そうだ、もし来実との関係が弱まってしまっても、私にはみぞれくんがいる。だから、大丈夫。
大丈夫だよね……?
みぞれくんは視聴者からのコメントを読みながら変わらずゆったりと喋っている。急に私と画面内のみぞれくんとの間に大きな隔たりを感じた。
私がどれだけ手を伸ばしても本当のみぞれくんには触れられない。逆にみぞれくんがどれだけ私たちファンに元気と癒しを届けてくれたとしても、彼から私の心の奥に触れることはできない。
それに、みぞれくんの目の前にいるのは私ではなく「ファンのみんな」だから。
いくら求めても叶わないことを望み、勝手に虚しくなっていく。こんなことを、本当は考えたくないのに――。
その言葉を聞いたとき、私は自分の耳を疑った。
すきなひとができた。
新年度特有のぎこちなさも和らいできた四月の終わり、騒がしい昼休み。
来実の放ったその言葉だけが、やけに大きく響いた。
最近ぼーっとしてること多いけど大丈夫、と尋ねたことに対する答えがそれだった。
「……だっ、誰?」
心の中で決して穏やかでない風が吹くのを感じながら、訊くべきだと思った問いかけを投げる。
「西川優翔くん」
頬を真っ赤にしながらぼそっと呟く来実は、まさしく恋する女の子だった。
西川くん――始業式の日に来実が、あの子かっこいい、と言っていた男の子だ。
「は、早くない?」
私の方が動揺しているのは、今まで恋愛というものに見向きもしなかった来実に好きな人ができたから、ではない。いや、それもあるけれど、それだけではなかった。
「いや、えっと、あのね、私が階段で転びかけちゃったときに、たまたまそこにいた西川くんが支えてくれて……」
「それで、一目惚れしちゃったってこと?」
「そうだけど、はっきり言わないでよっ」
来実は可愛いから、今まで何度か告白されたことがある。でも全て断っていて、その度に相手のことを思って心を痛めていた。来実にとってはそれがとてもストレスになっていたはずだ。
それだけ恋はせずともその痛みを知っているはずの来実が、まさか誰かを好きになるなんて。
でも、好きになってしまったものはどうしようもない。彼女の好きを止める権利は私にはない。そもそも始業式の日の時点で薄々そんな気はしていた。
「来実は、西川くんと、その、付き合いたいの?」
「えっ!?待って、それはまだ気が早いよ」
「でも、好きってそういうことでしょ……?」
「そうかもしれないけど……とりあえず、ちょっとずつ仲良くなってからだよ」
「確かに。……応援するから、頑張って」
「ありがとう、沙月」
赤い頬のままで来実が微笑んだ。天使のような笑顔に見惚れる一方で、暗い気持が渦を巻いていた。
応援する、と伝えるとき、つかえてしまったのはどうしてだろう。
私は来実の恋なら応援したい。来実に幸せになってほしい。その気持ちに嘘はない。
なのに、どうしても全力で応援できる気がしない。応援したいのに。来実の恋を叶えるためなら、なんだってすると言いたいのに。
大切な人に、大切な人ができてほしくない。
こんなつまらない人間といつも一緒にいてくれる、大切で大好きな友達。そんな彼女のことを心から応援できないなんて、最低だ。
「沙月?どうしたの?」
心配そうな声で、私は自分が呆けてしまっていたことに気付いた。
「ううん、なんでもない。それより来実、西川くんのことちゃんと捕まえちゃってね。来実なら行けるよ」
慌てて言葉を紡いで誤魔化す。これも全部私の本心だ。来実なら大丈夫。心配もあるけれど、きっと来実なら西川くんと上手く仲良くなれる思う。
「捕まえるって……。そんな強引なことしないよ。でも、うん、頑張るね」
来実と西川くんに仲良くなってほしい。そう思っているはずなのに、心のどこかが、なにを言っているんだと叫んでいた。
自分の奥底の醜い本音が、這い上がろうとしてきている。
やめて、出るな、私の暗いところ。私は来実を応援する。来実が望むような幸せを手に入れられるよう協力する。
黒い渦を抑えつけるように、私は必死に自分に言い聞かせた。
当たり前のように私だけの側にいてくれたものが離れていく、その兆しを感じていた。
帰り道、今日はなんとなく遠回りをしようかなという気分になった。疲れてしまったときや、家に帰りたくないときにはよくそんな考えが浮かぶ。疲れすぎてしまったら即刻帰って寝ることもあるけれど、今日は帰る気分にならない。
家に帰りたくない、というのも少し違う。ただ頭を整理するために外の空気を浴びて落ち着きたい。
元気良く草が生い茂る河原。そこに生えている桜の木は、もうどれも黄緑色に変わっていた。
ソメイヨシノの鮮やかで優しいピンク色も、いつの間にか見られなくなっていた。次はまた一年後だ。
桜が咲き誇って人々を魅了してくれるのは、短いあいだだけ。どうしてあんなに早く散ってしまうのだろう。
土手の脇の道を歩いていると、桜の木の下で一人の女の子が座っているのを見つけた。あの日の望月くんのようだった。
私服だから分かりづらいけれど、見た目からしておそらく私と同い年くらいだ。風が吹いてその長い黒髪をさらりと揺らした。
なびいた髪の隙間から、切なさを孕んだ横顔が覗いた。
雰囲気があの日の望月くんと似ている。それどころかほぼ同じだ。けれどどこか、生気が欠けているようにも見えた。
あの子はどんな人生を送っているんだろう。
私の中の危ない好奇心が想像を膨らませる。クラスで孤立していて、学校に居場所がないのだろうか。家族との仲が悪く、家にいたくないのかもしれない。何十億人もいる世界でひとりきりになってしまって、こんな場所に居場所を求めたとも考えられてしまう。
自分の思考が良くない方向に回っていることに気付き、ふーっと大きく息を吐いた。
なにやってるんだろう、私。
人の人生を勝手に想像して、勝手に悲劇のヒロインに仕立て上げて。そんなことをしていてもなにも始まらない。しかもだいたい間違っている。
私がそうなりたいだけなのだろうか。
いっそ悲劇のヒロインくらいに苦しみが降りかかっていれば、悩むことを縛らなくて済んだのに。
私には救いがある。表面上は満たされている。だから悩む必要なんて、本当はないはずだ。
また一つ息を吐き出してから、再び歩き始めた。
家に帰って部屋に入ってから、私は来実のことをずっと考えた。
来実は唯一無二の親友で、私を支えてくれる大切な存在。
初めて出会ったのは中学三年生のときだった。中二までの私は友達はいたものの広く浅い付き合いで信頼し合えるような人とは出会えていなかった。だから、気を遣ってばかりの関係に辟易していたし、疲れていた。
反抗期真っ只中で親との関係も最悪だったことも相まって、なにもかも思い通りに行かない日々が続いた。
こんな人間関係は、私が欲しいものじゃない。これが続くなら友達なんていない方がいい。そう思って、中三のときは極力友達を作らないようにした。
周りの人を不快にさせたいわけではなかったから、最低限の会話や挨拶はし、話しかけられたら愛想よく答えていた。でも自分から話しかけることや面白いことを言ったり、話を広げるようなことは敢えてしなかったから、当然ながら友達はできなかった。
そして私はひとりになった。それでいいと思っていたはずなのに、少し時間が経つと誰ともつながっていないことがとても怖くなった。弱くて救いようのない迷える子羊。それどころか、子羊よりも弱かったと思う。
誰かを求めて教室を観察していたとき、一人の女の子が目に入った。
誰にでも優しく接して、全てのお願いを受け入れてしまう。それゆえにいろんな人から話しかけられるのに特定の人とつるむことはなく、格段に仲の良い子も持っていない様子で、普段は一人でいることが多い。
それが、来実だった。
彼女に私と似たようなものを感じ、早速話しかけてみた。
『あ、あのっ、来実ちゃん』
『姫野さん。どうしたの?』
『えっと、なにか特別な用事があるわけじゃないんだけど、もし良かったら私とお話ししない?』
『えっ……。私でいいの?』
『うん!前から来実ちゃんと話してみたかったんだ』
人に話しかけるのをやめていたせいで第一声が上手出せなかったけれど、来実は戸惑いつつもみんなが言うように「優しく」対応してくれた。
そんな来実に惹かれて、私はそれ以来積極的に彼女とコミュニケーションを図った。普段から話しやすい話題の種を持っていなかったため会話が上手く続けられなかったこともあるけれど、来実が何でも快く受け止めてくれたからだんだんと仲良くなることができた。
初めのうちは訊かないと離してくれたなかった来実自身のことも、少しずつ自分から話してくれるようになった。
『みんなに頼ってもらえるのは嬉しいけど、苦しい……』
それが、来実がずっと抱えていた悩みだった。
『優しいって言われるのが前は嬉しかったのに、最近は、それが呪いの言葉にしか聞こえなくて』
来実は「優しい」から、当時のクラスメイトのお願いを全て聞き入れて一人で多くの荷物を背負ってきた。ノート写させて、鉛筆貸して、などはいい方だけど、来実が断らないことに気付くと、自分の委員会の仕事を頼んだり、職員室に行くなどの嫌な役を押し付けたりするようになった。
来実がそのことを話してくれた後に一度、放課後に一人で教室掃除をしている来実を見たことがある。
『あれ、他の人は?』
『みんな用事があるって言って、帰っちゃった』
そう言った来実の無理な笑顔を見たとき、どうしようもない怒りが込み上げてきたのを覚えている。あれほど強い感情を抱いたのは先にも後にもそのときだけだ。
『全部来実だけに任せて……!私先生に言ってくるよ』
『待って!いいよ、沙月』
『でも、これじゃ来実がつらいままだよ』
『ううん、いいの。私がこうしていれば、なにもトラブルを起こさなくて済むから』
それを聞いて、私は自分の心を呪った。来実が重圧に耐えてまで保ってきたものを崩壊させしまうところだった。
来実は先生が怒ったり誰かが困ることがないように、無理難題を押し付けられても引き受けていたのだ。
結局私は来実の掃除を手伝うことくらいしかできなかった。来実は、ありがとう、と言ってくれたけれど、私は彼女の心を救うことはできなかった。
けれど高校生になってからはそういうこともほとんどなくなり、来実に笑顔が増えた。私に力なんてないのに、来実は今も親友でいてくれている。
大好きで大切で、私にとっていちばんの味方。
そのはずなのに、なんで私の心はこんなにも暗いんだろう。
――なんで、恋なんてしちゃったの?
「……っ」
決して口にしてはいけない言葉が出る前に、唇をきつく結ぶ。
もし、来実と西川くんが付き合うことになったら、私は――。
この抑えきれない、けれど抑えなければいけない感情に名前をつけるなら、これはきっと、焦りだ。
自分の黒い感情を消せないまま夜を迎え、今日もみぞれくんの配信の時間になった。
スマホをつけて配信が始まるまで待機する。
しばらくして、水色の瞳を持つ真っ白な男の子が画面に映った。改めて、イラストがこんなにも自在に動くなんてすごいなと思う。
これなら顔を見られずとも配信ができ、多くのものを届けられる。私もいつかこんなふうに――。
『みんなこんばんは〜、お待たせしました、みぞれで〜す』
みぞれくんのふわふわした声が静かな部屋に溶ける。一気に体の力が抜け、張り詰めていた心が解ける。
みぞれくんとの時間は、厳しい現実から目を背けることができる。
『こんばんはー。今日も来てくれてありがとう。一日お疲れ様〜』
彼の一言一言が私の生きる力になっていく。
お疲れ様、という何気ない単語だけで、生きててよかったと思えてしまうから不思議だ。
たくさんのコメントが次から次へと画面の端を流れていく。今日もみぞれくんは愛されている。このコメントの中にアンチコメントのようなものはほとんど見たことがない。
普段そんなつまらないことをしている人の心もここに来るとみぞれくんの声で浄化されるのかもしれない。
『最近暑くなってきたよね〜。夏になったら僕溶けちゃいそうだよ』
笑いながらまったりと話すみぞれくんが、たまらなく大好きだ。
そうだ、もし来実との関係が弱まってしまっても、私にはみぞれくんがいる。だから、大丈夫。
大丈夫だよね……?
みぞれくんは視聴者からのコメントを読みながら変わらずゆったりと喋っている。急に私と画面内のみぞれくんとの間に大きな隔たりを感じた。
私がどれだけ手を伸ばしても本当のみぞれくんには触れられない。逆にみぞれくんがどれだけ私たちファンに元気と癒しを届けてくれたとしても、彼から私の心の奥に触れることはできない。
それに、みぞれくんの目の前にいるのは私ではなく「ファンのみんな」だから。
いくら求めても叶わないことを望み、勝手に虚しくなっていく。こんなことを、本当は考えたくないのに――。



