先生、好きになってもいいですか

「矢野ー」

「はい」

「山崎ー」

「はぁーい」

ゴールデンウィークが過ぎ、中だるみが起きやすい時期になったが、山崎は遅刻をせずに出席していた。

(今日はちゃんと来たか)

手をひらひらと振りながら点呼に返事をする山崎を見て、少しホッとした。

授業の前半は元気に動いていたが、途中からフラフラとしてきたのか、授業の後半は体育館の隅に座って目を瞑っていた。

それから授業が終わるまでの間、山崎はピクリとも動かず小さく体育座りをしたままだった。

「山崎ー、大丈夫かー」

授業を終わらせてから、声をかける。

「んん……あ、せんせ。おはよぉ」

「おはようじゃない、もう授業終わったんだよ」

身体が言うことを聞かないとでも言いたそうに、体育館の床にべたりと寝そべる。

「あぁ、だめだ。動けん。ちょっと、このまま休憩してていい?」

「ちょっとだけな。片付けてる間はいいけど、それ以上なら保健室行けよ」

「はいはい」

「なんでだるそうな返事なんだよ」

山崎は眠たそうにあくびをしながら「はぁい」と再び返事をした。


「ね、先生の片付けしてる姿、眺めてるのなんかいいね」

体育館の床に寝転がる山崎が片付けを続ける俺にクスクスと嬉しそうに笑って話しかけてきた。

「はぁ?どこがだよ。なんのおもしろみもないだろ」

「……ムービー撮っていい?」

「良いわけない」

俺の返事を聞いた山崎は寝転んだまま不貞腐れたように口を尖らせた。

その間に俺は、実技で体育倉庫から出して使った備品を倉庫内へ戻す作業を淡々と続ける。

「山崎ー。もうちょっとで片付け終わるぞー」

体育倉庫に鍵をして、山崎の元へ行った。

「ね、せんせ……オレさ、いろいろ覚えてらんないんだよね」

「うん」

前に配慮が必要であることが記載された書類に病名と症状が書かれてあったから知っている。

「だから、オレ、明日になったら先生との会話も授業も全部忘れちゃってるかも」

ヘラヘラと笑って話す山崎に、俺はなんて言葉を返してい良いか一瞬わからなくなった。

覚えていられないことが当たり前の日常なんて、想像するだけで不安になる。

「オレ、口約束とかも忘れちゃうし、前回やったとこが〜とか言われたら脳内パニックになんのよ。だから何でもメモんなきゃいけないわけで」

かなり重たい話をしているはずなのに、山崎は相変わらず体育館の床に寝転がっている。

そんな山崎の態度だけ見ると不真面目な学生にしか見えなくて、きっと誤解を招いてきただろうなと思った。

「で、先生と今こうして喋ってんの楽しいんだけどさ。明日、先生のことを忘れても、このムービーを見て楽しかったんだろうなって思い出せるように記録しておきたい」

不真面目そうな態度で、自分の持病について話す山崎に同情したのかもしれない。

「まぁ……ムービー撮るの今日だけな」

今日だけ、特別扱いをした。

「さすが先生〜。ま、もう撮ったんだけどね」

「え、その後出しはズルいだろ」

俺がそう言うと、山崎はいたずらを成功させた子どものようにケラケラと笑った。

「まぁ、なんだ。俺のことは忘れてても良いけど、授業は来いよ」

「来てるじゃん、先生に会いに」

「っふ。なに言ってんだよ。俺に会いに来るんじゃなくて、身体動かしに来い」

山崎の言うことは本気なのか、冗談なのかわからない言葉に適当に返しておいた。


「あ…暗くなった…せんせ、もう帰んの?」

俺は私物を持って、体育館の空調はつけたまま、電気だけ消した。

「帰るよ、授業終わったじゃん」

「えーやだー。オレ、三隅先生ともうちょい話してたいー」

「駄々をこねるな。ほら、シャキッと立って」

「立てない」

「じゃ置いてく」

「それもやだ。ね、ほんと、せんせ。もうちょっとだけオレとお喋りしててよ」

「やだよ。はぁ、お前いつからそんな駄々っ子になったんだよ」

初めて会ったときは、ただの覇気のない不健康そうな学生だと思っていたのに、今となっては大きい子どもみたいだ。

やりたいことや思ったことはすぐに口にする。

一緒にいたい。

喋りたい。

側にいてほしい。

山崎は誰かをこんなにも真っ直ぐ求めることに恥ずかしさは感じないのだろうか。

大人になった今の俺では、恥ずかしさが勝って言い訳がないと無理だと思う。

それに、そもそも俺のどこに気にいる要素があるのか全く分からないが、居心地が良くて授業をサボらなくなるならいいか、と山崎を甘やかしておくことにした。