「今日で卒業だね」

 きみの言葉が耳を流れてゆく──はらはらと桜が舞い、清々しい青空の下で、卒業証書を抱えたまま振り返る。まっすぐ伸びた黒い髪、他の男子に比べて長めだけど清潔感があって、よく似合っていた。

 制服姿を見るのもこれが最後か、と思う。部活で汗を流して必死に走っているところも、授業中ふと盗み見るとぼうっと窓の外を見ているところも、教室で目が合ったら少しだけ口角を上げてくれるところも、すべてが最後だ。

「サクラ、俺ね」

 薄ピンク色の花びらを見上げながら、きみが呟く。その言葉を一音も逃さないように、耳に神経を集中させる。風が吹き、真っ青な空に桜がのぼってゆく。

「これから、上京するんだ」

 え、と声が洩れた。てっきり私と同じ、地元の大学に通うのだとばかり思っていた。思わぬ告白に面食らっていると、「サクラはさ」と、きみが言葉を続ける。

「たぶん俺が上京するって言ったら、進路を考え直すくらいするでしょ? そんなことで、サクラの人生左右したくなかったし」
「……私がきみのために進路変えるとか、結構自信過剰なんじゃない?」
「でも当たりでしょ」
「……まぁ、それは……わかんないけど」

 たしかに受験の前だったとしたら、なんとしてでもきみにくっついて行った気もする。
 脳内を見透かされているようで気恥ずかしくなっていると、「ほらね」と小さく笑ったきみは、一歩私に近づいた。

「じゃあ、これでお別れってこと?」

 私は、視線を上げて訊ねる。
 ああ、もっとしっかりきみの話を聞いていればよかった。思い返せば進路の話なんてろくにしたことがなくて、記憶のなかのきみはいつも曖昧に誤魔化していたね。

「一旦は、そうだね」

 その瞬間、ぶわ、と目頭が熱くなる。
 まさか会えなくなるなんて、想像もしていなかった。

 だって、私、きみのことが好きだった。

 午後の授業中の寝顔も、部活の時の真剣な顔も、休み時間男子と騒いでいる時の楽しそうな顔も、柔らかく微笑む顔も、テストの結果に不満げな顔も、アイスがハズレで残念そうな顔も。
 コロコロ変わるきみの表情に、私はいつも、惹かれていたんだよ。

 入学式で一目惚れしてから3年間、私が学校に通う理由は、きみだった。

 それなのに、きみはそれすら伝えさせてくれないまま遠くへ行ってしまうの?
 だって東京には私じゃ太刀打ちできないような可愛い子が山ほどいるし、目を引く才能がある人や魅力的な人がたくさんいるだろう。
 きみだっていつか東京に慣れてしまって、この地元で育ったことも、私のことも、忘れてしまうのだろうか。


「直接的な言葉は、サクラの今後を縛るようでイヤだからやめるけど──この3年間、俺が高校に行く理由はサクラだったよ」


 ここまで見透かされているようで、一気に体温が上がる。身体中が熱い。


「……私の理由も、ずっと同じだった。同じだったんだよ」


 きみに会うために、通う日々だった。
 まっすぐにきみを見つめると、それ以上に真剣な瞳が私を射抜いてくる。桜の木の隙間からこぼれる光を凝縮したような、宝石みたいな目。

「夢に向かってお互いに進もう。それで、いつかその夢が叶ったら、その時は──」
「──その時にきかせて、言葉の続き」

 薄紅色に視界が染まる。ほんのりと、桜の香りが鼻腔をついた。
さらり、髪が揺れる。

「サクラ」

 ふいにきみの手がのびてきて、私の髪についていた桜の花びらをつまんで、そっと離す。風にのってふわりと舞い上がった花びらは、そのまま光へと溶けていった。

 きみは柔らかく微笑んで、そっと呟く。


「桜が綺麗ですね」


 3月9日。私達は桜に見守られながら、共に過ごした学舎を卒業する。

 きみが敢えて敬語を使った理由、その言葉に隠された意味を知るのはもう少し先の話──。