「卒業生、入場」

 鳴り響く拍手とともに、胸元にコサージュを揺らし、どこか誇らしげな顔で登場する三年生。
 入口へと向けていた視線は、彼が登場した途端、彼だけを追うように流れた。

 いつもボサボサで、気だるげな顔をしていたのに、今日だけはと誰かに言われたのだろうか。
 ストンと下におりた黒髪が光って見えた。

──あ、ちょっとハネてる。

 そう思うのは何度目だろうか。
 その癖っ毛に手を伸ばして、「ハネてるよ」と言えたら、とありもしない想像をしているうちに先輩は自分の席へとついた。

「〇〇」

 呼名の瞬間、何度も何度もなぞった彼の名前に、唇を噛み締める。



 ── 先輩、知っていましたか。私、あなたのことが好きでした。

 たまに校内ですれ違う時、敢えて友達の方を向いてしまっていたけれど、そのくせすれ違った後にあなたの背中を見てました。

 いつもだるそうにしているあなたが、ボールを蹴っている時だけは、真剣な顔になるところが好きでした。

 合唱コンクールで口をパクパクさせていたのが可愛らしくて好きでした。

 あなたはインスタをやっていなくて、繋がりの端さえ掴ませてくれなかったし、クラスラインからいつでも追加できてしまう女子の先輩たちを幾度も羨ましく思ったけれど。

 それでもね、私は、そんなところもあなたらしくて好きだったんです。

 あなたの一挙一動は、私という人間をいつだってときめかせていたこと、あなたは知っていますか。





『落としましたよ』

 あなたが拾ってくれた本の栞は、今も私の胸ポケットに、お守りとして入っています。

 あなたにとっては何気ない、もう忘れてしまったかもしれない出来事だけど、私にとっては、何にも代え難い出逢いでした。

「卒業生、退場」

 彼の顔がよく見える。少し猫背で、歩幅は大きめ。

 少し下を見て歩く彼の姿を見るのはこれが最後だ。

 黒髪が揺れる。在校生、そんな壁に邪魔された私の横を、通り過ぎてゆく。







 ああ、先輩、いかないで。私まだ、あなたのことを見ていたかった。知ってみたかった。

 ねえ、先輩。
 あなたは私のことなんて全然知らなくて、
 私が抱えているこの気持ちだってきっと知らないのでしょう。

 ここにひとり、あなたのことを好きな人がいます。

 そう伝えたら、あなたはどんな顔をするのですか。どんなふうに笑うのですか。

 学校は、交わることのないあなたと私の人生が、唯一交わる場所でした。



 さようなら、ありがとう、先輩。
 話せなくても、目が合わなくても、私はあなたのことが、好きでした──。