梅雨の湿った空気が漂う駅のホームで、栗原は時計を見ながら待っていた。雨はしとしとと降り続け、足元を濡らす音が響く中、彼の前に現れたのは雨穴だった。

「お待たせいたしました、栗原さん。」

雨穴はいつものように落ち着いた口調で言った。少し濡れた髪を気にしながら、栗原に軽く頭を下げる。

「いえ、別にお待ちしておりませんでしたから。」

栗原は冷静に返すが、その目はどこか温かさを含んでいる。雨穴は少し不安げな表情を見せる。

「申し訳ありません、時間を取らせてしまったようですね。」

「そんなことありません。雨も降っていますし、遅れるのも仕方がないことです。」

栗原は少し微笑みながら言った。それに対し、雨穴は少し安心した表情を見せる。

「ありがとうございます、栗原さん。」

「どういたしまして。」

しばらく二人は沈黙を保ちながら、雨の音を聞いていた。その静かな時間が心地よく、栗原も雨穴も、何となくお互いの存在に安らぎを感じているようだった。

「それで、今日はいかがなさいますか?」と、栗原が問いかける。

「ええ、少し散歩でもと思いまして。栗原さんもお付き合いいただけますか?」

「もちろん、お付き合いしますよ。」

栗原は素直に答えた。雨穴の提案に対して、特に嫌な顔もせず、むしろ少し嬉しそうに見える。二人は並んで歩き始める。

「それにしても、今日はずいぶんと冷えますね。」と、雨穴が話題を変える。

「そうですね。こんな日に外に出るのは、少し無謀かもしれませんね。」と、栗原が返す。

「でも、雨音の中で歩くのも悪くはないと思いませんか?」

「はい、確かに。静かな中で、雨の音だけが響くのは、少し特別な感じがします。」

二人はしばらく、特に急ぐこともなく歩き続けた。互いにあまり多くを語らず、それでも心地よい距離感を保ちながら、雨の中を歩く。静かな時間が続く中で、ふと栗原が口を開く。

「雨穴さん、少し不思議に思っていたのですが…」

「何でしょうか?」

「どうしていつも、こんなに冷静でいられるのですか? 何か特別な理由があるのでしょうか?」

雨穴は少しだけ驚いた顔をし、すぐに優しく微笑む。

「特別な理由、というわけではありませんが…ただ、普段から物事をあまり感情的に捉えないようにしているだけです。冷静でいれば、余計な心配もしなくて済みますから。」

「そうですか。」栗原はその言葉に少し納得し、しばらく黙って歩いていた。

「栗原さんのように、少し感情を表に出してしまう方が、実は私は少し羨ましく感じることがあります。」

その言葉に、栗原は驚いたように雨穴を見つめた。普段は冷静で落ち着いている雨穴が、そんなことを言うなんて。少しの間、雨穴の顔を見つめた後、栗原は静かに言った。

「私は、あまり感情を表に出さないだけで、実は内心ではいろいろと考えていることが多いんですけどね。」

「なるほど、栗原さんもそうなんですね。」

二人の間に、ほんの少しだけ暖かい空気が流れた気がした。それが、普段とは少し違う、特別な瞬間に感じられる。

二人は駅のホームを離れ、雨の中を歩き始めた。栗原が傘を差し、雨穴がその横に並ぶ。傘の下でふたりの距離は近く、その静かな歩調が心地よい。雨の音が周囲を包み込み、言葉が少なくても不自然さを感じさせることはなかった。

「栗原さん、今日はどうして外に出たんですか?」

雨穴が突然、栗原に問いかけた。その声はいつものように落ち着いていたが、どこか微妙に照れくさいようにも聞こえた。栗原は一瞬考えてから、ゆっくりと答える。

「特に理由があるわけではありません。ただ、少し歩いて考え事をしたかっただけです。」

「考え事ですか…?」

「はい。あなたと話していると、心が落ち着くから。」

栗原はそのまま歩きながら答える。正直なところ、話している間に心の中のもやもやが少しずつ晴れていくような気がしていた。もちろん、雨穴と過ごす時間そのものが、栗原にとって安らぎのひとときであることを感じていた。

「そうですか…。」雨穴がしばらく黙って歩きながら、その言葉をかみしめるように聞いていた。

二人はしばらく無言で歩き続けたが、その静けさの中に、ふたりの間に新しい感覚が生まれつつあることに、どこかお互いが気づき始めていた。

雨穴が突然、足を止めた。栗原もその動きに合わせて立ち止まり、雨穴を見つめた。

「栗原さん、少し…話してもいいですか?」

その言葉に、栗原は少し驚いたように眉を上げた。

「もちろんです、何か気になることでも?」

「気になること、というわけではないんです。ただ、最近、栗原さんと一緒にいると、どうしても意識してしまう自分がいるんです。」

「意識する?」

栗原は少し心配そうに問いかける。その表情に、雨穴は少しだけ焦ったように見えたが、すぐに落ち着いて答えた。

「はい。あなたのことを、以前よりももっと気にしてしまうんです。言葉を交わすたびに、何か…不思議な気持ちが湧いてきて。」

その言葉に、栗原は何も言わずにただ静かに見つめ返した。雨穴の目には、少しの戸惑いとともに、真剣さが滲んでいる。

「それは、悪いことではありませんよ。」栗原は穏やかに言うと、少しだけ間を置いてから続けた。「私も、あなたといると…不思議と心が安らぐことが多いですから。」

その言葉に、雨穴は少しだけ驚いたような顔をし、そしてふっと笑った。

「栗原さんも、そんなふうに感じてくれているんですね。」

「もちろん。」栗原は微笑んだ。「あなたと過ごす時間は、いつも静かで、心地よいものです。」

それから二人は再び歩き始めた。雨がさらに強くなり、周りの音が少し大きくなる。だけど、その中で二人の心は静かに、確かに繋がっていくのを感じていた。

しばらく歩いた後、栗原がふと立ち止まり、雨穴に向かって言った。

「あなたと歩いていると、時間があっという間に過ぎてしまう気がします。」

「それは、私も同じです。」雨穴は笑いながら答える。「でも、栗原さんと歩く時間が、こうして大切だと感じることが嬉しいです。」

二人は再び目を合わせ、静かな笑顔を交わした。雨の音に包まれて、言葉は少なくともお互いの心は確かに通じ合っている。こんな穏やかな時間が、どこまでも続いてほしいと、二人とも心の中で願っていた。
雨は依然として激しく降り注ぎ、二人の周りはその音で満たされていた。傘の中で、栗原は雨穴の手をゆっくりと放すと、少しだけ間を置いてその顔を見つめた。

「すみません、突然…」

栗原の声には少しだけ気まずさが漂っていたが、雨穴は静かに振り向き、栗原に微笑んだ。

「いいえ、私も…ちょっと驚きました。」雨穴は小さく笑いながら、少し顔を赤らめる。二人の間に流れる空気が、最初の緊張を少しずつ和らげていった。

「でも、あんなふうに…少しでも、私を見てくれていると思うと嬉しいです。」栗原の目がほんのりと輝き、その言葉は真摯で優しさに満ちていた。

雨穴はその言葉を聞いて、心が温かくなるのを感じた。彼の優しさが、これまでの何気ない日々を特別なものに変えていくような気がした。

「栗原さん…」雨穴は言葉を選ぶように、少しだけ声を低くした。「私も、あなたと一緒にいると心が落ち着くんです。ずっと…そう感じていました。」

栗原はその言葉を聞いて、ほっとしたように微笑むと、再び傘を持ち直し、少しだけ距離を縮めた。

「本当に…?」栗原は少し照れくさそうに尋ねる。その笑顔は、今まで見せたことがないほど柔らかく、温かかった。

「はい。あなたといると、自然にリラックスできるし、安心感があります。」雨穴はゆっくりと答え、その言葉に続けるように、栗原の目を真剣に見つめた。「だから、これからも…一緒に歩いていけたら嬉しいです。」

栗原はその言葉を聞いて、少しだけ頷いた。雨が降りしきる中、二人の心の距離がさらに縮まったように感じた。

「私も。」栗原は穏やかに答えると、再び雨穴に優しく微笑んだ。「これからも、一緒に歩いていこう。」

二人はそのまま、静かに歩き続けた。傘の下で、言葉は少なくてもお互いの存在が心地よく、二人の間には確かな絆が感じられていた。雨が降り続く中で、彼らの歩みはゆっくりと、しかし確かに続いていった。