のうがき

 物語の肝というのは、私の報われない人生についてであるのだけれども、中学生の頃に3つ年上の姉が妊娠して世間の目を欺くような少し事情のある結婚をしてその相手にも他人に言えないような後ろめたい過去もあったりなんやかんやと付随する事というのもあって、そんな人間達と不本意ながら関わらなければならなくなり進学した高等学校も辞めなければならないという事になってしまい一体誰にその責任を取らせなければならないのか?と思った時にその尻拭いを出来る人間というものがいないというやり切れない現実を抱える事になり積み重ねられた不満というものから負の連鎖というものにも繋がり出来ることと言えば何もせずに内に引き籠りになって自らの命の無くなることを願うのみという悲しい現実だけを残されてしまい、そんな姉にしてしまった母親というのも令和3年に亡くなる事になり平々凡々と暮らし続ける兄や姉への怨みを募らせてしまい続けているのである。

 世間を欺く為に結婚式を挙げて何人かの人間に祝福されるといった事をした姉についても問題しか無かったわけで、結婚の見返りとして旦那の背負っていた借金を自分のしたものとして自己破産をしていたりやり切れなくなって一度離婚したものの復縁して再婚し世間を欺き続けるという結婚を30年程送り続けた姉への怨みというのも増え続けるばかりであるし、その結婚生活の中で弟である私は、死ぬよりも辛い病気にされてしまう事になり病気でない人間の病気を治せるような医者なんて存在するわけもないし社会的に信用のある地位である医師としての存在や価値についてもどうでもいいようなものでしかなく、医師としての真っ当な人間というのにも出会いないままに無駄に時間を浪費させられ病院での入院生活を余儀なくされる事にもなりどこにも救いなんてものの存在すらしない恐ろしい世界の中で、孤独と死というものを考えさせられることになり現在でもその時の恐怖や苦しみというのを思い出すと「全ての人間を殺してやりたい」と思う事もあるもののそんな事を出来る人間なんてほぼほぼ存在しないという世界でもあるので、モヤモヤした気持ちというのの晴れるということもなく同じように毎日毎日ご繰り返され続けてしまう事になってしまっている。

 この物語の最終的な結末というのは、裁判所において「病気でない」という事を証明されて自分の天職ともいえるべき仕事に出会えたり運命の女性と出会い余生を共に幸せに暮らせるという所になろうかと思うのであるのだが、自分の住む街にそんな素晴らしい運命の相手とも言える女性というのも存在していないし経済的にも立ちいかない状態にあるので、人生を逆転させる方法や打開する為の方策なんてものも一長一短に見つかるわけも無く出来ることをコツコツと積み上げて行くしかないのであるのだが、世界のどこかに運命の女性というのも存在していてもおかしくないとも思えるのであるのだが、なにをもって運命の相手とするのかという事について見当もつかないので、どうでもいいやと諦めの境地にもいるのであるのだが、どこに向かえばいいのだろうか?という暗中模索の状況であるので、誰かの歌でもないけれども「神様ヘルプ、ヘルプ、ヘルプ」っていう思いであるのだった。


 働き始めてある程度の収入を手にするようになれれば違った方向に舵をとり進路変更を出来るようになるのだろうけれども明日の食べるものも無いという極限状態にいてしまうというのも「えらいこっちゃ」という話であるわけなのだ。

 「しくじってしまった。」
 
 現在というか少し前に関わっていた人間というのは、パチンコの大当たりするかしないかとか競輪を的中する事を出来たとかきょうていでも的中させる事を出来たかどうか等に一喜一憂するようなギャンブルにやられているような人間ばかりで、ろくろく仕事もしないで、年金なり生活保護費なりを受給してそれを元にお金を増やそうという魂胆を持って地道に働こうという意識を持たずに遊んでばかりいるような人間ばかりであったし食べてるものもスーパーの出来合いの物であったり飲食店で贅沢な物を食べるという事をしていたり自分の収入と見合っていない美味しい物を食べるという経済観念の破綻しているクズであったり流行のバンドルカードや後払いアプリなんかで、借り入れをしてやり繰りをしていたりメルカリのような個人売買のアプリの中に付随しておるメルペイ等やスマートフォンの電話料金との合算払いのD払いやau後払い等を使用して生活のやり繰りをしているなんて様子も伺えたり年金生活者であれば年金収入によりクレジットカードを作成するという事についても可能であるし品物を転売する事により利益を得ようとすることも出来ないわけでなく、私の住む街にもリサイクルショップやお宝中古市場なんかも出店されているので、田舎で仕入れた品物を首都圏に持って行って売るなんて事をしても利益が出そうであったりすると思うのだけれども私の知る人物達は、そういった事をしようとしていないしパチンコ店や競艇の舟券の場外発売場なんかに足繁く通って微々たるお金を得ようとしていたりというお粗末な日常を送り続けていて容姿も好ましくなく住んでいる家やアパートというのも見すぼらしいものであるから誰か彼らに知恵や仕事を与えてあげれないものなのかなぁ〜と日夜考えているし彼らを知る人間というのも「国から金を貰っている」というような認識を持っているようだけれども良いことをした上で国から支給されている恩給のようなものでなく病気を理由として働けないのであったり障がいを持っているという事情から支給されているものであるので、高齢者の頑張って働いた末に支給される年金と意味合いも違っているし本来なら精神障がい者の為に設置されている工房や事業所に通ってその仲間となりお互いの傷を舐めあったり同じような環境や経済状態の者同士で協力し合って明るい未来に向けて歩みを進めるとか、働いているという充実感を得ながら理解のある会社て働けるように就職活動等をするようにして社会に戻る社会復帰活動を行わなければならないのだけれども、有識者からの考え方であるとするならばだけれども、本人や家族がその情報を知らなかったり病気で障がい者年金を貰っていてお金のある時にパチンコ店に行ってパチンコで勝てれば充分に満足であろうしパチンコで5万円や十万円を負けて無くしたとしても日常的な事として受け入れたり順応して慣れてしまっているのだからそれというのが、彼らにとって普通となってしまって居るけれども、そんな彼らに不用意に関わってしまった事により大きな損失を出していたり仕事や信用というのを失ってしまうという結果にもなってしまっている私は、大馬鹿者であるという評価しかされないので、あれやこれやあんな事やそんな事なんかもしたり教えたりもしていたけれども「糠に釘」であり全くの無駄骨となってしまっていたという事について気付いてしまったので、わけの分からない人間の集まる所やわけの分からない人間と関係を絶たなけれびならないと反旗を翻すことにしたのであるのだが、孤軍奮闘の状態で救援物資等の配給も為されず潜在能力的に考えれば一人で千人分の働きにできる人間であるはずだと思っていて「一騎当千」での戦いを仕掛けることになってしまったのである。


 普通であれば警察や弁護士やその他の専門家等の協力を得られるような案件でもあるのだけれども、お金の力の無い私に縁のない連中ばかりのようであるし詐欺やノミ行為というような犯罪スレスレか、犯罪そのものであるという認識の若者による恐喝なんかもあるのだけれども映画の中の役者のセリフのように「だぁまらっしゃい、警察はなにもしてくれない例え犯人だと分かっていても証拠がなければ無罪放免になるし例え人を一人殺したって警察からすればなんでも無いことでしか無い」というようなまるで他人事のように事件を黙認したり事件として認知せずに何もなかったかのように警察署の中や交番や駐在所の中で飯を食っているという本当の本物の映画やドラマに出てくるような警察官なんて現実の世界に存在なんてしていないのであるのだから、警察官になろうとする人間が、民放で放送されているような刑事ドラマを見たり映画館に行って警察ものの映画を見るなんて事をする理由がないとそんな時間があるなら部活動の練習をしたり学校の課題の勉強をしたり塾に通って居るであろうからドラマや映画に影響されて警察官になりたいと警察の門戸を叩くような人間なんて一般人からすれば変わり者でしかないと思われてもしょうが無いし何を好き好んで犯罪者やろくに仕事の出来そうも無い制服警察官と仕事をしたいなんて動機が起こるわけもなく警察官の制服が格好良い何ていうのも勘違いの賜物であろうし白と黒の目出度くないカラーリングのクラウンに乗りたいとか白バイを運転したいとか、幼稚園児が考える程度の思考のまま憧れを現実にしたいだけの資質の足りていない人間というもので構成されてしまっているので嘆かわしい次第であるとしか言えないのである。


 私は、警察関係者じゃ勿論無いし父親や母親や兄や姉が警察官という者でもないし親戚にも警察関係者という人間なんて居ないしどちらかと言えば警察にお世話になる方じゃないかななんて風にも思えているし出来る事なら警察なんて職業の要らない世界というものを創りたいとさえ思っているのであるけれども、何処かしこに警察というものを必要としている人間というのも少なからず居るし交通事故を起こしたらなんやらかんやらの処理をする為に事故証明書とかの発行を依頼しなければならない誰かが行方不明になったとかどこかで人が死んでしまっているというのを発見してしまう不幸な人間というのも居るだろうし不本意ながら事故現場や事件現場で見たくも無い死体や遺体を見なければならないという事もあるであろうし・・・・・


 とある場所で、顔を合わせる関根学園高等学校での同級生に年賀状を書いて送るからというような事をした後に同級生の口から「そう言えば、家の母親しんだんだよなぁ〜」と年賀状をLAWSONの手紙受け付け箱に入れた後に言われたことがあって「年賀状を出した後に喪中だなんて話を切り出されたら喪に服している時に年賀状を送ってくるなんてなんて空気の読めない奴だと思われるじゃないかぁ〜」なんて言ってみたものの「突然に母親が死んだなんて事になっていれば心中穏やかじゃないだろうな?」なんて思いながら自衛隊出身で、信越化学工業に勤めているという事らしいから、普通の人間よりも死について動揺しないような所もあったりするんだろうなぁ〜とも思いながらも、何度か話を聞いていると遺体をだったか遺骨をだったかを上越警察署で預かられているなんて、ちょっとおかしな事の成り行きであるものだから「なんでなん?」と疑問を持ち「亡くなった母親の事を誰かに話して母親の死の真相というのをきちんと理解出来れば少し心の重荷を減らす事になるのでないかと「母親の死についての経緯というのを話させてみたのだけれども、どうにも解せなかったのであった」

ゴールデンウィークに知り合いと一緒に吉川区の何処かに山菜を採りに行って帰って来なかったので、捜索願を出したという経緯というのもあったようで、数ヶ月して車と同級生の母親と運転手の遺体が発見される事になったものの雪や何かのせいで、遺体の回収に乗り出せなかったという事らしく母親の変わり果てた状態の遺骨を上越警察署で預かられる事になってしまったようで、病気での闘病生活の末の死というもので無かったので、母親の長く苦しむ姿というのを見ることにならずに済んで良かったのかも知れないだろうと少し思えていたものの車の助手席に乗っていて運転者が、操作を誤って高い所から落ちたというような転落事故で有りそうだと考えているのであるが、その他の死ななければならない理由として返し切れない借金をつくってしまっていたらしいという言葉を発する人間というのも居りN−1 謙信公大橋店でスロットで負けてしまったということにより借金をつくってしまう事になり車の運転者と同意の下に二人で命を絶つという行為を実行してしまうことになった、もしくは、運転者が、不注意でなく故意に意図的に死を決意して車の操作を間違えてしまったという事であるのかどうかについての疑問というのが、私の脳裏に引っ掛かる事になっているのであるのだが、運転者が故意に運転を誤ったか意図的に車の転落事故を引き起こしていたとするならば道連れにされてしまった同級生の母親というのは、被害者であり殺されてしまったという事にもなりかね無いかも知れないという危惧を持っていて、同級生の母親と運転者の関係やと性別についても詳しく聞いていないし息子が母親の交流相手について詳しく知っているものか?ということに関しても親子の間柄のものであるから分からないし警察によって事故と認定されていれば事故であるのだろうからそれ以上深掘りしてもなんにもならない話であるのだけれども同級生の母親とひょっとしたら何度か顔を合わせていたかも知れないけれどもその当時にわけの分からない奴と関わってしまっていたので極力迷惑を掛けないようにと距離をとっていたので、存在や顔なんかも分からないし既に女性の顔を記憶するという能力も失いつつあるようで誰が誰であるのか?という事にもあまり関心を持てなくなってあるようでもあるし私自身もそれなりの年齢となってしまってあるので、特別な女性から声を掛けられるということも無いし、こちらから話し掛けなければ誰からも話し掛けられることのない一円の価値も無い人間となってしまってあるようである。

 自虐ネタとしても昔はモテたなんていうエピソードというのも無いので、かなり淋しい人生を送ってしまっているのであろうなぁと思えている。


 どこかしこかにターニングポイントとなるような事も無かった訳でないだろうし面倒な人間や厄介な人間ばかりと関わってしまうことにもなって非常に苦痛であるし名探偵コナンや探偵ものの漫画やアニメの真似事だとしても現実に探偵のような推理をした所で面白くもなんとも無いし笑いや涙や感動なんてものも生み出せるわけも無く、そんな事を考えていると名探偵コナンなんて「何が面白いんだ?」という疑問まで湧いてきてしまう次第である。

 講談社の「金田一 一」を主人公にしている漫画の題名というのを思い出せなくて少し気になってしまっているのだが、名探偵コナンについては、作者の前作の漫画も読んでいたからその流れで読んでいたようなもので、設定についても犯罪組織の一員に薬を飲まされた事により高校生であった主人公の身体が、小学生のような身体になってしまっているという当初の設定というのを知らずに小学生が、自分と同じような年代の少年が、殺人事件を解決しているという所に反響というのを生んでいたり怪盗キッドという探偵と対峙する泥棒や特別な事であればルパン三世とのコラボレーションした作品というのもあるようであるけれども、ルパンや次元や石川五エ門や峰不二子であったり銭形警部についてもテレビでルパン三世の放送されていた世代なら話の流れについても汲み取れるのであろうけれども、ルパン三世を全く知らない世代の人間のルパン三世への興味や関心なんかもそれ程あるという訳じゃないだろうし普段のルパン三世といえば泥棒であるのだから正義の味方という見方をしてならないし名探偵コナンの江戸川 コナンという名前についても江戸川 乱歩やコナン・ドイルを知らなければ一体何の何を如何様にして使っているのかなんて事も分からないし江戸川というのを意識してしまうと言えば江戸川に在りそうな江戸川競艇場じゃないのかなと思えるし競艇の舟券を購入する時に江戸川というのを何と無く意識して買ってしまうというのも江戸川コナンから来てしまっているという事実もあるわけで、本当に漫画を読んでいたらろくな大人にならないと昔の人はよく言ったものだと今更に感心してしまっている自分というのがありました。

 小学生の頃に図書館で江戸川 乱歩の小説を何冊も読んでいたしルバン三世のアニメも見てしまっていたし他にもガンダムやマクロスや仮面ライダーであったりウルトラマンも見ていたし田舎であったので見たくても見れないテレビ番組というのもあったしビデオなんてものもその当時に無かったので、あの時の悔しさというのも忘れがたいけれどもあここ数年テレビというものを見れていないからテレビからの影響というのを受けずに済んでいるけれども、世間とのギャップというのも開いてしまう一方であるのだろうな〜なんて染み染みと思えているけれども誰ともテレビの話なんてする事も無いもんだからどうでもよくなってしまっているけれども、ある意味で認知症と呼ばれてもおかしくない状態にあるかも知れないですわ


 物語の肝というのは、この私は、平成12年の7月に精神分裂病だと診断されている精神異常者や気狂いという風に捉えている人間というのもいたんですけれども、一過性の風邪のように扱われずに「一生直らない病気で一生精神安定剤を飲み続けなければならない」というように主治医から告げられたのでしたが、「そんなわけ無いでしょ」と私は思いましたし「お前みたいな気持ちの悪い奴を主治医だと認めれねぇわ」とも思っていましたよ!!

 精神病患者であるという点についてとある女性との間に子共をもうけたものの相手の母親によりその生命を絶たれたという事を経験する事になってしまっていたので、その悲しみというのは、海よりも深く捉えどころの無いものであるので、死ぬ迄忘れることの出来ない事柄でありましたから、自らの手で無いにしろ人を一人殺してしまっているという癒やすことの出来ない罪悪感と共に行き続けなければならないという宿命を背負うことになりイエス=キリストのように茨の冠をかぶり十字架を背負っているようなものであるし相手の女性についての消息や生存についても見猿・聞か猿・言わ猿というのを徹底しなければならなかったのですが、あれから四半世紀程経過しているので、あの時の行為というのが正解であったのかどうかとというのを問い質したいという気持ちも無いわけでないですけれども、そういった結果になる前に回避したりする事も出来たわけであるし、その女性のわけの分からない感情やら行為や行動のおかけで多くのものを失ってしまっているし消えない傷というのも付けられてしまったし、その女性の父親から「娘を傷物にしてくれてどうするつもりなんだ?(怒)」というような言葉を投げ掛けられても「娘さんを傷物に下のは、僕で無く一番最初に娘さんに手を出して一生添い遂げようとしなかった奴だと思いますけれど(怒)」と言葉を返す事も出来ますし彼女によってどれだけおかしな人生を歩まなければならなくなったかという事についても触れなければならず、元々どうでもいいような職場であったけれども、わけの分からないようなどこの国の人間かも知れない人間を店長としてヘッドハンティングするなんて事をしてしまったら古参の人間からの人望というのを失ってしまうことになるし元々社長の器でない人間であるにも関わらず社長になってしまった事に問題というのもあったわけでしたし、古参の人間が、「少しお金を持っていて社長という肩書きの在日朝鮮人だか在日韓国人だかも分からない人間の下で働き続けられますか?」っつぅ〜話であったし殺人罪にでも時効のあった時代でもありましたけれども、人を一人殺したという事を自覚しているのは、中絶させられた本人と中絶させた母親と産婦人科病院の中絶の同意書に私の代わりに代書したらしい『母親と妹の意向に対して断りきれずに仕方無く代筆してしまう事になった息子であり兄である男性』とその話を聞いて知っているかもしれない父親と彼女の弟であったり彼女の妊娠について知り得ていたと思われる彼女の友人とその当時の働いていた職場の上司という事になるのであるのだが、「子供を中絶しろという事をいうような上司のいるような職場にその後何年も働き続けるという事を出来ていたのか知りえていないのですが、産まれていた子供が成長していればひょっとしたらスターやアイドルになれていたかも知れなかったけれども、どちらにせよ恵まれている環境に生まれて来れれなかったようにも思えるというのも半分あるので、どこにでも居るような普通の子供として田舎で普通の人生を送るという運命になったかも知れないし祖父がゴルフを好きだったという事でプロゴルファーになっているかも知れないけれども無くなってしまった未来が、現在というものになっているのだから本来ならば失ってしまった子供を取り戻そうとアトムの産みの親のようにならなければならなかったし同じように苦い思いをさせないようにブラック・ジャックのような名医にならなければいけないとも思い続けていますが、日本の医師への壁というものも厚く簡単に辿りつけないものでもあるので、医師法に抵触しない分野で、有資格者でなければできないことであるならばその処置を可能とする事の出来る有資格者に繋ぐのが、私の出来る仕事であると思えている。