のうがき

 感動や同情したり心をうたれたりというような話なんてどこにでも転がっているし世界各地で作られている映画や漫画や小説等によっても表現されていたり話題となる様な事も数限りなく星の数程に存在しているし人間の数であったり生きとし生けるもの全てに対しても物語というものが、存在しているという事になり不幸の加減や幸せな事についての受け取り方というのも様々であるのだから、今更と思うような事かも知れないけれども、何もやらないよりも少なくとも誰かに伝わる可能性がというものが、あると思えるから「いや」あると思えると信じているから綴るのであるのだが、身近な人間と言いづらい人達にもそれぞれの物語というものもあってその一つ一つを紐解くという事も大変な労力や苦労になるのであまりしたくないのだけれども、現実の話なので映画や漫画やアニメやドラマや小説のような展開になるなんてことも考えづらいのであるのだが、高校の頃の担任の話でなく保健体育の担当の教員の話であるのだが・・・・・

 私は、34歳で新潟県立高田南城高等学校の通信制に入学して全日制や定時制と違ったシステムでの勉強をする事になり目標というのは「高等学校卒業という証」となる目に見えないものであったけれどもそこに到るまでに様々な苦難を経てでありましたし本当に目的というのは、医師や弁護士の資格取得という所であったので大学に進学してさらに大学院という事までも視野に入れての行動であったので冗談じゃないというような高校生活というのを送りたいと思っていたけれども通信制という構造であったり様々な問題を抱えている生徒や質の悪い生徒の集まるという学校としても認識していてもいたし私自身の年齢も年齢であったので、授業を行っている教師よりもあ年上という普通でないけれども普通の状態での普通科のどこにでも転がっている苦労話の一つとして考えるのが、妥当であると思えるし違った場所で新潟県立高田南城高等学校の生徒であるという人物達とも接していて「リストカット」を常習的に行ってしまうという状態の少女や精神科病院に通院しているというような生徒という存在というのも無いわけでない学校であると少なからず承知もしていて進学校としての側面についてもあまり考えづらい本人の努力によって叶えなければならないという要素の大きな学校でもあり「自学自習」という言葉を抱えられていたような施設でもあったので、一年と二年の頃は、ファミリーレストランでアルバイトしながら高等学校の卒業を目指すというスタイルで勉強と仕事を両立しながら過ごす事になっており運転免許証を持っていたけれども車を手に入れれるような経済状態でなかったので、電車や自転車でアルバイト先に通勤して授業を受ける為に火曜日を充てるというような感じで、年齢も年齢であったので学校の成績についても中の上か上という部類に属していたのであるけれども大学に向けての模試というのを受けた場合に全くちんぷんかんぷんな状態であったので、学校のカリキュラムだけじゃ足りていないから塾等も考えたけれども単身で生活していてアルバイトという身の上てあるから経済的に無理であろうと思いつつも生きなければならなかったので、苦渋の決断を毎日し続けていなければならなかったのであるのだが、我慢するしか無かったわけであるからしょうが無いのだが、そんな学校の保健体育の教師に背はそれ程高くないものの見方によって二枚目という教員というのが、勤務していてとある時に「命の授業?」的なもので外部から招かれて体育館で授業を行った女性の方がいて、その内容に関して息子さんの「病気による死」ということを話してくれていたのでしたけれども名字が、保健体育の男性教員と同じという事に違和感を感じてもいたしそのような話をたまたま日本テレビにおいて放送していた「24時間テレビ」で見てしまっているということを記憶していて、あの時の少年の母親がこの授業に呼ばれて講演していてあの少年の父親が、保健体育の担当教員としてこの学校で働いているのか?という奇妙な偶然というのを目の当たりにする事になったのであるのだが、その教員の長男というのは、残念ながら血液の病気で治療というのが間に合わなく他界してしまっていて同じ両親の子供である「翔太」という少年についても同じような病気になり様々な縁を築く事を出来たことにより「骨髄移植」をすることが出来たという事で、無事に延命するという事になったようで、息子の病気に対して奮闘した母親と病気を抱える子供の父親となってしまいながらも県の教職員として勤務し続けなければならないという事情を抱えながらも教師として生徒達と接しなければならなかったという心境を考えれば同情出来るような事柄なのであるのだが、その教員と知り合う事になったのは、一段落した後であったので特別なやり取りというのもする事が無かったのであるけれども事後に奥さんが、読売出版社から本を出版する事になったという事を聞かされてその本を購入して読んでみたのであるのだが、闘病を続けている野球好きの少年と巨人軍の上原 浩二との心温まる交流であったり母親が、闘病中の息子の面倒見るといった事やなんやかんやあれやこれやなんやかの手記というか日記のようなものであったので、心温まるというべきものとしてて無く母と息子の歩んだ軌跡であったり奇跡の物語と思われるべきものとしての著作であったのであるのでしたが、沢山売れる程に知名度のある方でも無かったようですし思い出づくりであるのかお涙頂戴という部類のものであるのかはっきりしていなかったし日本中の誰もが知っているお話としても如何なものであるだろうか?という思いを持つような感じでしか無く分かりませんというしか無いかな〜と思わなかったけれども、自身の抱えている問題の解決というのをしなければならないという使命や宿命というのもあるので、保健体育の教師との交流というのもそれ程深くなかったものの、学校でのテニス部での活動であったりバドミントン部での活動や陸上部での投擲競技に関して指導を受ける事になりそれ程じに自力というのを備えていなかったけれども定時制・通信制の全国大会に円盤投げで出場する事を可能としてもらえて国立陸上競技場の最後となる年の競技会という陸上競技やサッカーをする者に対して聖地とも言える場所で選手として足を踏み入れられたという思い出というのを貰えましたし、翌年に私と少し因縁のある人間というのが、高等学校の授業料が無償化というタイミングで入学してくる事になって、その教師は、その人間の担任となるという事態ともなってしまったので、複雑な心境というのを持ちながら高校生活を送る事にもなりもしたし、その学校には、やはり色々な事情での通学をしている生徒というのも居たりしてどういった訳か、18歳で車の運転を出来る状態で通学しているという生徒も居たりもしていたし普通に社会人として働きながら高等学校を卒業しようとしている勤労学生というのも人達も居ましたし、本来なら関わりたくないような身体的に他者と違った異常や欠損というのを持ちながら通学していた生徒もおりましたけれども多少のいじめという事にあいながらも無事に卒業して自分の住んでいる近くの施設か何かを利用するような事をしているらしく各々の歩む道というものの上で、必要であったかも知れないかも知れないし良い学校であるという事を評価する事も出来ませんけれども、正直な所だと恐ろしい目に会うような事をし続けているものだと常々自分に感心していますけれども、未だ道の途中であり私の協力者となり得る人物というのにも巡り会えておらず明日の食べるものの心配すらする気も起きなくなり絶望と失望のうちに筆を進めているのでした。

 保健体育の男性教員とは、卒業後もなんどか顔を合わせたものの奥様との結婚生活を続けているようであるのだが、もうけた子供が二人共病気になってしまっているという事を考えると遺伝子同士の相性というのが、合っていなかったという事を考えるべきなのか住んでいる場所に子供の成長に対して何かしらの作用を与えてしまう可能性のある問題というのを抱えているのかも知れないし飲水や近くに存在している送電線であるかも知れないなんて思いながらも何も伝える事をしていないのであるけれども、テレビに出演した事で、その後にもニュース ゼロの取材陣が訪れて「櫻井 翔」もお宅を訪問しに来ているようであったようで、巨人軍との交流や上原 浩二との交流にしても心温まるというか羨ましいと思うような事であるけれども骨髄移植を受けた人間という事であったとしても特別な人間になったという訳でもなくいつ再発するかも知れないという事も常にどこかしらで考えておかなければならない事であるのだから心配の種というのも尽きないものであるだろうと心配するというのもおかしな話であるけれども、なんどかボランティアに参加させて貰ったのだけれども骨髄バンクの協力を求める為のイベントに大きな声を出してみたとしても現実に切実に命の危険ということを認識しづらい事もあるだろうし、私自身も骨髄バンクに登録して数カ月後に骨髄移植を必要としているという人とHLA?だったかが一致したという知らせが届いて骨髄移植に協力出来ればと思っていたけれどもタイミングが、悪くて腰を痛めていて痛み止めを飲むようになってしまっていたので、残念ながら骨髄を提供するという事を出来なかったので、少し後悔しているという事もありあの時の骨髄移植を必要としていた方が、どうなったのだろうか?と思い返す事もありますけれども誰か別の人から骨髄提供をされていてくれればという思いを残してしまっているので、善意であった筈なのですけれども闘病中の患者さんの希望を打ち消してしまうような事になってしまっているかも知れないと功罪というものを残してしまうことになり本当に残念でした。

 何事も無く骨髄移植に協力出来ているという方達の命を救うという尊い行為に感慨というのを覚え出来るでしょうし名前をお互い知らないままに行われる事であるので、意義というのもある事なので人命救助という人として一番大切な命に関わる事柄であるので出来るだけ拡がっても欲しいと思えています。

 日本の有名人にも白血病や血液の病気なんかになり骨髄移植をされて健康を取り戻されている方もいらっしゃったり残念ながら命を失っている方もいるので、運命という一言に尽きてしまうのでしょうけれども、私にとって苦い思い出となっているのですが、それも何かの糧や肥やしとなってくれていると思いたいと思っています。

 私が、在籍していた頃の隣のクラスの生徒の中に身体の構造に異常のある生徒というのも居て1年生や2年生の頃というのは、別段気にしていなかったのですが、やはり他の生徒から少し薄気味悪がられていたのが、在籍していた生徒達も傷つけないように当たり障りの無い接し方をしていたのか何とも言い難たかったのですが、そのクラスの担任は女性でどういった訳なのか途中から産休に入ってしまうことになり思春期の生徒達の良い手本となったのか悪い見本となってしまったのか判断しづらかったのですが、産休に入られた女性教師の代わりの教員というのを充てがわれることになって、そのクラスの生徒達の心境というのも複雑なものであったのであろうなと思えていました。
 代員教員として赴任して来たのは、ハンサムと言いづらい顔立ちの男性で、教壇に立つという事もあまりしていなかったようで大学院で何やらを研究していたという事を言っているような理系の教師で、卓球部での活動を楽しみにしているような所もあって最初から教わっていた教師で無かったし海のものとも山のものとも分からないような教師であったので、私のような年配の生徒というのも扱いづらいと思えていたでしょうし、それ程に授業を受けていたわけでもないので交流というのもそれ程していなかったのでしたが、臨時教員からその後の就職先を日本文理にしたという事らしいので、どのような先生になれているのか分からないけれども、思春期の生徒達を受け持っている先生が産休に入るなんて事も隣のクラスの担任と言っても普通なら?というか「なんでオラが在学中に?」という疑問というのも些か浮かんでいたもののどんなタイミングで色んな事の起こるかっこうやなぁ〜と何度も何度も首を傾げるような事をされているみたいでしたが、不思議な学校でしたし年配の数学教師は、その当時にはやりはじめていたipadを購入して授業に使用しているなんて事もあったり早稲田大学を卒業していたらしい教員であったので腐っても鯛とばかりに早稲田大学卒業している高齢の教師でもやるもんだなっと感心させられましたけれども、数年後に他界してしまったという事とある時に聞かされることになり「おかしい人を亡くしてしまった」と思えていました。

 その数学の教師は、喫煙者であったのでタバコを吸う為に校舎外で車の中で喫煙をしなければならない状態であったし、今は無き「サテライト妙高」で顔を合わせた際に昔から競輪をやっていて競輪しかやらないんだとという事を言ってもいたし「数学教師であるから色々な観点から入着者を当てる事も出来そうなんじゃないか?」と思えて予想を教えて貰うなんてことをする事も無かったけれども、舟券の場外発見場でも顔を合わせた事もあって近隣のドン・キホーテに高等学校の卒業生が働いているという事を教えてあげた事もあったのであるけれども「競輪しかやらないと言っていた男が、どういった風の吹き回しなんだろうか?」とも考えたのであったのであるのだが、結果としてその先生との顔を合わせる事になった最後の場所が、競艇の場外発見場となってしまったという事であったわけであるので数学教師と公営競技というものの関係性について知った事でも無いけれども面白かったのお金を増やしたいという思いからであったのか何を思ってということに関して真相というのは、闇の中になってしまったけれども教員も人間であるから賭け事をする事もあって然りであるのだけれども教師として働いていれば基本的に生徒が居るかどうかをチェックするという事をしても可笑しくないけれども、喜び勇んでパチンコ店に入店してしまうという事になると些か問題となりえると思えるし何人かの教員の姿を見かけるという事もありましたけれども気を使って話し掛けないというのが、礼儀というものであったりするのかも知れないし顔見知り同士であるしパチンコやスロットに関して話をするという事もあったりしても良いかも知れないし教職員としての外聞なんかを気にすればギャンブルの混練施設に足を運ぶという事について好ましく無いし教職員であるならば自己啓発の為の何かしらを余暇に行うという事ご理想であり普通であると思えるしスポーツジムて、汗を流したり図書館で足繁く通うなんて事も教師としてのあるべき姿であろうし酒を飲むなんて事も大人の嗜みであるだろうから自然だとも思えるけれども正しい教師なんて居るのかな?なんて事も考えもしてみてもよく分からない世界であるし大学を卒業している優秀な人間の思考なんて理解できませんがな