のうがき

「私は、病気じゃなかった」ということであるのだが、精神科病院に勤務している医療従事者にとってどうでもいいよい事であったのであろうと思えている。
 精神科病院という外聞の悪い病院に家族を通院させたいという親や兄弟というものの存在達が、私に理解しづらかったし何百人も何千人も患者の存在してしまっている地域というものにもかなりの問題というのも考えられるのであるのだけれども、品行方正で清廉潔白な人間なんてものも存在しているかどうかも怪しいような場所であるし昔から聖職者と捉えることの人間というのも仕事であるから行っているという状態となってしまっているのであろうから真面目で勘弁であるといった日本人としての良識についても時代とともに変化もしてしまっているし小学校や中学校屋高等学校においてもものの良し悪しや善悪の区別についての教育や指導なども行っていないであろうし教会やお寺や神社というような場所で、何かしらの学びを得て様々な心の持ちようであったり他人に対しての接し方や思い方というのもあるであろうから本当に正しい人間というのも皆無になりつつあるのかもしれないが、フランドースの犬であったり一球さんであったりアルプスの少女のようなアニメをテレビで見ていた世代と比較しても、心の在り方を養えるような代物というのも少なくなっているのだろうとも思えるしかなり難しい世界となってしまっているようにも感じられるのである。

 昨今の流行となっているような動画配信についても悲喜こもごもであるし正解というのを知ることについても賛否両論で万人に承知されるたり認知されるような方法についても、個人情報の保護であったりプライバシー侵害や民法の土台の上で解決しなければならないという有識者としての理屈というのもあるであろうし何をするにも先立つお金というものを必要としなければならないという資本主義の原則なども根底に根付いてしまっているし数年前に起こったコロナの流行についても、最悪の事態を考えた場合に人類が絶滅してしまうという可能性もも秘めていたようであるけれども君子危うきに近寄らずという姿勢を保ちほとんどののんけまんが受けたであろうコロナワクチンの接種にしても本当に有効なものであるかどうか不確かな状態であったしワクチン接種にしても賛否両論であるにも関わらず国が、いや県がといった具合に主導して行われてもいたようであるけれども、いつの頃からかコロナに対しての対応についても軽視出来るようになってしまったのであるのだが、そんなパンデミックの状況下でも医療の現場でおざなりな診療をしていたり閉鎖されて逃げ場のない空間の中で入院生活を送り続けている世間から断絶されながらも医療従事者の不適切な対応に我慢しながらも日々生きている何人もの人々というのも存在していたわけでもあるのだけれども幸せな生活であるのか?という疑問というのを残してしまっている。

 精神病を患ってしまったら普通の生活というものを出来なくなり様々な薬を処方されて飲む事になりますけれども、確かにわけのわからない思考の湧いてくる事もあったし薬のせいであるのか、病気から来ているのか何とも言えない気持ちの悪い体験というのもしたことがあって「誰か殺してくれ」というような切実な感情というのを持ちかけた事もあるし病気と診断されたことにより未来への絶望も感じもしたし薬の作用の切れる時にも禁断症状というのか離脱症状というのか副作用と呼ばなければならないものであるのか判断しづらい感覚に襲われたこともあり「不穏時に飲む薬」なんてものも用意されていたけれども「不穏」なんて感覚を薬でどうこう出来るわけなんておるわけ無いと思えて飲んでいたのであるのだが、時間の経過によってその感覚というのも消えてくれているのであれてあるけれども、薬を飲み続けるということに関して、それが絶対に正しいという訳でないということだけ本能的に知っていると思えてもいたし、睡眠薬や精神安定剤の悪用というのをテレビのニュースで聞いたりしてもいたし精神病者が、様々な世間を揺るがす事件や問題を起こすというのも承知してもいたし精神科病院というものが無ければ精神病者が、事件や問題を起こさないので無いかとも考えた事もあるけれども、アルコールや薬物といったものに興味本位であったり好奇心や依存性に注目して利益を得ようという様々な人間というのも存在してしまっているので、なんだかんだ言いながらも精神科病院を廃絶するという事にならないのであるのだろうと諦めの境地に立ってもいるし様々な問題により自死を選んでしまった人達も少なからずいるわけであるので、根本的な問題を解決するということを目的にするよりも自分自身の病気だという濡れ衣を剥ぐ為に一つ一つ出来ることを積み重ねて行くしかないということになってしまうのであった。

 精神科病院と死闘というのは、私自身の日を迎えるまで続くということになりそうであるのだろうけれども、結果的に一周も二周も回って精神病者から認知症患者への転換されることになり長期入院末に死を迎えるか、事件や事故に巻き込まれてこの世を去ることになるのか?そういった苦しい思いをせずに住んでいるアパードで孤独死を迎える事になってしまうのであろうかなと考えてしまっているのだが、生きるということは絶望の中に希望を見出すという事でありたいことだけれども、厄介な人間達のおかけで手に入れたものも何も無いし失いすぎたものも多くあり最悪な状況にあるものの文字を綴り続けられるだけ綴っていきたいと思います。

 この時点で、原稿用紙にしたら4枚と半分という文字数となり誤字脱字に気をつけているものの決死の状態で、手を動かしているので本当に伝えなければならない事に到達出来るものかどうか分からないですにゃ〜