お宝という表現というのは、誰しも一つくらい持っているど考えられるし国宝なんていうものも存在しているのであるのだがお宝を造るのは人間であるしそこら変に何気なく転がっているもの一つにしてもひょんな事から莫大な金額になる可能性を秘めている物というのが存在していることもある遠藤が、着目しているお宝の一つのカテゴリーに落とし物や忘れ物として警察に届けられる拾得物という部類の品物や道具類であるのだ。
普通の見識からすればみちを歩いていて発見出来る物なんていうのはたかが知れていて高価な品物を見つけるなんていうのも至難の業であるし処分の仕方や売り方を考えるとなればリサイクルショップや質屋に持って行って買い取って貰うわけになるのだけれども大概の代物といえば二束三文であるのでいいとこ数百円程度の買い取り金額にしかならないし費やした労力や時間で考えると割に合わない値段にしかならないし滅茶苦茶に買い叩かれて気持ちを萎えさせられるということになるのが大半であるのだが、そんな中にも自分の落ち度やかかわらず有用な品物や持ち主にとってお金に代えることの出来ない品物や大切な品物を落としてしまったという感情や自分自身の所有物への配慮の至っていなかったという反省や恥部というものをさらけ出してしまうという一面というのがあったりしたりしており物によって所有者の品格というのを疑われてしまうことになってあるしまう場合というのも筆者もこの文を作成している数時間前にとある場所で財布を置き忘れてしまってその施設の従業員に確認して貰うという手間と財布の中身を見られていたら恥ずかしかったなという苦い想いというかしょっぱいしていたばかりであったところなので空白の数分間の気持ちや苛立ちなども経験してしまっているので色々有って放心状態になってしまっている時に気を付けたいなと反芻している所であるわけなのである。
落とし物と一言で言って片付ける事も可能であるのだけれども職業柄様々な物を見つけて来たものだと思い返してみると幾つもの物を思い出すことというのが出来るのである。
警察に拾得物として届け出る時に重要視されるのが、見つけた場所と時間と施設の内と外とによって拾得物法にて幾つかの区分や有権か失権かに分かれることや報労金などの謝礼を受け取るか否か等の条項もあるのでトレジャーハンティングを生業とするのならば少しの勉強というのが、必要になる事であろうと思える。
主人公の遠藤 修というのは、なんだかんだいっても財宝や一生食うに困らない程のお宝というのを見つけていないので道半ばであったり志の途中という具合でまだまだ精進しなければならない状況である。
令和5年6月3日にとあるパチンコ店で声を掛けてきた精神障害者でお金の使い方のおかしい中学校の同窓生と歩いていてドラッグストアの駐車場に目を向けると煙草?の箱みたいなものを二つ見つけだのだったが、煙草の箱にしてみれば少し小さくて形も少し違っていたようであったのだけれども一、二歩近寄ってみて遠藤 修の食手というのは、動かされなかったのであるのだが精神障害者の中学校の同窓生の手と身体を動かす力というのがあったようで彼の手は、落ちていた箱を拾い上げて確認してから遠藤 修に「トミカだ」と告げて来たのであった。
精神障害者の中学校の同窓生にとってトミカの玩具なんて物を持っていても喜ぶような年齢でもないし売ったところで二束三文にしかならない訳だし厳密に言えば警察に拾得物として届け出て三ヶ月を経過した後でないと所有者の変更というのがなされていないのでむやみやたらに人にあげたりリサイクルショップに売ったり質屋に持って行って処分したりするということも出来ないし仮に出来たとしても盗品という呼び方にならないかも知れないけれども拾得物横領という事になったり窃盗罪や店の商品という可能性も否定しきれないのでお店の従業員に一言伝えたりしなければならないのであったと思えたのであったのだけれども精神障害者の中学校の同級生というのは、その時の所持金が4円と言っていたり常日頃からお金が無いお金が無いというのが口癖であったりしていたしリサイクルショップに売るにしても二束三文であろうという事が予想できていたし本当に売りに行く気なのかも半信半疑であったのでそれからの行動というのを静観することにしたのであった。
遠藤 修の住む地域に幾つかのリサイクルショップというのが存在しているし質屋もあるしお宝中古市場という名は体を表すとばかりのネーミングの店舗もあるので金が欲しいとか不要品をリサイクルするという知恵というのもそれなりに地域特性というのかなんといえばいいのかあれなのだけれども養われているし不要品を一円にでも換えたいという心根や性根というのも誰しもに植え付けられてしまっているという世知辛いというか世も末だなと思える現状にもなっていて何とも言い難いお粗末な地域になってしまったわけである。
商魂たくましいと褒め称えて拍手するというのもあれなのだけど物によってプレミアというか希少価値というのか需要に商品が追いついていないというような現象もあって運のいい人間というのも少なからず居るようで店内に設置されているショーケースの中に「こんな物がこんな値段で置いてあっていいのか?」と思うような物がさも当然と馬鹿げた値段のラベルが貼られていて「う~ん」と唸らされてしまうという一幕もあるのであるし精神障害者の中学校の同級生もトミカのミニカーを買い取りカウンターに置く瞬間というのにも同行していた僕の目に当たり前の風景というか「悪びれもせずに?よく買い取って貰う気になるもんだな~」と感嘆させられたものであった。
基本的にお金を持っていてお金に困るようなことというのがなければ誰かに物を買って貰うというような事をしなくて済むし場所に余裕というのがあれば保管していて財産として所有し続けることも出来るわけであるのだから「貧乏って本当に嫌だね」という一言に尽きる次第であるのだろう。
トレジャーハンターをしていると言っても大判小判の出るような事をしているわけでなく利益なんてものもさして出しているわけでもないし現在の移動手段が徒歩という状態なので大きな物を見つけたとしても運ぼうという気になりもしないし着目している落とし物や忘れ物の類で考えれば基本的に身に付けるような装飾品や服飾品の類や携帯電話とかスマートフォンやiPhoneのような物とか日常的に使用している物や財布や小銭といった物が主となっているのでチンケな三下のような立ち位置での活動になってしまっているのだけれども物量で勝負していて時に落とし主が本当に困っているであろう定期券や運転免許証というような個人情報の絡んでしまっているような有価証券とかライセンスカードなんかをてにすることもあるのだった。
一番高額な定期券の場合というのが、額面が4万円程のものであったりしたけれども基本的に落とした本人という場合でなくて通学用の定期券でもあったりしていて謝礼についての交渉というのは、落とした本人でなくその保護者である父親とか母親の場合となり謝礼の考え方として定期券の総合的な額面という考え方をする大人というのは、やはりというか一般的に残された利用日数分で物事を考えたいらしくて残日数分を日割りでという謝礼の計算をするパターンというのが、常識的なようで善意で警察に届けている場合に無理難題とも思えるような金額で交渉しようとするなんてチャンチャラ可笑しくて臍で茶を沸かせてしまえるので当然ながら相手側からの気持ちでよいですよと伝えるようにしていたのでした。
定期券というの拾うということというのが、簡単な事なのか難しいことなのか判らないけれども一年の内というか半年の内に三回程見つけたことがありその都度その都度と上越警察署まで現場から上越警察署まで足を運んでいたのだけれども謝礼というか報労金というのの交渉というのに手間を掛けたり何度か催促するというのも何となくおかしな印象を受けるのであるのだけれども一応謝礼や報労金というのを受け取ることの出来る権利というのが発生してしまっているのでなんとなく謝礼を下さいとか報労金を請求する行為というのが後ろ目たく感じてしまうのだけれどもお礼を下さいと言っている人間が悪いわけでなくて落とした人間の不注意を救ってあげているわけなのだから両手を叩いて感謝して貰えることの方がありがたいのだけれどもその真実に気づくということがあるのかないのかというのは、本人の意識の中にしか無いので神のみぞ知るということになってしまって善意であった所にお金が絡んでしまうことによって反感を買ってしまったり悪意に取られてしまうという恐れがあって「この法律なんとか上手いこと考え直してほしいものであるのだよな~」と思うのであった。
謝礼や報労金というのも当事者同士の問題で警察というのは、関与しないというおざなりな対応というのが、対当した警察官や警察署の職員の説明によって明暗を分けてしまうことになるので良心的で好感を持てる職員や警察官の養成というのが急がれるのであった。
落とし物の純然たる価値というのあるけれど落とし主がその品物に対してどれだけの愛着や利便性があるかによっても謝礼の金額というのが左右されてしまうこともあるので要注意というか過去の実例で眼鏡を見つけて警察署に届けていたという事があって無事に落とし主に眼鏡が返還されたのだったらしく落とし主から連絡がありお礼をしたという事で電話を貰ったのだけれども特別にお礼をして貰わなくてもいいですしと伝えるとどうしてもお礼をしたいと言われて渋々住んでいるアパートの下で会ったということありお礼の品物というか「お茶」ですと紙袋に入った品物を渡されてその一件を終わらせる事になったのだけれどもお礼をしにアパートまでタクシーに乗ってこられて往復で数千円掛けて来てお茶ですと渡された紙袋の中にお茶とお礼と書かれた封筒も一緒に入れられていて封筒の裏の金額の所に20,000円と書かれていて「うん?」と妙な違和感というかなんかどこかでこの様な体験をしたなというデジャブ感を感じながらも背中に「ぞわ?」というような感覚を与えられた事というのが一度あって思い出して書いているこの瞬間にも「ぞわっ」という戦慄が背中をはしったのだけれども落とし主の言い分では、ブランドものの高価な品物でないけれども日常的に使用していた眼鏡で新調しようとすると時間が掛かったりして云々かんぬんと言っていたことがあり愛着という言葉での説明でなかったけれどもわざわざ警察署に電話して届いていないかを確認する程の代物であった訳だし眼鏡に名前や所有者を特定するような情報というのが埋め込まれていたわけでもないし届けた本人も眼鏡を日常的に使用していない裸眼で生活していて眼鏡のない不自由さというのを身を持って経験していない人間で本当に偶々発見して届けていただけなので特別な意志というのを持っていたわけでもないし落とし物を発見したら警察署に届けるという確固たる信念を持っていたわけでなく気紛れで警察署に持って行った訳なだけなんだけれどもそこに運命というのが働いていたのかも知れないのだろうな~とあの時のことを反芻して頭の中に警察署に届けなければならない落とし物や忘れ物というのが未だにあるのでないだろうかと思案している状況であるのだった。
落とし物というのを日常的に追っているわけでもないのだけれど警察署の周辺にろくでもな人間というのが、集まってしまっていてと「遠藤 修」の脳裏に植え込まれてしまっているのだけれども演出というのか犯罪を撲滅するために警察官や警察署というのが設置されている筈なのであるのだけれどもいつの頃からか警察官に仕事をさせる為に誰かが事件や事故を意図的に起こしているという逆転の現象というのも考えられる世の中になってしまっていないかというおかしな考え方が頭を過ってしまっている。
お宝好きが高じて本物のお宝を造ってしまうとかお金が好きで好きで溜まらなくて本物と遜色のない偽金や偽札を造ってしまっているみたいな所に着地点というのがあるのかも知れないのであるだろうという発想を一つ一つ化学反応をさせたり昇華させていくと詰まるところ傑作というのが造り上げられてしむことになるのだ。
極意という言葉があるし様々な所で天才の生みだした作品を模倣したりオマージュしたりして模造品から贋作という忌み嫌われる品物を造りだしてしまう人々が何処彼処に現れるのであるのだが、詰まるところ詰まりは限界に達する作品を産み出すことというのが世界一になるた為の第一歩であり作品は自分の子供と一緒という表現をする作家というのも少なからずいるし全てを擲って一つのことに邁進し続けていれば自ずと道というのが開けて来るものであるのかも知れないのでありそうだと考えられる。
幾つもの奇跡と奇跡というのが重なり合い折り重なり更に重なって織りなすことによって人に感動や感銘という感情を揺さぶる現象を引き起こし巻き起こし流行となりえるのかも知れない巨万の富を得るという陳腐な発想というのもあれば好きなことをし続けるという事が、なによりも重要なことであるという真実に辿りつけるのであるのだろう。
真実の宝というのが、形あるものだけに向けられる表現というのは、単なる思いこみであって純然たる宝というのは、形あるものだけでなく目に見えない絆というものであるのかも知れないし何もかもが思い通りになるという状況というのも目に見える楽しさと違った別の形になるものでもある。
人間が求めているものというのは、永遠に変わらない一つだけのものでないし永遠の愛というのも存在していないし音楽や歌や詩や絵画といった耳や目に訴えるものというのが、重要かどうかなんて欲しいと思う人間にしか価値なんて無いわけであるし誰かのために生きることを幸せだと思う人間もいれば飢餓や病気に苦しんだり好きな人のことを考えて悩んだり考えたりして一人悶々としていても何一つ変わる事のない明日になってしまうだけで孤独と向き合い続けていても時間だけが経過して一円にも生らないわけである。
お宝というのを産み出そうとしていても常識という枠に囲まれているだけでなにももたらしてくれない遠藤 修はトレジャーハンターとして才能を遺憾なく発揮している。
人並みに人間らしい生活というのの基準というのが、食べ物を食べた時に純然たる味覚を感じたりのどが渇いた時に水を飲んで喉を潤して普通の感覚を体感している。
トレジャーハンターという職業を選択したのは、お金の為でないし誰かの為でもない自分が好きなことをしているという実感を得て自分が好きなことをして勝ち得た喜びを肴に晩酌をしたり遣りたいことをする為にしているのだと思える。
自分自身の才能を遺憾なく発揮して遣りたいことを好きなだけやるという為に生きているし小さな喜びを得るために大きな失敗を繰り返している独り善がりでもあるけれど確かになんのためにお金を稼いだり働いたりするのかということの純然たる意味というのが自分の中に存在していないが故に仕事をしても長く続けることというのが出来ないわけなのであるのだろう。
生きている活きている活き活きとしている。
職場と家との往復で一日が終わってしまう人生なんて誰かに無理矢理にやらされなければやる必要なんてないし飯が食えなくて死んだからといって誰かを恨んだりするなんて事も違うと感じている。
『宝探しの原点』
幼い頃に産まれて育った場所というのが、「新潟県中頸城三和村岡田」というなかなかの田舎で遠藤 修というのは、一村民という存在で父親と言えば職場にスーツを着てネクタイをして出掛けていたようであったのでサラリーマンという人種の人間で副業というのか田んぼと畑もしているという兼業農家という様相を呈していたみたいだけれども農協に米や野菜を出荷するみたいな程の収穫量でなかったようだし田んぼや畑の土地というのも我が家の持ち物であったのか借りていたのかも父親に直に聞くということもとしなかったし長男でなく二男という事であったので特別に聞く必要も無いのかなと幼心に兄が父親から殆ど全てを引き継ぐ事になるだろうからとか幼いながらも次男坊だからどうせどこかに婿に出される事になるだろうと高を括っていた所もあったのし兄の他に姉もいたので次男坊で末っ子の遠藤 修に何かしらのお鉢が回って来るなんていうことも無いのであろうからと楽観視もしていて父親との会話や交流なんてものの記憶というのもそれ程多くなかったし小学校の三年生か四年生位の頃に父親と母親とが何かしらの理由から離婚してしまっているので父親との記憶や思い出なんて数える程しかなか無いままで終わってしまっているし父親の死というものについて何時死んだとかなんの病気で死んだとかという情報を得ていないけれども新潟県立中央病院から父親の未払いの治療費があるので支払って欲しいという手紙が届いた際に父親が何かしらの理由でどこかで死んでいるらしいという文句というのが記載されていて風の噂的な感じで父親の死んでいたという事実だけを知らされることになったのであった。
父親の未払いの治療費というのは、1,300円程で高額な金額でなかったのだけれども同じように兄と姉の所にも同様の手紙というのが届いていたようだったけれども兄と姉は、そのお金すら出し渋っていたのか父親を嫌っていた故なのか支払おうとする気持ちというのを見受けることも出来なかった様だったので末っ子の遠藤 修が、新潟県立中央病院に確認の電話をして未払いの治療費の始末を着けたのだが、その件の話を姉にしたら父親の後始末をちょっとしただけでも下手をしたらそれを切欠にして父親の生前にしていたかも知れない借金の返済をする事になっていたかも知れないというような苦言を呈されたのだけれども離婚した後の父親がどの様に生きていたのかとかどの様な最期を遂げて死んだのかなんていう事に興味や関心が全くないわけが無いので知りたいという気持ちを微塵も持っていないわけでないしひょっとしたら別れた妻や子供達に恥ずかしくないようにという想いを常に心の何処かに持って生きてくれていたかも知れないであろうし何かしらの前触れや前兆というのがあって離婚するまでの葛藤や夫婦間での話し合いなんかも水面下であった様な離婚であったのなら一人取り残されてしまった父親の心境も考えやすかったのであるのだけれども子供の遠藤 修の視点からの離婚の仕方というのは、青天の霹靂のような離婚の仕方という印象が強かった。
何故なら遠藤家の離婚というのは、子供達が普通に学校に登校して授業を受けているところに「遠藤君お家から電話があって直ぐに帰りなさい」という小学校の先生からの言葉で始まったという人生の分岐点である離婚劇であったので、「小学校の先生って酷なことをしなければならない職業というか『遠藤 修』の担任でなければこんな嫌な役割をしなくて済んだのに可哀想な先生」と担任の先生の悲運を考えていた事もあったけれども顔や名前なんていうのも全く記憶に残っていない残念な先生であったものだ。
という余談から本題に話を戻すと衝撃的というかある日の午後に突然に離婚になったというパターンでの離婚劇であったので心の準備やあれやこれやなんてものの流れなんかも全く無い母子家庭の親子の物語のスタートであると同時に父親にとって独身生活のスタートであった筈であったのだから離婚した後の父親の物語というのは、想像でしかないし再婚をして悠々自適な生活を送っていたり離婚したということを理由に世間から非難の目で見られたり其処に到までの様々な案件の処理を全てこなして平々凡々な生活を送っていて生涯独身を貫いて別れた妻と子供を取り戻そうと必死になっていたのかも知れないけれども離婚した後に父親との再会というのをすることが無く未払いの治療費の請求をする為の手紙の中の文章の中の数文字の文句で「父親の死」という現実を知る事?知らされる事になってしまったという事実が、些細な事でありその事実に涙したりとかの表面的なものや特別な感情みたいなものもさほど無かったのだけれども「父親ロス」というのか、誰かに何かを言うでも無くただ一人で歯車を狂わせる事になり派遣社員として働いていた会社に仕事をしにいくという事というのが出来なくなってしまったのであった。
その頃は、母親とも離れて暮らしていたし兄も婿養子に入っていて姉も嫁として嫁いでおり各々の家庭を持っているし遠藤 修といえば様々な理由から単身で暮らし続けている状況であったので円らな瞳でなく孤独の中で父親の死を受け止めてひっそりと心を痛めていただけでしかなかった。
その時の派遣会社の担当者が何度かアパートを訪れていてくれた様であったのだけれども黙して語らずであったし「死に体」という状況であった。
その当時に派遣会社から紹介されていた会社というのが、農機具を製造している会社で中学校の同級生が一人と中学校の同窓生が一人働いているような会社で同級生の方が課長という肩書きで派遣会社との拮抗や従業員や行程の管理などをしているような職場であったので派遣前に会社の説明の為に見学をした際に管理者が同級生というので「この仕事を断った方がいいような気がしていたのだが、派遣会社もビジネスなので管理者が中学校の同級生なので遣りづらそうだという曖昧な理由で断るというのも酷な事だろうから」と考えて仕事をし始めたものの「中学校での僕のイメージ通りの働き方をしなければならない」とか「自慢の同級生だと言えるような働き方をしなければならない」とかの余計な考えが、発生してしまっていて仕事に幾つかの支障みたいなものが出来たり「気負い」というものが無かった訳でもなかったし身体の不調というのも発現しつつあり完璧な仕事が出来ないという思いを抱えている中での「間接的な父親の訃報」の到達によって心が灰燼と化してしまったのであった。
不本意な形で職場から姿を消すことになってしまったのであったが、派遣会社からの貸与物であった作業着の処理の対応について給料から五千円の弁済ということにしてもらって処理を済ませることになったのであった。
中学校の同級生と同窓生の2人に悪いことをしてしまったなとという罪悪感を心に刻んだ事と数ヶ月でしかなかったけれども同じ職場で上司や同僚として働くというようななかなか巡り会えない環境で共に働けたというのが、一般的に考えれば「奇跡」とも言えることであったしお互いの共有できる思い出としての貴重な財産として記憶と思い出になっていることだしいつの日にかあの時の事を酒を飲んだり肴を抓みながら話せる日が来ればよしと出来るのだけれども三者ともに「負い目」として心残りになってしまっている事でもあるだろうし「あの時の何が悪かったのか?」というのを三者共に腹を割って語りあえれば痼りや蟠りも氷解してくれることであろう事を願うばかりだ。
敬具
現在の状況をつぶさに検討してみると「トレジャーハンター」という職業や肩書きよりも「パフォーマー」という傾向の強い仕事の仕方をしているし
同じ職場で同じ事を毎日繰り返すという反復の日常も嫌いで無いのだけれどもストレスというのが、人一倍自分の身に降り懸かるような職場でばかり仕事をしている生活を送って終うためにそのストレスを発散する為に散財しなければならないという癖というか「ルーティン」というのが、いつの頃からか身に付いてしまっているのか困ったものである。
基本的に借金やギャンブルをしなければ何事もない平凡な生活を送ることの出来る環境に置かれてしまっている現在の状況を整理する事にしてみようと思うのである。
『現況』
とある事から病気だと捉えられることになり「生活保護制度」を利用することになってしまったのが、「平成12
年の9月頃」からであり其れから憲法25条で定められている「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることになったのであるのだが、生活保護法の括りの中に幾つかの規定と幾つもの制限と幾つかの義務というものが織り交ぜられていて「生活保護を受給しないで済むように努力をしなさい」という主旨というものが存在していて「ただ漠然と生活保護を受給しなからなんの目的も持たずに日々暮らしなさい」という安穏とした権利だけを濫用できる制度というわけでなく「清貧」という定義と「怠惰」を無意味に増長させるような代物でなく「病気」や「怪我」といった正当な理由のある働けない状態であり尚且つ金銭的に事足りず私財を処分したり利用出来る様々な制度を用いても生活の見通しというのが立たない状況で家族や親類縁者等からの支援や協力を得ることの出来ない状況でどんなに努力しても生活に困窮してしまうといった場合によって利用する事の出来る敷居やハードルの高い制度という制度の枠組みの中に組み込まれて結果として二十数年もの年月を過ごす事になってしまっており幾つもの骨や羽根を折ったり失ってしまうことになっており見えない駕篭の中に捉えられてしまっている「鳥」のような生活環境に留まらされている。
『本来のあるべき姿(願望)』
分相応な日常生活を営むというごく普通の感性から考えれば朝起きて朝食を摂取してしなければならない家事をこなして所属している会社に出勤して生活を賄う為の金銭を得るための『仕事』なるものをしつつ仕事の能率を上げるために必要な休憩や水分補給や栄養を摂取してお昼になれば昼食を食べて午後からの仕事を継続するに足りる栄養分を補給して始業時間になったら業務を再開し退勤時間になるまで業務を執り行い日々の糧となる品物を購入する為のベースを確保する。
通勤に関して利便性の高いものを用いる事とする。
車やバイクや自転車といった道具を使用するか日常的に利用できる電車やバス等の公共の交通手段やタクシーというような手段を用いることも出来ないわけでないが、待ち時間というものが発生してしまうので「徒歩」というのが最もポピュラーな手段であるし健康的でもあるし経費というものが発生しないし交通事故にあう心配というのも少なく済むので結果的に安心を無料で買うという事になるのであるのだが、時間も掛かるし体力の低下している時や緊急時に不向きであるという一面もあるので少なくとも自転車位の道具があった方が良い!!
『難題(なんだい』
とある病気の治療というか「完治」したや完治しているということの証明をする事というのが、大変に困難な問題である。
とある病気の病名というのが「統合失調症」といってこの病名になるまえまで「精神分裂病」という名称で読んで字の如く精神が分裂していてどうにもこうにもならないようなイメージの病名や病気と捉えられて治療者というのは、どの部分に重きを置いて治療しなければならないのか見当をつけることも難しそうな病気で平成12年の7月にこの病名を知らされたり入院させられた病院や病棟や病室や主治医として担当する事になった精神科医というのに対しても胡散臭いしか感じ取ることが出来なかったしどこそこの医科大学を卒業して医師として働いていると言っても患者の言葉に真摯に耳を傾けて病気がどうかの判断をしなければならないのに担当した患者の一生の責任を背負うだけの覚悟を持っていて「主治医」を名乗っているという訳でなく何十人、何百人、何千人と数多存在している患者を受け持ちその他大勢の内の一人としての認識程度でしかなく患者に対しての責任感も薄く自分の行っている治療方法が間違っているかも知れないという事に着目することというのが可能で尚且つなにものにもかかわらず染まらない自分というものを持っており確固たる信念と確実で安心な医療を提供する事の可能な治療方法も知っていてそれをそれを患者に対して行うことの出来る医師というのでなければならなかった。
平成12年の頃に精神科医療に疑問を持ち投薬中心の厄介な精神科医師に対してもきちんと「NO」という事の出来た反骨精神の塊のような患者の出現というのが待たれていたし投薬中心の治療方針の精神科医師の蛮行に対して待ったを掛けることの出来る精神科医師の出現というのも期待され続けていたのであろう事だが、遠藤 修の住む上越市に存在している精神科病院に勤務している精神科医師の中に「精神科医療というのがどこかおかしい?」と違和感を覚える事の医師の出現というのが、あるのかどうか定かでないけれども埼玉県と東京都に投薬中心の精神科医療に一石を投じている精神科医師というのが、現れて来ているようであるのだけれども「本物の精神科医師」というのが、日本国土の全域に対応するまでにかなりの時間を必要とする事になるし一年一年経過する事に子供達も成長するし新たに精神科医として精神科病院に勤務を始めることになる医師も当然のように現れるし全ての医師を総交換するという程に医師の養成機関も機能できていないことであろうし万人が万人とも何も悩みを抱えなかったり他者からの言葉や態度に対して寛容であるわけでもないので心を病んでしまう人間というのも年々増加してしまう傾向にあるだろうし完治して病院を訪れ無くなった人間よりも死亡することで病院から姿を消してしまう人間というのもいるのであるが「遠藤 修」のように病院から完治の太鼓判を得ることなくフェードアウトして姿を消してしまうようなパターンの人間というのも特別なのであろうし「遠藤 修」のような患者というのは、精神科病院に勤務している医療従事者の目か見れば異例であるしいる意味で異常者なのであるのだと考えられる。
セオリーや教科書やマニュアル通りの接し方したか出来ない精神科病院の関係者は、一目同然とばかりにその目を見開いて真実について考え直したり勉強をし直して貰いたいものであるし医療が誰の為に存在しているのかという根本的な部分にも目を向けなければならないのである。
『「トレジャーハンター」の最も重要な仕事というのは、大切な命を守るということでもある。』
「遠藤 修」は、両親の離婚を切欠に上越市の母子寮に移り住むことになって小学校も転校したし母子寮を運営しているのが教会であったために末っ子の遠藤 修だけが運が良かったのか悪かったのか「ボーイスカウト」に強制的に参加させられる事になったのであった。
母子寮から数人ボーイスカウトに参加していたのであるのだが、ボーイスカウトの活動の日が日曜日で折り悪くアニメのキン肉マンの放送時間でもあったためにビデオなんてものの無かった我が家だったのでキン肉マンを見たいが為に「ボーイスカウトの活動に行きたくない」と泣いて駄々を捏ねたこともあったのであるのだが、「キン肉マンを見る」という願望というのを叶えることも出来なかった。(「悲しい~」の一言に尽きたものであった。)
母子寮に住んでいた頃に流行していたキン肉マンのアニメというのが、キン肉マンを題材にした消しゴムをガチャガチャにしたり販売もしていてかなりのブームとなってしまっていたし同時期に母子寮の中に住んでいた子供の中にもキン肉マン消しゴムを母親に買って貰っていた事というのがあったしその子供は、何十体かがセットで売っているキン肉マン消しゴムであったので「羨ましいな~」と思っていたこともあったのであるのだが、同じ様にボーイスカウトに参加させられていた少年でもあったのでテレビでキン肉マンのアニメを遠藤 修と同じ様に見ることが出来ていなかった筈だし小学校の友達が持っていて自慢をしているようでありそうだから釣られて欲しいと思ったのかも知れないが、週間少年ジャンプを毎週欠かさず必ず買って読んでいたりキン肉マンを毎週欠かさず視聴していて本当に面白いとか格好いいと思えていて購入したのならばそれ相応の価値があったのかも知れないけれどブームに踊らされて購入したというだけなら喜びもそれほど無く感動も半減であったように思えていたしその子供に弟が居たはずだったので兄弟喧嘩の種になってしまった筈でしょうしキン肉マンのキャラクターの形をしているだけの消しゴムであったのだから遊び道具として使用するというのも無茶な話でしたからどこかに並べて飾ってお気に入りのキャラを見つけて格好いいとか思いながら悦に入って喜ぶ鑑賞目的かもしくは、実用を考えれば消しゴムなのだから勉強の際に間違えたところを修正するために消しゴムとして使用する位が関の山であった筈だと思えましたが、マニアというのかコレクターというのか、お小遣いに少し余裕のある裕福な家庭の子供というのが、キン肉マン消しゴムに目を着けて買い取りを始めたりもしていたようで子供の頃の品物が、何年も何十年も経て思い出や購買意欲を刺激するのか金銭的な価値というのが上がって玩具からお宝へと変化というか進化してしまう場合というのが有って付加価値やプレミアム価格というもので販売されるようになり母子家庭で裕福というわけでなかった「遠藤 修」にとって少しの懐かしさというのを込み上げさせてくれるけれども幼い頃のしょっぱい思い出程度なので大金を出してまで手に入れたいという想いにまで考えが到りませんけれども似通った時期にビックリマンシールというが、流行していて少ないお小遣いというか土曜日にお昼代として渡されていた中のお金で買ったのか定かでないけれども偶々買ったビックリマンチョコの中に入っていたシールというのが、「ヘラクライスト」という名前のキラキラしていたシールであったので、なんとなく忘れられない記憶として今でも時々ビックリマンチョコ系のお菓子を数個購入してしまうという時があり「三つ子の魂百まで」なんて言葉を頭の中に思い出していることも偶にあるのだけれども長年生きていると本来の目的を見失いがちになってしまったり最近の何度か目かの失策によって明日の食べる物がないという悲しい事態に直面してしまうことになってしまったのであった。(笑)
トレジャーハンターという職業柄というのか頭の中にお金を稼げる物というのが、時節にあった物や誰かの為に助けになる本とかを知っていたとしてもそれを右から左に動かす為の資金というのが、欠落していたり「現実的にお金になるものを」と考えるのであれば日本の中で営業が認められている「パチンコ店」に足を向けることになるのだけれど「大金?」五万円や十万円を獲ようと考えて行動を始めるとなるといくつかのハードルを越えなければならないし種銭をいくら用意しなければならないしなけなしの資金を持って行っても尻の毛までむしり取られてしまうだけで勝算というのを全く見込むことも出来ないし行く店によっても様々な邪魔者や気持ちの悪い人間というのが、何人も何人もいるので困り果てて仕舞うのであるのだけれどもただ手を拱いて指を咥えて見ているだけというのもなかなか難しく「設定師」や「釘師」としての血が騒いでしまったり「一流のパチプロ」としての腕が鳴ってしまうという悲しい性が発現してしまうので「帰りたい」と思った時に素直に心に従って帰ればいいだけの話なのだけれども「何でだろ?」という問に返す言葉が「生きているから!」というわけだからしょうがないというか「別段特に何かをしなければならない」という代物というのが現状に於いて存在していないし働く場所を探すにしてもこの数年で巻き込まれた事件に拠って「電話番号を所持出来ていない」という仕事を探すにしても連絡先番号というものがないし数年前のトラブルに拠って運転免許証を失ってしまっていて移動手段というのが徒歩しかなくて手持ちの所持金も数十円と侘しい限りでしかないので死に物狂いで何かを残そうとこの文章をスマートフォンで打ち続けている。
トラブルバスターに仕事を頼みたい位だし最近の不運に次ぐ不運で?というわけでなく突如出現するハエやゴキブリの様な奴らの所為であるのだが、警察に話をしてもまともに取り合ってすら貰えずどうすりゃいいのとのたうち回り続けているのである。
『警察も頼りにならないし弁護士や保健所や児童相談所も役立たずの集まりばかりだー』
「ふん、糞が(怒)!!」
『元は、と言えば誰が悪いのであるのだろうか?「政治家」か「医師」か「役人」かと辿っていけば詰まるところ「総理大臣」というのが、悪者である訳なのだろうな~』と声を大にして言ったとしても何も変わらないし誰にも伝わらない。
お宝を集め続けて行くと最後に現れる最大の難関というと国宝に辿り着くのだろうけれど国宝をむやみやたらに売買出来ないだろうし正当な所有者になるということもなかなかに難しい問題でありそうなのだ。
手近にお宝を手に入れるとなると地面を掘って金やプラチナを掘り出すかどこかの店やリサイクルショップに盗みに入って高級な品物を頂いて来るとか真っ当な方向性でなく犯罪の匂いが漂ってしまうようなことを考えるよりも金持ちと仲良くなってお金を貰うという方向の方が犯罪を犯すよりもかなり健全であると考えられるし「から手」でパチンコ店に行っても体力を消耗するだけで一円にも為らない徒労というのだろうな~。
お宝というのは、何も品物という形のあるものだけで無く情報というのも場合によって高額な金銭を得るための道具ともなるのである。
現在作っているのは、文字というものを使用して文章というものを作成しているのである。
誰かに何かを伝えるという行為が、物を右から左に動かすのと同じ働きをして誰かの行動を左右するという働きにも繋がる事にもなり本や新聞といった物が、お金に替わるのと同等であるという構造や仕組みと言うわけでもある。
視覚に訴えるものや音楽や歌という聴覚に訴えるものから言葉の並び方次第によっても様々な情報を伝達する事になり誰かの目や耳に入り良いものであると理解されれば売買というのが可能にもなるし録音機器や再生機器という物の需要にもなるし場合によって新たなビジネスチャンスを産み出すことにもなる可能性というものを秘めている。
音源に関しては、カセットテープやICレコーダーや携帯電話やスマートフォンやiPhoneなんかで録音することも可能だしパーソナルコンピューターを使用すればいる程度の記憶媒体にデーターとして残すことも出来るし場合に依ってテレビやラジオを使用した配信も出来るだろうし様々なアプリケーションを使用することでインターネットでの配信というのも現代において日常的に行われもしている。
視聴者や支持してくれる数多くのファンを獲得する事というのが出来れば数の原理で世の中や世界を動かすことも可能になって来るので頂点を目指すよりもオンリーワンを認識させるのが少なくとも有利であるし頭一つ抜きん出た才能を世間に認めさせることが出来れば色々なものが化学変化を起こしたり相乗効果を産みだす事に繋がる筈なのであるからお宝という定義を常識に捕らわれずに発展させれば新たなる次元の物を創り出すことも出来そうだしやるかやらないかというのは、この腕に懸かっている。
頭の中にラジオ体操の歌が流れて来た「新しい朝が来た~希望の朝だ~喜びにチャララ~ラ~ララ」みたいな感じで、日本人の殆どが聞いたことのある歌だけど産まれ付で耳の不自由な人が聞いたことないかも知れないけれども朝になれば皆が一度位聞いているという恐ろしい音楽である。
お宝の概念を一度『0』にして初歩から考え直すとお宝の定義というのは、まず第一に「好きなもの」というだけで弱いので『超大好きなもの』という所から考え初めて赤ん坊の頃から見直すと「母親」というのが、一番の宝物であると考えられそうであるし美味しいか不味いかというのを勘案すると『母親のおっぱい』というのが、母親の胎内から産み出されて初めて体験する地球上の飲食物である訳だからそれに類似している「牛乳」や「山羊のミルク」等も同じ様に考えることというのが出来てしまう事になるのであるのだが、ミルクというのはオシッコと違って純然たる血液という部類になるので言葉で「母乳」と書き表すことも可能であるのだけれども「血液」の形状変化している代物であるので大人が好んで「上手い上手い」と飲める液体であるのかどうかというのを筆者は、試したことが無いために何とも言い難いし
『過去に交際していた女性に「母乳飲んでみる?」と尋ねられたことかがあったのだけれども「母乳」というのが母乳についての知識というのが自分の母親のものの記憶しかなかったし妊娠初期に母乳というのが出るのかどうかも知らなかったので何とも返事をする事が出来なかった』
という出来事もあったしその女性と「できちゃった結婚」ということにも話を進めることが叶わなかったしその女性との子供も彼女の母親の意向や彼女の当時に働いていた職場の上司の『金』という名字の男に「おろせ」と言われたとも聞かされていたので、子供の命よりも母親の言葉や職場の上司の言葉の方が有効であった訳なのだろうと解釈するしかなかった。
その女性との結婚についても考えなかった訳で無かったけれども交際した切欠や男性遍歴なども知ってもいたので想い描いていた清純な関係からの結婚という相手として考えるならば「アバズレ」の部類に属していたり兄や弟も居るという家族の構成であったので
「どうだろうか?」と首を傾げなければならなかったり遠藤 修に其処に辿り着くまでに様々な叱責というのもあったり借金で首が回らなくなってしまっていた時期でもあったのし母子家庭の息子であったり理由のある結婚をしていて費敏な子供と母親と姉が負い目を持ちながら一緒に暮らしている旦那とその旦那の息子という複雑な家庭の姉と姉の家族の話もしなければならない状況であったのだけれどもお腹の赤ん坊の中絶手術を受けた後に何度か顔を会わせた後にその女の前から姿を消す事になったのだった。
既成事実の子供が産まれていたら違った流れになっていたのだろうけれどもそうは問屋が卸さなかったし職を失って借金を抱えたままの状態で交際を続けていたとしても不幸な未来しか描くことというのが出来ていなかったし身体の関係から始まった交際でもあったのでなるようになったというのか、その女性に当時交際していた男性もいたし職場の別の男性従業員に恋心を抱いていたとも本人の口から聞かされてもいたし過去に交際していた男性というのも知っていたのでなぜこんな道を歩んでしまったのかというのが疑問であったのであるのだが、器量も悪くなかったし身体の相性というのも良かったのだけれども働いていた職場と「結婚前に妊娠したら中絶させる」と母親に釘も刺されていたにもかかわらず避妊具の用意というのを欠かしていたのが良くなかったのである。
顔も悪くなく中肉中背で過去の事を気にしなければ理想的なカップルであったのかもしれなかったのだけれども出産までに至らなくても子供を失ってしまったという事実というのを取り戻すことも出来ないし其れによって拭うことの出来ない傷や十字架を背負わされることになってしまっていてかなりの致命傷となったということを言うまでもない話である。
それが故に50歳に近くなった現在も独身のままで一人孤独に暮らしているのかも知れないし実際に誰かに交際を申し込まれたという事象というのが、生涯でそれ程の回数というのが無かったし男女交際に発展させる程の魅力というものに欠けているのかわからないけれども僕自身の顔立ちというのか唇に特徴があって上唇が厚いという母親方の遺伝子を表面上に表してしまっていて鼻もそれほど高いわけでもないので時に女性の目にダウン症の人間のような顔立ちに見えてしまっていて障害を持つ子供を産みかねないという危惧を与えていたり「モテ期」というのも無かったわけでないのだろうけども秘密を持ち続けながら結婚生活を送り続けている姉夫婦というのは、遠藤 修の結婚や人生においての障害者でしかなかったのであったのだが姪や甥という致し方ない子供達の存在というのもあったので涙や色んなものの苦渋を我慢しながら飲まされ続けて居たのだった。
目の上のたんこぶであった義理の兄という存在というのは、三十年程の結婚生活の末に離婚という結末をむかえて解消されたのであるのだが、別れた姉の旦那というのはどういった魂胆であるのか産まれ故郷の実家に戻らずに未だに上越市の競艇の場外舟券発券場や近隣のパチンコ店に時折顔を出して金を儲けようと彷徨いていて趣味趣向というのが似ているところがあり数ヶ月に一度くらいの割合で顔を会わせたり姿を見かけることもあるのだが姉と離婚してしまっているので現在の所赤の他人であり遠藤 修を病気にした張本人であるので殺したくてしょうがなかったり憎くてしょうがない相手でしかないのでとっとと生まれ故郷に戻って貰いたいものである。
「間違いだらけの人生の修復」
修の姉が、結婚するという以前に修が日常的に過ごしていた場所というのが、デパートの最上階にあったゲームコーナーと「スポット」という店名のゲームセンターであったのだが、そこに集まる人間というのが、小学校の頃から一緒に遊んでいた「トミ」と「カツ」という相性の遊び仲間と時々であるけれどもスポットというゲームセンターの経営者の息子の「強」という名前の少年達と修が進学した城西中学校で知り合った「マサアキ」という数人の少年達と「ハルオ」と「カツ」と呼ばれる少年の家の隣に住んでいた一つ年下の「渋谷」であったのだが、デパートの7階にゲームコーナーに集まる人間というのは、そこで用いられている「メダル」があればアーケードゲームをお金を使用せずに遊べていたし貯メダルという制度もあってノートに預けたメダルの枚数を記録して使う分だけ払い出し貰うことの出来るシステムというのかサービスというのを行っていたので、少ないお小遣いを遣り繰りして麻雀やルーレットや花札やポーカーといったゲームやスロットでメダルの枚数を増やすことも可能であったのでゲーム好きや暇な人間や才能のある人間というのが、集まって時間を潰していたり友好をしていたり遊んでいたのであったのだが、年齢を重ねるようになると兄弟の影響で煙草を吸い始めたり小銭を稼ぐ方法として万引きして同級生に安く売るという様な事をするようになったりいわゆる不良へと歩みを進めることになったりもしていたしゲームセンター内でのメダルの貸し借りやトラブルというのも何度か発生するような事態というのもあったりもしていた。
ゲームセンター「スポット」というのは、修だけでなく修の兄も時々通っていたゲームセンターで、何が面白くて通っていたのか不明でもあったのだけれどもスポットの開店の頃合いに店に行くと店内の掃除をすると駄賃として500円貰える事があったのでその500円を目当てに顔を出していたのだけれど掃除があるかどうかとかなんていうのは、「気持ち一つ」であったし非公式の雇われ店長の気紛れでその報酬というのも発生していただけであるのでアルバイトという手合いの代物でなかったしスポットの中にもう一つ仕事としてスポットの中で飼われていた犬の散歩というのもあったので、店長の気紛れに任せての暇つぶしの場所でもあったし時々であるけれども食事を驕って貰えることもあったので何やかやと利点というのがあったのだけれども成長すると共にゲームセンターからパチンコ店に場所を変えるようになったのであるが、上には上が居るというばかりに修が、一般台という打ち止めの有る台をしている場所と少し離れた場所で小学校の同窓生が一発台という大当たり一回で一万四千円程のリターンがある台に座ってわんさとお金を使用しているという場面を直視したことも有りお互いが14歳かそこらであったので「どうなっているんだ?」と目を白黒させたものであったのだが、どの家庭にも色々な事情というのがあったし子供が一人でパチンコ店で大人顔負けのパフォーマンスを繰り広げているというのだからまともな大人達であるならば馬鹿らしくて「やってられねぇ」と匙を投げて帰るか店の従業員に「18歳未満の子供が入場しているぞ」と告げ口をしていてもおかしくなかったのだけれどもその店で修は、「18歳未満の子供は帰りなさい」とかの注意を受けたことというのが一度も無かったしそのパチンコ店の名前というのが「東亜会館」」といって数年後に修の姉が働く職場として旦那に選択させられたパチンコ店でもあったのだけれど基本的にパチンコ店で妻や旦那が働いているという場合にそのパチンコ店に伴侶や親や兄弟という人間の入店をさせないように配慮するものなんだけど日常的に経営者というのが、存在しておらず管理者として万年主任が一人日中の切り盛りをしていて有事の際や閉店後の集計時に副社長が姿を現して集計をしたり釘調整というのをしているようなゆる~めなパチンコ店経営をしていて姉の旦那は、姉のことが好きという理由からだったのか仕事のない暇な時間や夕方とかに姉の職場に姿を現して姉に「あーだこうだ」注文をつけたり夫婦の営みみたいなことをしていたのだろうと第三者の視点から子供達の成長というのを心配しながら様子を窺っていたものであった。
中学校の在学中からパチンコ店に出入りするようになってしまっていた修は、なんだかんだと言っても種銭というのをろくろく所持せずにパチンコ店に行っていたのだから恐ろしいものであったのだが、姉が妊娠して世間の目を誤魔化すように結婚をしてからというのは、姉の子供もなんとか出産する事というのが出来て「どんな気持ちでなのか?」旦那との新婚生活を送るようになるまでの数ヶ月の間というのは母子家庭で暮らしている我々としばらく姉も一緒に暮らしていて自衛隊員として勤務していた義理の兄といえば休日の度にパチンコ店に行ってしまうようなパチンコ好きで調子が良ければ勝って財布の中が潤っていれば機嫌も良かったのであるのだけれどもいくら才能というのが有ったとしても勝負事なので徐々に負けが込んでしまうということもよくある話であるし義理の兄についてパチンコ店に行って「梃子」というか代打ちというのをすることが何度かあったのだけれども「ホームラン」というパチンコ店の「サイクロン?」という台の代打ちをしていた時に義理の兄が、給料の大半を失ってしまうという事態を引き起こしてしまったことがあり同行していた自分にも非があると修は思っていたのであるのだが、何よりも中学生という状態であったのでその時の失態というのを誰がリカバリーするのかというとお鉢というのは、ごく当然に母子家庭の屋台骨を
支え続けている母親のムツ子に回ってしまったのでなかったのだろうかと考えても詮無い事でしかなかったしなんだかんだと波を立たせるのも人生の中であって然りの事であるので取れる手段というのは、消費者金融というかサラリーマンローンということになっていたわけなのであろうと勘ぐるしかないわけであったし義理の兄にしても
お金が無くなれば頼る相手というのは、実家の両親と通常ならなるのであるのだが、自衛隊員として勤務しているから給料に関して安全であると消費者金融にお金を無心するようになってしまっていったのであった。
義理の兄というのは、出身地の高等学校を何かしらの理由で退学になり交通事故を起こしたか何かして鑑別所か
少年院に収監されていたという事が在ったらしく自動車の運転免許証を所持しておらず真っ当な人間というよりも義理人情を重んじる渡世の人間の気象であったり外道というかアウトローの気色というのが強いタイプの人間であったものの本職のヤクザになるまでにいたらず自衛隊を辞めてから夜の繁華街で雇われ店長として重宝されてもいたようだったのだが店の金を使い込んで姿を眩ますという芸当をしてしまう程に切羽詰まっていた時期というのもあり姉が第二子を妊娠中に浮気をしたりと破滅への道を一心不乱に歩んでいたしそんな義理の兄に嫌気が差したのか姉も心を決めて「手首を切る」という行動をおこなって病院に搬送されるという事態を引き起こしたそんな騒動があってお互いの為と頭を冷やすためだったのか一度離婚したこともあったのであるのだが、葬儀屋働き始めるという事が叶ってから数ヶ月経過するかしないかという頃にお互いの環境が落ち着いたからなのか再度結婚し直すという事をしてくれていたのだが、根本的に義侠心に駆られてなのか真意というのが不明であるのだが、他人の子供を妊娠している女性と結婚してもいいなんて事をどういった経緯からでも無理難題であったわけなのだから義理の兄というのも姉の不純異性交遊の末の被害者であった訳なのであるのだが、物事に時効というものが存在していたり時間が全て解決してくれということもあったり育ての親として長年一緒に暮らしていて本当の子供といくらか差のある接し方をしていたとしても女であれば分からないかも知れないけれど男の目からすれば当然の成り行きであるだろうし姉の第一子というのが女の子でなく男の子であったならば結婚生活というのが、三十年近くも続いていなかった事であろうし双方共に気性の荒い正確の人間というのが、育っていたのかも知れなかったのであるのだが「一姫二太郎三茄子」という言葉もあるようにある程度世の中に顔向けの出来る家族像というのを構築できていたことであろうと思えている。
「一姫二太郎三茄子」についてそれに近い言葉が在ったように記憶しているだけで真相は不明である。
本題のトレジャーハンターの話に戻ろうと思うのであるのであるのたが、令和5年の5月までに数えきれる程の落とし物を警察署に届け出ていて感謝の電話というのか謝礼の交渉についての電話であるのかよく分からないけれどもお礼について何度か話をしたことがあってなにから話そうかと頭の中に浮かんでいる品物が、関川の土手に不自然に放置されていたブリジストン製の赤い色の折り畳み式の自転車であるのだが、ハンドルの所にワイヤー錠がぶら下がっている状態で鍵を掛けずに放置されていたのか乗り捨てられていたのか定かでないにしろ違和感しか無かったので数日間様子を観ていてもそのままであったので意を決して上越警察署に持って行った事があり遠藤 修の事を快く思っていない会計課の栗山という男性職員が担当したのであったのだけれども、どうもその折り畳み自転車というのが盗難にあった自転車のようだったのでなんともお手柄であったようなのだが窃盗犯の捜査や逮捕みたいな話にならなかったようであったのでお手柄であったのだけれども所有者に折り畳み式自転車を返還するという事で済んでしまったらしく所有者からお礼としてセブンイレブン系列の商品券三千円が送られて来たということがあって「盗まれた折り畳み式自転車を発見してくれたお礼を所有者が負担したというのが何となく違和感が在ったしなんか違うよなという不快感が残ったことが一度あったのだった。
上越警察署の会計課の栗山に何度か苦湯を飲まされた事があり遠藤 修は、大したことのない物を拾っては上越警察署に届けに来るので面倒臭い相手だと認識されていたようで「眼鏡」を見つけて上越警察署に行くと眼鏡を落とし物として受理できないというような事を言ってきたことが在ったのでしょうがないからと徒歩で四時間ほどかけて隣の妙高市の警察署に届けに行ったことがあってしんどい思いをさせられたことが在ったりしたので栗山という会計課の職員は好きでなかったというか嫌いだったので早く何処かに異動しないものかとよくよく思っていたものであったが「憎まれっ子世に憚る」とばかりに長い間働き続けていたものだったのだった。
上越警察署の落とし物担当の職員というのは、「癖」のある人が多いのか?というか上越警察署の警察官も特殊な顔立ちの人間が多くて「モンスターハウスかよ、ここは?」と思ったことがあったりもして上越市の治安を守りに来ているのか壊しに来ているのか判らないものだと本気で怖いと思った事があったくらいだしね。
新潟県警の採用基準てどんななんだと?首を傾げてしまう状況だしそこいらの交番や警察署に勤務している相談員や相談係にしても相談する為だけにわざわざ出向いている訳じゃなくて解決して欲しいがために訪れてんだから「時は金なり」であるけれども警察官がお金に関心を持ったり職務を放棄してしまっているというのは、如何なものであるのだろうか?
ドラゴンボールを考察すると幾つもの物語というのが、組み込まれていて集約され再構成されて人気を博す漫画やアニメーションとして日本のみならず世界でも認知されている事であろうと考えられる。
元々の題材というのは、「西遊記」という物語で「三蔵法師」というお坊さんが、様々な事に寄って苦しんでいる衆々を救うために有り難いお経というのを西方に頂に行くという旅の話で、三蔵法師の旅の連れとして「孫悟空」と「猪八戒」と「沙悟浄」というのを伴って道中に出現する妖怪達を退治したり様々な問題を解決するというようなものであった。
小生の幼い頃にテレビのドラマとして「西遊記」というのが、放送されていて視聴もしていたので、少年ジャンプにドラゴンボールの漫画が掲載され始めた頃というのは、どのような展開や漫画になるのかというのが、気が気でなかった。
「鳥山 明」氏の前作というのがドクタースランプ アラレちゃんという年頃の女の子のアンドロイドというのが、主人公の漫画で主人公を補佐する製作者というか産みの親というのが、「のりまき せんべい」というお菓子の名前で天才科学者として発明品を造って物語を展開していくテンヤワンヤやハチャメチャなギャグ漫画であったので漫画やアニメーションになったときというのは、面白いとかいうよりも「期待を裏切らないでくれという願いの方が強かった」のだった。
ドラゴンボールのキャラクターの名前の付け方にしても主人公の「孫悟空」と旅の連れといか相棒というのが女性キャラで「ブルマ」女性の着衣から取ったらしいというネーミングで、猪八戒の立ち位置のキャラとして「ウーロン」というのが、当時に流行り始めていた飲み物であったりウーロンのライバルで在ったのが「プーアル」というお茶つながりの関係で、孫悟空とブルマの最初の敵というのか、山賊の「ヤムチャ」というハンサムで、そこそこに中途半端に強いという設定であるのだが、それ以上の強さを持ったキャラクターというのも現れるようになって兄弟弟子で終生ライバルというのか友人の「クリリン」と師匠の「亀仙人」と師匠のライバルの「鶴仙人」と弟子の「天津飯」と「チャオズ」という二人も現れて鶴仙人の弟で殺し屋の「タオパイパイ」というのも孫悟空の敵として現れ事にもなり話の展開というのは、右往左往して面白く感じたものであった。
物語に序盤から出場していてドラゴンボールを狙い続けている「ピラフ一味」や西遊記からの転用として用いられたと感じた「牛魔王」と「芭蕉扇」という件のお話と孫悟空の嫁となり孫吾飯と孫吾天の母親となる牛魔王の娘の「チチ」というのが、前半の物語の登場人物達であったのだったのだが、物語を進めていく内に登場人物達も様々な変化をして強くなったり新たなる強敵や協力や補佐してくれるキャラクター達も新たに考えられていたようで物語に大魔王や神という存在というのが出現するようにもなり大魔王の名前は「ピッコロ」で手下に「タンバリン」と「シンバル」というような魔物というのがいたのであったしピッコロ大魔王の出現やピッコロ大魔王を倒すために神に会いに行くというような発想というのは、テレビゲームの「ドラゴンクエスト」系列の話の進め方からの移植といえたのだと当時から考えていたのだった。
物語のシナリオというのが、完全にオリジナルであるのかも知れないしベースとなるストーリーというのが、世界各地に存在していて制作者サイドの人間達が知恵と情報を持ち寄って研鑽されて作品に植え込まれることになたっ筈であろうから世界各地の物語や「伝承」とか知るということが、作品の面白さを二倍にも三倍にもしてくれて深い味わいとなり堪能で来るようになるのであろうから面白いのであると感じる。
ドラゴンボールには、「願を叶えてくれるドラゴンボール」を探すというのが、主題で有ったのであるのだが、時間の経過や物語の進展と共に主題からそれてしまうという事というのが何度となくあるのだった。
当初の目的というのは、ブルマが「素敵な彼氏を手に入れる」という願望を叶えるための不純な動機からドラゴンボール集めをスタートしていたのであったのだが、伏兵としての「ピラフ一味」や「レッドリボン軍」や「ピッコロ大魔王」といった地球の中での物語から宇宙から使者で兄の「ラディッツ」との闘いで命を失う事になった孫悟空と新たなるサイヤ人で主人公と同族である「ナッパ」と「ベジータ」という地球を滅ぼそうと現れることになった新たなる登場人物達との地球の存亡を賭けて死闘を繰り広げる事に「クリリン」と「ピッコロ」と「ヤムチャ」と「天津飯」と「チャオズ」とその闘いを静観することになる「亀仙人」と「ブルマ」と「ウーロン」と「プーアル」とオマケの「ヤジロベー」や天界からその様子を観察している「ミスターポポ」と「神様」どあるのだったが、ドラゴンボールで生き返ることになった孫悟空というのは、「地球戦士」と「サイヤ人」との闘いの場に遅れを取ってしまうことになり到着が遅くなってしまい何人かの命を落とさせてしまうのだった。
この辺の物語の展開というのは、フャミリーコンピューターのゲームソフトのストーリーに関連していたり様々な大人の事情とあうのも存在していてゲームとの兼ね合い等もあったことであろうが、この頃のドラゴンボールというのは、宇宙船や他の知的生命体や神様とピッコロの出自というのの話でもあったので「ピッコロ」や「神様」のファンやナメック星やナメック星人フレークにとって一過言ある場面であったと思えたし「故郷から一人で宇宙船に乗せられて地球に辿り着く事になった「神様」の心情察すると感慨深いものになるし「神様」の前任の「神様」といった人物像であったのかも気になるところでもあったのだった。
悪の心「ピッコロ大魔王」を体外に排出したことで善の心のみとなり天界で神としての仕事をする事になった「神様」というのは、その姿形からも人外のものであった訳だし出自がナメック星人という事で様々な異能の能力を駆使したりドラゴンボールの「シェンロン」に命を与えて願いを叶えられるようにしているのだから特別なのであろうしナメック星でフリーザに敗れて瀕死の受賞を負ってしまった「ネイル」を吸収したことにより大きくパワーアップに成功したのであったのだが、フリーザの戦闘力というのは、強大すぎたのだったがナメック星でのピッコロの闘いというのは胸を踊らされるものというのがあったのである。
サイヤ人の出現というのの前において孫悟空とピッコロというのの関係というのは、地球上で一か二という強さの関係であったしお互いをライバル視しているような所もあるのだったが、基本的にピッコロといえば悪者扱いをされるような立ち位置であったり使用する技にしても魔物が使用するようなネーミングとなっているので地球人と相容れづらいという設定になっているだろうし最初からドラゴンボールを見続けている人間にとってピッコロの存在というのは、複雑であるし強さの序列から言っても「孫悟空」→「ベジータ」→「魔神ブウ」→「セル」→「トランクス」→「孫吾飯」→「人造人間17号」→「人造人間16号」→「人造人間18号」→「人造人間19号」→「人造人間20号」→「ピッコロ」という感じであったり別の世界でのドラゴンボールの物語において更に強力なキャラクターも現れているようであり準主役のポジションから有象無象の中の一人というポジションに格下げされてしまっているので強力な存在感をアピール出来るだけのパワーアップというのが望まれるのであるのだが、手近な所で考えると「デンデ」と一体化する事によるパワーアップか「精神と時の部屋での修行」ということになるのであろうかと思われるが、ピッコロの中に既に「ネイル」と「神様」二人分の能力や記憶や背景というのが集約化されているのだからナメック星人最強の戦士のパワーと神様として蓄積されたいた知己というのが、存在しているのだから「キン肉マン』でたとえると「ラーメンマン」の立ち位置にピッコロは存在してしまっているのだと筆者は考えている。
キン肉マンの兄「アタル」と言えるのが「ラディッツ」であるし「キン肉マン」のポジションというのが、「カカロット」であるだろうけどもキン肉マンとドラゴンボールを見比べるというのは意味の分からない事でもある。
更に研鑽すると「ピッコロ」というのは、悪魔とか魔族のポジションとしての設定もあったはずだから「悪魔将軍」という捉え方も出来そうである。
「どうでもいい話だわ!!」
と、横道にそれてしまっているけれども何故ドラゴンボールの考察を仕出したかというと「宝物」や「お宝」を知ってか知らずか産み出して居続けているようだからであるのだ。
ドラゴンボールの映画が映画館で放映されるようになるとカードゲームやフィギュアや様々に付随するプライズや商品やアイテムなどが製造されるようになってドラゴンボールファンやマニアにとってお宝となったり日常的なアイテムともなるのだけれども物に依っては、高額で取り引きされるような品物として世の中に出回ることにもなってしまったり偽物を造られるようになったり様々なトラブルを引き起こしてしまうという問題も含有しているので良識のある大人や有識者というのは問題意識を持って状況を懸案していることであろうと思えるのである。
筆者にとって「ドラゴンボール」というのは、読み物であったし漫画やアニメションというテイストでしかないけれども母子寮に住んでいた頃の幼なじみに引っ越して退寮するということになる際にお別れの品というか餞別としてドラゴンボールの何巻であったのか定かでないけれども単行本を貰ったという記憶というのがあって単行本をくれた少年といのは、二人兄弟の弟で母子寮の中で父親が居ないという不満や不安とか在ったり何かとやさグレていて反抗期でもあったようで母子寮のスタッフの手を焼かされているというような所もあったし筆者に対して何かしらの誤解というのも抱いているようでもあったので困らせられた思い出というのも少しあった。
母子寮のスタッフに筆者と同じ名字の「遠藤 あかね」という女性がいてその少年というのは、同じ名字であることから何かしらの勘違いやら思い込みというのをしていたようで時々であるのだが、筆者に「突っかかってくる」ということが何度かあり他にも何人かの子供達もいたので些か迷惑だなと感じてもいた相手でもあった。
母子寮の頃というのは、兄や姉も致し六年生で年長でもあったので登校時に引率者として他の子供達の事を気にしていたりしなければならない立場であったし母子寮の子供達というのは、頼るべき父親という存在というのもないし話し相手というのも忙しく働いているような母親でしかなかったので普通の家庭の子供よりも寂しい思いをしていたものであったと思えていたし母子家庭の実情なんてものというのは、なかなか知り得ない話でもあるのだから他者からすれば可哀想とか不憫であるというような見方というのも出来るわけであったし筆者も自分が不憫であると思えていた。
なんだかんだ言いながらもドラゴンボールというのは、ある意味で人生の「バイブル」という位置付けになる作品であったと思えている。
孫悟空の必殺技の「かめはめ波」とか「元気玉」とか「界王拳」というのもある程度見物であったしストーリー上で、初見の際に設定になる程と唸らされたり「子供騙し?」とか頭を捻らされたものあって読者や視聴者が一喜一憂していたというのも間違いでなかっただろうし孫悟空がスーパーサイヤ人になった際というのは、なんだかんだ言っても衝撃的であったのだったのだが、髪の毛や目の色が変化して戦闘力が飛躍的に向上するという点や普段穏やかなサイヤ人というのが「怒り」によって限界を超えてスーパーサイヤ人になるというものであったのだが、サイヤ人というのが戦闘民族であり本能的に好戦的で穏やかな性質で無いという根本的な解釈というのをしたとすれば地球育ちの孫悟空以外にスーパーサイヤ人になれる可能性や素養というのを養えていなかった訳であったし穏やかな性格のサイヤ人というのは、過去に存在していた伝説のスーパーサイヤ人というのも実情は、孫悟空の父親の「バーダック」であったらしいのでドラゴンボールの歴史を紐解いた伝説というのは、想像しているよりも伝説の度合いというのを薄べったく感じることになった。
ドラゴンクエストの伝説というのは、三作にまたがっていて「勇者ロト」というのが、ドラゴンクエストを最初にプレイした時の謎であったし「ロトの剣」や「ロトの鎧」という物の存在というのが、胸を踊らせてくれてもいたのだが、「勇者ロト」という存在というのが気に掛かっていたのだけれどもドラゴンクエスト2になっても「勇者ロト」といのの存在が不鮮明であったのだが、ドラゴンクエスト3によって「勇者ロト」の正体というのが、明らかになったのであった。
その衝撃というのは、数年間抱えていた疑問というか謎というのが、明らかになった瞬間でもあったのだから鮮烈であったのだったのだが、「勇者ロト」というのが、ドラゴンクエスト3の世界での自分自身であるというジレンマというか複雑さというのが得も言われぬ感覚でもあったようだった。
お金や武器や防具を探して世界を旅するというのは、非日常的出歩けれども世界中で行われてきた基本的な事で在るわけだし文化の発展に寄与していた初歩の初歩で「いろはのい」であるのだからそれを仕事にしようというのは「浪漫」でしかないし流通が発達していたり世界中が開拓去れ尽くしている現代において新たなるステージとなるのは、「地中」か「海の中」か「宇宙」ということになると普通に考えられるのであるけれども、最も重要なことというのが、「死後の世界」であったり「安心して死ぬ方法」というものであったり「永遠に生き続ける」という「不死」や世界の崩壊や滅亡というのを紐解くことである。
ドラゴンボールの世界においても「神様」という表現をされる人物というのがいたり更に上位の存在というのも取り沙汰されているし神様の存在価値とか意義みたいなものもうっすらとであるけれども表現されているのであるが、いつの頃からか筆者というのがこの世界の神であるという事に考えが到ったのである。
この世界の神といっても特別な事を何か出来るというわけでもなく「ドラゴンボールのような特別な品物を創り出しているわけでも無いし漫画を描いている作者も作品にとって神であるけれども作品を読む側の購読者というのがいなければ漫画というのやアニメーションというのも「絵に描いた餅」何物にもならずに忘れ去られてしまうだけの代物であるということを言えるのであるのだが、そういった関係性の神というのでなく存在していることで神としての能力を発揮しているという現実というのが筆者を神たる所以と識別するための根拠であるのだ。
ONE PIECE(ワンピース)を考察する。
ワンピースの物語の最初の頃というのは、ひとりの少年と海賊との出会いによって始まることになったのであった。
少年の名は「ルフィ」といって父親も母親おらず孤児として島で育っていてとても食い意地のはったやせっぽちの少年でしかなかった。
そんな少年の住む町に「赤髪のシャンクス」という男を頭にした海賊達というのが、訪れる事になり少年ルフィと赤髪のシャンクスとが出逢うことになったのだった。
少年ルフィは、孤児で食い意地がはっているというところから町の人間達に疎まれてもいてそんな町の人間との関係というのを好まんかった少年ルフィというのは、海に出て自分の力で生きる「海賊」というものに憧れているところもあり赤髪のシャンクスから聞くことになった体験や海賊の物語というのを目をキラキラと輝かせながら胸をワクワクと躍らせて話に聞き入っていたのであった。
赤髪のシャンクスの海賊として得ていたお宝の中に「悪魔の実」というのがあって食い意地のはっていた少年ルフィは、悪魔の実を見つけると食べてしまうのだった。
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時価 30万円の重箱
入手した経緯というのは、未知のウィルスが流行したことで感染予防の為に外出を控えるという国を挙げての施策が行われた事により繁華街で飲食店を経営していた夫婦が、飲食店の継続を諦めて閉店させるという事になったようで店で使用していた調理器具や食器類やグラスなどの処分に困りリサイクルショップなどに持ち込んでも二束三文であったり買い取りされず一円にもならないだろうからと上越市の南本町にあるスナックの店頭で無料で差し上げるので自由に持って行ってよいと並べていたので小生がその品物の中から物色して頂戴してきた重箱である。
重箱を選んだのは、ここ数年で関わった人間や仕事によって心身共に疲弊していて「美味い物が食いたい」という思いからであり何度か下手をうってしまっていて米に醤油や塩や味噌といった何かしらの味を付けただけの食事でなんとか命を繋いでいるような時期であったので食い物に飢えていて頭の中に「死」や「自殺」という文字や言葉が浮かんでいるような殺伐とした状況であったので重箱の中に様々な食材や調理された状況の「お節料理」や運動会のお弁当のように「いなり寿司」や「おにぎり」等を想定することが出来たしなんなら自分で作りたいという願望も相まって食趣が働いて手を伸ばして手に入れた品物である。
その瞬間は、お宝を手に入れたという感覚でもなく実用的なお弁当の器を手に入れたという感覚であった。
小生は、元々上越市の隣の新井市の大衆的な食堂「オーモリラーメン」で平成三年から平成四年の年齢的に16歳から17歳の一年間程でしかないけれども調理人というか調理人見習いとして働いていたので、職人の下地というのは「料理人」であるのだけれどもオーモリラーメン働き続けるという選択をするという事をしけれなかったのが悔やまれる事である。
オーモリラーメンでの仕事というのは、大きい寸胴から中くらいの寸胴にスープの汲み移しから始まり厨房のコンロ上に寸胴を設置して茹で麺機の準備をしたりどんぶりの用意やラーメンの彩りにのせる為の具材の用意と冷蔵庫に保管してある「麺」の準備をして開店迄の時間に仕込みで包丁を使用して長ネギを刻んで「薬味」を作るとういう具合であった。
基本的に何人かでの分担して作業であったので小生というのは、半人前ということであろうから中華鍋を振るう調理場の担当でなくぎょうざ焼き機とか簡単なラーメンの調理を担当していてピークタイムを過ぎて代わり番こに食事休憩を取るときの繋ぎの時に「味噌ラーメン」や「タンメン」や「焼きそば」や「チャーハン」や「野菜炒め」や「中華丼」や「あんかけ焼きそば」や「冷やし中華」や「もやしラーメン」や「あんかけモヤシラーメン」等の調理をしていたのであった。
大衆食堂で働き続けていれば良かったのだけれども当時の小生というのは、関根学園高等学校を一年の内に自主退学していて学歴に対しての劣等感を持ってもいたし不肖の姉と姉の家族というのもいて姉の旦那というのは、自衛隊員で安定している仕事と言っていたようであるのだが、生来の気質というのが「遊び人」であったり自動車の運転免許証を所持していないという一般的な常識の範疇から欠落してしまっていたの人間で「金に困っていた」という環境でもあったようで姉と姉の旦那というのは、厄介な話を持ってくる事が幾度と無くあったのだった。
オーモリラーメンでの小生の立ち位置というのは、なかなかに難しい位置にいて入社した経緯についてというのが、小生が関根学園高等学校を自主退学してから特に何もせずに家の中で穀潰しの様なことしていて母子家庭の母親であったムツ子が、タダ飯を食わせて置くわけに行かないとか息子の将来を案じてというのか伝手を頼ってオーモリラーメンの社長の娘さんといっても既に30代後半であったのであれなのだけども母親の言に依ると母子寮で一緒だった「とある人が、社長の娘さんと友達であるからと話をして貰ったからオーモリラーメン新井店に面接に行ってこい」という事であったので小生は、人間の機微というのをよくよく理解している人間であったので「お母さんあんた母子寮で同じ時期に一緒だったというだけの人に自分の出来損ないの息子の将来を託すような事をして大丈夫だと思っているのかい?」と「なんならその女性の人も息子が二人も居る状況である程度の人生を歩んで思い倦ねた上で離婚という選択をしなければならなかったという人なんだからどういった理由で結婚してどういった理由で離婚の決断をしなければならなかったのかそういった事を知った上で出来損ないの小生の仕事の斡旋を頼んだというのか解っているのか?」と本来であれば言わなければならなかったのだったのだろうと考えていたのだが、母親のムツ子は解っていたのか解っていなかったのか定かでないのだが、自己中心的で在ったからこそ母子寮に入ったという事を母親のムツ子は、解っていなかった筈だし母子寮での出会った人々というのは、「苦渋」や「辛酸」を舐めてしまっていて普通の幸福な人間でないのだからその取り巻きについても同じ様に様々などす黒い感情の中に置かれてしまっているはずであるのだから「同じ穴の狢」で品行方正な人種の訳が無いという事を知っていて欲しかったものであった。
小生は、なんだかんだ言っても家長の母親のムツ子の言に従わなければならなかったので「採用されるかどうかも判らないし職場環境や対人関係といった問題や様々な心配というのもあったので半信半疑になりつつも面接を受けなければならなかったのであった。」
オーモリラーメンにおいての初動というのは、単身で敵地に乗り込むようなものであった。
オーモリラーメンというのを幼い頃から別の店舗で何度か食べてもいたしスーパーで売っている生麺を母親のムツ子も家で何度か料理してくれて食べていたので嫌いな食べ物で無かったし小生は、料理漫画を読むのも嫌いでなかったし場合によってインスタントラーメンなんかも自分で料理していたので料理というのも嫌いでなかったし食べるのも嫌いでないのであるのだが、料理人になるというのが、自分の天職であるという風にまで思えていなかったしなにより若く世間知らずで普段からお金を持たされてもいなかったので自分で何かを買うというのも日常的にしていなかったので社会人としての勝手というのを理解してないない状況で世の中に飛び出すことになったというのは、人生の大誤算になったのである。
『現地での面接から採用というのはとんとん拍子で進んだのであった。』
オーモリラーメンでの面接は、社長の娘さんとする事になり小生は、学歴が中学校卒業で地域の評判の良くない私立の高等学校を退学していて一般的に考えれば「出来損ない」という一言につきる人間であったので採用されるかどうかというのは、小生の背負っている背景であったり面接者の趣味趣向や小生の将来性をどのように捉えれるかの部分であったと思うのだが、面接者の目にどのように映っていたことであろうかというのは、なんとも言い難かった。
小生の側から見たオーモリラーメンというのは、一流の大衆食堂というに言葉を繋げる事というのが難しそうであったのだったのだが、店主の意向というよりも店主の父親の意向や取り巻く環境というのも強かったように思えるし当時から美人姉妹が切り盛りするというような評判もあったようだったので姉妹の容姿に関しての美醜というのは、持って産まれたもので在ったし
思春期真っ只中の小生の視点からすれば世間の評判の美人姉妹というのも少し的外れで職場の上司や先輩という捉え方というのが、主流であって性的な部分で対象とも違っていたので「命を掛けて守りたいというような主従関係にまで発展し辛かった」のであるのだが、なんだかんだと言いつつも働き口を決めることになったのである。
オーモリラーメン新井店の構成員というのは、社長の娘が二人と次女の旦那の弟というのが、常勤の主軸となっていて日曜日や忙しくなってくると次女の旦那が非常勤として調理場に手伝いに来るという様な感じで常勤の従業員が、数名と高校生のアルバイトが数名といった具合で従業員間の関係や職場環境というのも独特であったけれどもコングラチレーションと言える程のものでなく昭和や平成という印象が色濃かったように思えていた。
オーモリラーメンの失策というのは、いくつもあったし当時の取引先に暴力団関係者の経営する食堂があったりオーモリラーメン新井店に暴力団関係者の妻を雇い入れたことであった。
大衆食堂として地域の住人に利用されていて近隣にショッピングモールが在ったけれども小生の慣れ親しんでいる地域でも無かったし仲良くしたいという同僚というのも現れなかったし基本的に昼食を食べれるという利点というのも有ったものの小生の働いた給料の半分を母親のムツ子に渡せという姉の旦那の言葉もあったりしていたので働いて得る報酬というのも半減していたし基本的に職場にお金を持って行くという習慣というのも持ち合わせていない世間知らずであったので「本当に出来損ない」であったものだから店主にも苦労や心配をさせていたと思えたのだが、姉夫婦や母親もお金の管理について馬鹿だったからしょうがなかった。
そんな頃に姉というのは、変な人間と交流するようになっていてどこの誰かに聞かされたのか「生命保険の紹介料」というものに目を着けるようになってあろう事か、小生に「生命保険な入れ」なんて言い出したものだから言語道断であったのだ。
姉夫婦が、どういった訳かお金に困っているというのを何となく知っていたり感じてもいたので「生命保険に入れなんて言い出したものだから保険金目当てに小生を殺す気かとしか思えなかったものである。」姉が小生の身に何かあったらという考えを持って生命保険を勧めて来るなんて普通に考えればおかしな話でしかないし大体家に給料の半分を入れていたのだから生命保険云々の話なんていうのは、小生にするのでなく母親のムツ子にするものであってお門違いである話だし紹介料の数千円を目当てに弟の人生の邪魔をするなんて当時から頭がおかしいと思っていたけれども数十年経過しているいまもおかしいままであるしなんなら殺すしかないのだろう。
小生の悔やまれる事といえばこの当時に働きながら高等学校に通学するという風に頭の思考を切り替える事を出来ていればもう少しまともな人生を歩めていた事であろうと思えている。
小生が、オーモリラーメン新井店で働いていた頃に幼かった頃の有名人のHIKAKINが、家族に連れられて食事に訪れていたらしく懐かしい思い出の味と何度か言っているようであるけれども表面上と裏方というのによってかなりの大差というのもあるわけで未知のウィルスというのが、味覚に変化を与えるというらしいので何かしらを期待していたり食べ物の味がしなくなった時にどのような弊害があるのかというのを考えるようにもなった。
『話が長くなってしまっているようであるけれども「時価 三十万円の重箱」の中身を埋める為の説明の途中なのである。』
どの話からすれば良いのかと考えていて脳裏に浮かんだのは、「マッチ売りの少女」のお話である。
貧しかった少女が、冬のクリスマスの近い日にマッチを売って食べるものを得ようとして試みるものの一向にマッチが売れずに途方に暮れてしまい雪が降って来たことによって売り物であるマッチで暖をとろうと火を付けるとマッチの火の中に美味しそうな料理や暖かい部屋の中などの風景などが見えて何度かその光景を繰り返している内にマッチ売りの少女が息絶えてしまうとというような悲しく切ない物語であったのだけれどもこの話にどれだけの教訓というのが込められているのかという事である。
小生の手に入れた重箱というのは、三種類あって元々の値段というのや価値というのを調べれば何かしらの情報を得られるであろうから販売された価格として捉えればよく時価というのは、その時にその品物を手に入れる事の出来てしまえる「金額」である。
小生が、「時価 三十万円の重箱」ととしているのは、マッチ売りのマッチと同じ様な物なのである。
マッチ売りの少女のマッチを買う人間というのは、この世の中のどこを探してもいないだろうし現代に於いてマッチを買うという行為すら珍しい事であるかも知れないけれど現実的にマッチというのをスーパーやコンビニエンスストアや百円ショップでも見かけるしマッチを製造する工場も未だに存在している事であるのでマッチの需要というか火や炎の需要というのは尽きることがないのであるだろうと考えられる。
人間が動物から飛躍的に進化できて文明を築けているのも「火」を使えるようになった事で様々な物を造ることが出来るようになったり食材を煮たり焼いたり出来るようになったことというのに最大の功績というものがあるしダイナマイトの発明により様々な鉱石や好物を採取出来るようになって高熱を用いて様々な物や部品に加工出来ているのだから何という偉大な業績なのであろう事かと笑うしかない事である。
そして、現在の小生というのは、飢餓に苦しんでいるところで住んでいるアパートの真ん中で天井に身体を向けるように仰向けとなり左手にスマートフォンを手にして右手で文字を入力してこの文章を作成しながら食べるものもあと僅か米一合程であるのでアパートの外に一歩足を踏み出せば何かしら変化や救済を求めることが可能かも知れないけれども立ち上がって何かをするほどの思いというのが満ち足りていないなんならこの文章を公開する手段も選び辛い状況下にあるけれども踏ん張りどころであろうかな。
重箱の中身として作りたいのは、「黒豆」と「焼き海老」と「蒲鉾」と「伊達巻き〉と「栗きんとん」と「お煮しめ」というぐらいしか思い浮かばないという悲しい現実を思い知ることになった。
少しインターネットで調べてみると「数の子」と「蒲鉾」と「伊達巻き」と「焼き鯛」や「焼き海老」と「黒豆」と「酢の物」というような構成であったり西洋料理の「ローストビーフ」とかのようなものを用意するようである。


