幼い頃から裕福で無かったというのもおかしな言い方かもしれないけれども、田舎であったけれども一軒家に住んでいて冷蔵後も洗濯機もテレビもあったし薪で沸かす風呂や耕運機と拳突きバイクも2台あったし黒電話も設置されてもいたし犬と猫というのも一緒に飼っている時期というのもあったし父親と母親の共働きという状態でもあったので、貧乏というよりも裕福な家庭環境でなかったというのが、正しい見方でありそうだし祖母と兄と姉と母親と父親と父親の弟(おじ)で、父親の弟(おじ)が一緒に住んでいなかったならば、もう少し違った人生を歩めていたようにも思えていたりもしたのかも知れない何度となく「タイムマシーン」を作成できないものであろうかと考えていたりもしているのだが、過去から未来にタイムスリップしているという状況にかなり近い状況で生きていて、中学校の頃の友達や同級生や同窓生なんかにしても30年以上も顔を合わせていない状態であるのだから、令和のこの時代に顔を合わせるという事にでもなれば過去から突然にあらわれる事になった特別な人間として認識されてもおかしくないのであると思えるし結果としてタイムマシーンに乗ってあらわれたと同じような意味合いになっている事であると思われるけれども、内面について変わっていないとしても外見というのは、間違いなく十年、二十年、三十年と間違いなく年月を重ねているのであるけれども、顔立ちという事についてどれだけ年月を経過したとしても変わらないように思えているのかも知れないであろうし、分かる人間には、分かるというものであろうけれども僕と再会を果たしたとしても喜ぶような人間というのも数少なく思われるし偏見や同情や悪意の視線を持ち自分自身の状態を正しく認識出来ておらずに近づいて来て様々な行動をとる人間というのも後を絶たず困った世の中であるものだと思えているのであるのだが、タイムマシーンを造るという事は、どう考えても無理な話であるし物理学的であったり様々な森羅万象などを考慮してみたところで、時の流れを逆行する事も出来ないしかなり先の未来に辿り着くなんて事も難しい話であるし過去からげんざいの世界に辿り着けているという可能性のある人間というのも居ない訳でなく老人ホームや精神科病院や刑務所や少年院等に入所や入院や収監なんかされていたというのであれば現実の世界となる現世いわゆる娑婆という場所に存在できていないまま退所や退院や出所することとなればタイムマシーンの中で、日常生活を送り続けて過去から未来に辿り着いたという事にもなるので、タイムマシーンの中の人間というのも少なからず移動している最中に自身の身体に時間の動きが発生してしまっているという事により何らかの時間の動きの影響を受けてしまうのであろうから、タイムマシーンを造るという事と世界の理というのを踏まえて考えると必死や決死の覚悟で挑んで、最悪の場合に自らの生命を失う事になる可能性も発生しかねないという、とても、危険なチャレンジでしか無いと思える。
自分の生きた証を何かしら残したいという気持ちからあれやこれやそれやなんて事に挑戦したけれども全ての行為が奇跡に繋がっているであろうし全ての物が、人間の創り出した傑作であるのだという事に誰かがいつか気付いてくれるものと信じている。
自分の生きた証を何かしら残したいという気持ちからあれやこれやそれやなんて事に挑戦したけれども全ての行為が奇跡に繋がっているであろうし全ての物が、人間の創り出した傑作であるのだという事に誰かがいつか気付いてくれるものと信じている。


