のうがき

 令和7年3月
 
 近隣の高等学校で卒業式も執り行われたようで、道路にも少なからず雪が残っている状態で未だ肌寒い状況にあるのだが、厄介な人間達との闘いというのを日々行っているのである。
 厄介な人間と一口に言ってしまうと精神病を患っている何人かの人間達の事であるのだけれども、本人達の口からどこそこの精神科病院に通院しているという事やなになにという薬を服用しているというような言葉を聞かされているだけであるので、本当に病気であるかどうかも定かで無いし精神病患者であるという事やそれに付随する様々なものについても「個人情報保護法」であったり「プライバシーの問題」であるので、他人の私がどうこう言ったりするという事もするわけにいかないし精神障がい者であるからという事で何かしらのアクションをするというのも「精神障がい者への差別」という事にもなりかねないので、本当であれば「関わらない」という基礎基本的なスタンスで接しなければならないのであるから医療従事者や保健所の職員や警察官や弁護士であったり精神保健福祉士とか社会福祉士の資格を所持している人間であったり仕事として対処できる機関の人間に任せるのが、本当であるのだけれどもドラマや映画の中での設定のように「警察は、何もしてくれない」という状況であるし弁護士に相談しても依頼に繋がらず相談に終始してしまっているので、どうにもこうにも開いた口が塞がらないという状態であるし私の周囲に存在している人間というのは、大概まともに働いておらずパチンコ店や競艇の場外発売所や数年前までなら隣市の競輪の場外発売所というのもあったので、好きな様に好きな事をしているという状態ですから最悪な地域であるな〜と思い悩まされ続けてもいたし少し離れた場所にオープス中郷という競馬の場外発売所もあるので、オートレース以外の公営競技を網羅できてしまえるけれども公営競技よりも身近なパチンコ店に足を運ぶというのが、年金暮らしの高齢者や若者の生き方であると思えるのかも知れないが、どこに行っても気に入らない人間やわけの分からない人間というのが、存在してしまっているし「どうにかならないものであろうか?」と頭を悩ませているのであった。

「なぜにわけの分からない人達と交流をしなければならないのが?」ということに関して明確な答えというものを持ち合わせていないのであるのだが、若い頃に不本意ながら「ミスター パチンコ」というブランド?の店舗で働いていたので、「パチンコとは何たるものであるのか?」というのを解明しようとか、「プロである」という自負を持って生きているというわけの分からない根拠というのも無いわけで無いけれども、パチンコという娯楽に真実というものも含まれているという事も無いわけでないとか、自分でも「かなり拗れ過ぎているな」と思いながらも闘い続ける事こそ人間の本能であるだろうからと闘いの場を求めて彷徨っているのであったのであるのだが、邪魔な人間や余計な仕事というのも増えてしまうことになり余計な仕事に関して利益を得れるという代物でなく、おっちょこちょいや馬鹿者であったり世間知らずや精神病の未来のない人間という類いのものや生粋のギャンブル依存症であったりチンピラや輩という手合いの相手をする羽目になりパチンコ店で働いていた時のお客様というのも何処かしこに存在していてパチンコ店の従業員とお客様という垣根を越えれない状態でも無いので、話し掛けられたら不本意ながら相手をしなくければならないと思っていないけれども何かしらが、奴らの興味や好奇心というのを刺激してしまっているのだろうと思えもするけれども、全てを教えてあげたいと思えるような人間との出会いというのも無くわけの分からないものの考え方をしているようで、おかしな言葉を発して近づいて来る何人かの人間というのに悩まされている。

 自分の働く場所や居場所というのをつくろうとしているだけなのに自分の価値や器というものを理解せずに不用意に近づいて来る人間も数人いて遊び場と仕事場の区別の出来ていない愚か者もおり学校や職場でも無いのだから話し掛けられたとしても無視をすればいいだけの話でしかないのだけれども、正直な所で腕っぷしというのに自信があるわけでなく殴り合いの喧嘩というのもあまりしていないので自己防衛のために相手の気を削ぐとかどうあっても勝てない人間であるという印象を与えたり関わっちゃいけない人物であると刷り込んでおく必要というのを感じてもいるので、下手に出て相手の要望などをある程度聞いてわかる範囲で応えてあげるのだけれども限界を超えてしまうような事をしてくる人間というのも、それなりに居て関わらないようにする為に逃げ回らなければならないという状況にもなっているのであるのだが、「本当にやり切れないわ」と必死であったり決死の覚悟で臨まなければならず今日の所は手詰まりという状態となってしまったので、現実逃避と未来への希望に繋がればと書をしたためているのであります。


 精神障がい者や精神病患者とのやり取りを続けるよりも絶交した方が、話は簡単であるし心の中に混沌を抱えているような相手と言葉と身体のやり取りをした所でどうにもならないであろうと思えるしそんな人間達と関わってしまうと時間とお金を無駄に費やしてしまうだけになり明日の食べ物すら無い酷く恐ろしい状態とならなければならないし不毛で悪循環で終わりの無い無限地獄になってしまうので、気をつけなければならないし気をつけてもらいたいものである。

  私自身も平成12年の7月に「精神分裂病」と診断されていて病気の「いべ」という精神保健福祉士の采配で、生活保護を受給するようになり精神障がい者手帳の所持をすすめられて渋々や不本意でありましたが、生活保護受給者と精神障がい者として市役所の福祉課や精神科病院と関連の精神障がい者就労支援施設「つくし工房」や「つくし荘」というグループホームであったり精神障がい者生活訓練施設「ハウス道芝」という所を利用したりしていたりハローワークで障がい者として求職活動というのを行い精神障がい者手帳を所持しているという事で、携帯電話の「ハーティー割引」等も使用したりしていましたけれども精神障がい者として扱われる不利益という事について心苦しく病気を治そうとしない精神科病院というのにも辟易していましたので、精神科病院と縁を切るという事や健常者として生きたいという思いから精神障がい者手帳を返納していて依存性のある薬も飲まさされていたので断薬にかなり手こずりましたが、自分の力で精神科病院から離れるという事に成功しているのですけれども「完治している」と太鼓判を押してくれるような精神科医師に住んでいる地域において出会えていませんが、何人かの精神科医師に投薬治療でなくカウンセリングで心の中で苦しんでいる事や悩み等を話して通院を継続するという本来の精神科医師のあるべき診療というのを提案して「薬を飲ませる事を精神科医師の仕事である」という認識を根底から変えさせなければ年々精神病患者が増え続けてしまうだけになり間違った治療方針で、患者の苦しみを長引かせてしまい続け最終的に様々な形での「死」ということで、苦しみから解き放たれるという経過を辿る事になる医療と呼べないものを提供して患者を食いものにしているというろくでもない状況の改善を促すという事も行いましたが、本来ならば「心の問題の専門家」でなければならないという法に基づく精神科医師の在り方というのも「臨床心理士」という職種の人間に分業されていたりもしていて「薬の処方」について頭を悩ませたり精神科医師としてや精神保健指定医としてのなすべき事の教育というのをなされていなかったり精神科学会等での問題提起等についても「間違っているんじゃないですか?」口を開こうとする人間というのが、出現しなければ何も変わらないであろうし未熟なまま病院に勤務し続けたり診療所を開設して思い思いの手技手腕を発揮しているのでしょうけれども、利用者や患者からすれば災厄でしか無く場合によって死ぬ迄入院するという事も考えられるし10年20年という月日を精神科病院の閉鎖病棟の中や名ばかりの開放病棟で送らなければならない事にもなり悲惨な人生となってしまっている可能性というのが、考えられます。


 私が、入院していた精神科病院に糖尿病を患っていた母親が自身の事を「うつ病」だと言い始めて通院を始めたのでしたが、暫くして入院する事になり働けて無くて収入も無いものの私と同居していた為に生活保護制度の医療扶助を利用する事を出来て閉鎖病棟で、何年も暮らす事になりましたけれども3食を食べれるようになり家族に心配や負担というのをかけないようになったのでしたけれども病院の中で、男性との関係を持った等という恥ずかしい話が出てきていたり糖尿病からでのものであったのか、足の指先が壊死して私は、承知していなかったのですが、近くの「上越総合病院」において左下肢の切断手術を受けたという事らしくお見舞いか通院に行った際に看護師に押される車椅子に乗っていたので、話し掛けてみると看護師の男性もバツが悪そうに話してくれたのでしたが、精神科病院に入院していて足の壊死が拡がって左足の膝から下の切断手術をしたという事であったらしく、その手術に関してのやり取りについて姉夫婦と話し合いをして決められていたようでしたのでしたが、聞かされておらずかなりの衝撃を受ける事になりました。

 私の母親は、数年前に精神科病院に長期入院の末に他界するという事になり今際の際に立ち会うことというのを出来ませんでしたけれどもも苦しまずに死ねていたのであろうと思い込みながら精神科病院に恨みを晴らそうという気持ちを持たないようにしていますが、「死」というのは、生きとし生けるもの全てに訪れる自然の摂理であるので誰かを恨んだとしてもしょうが無い事でもありますし医療訴訟を起こすような案件でも無いでしょうし遺産というのも何も無く、この世に産んでくれた事によりこの世界で生きるという宿命を与えてくれたし頼りにならない兄と姉というのも存在させてくれてもいますが、ただ一つ「なんで離婚してしまったんだ」と本来の歩むべき道から外れる事になってしまった事により現在に至っているのですが、それさえ無ければ今よりも違った人生を歩めていた筈であるのにと思う反面で、父親と離婚していなかった場合に少なくとも今の年齢まで生きれていたかどうか?という事を考えるとどこかで自動車事故を起こして既に死んでいたかも知れないという否定し切れない考えを持ちながらも現実と向き合わなければならないと思えているのであった。


 厄介な人物達の紹介をしていきたいと思います。

怒の対象者という事で、「岩井」という精神科病院に通院しているというらしいハゲていて太ってメガネをかけているという三重苦の上に言葉遣いもややおかしく働いておらずパチンコ店に日常的に出入りしていたりお金と暇さえあれば競輪の事を考えたり女と出会えるようにとマッチングアプリを操作して最近流行しているママ活という事をしているしわけの分からない何人かの人間とも交流をしているけれども相手側にどのように思われどのような扱い方をされているのかというのは、好意を持ってという風に受け取りづらいやり取りをしているし「デブ」と呼んでいたりしてもいるので、ろくでもない奴だと思われているという確信というのを持っている。

 岩井の父親というのもそれなりになさ厄介な行動をとっていて厄介な父親だから厄介な子供に育ったというのも「蛙の子は蛙」というべきか