***
「小春は、私の親友だよ」
紗子ちゃんが、そう言ってくれたとき。
わたしは本当に、もう死んでもいいと思った。
なれるはずがないとわきまえていたつもりだった、彼女の〝特別〟。
だけど本当はちっともわきまえきれていなくて、ずっとなりたくてなりたくてたまらなかったんだということに、わたしはそのとき気づいた。気づいてしまった。
いじめられていたわたしを庇ったせいかもしれないけれど、紗子ちゃんに友だちは多くなかった。というより、わたしといっしょにいてくれるようになってからの紗子ちゃんが、わたし以外の誰かといっしょにいる姿はほとんど見なかった。
「小春だけでいいの。私には」
あれほど魅力的な彼女と、友だちになりたいひとなら当然たくさんいたはずだ。
出会ったときから紗子ちゃんは天才的に美しかったけれど、最近の彼女はますますその美しさに磨きがかかっていた。なんだかもう神々しいぐらいに。
だから紗子ちゃんに今友だちが少ないのは彼女自身が遠ざけているか、彼女の傍にひっついているわたしが邪魔なせいとしか思えなくて、何度か彼女とは距離を置いたほうがいいのかもしれないと考えたこともある。実際に紗子ちゃんへ、そんな懸念を伝えたことも。
だけどそのたび、紗子ちゃんは言った。
わたしの手を握って、なんの迷いもない、まっすぐな声で。
「友だちなら小春がいてくれるでしょ。私はそれだけでいいの。親友が、ひとりいてくれればいい」
――親友。
いちばんの友人。心から理解し合える友人。真摯に向き合っている、真実の友人。
息が止まるほど甘美なその単語の意味を、それからわたしは何度も辞書で引いた。
もちろん意味なんて調べなくても知っていたし、記されていた説明はわたしの知識にある通りのものだったけれど、確かめるように、わたしは丁寧に言語化されたその意味を読み込んだ。
そのたびより強く染み入ってくる甘美さに、酔いしれるように。
「見て、小春。夕焼けがきれいだよ」
学校からの帰り道。隣を歩く紗子ちゃんが、笑顔で空を指さす。
わたしは「ほんとだね」と相槌を打ちながら、実際は空なんて見ていなかった。夕焼けより、橙色に照らされた彼女の横顔に見惚れていた。
紗子ちゃんと出会って三年が経とうとしていたけれど、何度見たって見慣れることはなかった。やわらかく細められた瞳や、淡く微笑んだ唇の美しい造形を目にするたび、ぎゅっと胸が苦しくなり息が詰まった。
――ああ、どうか永遠に、この美しさが壊れないでほしい。
途方に暮れるほど切実に、わたしは願う。
どうか誰も、この美しさを奪わないで。永遠に、ここに置いていて。わたしの隣に、彼女を。
「……紗子ちゃん」
「うん?」
「高校に行っても……わたしと、親友で、いてくれる?」
おそるおそる訊ねたわたしに、紗子ちゃんからは一秒も間を置くことなく、「当たり前だよ」と返ってくる。
「高校生になったからって、急に関係が変わったりしないでしょ」
「……だけど」
もしかしたら高校で、紗子ちゃんはわたしより気の合う友だちと出会うかもしれない。わたしたちが進学する高校はマンモス校で、生徒数は中学より倍以上多い。いろんなひとがいるだろうし、その中でもしかしたら紗子ちゃんは気になる男の子を見つけて――彼氏を、作ったりするかもしれない。
……嫌、だ。
想像したら、嫌悪感で鳥肌が立った。
紗子ちゃんの美しい顔に、身体に、男の汚らわしい手が触れる。わたしの、わたしだけの神様が汚される。わたしがこの世界で生きていくために必要な、彼女が。
なにより紗子ちゃんが、男なんかに心酔している姿なんて、死んでも見たくない。
想像しただけで耐えられなくて、込み上げた吐き気に、じわりと目の縁に涙がにじんだとき、
「ていうか、むしろ私のほうが不安だよ」
紗子ちゃんは黙り込んだわたしの顔をふっとのぞき込むように笑って、言った。
「もしかしたらさ、小春かわいいし、高校に行ったら速攻で彼氏とか作っちゃうかも――」
「そんなことしないよ!」
ぎょっとして口を開いたら、思いのほか大きな声が出た。辺りに響いたその声に、紗子ちゃんがちょっと驚いたように口をつぐむ。少し前を歩いていたおじさんまで、なにごとかという感じでこちらを振り向いたけれど、わたしは気にしていられなかった。
「ぜったいにっ」
紗子ちゃんの目をまっすぐに見据え、まくし立てるように、
「わたしは彼氏なんて作らない、一生!」
「一生?」
「一生。紗子ちゃんだけの、傍にいるから」
勢いで口走っていた言葉は、だけど本気だった。
わたしは彼氏なんて一生作らない。正確には作れないのだけれど。
だから結婚も一生しないし、紗子ちゃんが離れていかない限り、わたしはずっと紗子ちゃんの傍にいる。紗子ちゃん以上の友だちだって、ぜったいに現れるはずがない。
心の底から本気でそう思っていたけれど、紗子ちゃんにも本気で受け取ってもらえるとは思っていなかった。きっと「ありがとう」といつものように優しく笑って、流されるかと思っていたから、
「……本当に?」
ふっと真顔になった紗子ちゃんに、真剣な声で訊き返されたとき。
どくん、と心臓が跳ねた。
「私が死ぬまで、ずっと」
紗子ちゃんの目がわたしを見る。そうしてそのまま、まっすぐにわたしの顔に視線を留めて、
「小春は私のこと、好きでいてくれるの?」
こんなときでも、わたしはその美しさに見惚れていた。縫いつけられたように彼女の瞳から視線を逸らせないまま、気づけば恍惚とした声で頷いていた。
「……います」
それはまるで、誓いを立てているかのようだった。
これから先の、わたしの人生。その生き方が、今この瞬間に決まったような気がした。
わたしの答えを聞いて、紗子ちゃんの表情がふわりとほころぶ。うれしそうに、どこかほっとしたように。その笑顔の美しさにまた息が止まって、そして確かめた。やっぱり彼女が、この世でいちばん美しいことを。
わたしの、わたしだけの神様。
わたしは、この美しさを守るためなら。
――きっと、なんだってやれる。
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「小春は、私の親友だよ」
紗子ちゃんが、そう言ってくれたとき。
わたしは本当に、もう死んでもいいと思った。
なれるはずがないとわきまえていたつもりだった、彼女の〝特別〟。
だけど本当はちっともわきまえきれていなくて、ずっとなりたくてなりたくてたまらなかったんだということに、わたしはそのとき気づいた。気づいてしまった。
いじめられていたわたしを庇ったせいかもしれないけれど、紗子ちゃんに友だちは多くなかった。というより、わたしといっしょにいてくれるようになってからの紗子ちゃんが、わたし以外の誰かといっしょにいる姿はほとんど見なかった。
「小春だけでいいの。私には」
あれほど魅力的な彼女と、友だちになりたいひとなら当然たくさんいたはずだ。
出会ったときから紗子ちゃんは天才的に美しかったけれど、最近の彼女はますますその美しさに磨きがかかっていた。なんだかもう神々しいぐらいに。
だから紗子ちゃんに今友だちが少ないのは彼女自身が遠ざけているか、彼女の傍にひっついているわたしが邪魔なせいとしか思えなくて、何度か彼女とは距離を置いたほうがいいのかもしれないと考えたこともある。実際に紗子ちゃんへ、そんな懸念を伝えたことも。
だけどそのたび、紗子ちゃんは言った。
わたしの手を握って、なんの迷いもない、まっすぐな声で。
「友だちなら小春がいてくれるでしょ。私はそれだけでいいの。親友が、ひとりいてくれればいい」
――親友。
いちばんの友人。心から理解し合える友人。真摯に向き合っている、真実の友人。
息が止まるほど甘美なその単語の意味を、それからわたしは何度も辞書で引いた。
もちろん意味なんて調べなくても知っていたし、記されていた説明はわたしの知識にある通りのものだったけれど、確かめるように、わたしは丁寧に言語化されたその意味を読み込んだ。
そのたびより強く染み入ってくる甘美さに、酔いしれるように。
「見て、小春。夕焼けがきれいだよ」
学校からの帰り道。隣を歩く紗子ちゃんが、笑顔で空を指さす。
わたしは「ほんとだね」と相槌を打ちながら、実際は空なんて見ていなかった。夕焼けより、橙色に照らされた彼女の横顔に見惚れていた。
紗子ちゃんと出会って三年が経とうとしていたけれど、何度見たって見慣れることはなかった。やわらかく細められた瞳や、淡く微笑んだ唇の美しい造形を目にするたび、ぎゅっと胸が苦しくなり息が詰まった。
――ああ、どうか永遠に、この美しさが壊れないでほしい。
途方に暮れるほど切実に、わたしは願う。
どうか誰も、この美しさを奪わないで。永遠に、ここに置いていて。わたしの隣に、彼女を。
「……紗子ちゃん」
「うん?」
「高校に行っても……わたしと、親友で、いてくれる?」
おそるおそる訊ねたわたしに、紗子ちゃんからは一秒も間を置くことなく、「当たり前だよ」と返ってくる。
「高校生になったからって、急に関係が変わったりしないでしょ」
「……だけど」
もしかしたら高校で、紗子ちゃんはわたしより気の合う友だちと出会うかもしれない。わたしたちが進学する高校はマンモス校で、生徒数は中学より倍以上多い。いろんなひとがいるだろうし、その中でもしかしたら紗子ちゃんは気になる男の子を見つけて――彼氏を、作ったりするかもしれない。
……嫌、だ。
想像したら、嫌悪感で鳥肌が立った。
紗子ちゃんの美しい顔に、身体に、男の汚らわしい手が触れる。わたしの、わたしだけの神様が汚される。わたしがこの世界で生きていくために必要な、彼女が。
なにより紗子ちゃんが、男なんかに心酔している姿なんて、死んでも見たくない。
想像しただけで耐えられなくて、込み上げた吐き気に、じわりと目の縁に涙がにじんだとき、
「ていうか、むしろ私のほうが不安だよ」
紗子ちゃんは黙り込んだわたしの顔をふっとのぞき込むように笑って、言った。
「もしかしたらさ、小春かわいいし、高校に行ったら速攻で彼氏とか作っちゃうかも――」
「そんなことしないよ!」
ぎょっとして口を開いたら、思いのほか大きな声が出た。辺りに響いたその声に、紗子ちゃんがちょっと驚いたように口をつぐむ。少し前を歩いていたおじさんまで、なにごとかという感じでこちらを振り向いたけれど、わたしは気にしていられなかった。
「ぜったいにっ」
紗子ちゃんの目をまっすぐに見据え、まくし立てるように、
「わたしは彼氏なんて作らない、一生!」
「一生?」
「一生。紗子ちゃんだけの、傍にいるから」
勢いで口走っていた言葉は、だけど本気だった。
わたしは彼氏なんて一生作らない。正確には作れないのだけれど。
だから結婚も一生しないし、紗子ちゃんが離れていかない限り、わたしはずっと紗子ちゃんの傍にいる。紗子ちゃん以上の友だちだって、ぜったいに現れるはずがない。
心の底から本気でそう思っていたけれど、紗子ちゃんにも本気で受け取ってもらえるとは思っていなかった。きっと「ありがとう」といつものように優しく笑って、流されるかと思っていたから、
「……本当に?」
ふっと真顔になった紗子ちゃんに、真剣な声で訊き返されたとき。
どくん、と心臓が跳ねた。
「私が死ぬまで、ずっと」
紗子ちゃんの目がわたしを見る。そうしてそのまま、まっすぐにわたしの顔に視線を留めて、
「小春は私のこと、好きでいてくれるの?」
こんなときでも、わたしはその美しさに見惚れていた。縫いつけられたように彼女の瞳から視線を逸らせないまま、気づけば恍惚とした声で頷いていた。
「……います」
それはまるで、誓いを立てているかのようだった。
これから先の、わたしの人生。その生き方が、今この瞬間に決まったような気がした。
わたしの答えを聞いて、紗子ちゃんの表情がふわりとほころぶ。うれしそうに、どこかほっとしたように。その笑顔の美しさにまた息が止まって、そして確かめた。やっぱり彼女が、この世でいちばん美しいことを。
わたしの、わたしだけの神様。
わたしは、この美しさを守るためなら。
――きっと、なんだってやれる。
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