昼休み。外の自販機で買ったペットボトルを手に、校舎に戻ってきたときだった。
下駄箱のところで、黒いパンツスーツを着た女性とすれ違った。見覚えのあるその顔に、俺は、あ、と思う。
紗子の母親だった。
なにか声をかけたほうがいいのか、と一瞬迷ったけれど、彼女のほうは俺の顔なんて知らなかったらしい。ぺこりと軽い会釈だけして、紗子の母親は無言で俺の横をすり抜けていった。
思えば紗子の家には何度か遊びにいったことがあるけれど、そこで紗子の両親に会ったことは一度もなかった。仕事で忙しいという紗子の両親は、いつ遊びにいっても家にいなかったから。俺が紗子の両親をはじめて見たのは、紗子の葬式のときだった。
紗子の荷物でも取りにきていたのだろうか。
考えながらなんとはなしに足を止めると、俺は後ろを振り返る。葬式では今にも倒れそうな様子でうなだれていた彼女だけれど、今はしっかりとした足取りで歩いていく背中が見えた。
それでもなんとなく心配でしばらく見送っていたら、ふいに彼女はスーツのポケットからスマホを取り出した。電話がかかってきたらしい。スマホを耳に当ててなにやら話しはじめた、その内容までは聞こえなかった。
「……え」
だけど彼女が立てた明るい笑い声だけは、かすかにこちらまで届いた。
紗子の母親は電話をしながら、昇降口を出て右に曲がる。そうして視界から消える一瞬、楽しそうに笑う彼女の横顔が、ちらっと見えた。
硬い鼓動が耳元で鳴る。
いや、べつに娘を亡くしたばかりの母親は、四六時中暗い顔をしていなければならないというわけではないのだろうけれど。
それでもその笑顔と笑い声は、いやに胸の奥に貼りついて剥がれなかった。
下駄箱のところで、黒いパンツスーツを着た女性とすれ違った。見覚えのあるその顔に、俺は、あ、と思う。
紗子の母親だった。
なにか声をかけたほうがいいのか、と一瞬迷ったけれど、彼女のほうは俺の顔なんて知らなかったらしい。ぺこりと軽い会釈だけして、紗子の母親は無言で俺の横をすり抜けていった。
思えば紗子の家には何度か遊びにいったことがあるけれど、そこで紗子の両親に会ったことは一度もなかった。仕事で忙しいという紗子の両親は、いつ遊びにいっても家にいなかったから。俺が紗子の両親をはじめて見たのは、紗子の葬式のときだった。
紗子の荷物でも取りにきていたのだろうか。
考えながらなんとはなしに足を止めると、俺は後ろを振り返る。葬式では今にも倒れそうな様子でうなだれていた彼女だけれど、今はしっかりとした足取りで歩いていく背中が見えた。
それでもなんとなく心配でしばらく見送っていたら、ふいに彼女はスーツのポケットからスマホを取り出した。電話がかかってきたらしい。スマホを耳に当ててなにやら話しはじめた、その内容までは聞こえなかった。
「……え」
だけど彼女が立てた明るい笑い声だけは、かすかにこちらまで届いた。
紗子の母親は電話をしながら、昇降口を出て右に曲がる。そうして視界から消える一瞬、楽しそうに笑う彼女の横顔が、ちらっと見えた。
硬い鼓動が耳元で鳴る。
いや、べつに娘を亡くしたばかりの母親は、四六時中暗い顔をしていなければならないというわけではないのだろうけれど。
それでもその笑顔と笑い声は、いやに胸の奥に貼りついて剥がれなかった。



