桜は遼と過ごす時間の中で、確かに心が少しずつ変わり始めているのを感じていた。

彼の優しさに触れるたび、心の中に温かな何かが広がっていく。

しかし、それと同時に、深く根付いた恐れも強くなっていった。

桜は愛されることを怖れていた。過去の傷が深すぎて、その温もりを素直に受け入れることができなかった。

心の中で、いつも逆の答えを求めていた。

「愛されるべきじゃない」「きっとこれが壊れるだけだ」と。

桜は自分の気持ちを逆さまにしてしまうことで、少しでも傷つくことを避けようとしていた。

それでも、遼の存在はあまりにも大きく、彼から少しずつ遠ざかることが、どこかで苦しくも感じていた。

その夜、桜はまたカフェで遼と向き合っていた。

周囲の喧騒が遠くに感じるほど、二人の世界は静かで穏やかだった。

遼は、いつもと変わらずピアノの前で歌っていた。

桜はその歌声を静かに聞きながら、どこか遠くを見つめていた。

彼の歌声には、何かを伝えたくてたまらない気持ちが込められているように感じられた。

それは、桜の心をそっと引き寄せるような、温かい力があった。

歌が終わり、遼は桜の前に座ると、優しい目で彼女を見つめた。

その視線に、桜はまた胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

そして、遼が静かに言った。

「君はそのままで十分素晴らしいよ。」

その言葉が、桜の心に深く響いた。

まるで自分の心の中で眠っていたものが、目を覚ましたかのように感じた。

桜はその瞬間、涙が溢れ出るのを感じた。

何も言わず、ただ涙がこぼれる。それは悲しみでもなく、喜びでもなく、ただただ温かさに包まれたような涙だった。

心の奥底で、何かが少しずつ崩れていく音がした。

桜はその涙を拭うことなく、ただ目を閉じた。

その瞬間、心の中で何かが変わり始めていた。

それでも、桜はそれが何かを理解できなかった。

ただ、遼が言った言葉が、自分の中で確かに響いていることだけがわかった。

「君はそのままで十分素晴らしいよ。」

その言葉に、桜の心の中で、少しずつ隠れていた何かがほぐれていく気がした。

しかし、それと同時に、桜の胸の奥には不安が広がっていた。

これが続けば、きっとまた壊れてしまうだろうと思う自分がいた。

でも、その夜、桜は初めて、自分を少しだけ信じてみようと思った。

ほんの少しだけ、遼の言葉を信じてみようと思った。

しかし、その勇気はまだ、桜にとってあまりにも大きなもので、手に入れるにはもう少し時間がかかりそうだった。