俺は小学校の頃から、音楽が好きだった。
歌うこと、聴くこと、奏でること、全てが大好きだった。そして、俺は小学校の頃に出会った親友の律を誘って、バンドを組んだ。
律は、ギターが好きで、小学生の頃から習っていた。
俺が、「バンド、組まないか?」と誘うと、「本当に?俺でいいの?一緒にやろう!」と言ってくれた。
そして俺たちは、中学進学とともに、バンド、stRINGs melody. (ストリングス メロディ)を結成した。でも、当時はまだ曲は作れなくて、有名曲のカバーをしていた。ネットにそれをあげてみた。半分遊びで、半分本気だった。
もし、自分たちが、世の中に認められたら、、、。そう、願って、、、。
でも、そんなに人生、うまく行くわけない。
動画を上げてから、半年経っても、再生回数は、伸びなかった。
コメント欄には、『綺麗な歌声』『中学生でコレ!?すごい!』と褒めてくれるものもあるが、、、。
『下手、、、。』『中学生だからって調子乗ってるんじゃねぇの?』と反対意見がある。
正直俺はショックだった。結構自分の歌声にも自信があったし、律のギターも上手いと思っていた。
そして、悔しかった。
だから、律と決めた。
絶対に見返してやるって。
歌の練習を3倍に増やした。ボイストレーナーのところへ通う日も、週2日から、週5日に増やした。
律も、ギターの練習時間を増やしていた。ギターのレッスンも増やしたらしい。
夏休みから、2年生進学までの約半年の間、俺たちは学業を疎かにするほど、音楽に打ち込んだ。
全然苦ではなかった。ものすごく、楽しかった。俺たちの音楽が、どんどん成長して、より良いものができていると、感じたからだ。
さすがに、2年生になってからはちゃんと勉強と音楽を両立した。俺たちは第一に学生だったから、当然だった。半年、音楽に費やす代わりに、2年生からは、ちゃんと勉強もすると言う約束であの半年の時間を使ったからだ。
自分たちの音楽ができてきて、自信がつき始めた時だった。ついに、自分たちで、新曲を作ろうという話になった。
俺に異変が起きたのは、その、2年生の夏休み、だった。
律と集まって、曲作りについて相談していた時だった。
急に、耳の奥が痛くて、ものすごく、変な気持ちになった。周りの音が、、、スウッと消えた。でも、、、また、聞こえるようになる。違和感は残ったまま。嫌な予感が、俺を襲った。
その、嫌な予感通り、、、夏休みが終わる頃、俺の左耳は、、、聞こえなくなった。
右耳も、聞こえにくい状態になった。
両耳とも完全に、聞こえなくなった、っていうわけじゃなかった。幸い、補聴器をつけると、並の聴力に戻った。
でも、医者には、もとのように聞こえるようになるかわからない。完治するか、聞こえなくなるかのどちらかだ。って言われた。どんどんこれから、聴力が落ちていくだろう。治療はするが、聴力がなくなる可能性が高い。そう宣告された。
音が、、、初めて、、、憎く感じた。
、、、嫌いになった。
音楽活動も、できなくなるかもしれない。せっかく見つけた俺の居場所を、自分の手で、奪ってしまうかもしれない、、、そう思えてならなかった。
意気消沈の中、律に、、、耳のこと、全て打ち明けた。
すると、
「ちづは、やりたくないの?やりたいの?」
と訊いてきた。
「やりたいよ。やりたいけど、、、どんどん聞こえなくなる、、、。絶対これから、迷惑かける、、、」
「俺に、迷惑かける、かけねぇで、そんなこと決めんじゃねぇよ。ちづがやりたいなら、、、やれよ!お前なら、歌えるだろ?たとえ、耳が聞こえなくなったとしても。ちづは、俺の、、、最強で、最高の、相棒なんだぜ」
律のその言葉で、俺は心を決めた。
もし、耳が聞こえなくなったとしても、俺は歌い続けるって。歌手であり続けるって。
そして、耳が聞こえなくなる恐怖と、治ってくれるんじゃないか、という淡い期待も込めて、デビュー曲をかきあげた。
そして、ネットにあげた。
今度は、なんと反響を呼んだ。
俺たちの努力が、、、実った瞬間だと思った。
俺たちは、スタートラインに立てただけだった。
だけど、俺たちの歌を、みんなに聴いてもらえる日が来るなんて、奇跡だと思った。
中学生だから、という理由で話題も呼んだが、それ以前に、応援してくれる人たちはそれが理由ではなかった。ちゃんと、俺たちの声に耳を傾けてくれて、ファンになってくれたのだった。それがなにより奇跡だと思った。
本当に嬉しかった。
でも、手放しに俺は喜べなかった。
だって、、、また、、、聴力が落ちるかもしれなかったから。
さすがにネットに、俺の耳には障がいがある、なんて、言えるわけがなかった。自分たちの評価も、絶対下がる。俺たちの努力が、無駄になる。俺の、、、耳のせいで、、、ずっと、不安だった。大きな不安の中だったけど、俺は、音楽活動を続けた。耳の治療も続けた。
そのおかげか中学3年の夏には、耳の聴力は落ち着いた。
聴力が、少し、回復したのだった。
でも、いつまた落ちてもおかしくないから、補聴器をつけておこうということになった。
今でも、イヤホン型補聴器をつけている。
だけど、ざわざわした中ではやっぱり聞きにくい。だから、たまに、別教室で授業を受けさせてもらっている。どうしても聞きにくく、授業についていけない時がある。中学の頃からそういうスタイルで勉強をしている。周りは俺がサボってるって思ってたみたいだけど、、、まぁ、たまに、サボッてるけど。
それは、置いといて、無事、中学3年間、音楽と勉強を両立して中学校を卒業した。
その間の音楽活動で、たくさんの人たちに俺たちの音楽を聴いてもらえた。りちと、音楽を奏でられて本当に嬉しかった。そして、楽しかった。
音楽活動は俺に、音楽の喜びを、教えてくれた。
でも、、、その分、不安を、、、恐怖を、与えた。
朝になって、目が覚めたらもう、なにも聞こえなくなるんじゃないか。周りの音が無音になって、音楽の世界から、追い出されるのではないか。という、一生付きまとう恐怖に毎日襲われた。
怖かった。音なんかがあるからだって思い、音が憎かった。
でも、、、自分から音楽を捨てるなんてできなかった。
音楽をやめることなんて、できなかった。
音楽の楽しさを知っていたから。
音があるから、俺は、音楽を奏でられるから。
俺の、大切なものは、音楽なんだ。
そんな中、俺は高校に進学した。
そして、俺は出会った。
とても綺麗な音を奏でる少女に。
1人ピアノを奏でる、風奏という少女に。
風奏の音を初めて聴いた時、悲しくて、でも、、、あたたかいなって思った。風奏の音は、希望を与えてくれると思った。何故か、大丈夫だ。自信を持て。そう言ってるように感じた。あたたかな、希望を、風奏は奏でていた。
俺は、その音に、すごく救われた。風奏の音を聴いていたら、耳の不安も何処かへ行ってしまうし、音の恐怖も感じなくなる。
本当に希望だと思った。
綺麗な、風奏の音で、俺の心は救われた。
歌うこと、聴くこと、奏でること、全てが大好きだった。そして、俺は小学校の頃に出会った親友の律を誘って、バンドを組んだ。
律は、ギターが好きで、小学生の頃から習っていた。
俺が、「バンド、組まないか?」と誘うと、「本当に?俺でいいの?一緒にやろう!」と言ってくれた。
そして俺たちは、中学進学とともに、バンド、stRINGs melody. (ストリングス メロディ)を結成した。でも、当時はまだ曲は作れなくて、有名曲のカバーをしていた。ネットにそれをあげてみた。半分遊びで、半分本気だった。
もし、自分たちが、世の中に認められたら、、、。そう、願って、、、。
でも、そんなに人生、うまく行くわけない。
動画を上げてから、半年経っても、再生回数は、伸びなかった。
コメント欄には、『綺麗な歌声』『中学生でコレ!?すごい!』と褒めてくれるものもあるが、、、。
『下手、、、。』『中学生だからって調子乗ってるんじゃねぇの?』と反対意見がある。
正直俺はショックだった。結構自分の歌声にも自信があったし、律のギターも上手いと思っていた。
そして、悔しかった。
だから、律と決めた。
絶対に見返してやるって。
歌の練習を3倍に増やした。ボイストレーナーのところへ通う日も、週2日から、週5日に増やした。
律も、ギターの練習時間を増やしていた。ギターのレッスンも増やしたらしい。
夏休みから、2年生進学までの約半年の間、俺たちは学業を疎かにするほど、音楽に打ち込んだ。
全然苦ではなかった。ものすごく、楽しかった。俺たちの音楽が、どんどん成長して、より良いものができていると、感じたからだ。
さすがに、2年生になってからはちゃんと勉強と音楽を両立した。俺たちは第一に学生だったから、当然だった。半年、音楽に費やす代わりに、2年生からは、ちゃんと勉強もすると言う約束であの半年の時間を使ったからだ。
自分たちの音楽ができてきて、自信がつき始めた時だった。ついに、自分たちで、新曲を作ろうという話になった。
俺に異変が起きたのは、その、2年生の夏休み、だった。
律と集まって、曲作りについて相談していた時だった。
急に、耳の奥が痛くて、ものすごく、変な気持ちになった。周りの音が、、、スウッと消えた。でも、、、また、聞こえるようになる。違和感は残ったまま。嫌な予感が、俺を襲った。
その、嫌な予感通り、、、夏休みが終わる頃、俺の左耳は、、、聞こえなくなった。
右耳も、聞こえにくい状態になった。
両耳とも完全に、聞こえなくなった、っていうわけじゃなかった。幸い、補聴器をつけると、並の聴力に戻った。
でも、医者には、もとのように聞こえるようになるかわからない。完治するか、聞こえなくなるかのどちらかだ。って言われた。どんどんこれから、聴力が落ちていくだろう。治療はするが、聴力がなくなる可能性が高い。そう宣告された。
音が、、、初めて、、、憎く感じた。
、、、嫌いになった。
音楽活動も、できなくなるかもしれない。せっかく見つけた俺の居場所を、自分の手で、奪ってしまうかもしれない、、、そう思えてならなかった。
意気消沈の中、律に、、、耳のこと、全て打ち明けた。
すると、
「ちづは、やりたくないの?やりたいの?」
と訊いてきた。
「やりたいよ。やりたいけど、、、どんどん聞こえなくなる、、、。絶対これから、迷惑かける、、、」
「俺に、迷惑かける、かけねぇで、そんなこと決めんじゃねぇよ。ちづがやりたいなら、、、やれよ!お前なら、歌えるだろ?たとえ、耳が聞こえなくなったとしても。ちづは、俺の、、、最強で、最高の、相棒なんだぜ」
律のその言葉で、俺は心を決めた。
もし、耳が聞こえなくなったとしても、俺は歌い続けるって。歌手であり続けるって。
そして、耳が聞こえなくなる恐怖と、治ってくれるんじゃないか、という淡い期待も込めて、デビュー曲をかきあげた。
そして、ネットにあげた。
今度は、なんと反響を呼んだ。
俺たちの努力が、、、実った瞬間だと思った。
俺たちは、スタートラインに立てただけだった。
だけど、俺たちの歌を、みんなに聴いてもらえる日が来るなんて、奇跡だと思った。
中学生だから、という理由で話題も呼んだが、それ以前に、応援してくれる人たちはそれが理由ではなかった。ちゃんと、俺たちの声に耳を傾けてくれて、ファンになってくれたのだった。それがなにより奇跡だと思った。
本当に嬉しかった。
でも、手放しに俺は喜べなかった。
だって、、、また、、、聴力が落ちるかもしれなかったから。
さすがにネットに、俺の耳には障がいがある、なんて、言えるわけがなかった。自分たちの評価も、絶対下がる。俺たちの努力が、無駄になる。俺の、、、耳のせいで、、、ずっと、不安だった。大きな不安の中だったけど、俺は、音楽活動を続けた。耳の治療も続けた。
そのおかげか中学3年の夏には、耳の聴力は落ち着いた。
聴力が、少し、回復したのだった。
でも、いつまた落ちてもおかしくないから、補聴器をつけておこうということになった。
今でも、イヤホン型補聴器をつけている。
だけど、ざわざわした中ではやっぱり聞きにくい。だから、たまに、別教室で授業を受けさせてもらっている。どうしても聞きにくく、授業についていけない時がある。中学の頃からそういうスタイルで勉強をしている。周りは俺がサボってるって思ってたみたいだけど、、、まぁ、たまに、サボッてるけど。
それは、置いといて、無事、中学3年間、音楽と勉強を両立して中学校を卒業した。
その間の音楽活動で、たくさんの人たちに俺たちの音楽を聴いてもらえた。りちと、音楽を奏でられて本当に嬉しかった。そして、楽しかった。
音楽活動は俺に、音楽の喜びを、教えてくれた。
でも、、、その分、不安を、、、恐怖を、与えた。
朝になって、目が覚めたらもう、なにも聞こえなくなるんじゃないか。周りの音が無音になって、音楽の世界から、追い出されるのではないか。という、一生付きまとう恐怖に毎日襲われた。
怖かった。音なんかがあるからだって思い、音が憎かった。
でも、、、自分から音楽を捨てるなんてできなかった。
音楽をやめることなんて、できなかった。
音楽の楽しさを知っていたから。
音があるから、俺は、音楽を奏でられるから。
俺の、大切なものは、音楽なんだ。
そんな中、俺は高校に進学した。
そして、俺は出会った。
とても綺麗な音を奏でる少女に。
1人ピアノを奏でる、風奏という少女に。
風奏の音を初めて聴いた時、悲しくて、でも、、、あたたかいなって思った。風奏の音は、希望を与えてくれると思った。何故か、大丈夫だ。自信を持て。そう言ってるように感じた。あたたかな、希望を、風奏は奏でていた。
俺は、その音に、すごく救われた。風奏の音を聴いていたら、耳の不安も何処かへ行ってしまうし、音の恐怖も感じなくなる。
本当に希望だと思った。
綺麗な、風奏の音で、俺の心は救われた。



