「もうすぐ"あの日"だね」
「ええ、近いうちに職員会議を開かないと……。でもその前に、新人のカルタ先生と話をしたいです」
「職員室に来ないもんなー。それなら……」
「え? 歓迎会、ですか?」
本日光曜日の授業を終えると、クチナシ先生から「歓迎会を開くから来てほしい」とお誘いを受けた。
生まれてこの方歓迎会なんて開いてもらったことがない僕は嬉しさと申し訳なさの間で気持ちが揺れ、どうしようと答えを言いあぐねている。
「……その、迷惑……だった?」
僕の沈黙を否定と捉えたのか、クチナシ先生が困った顔で首を傾げるので、僕はブンブンと首を横に振り、慌てて「ぜひ!」と返した。勢いで了承してしまった……。チラリとクチナシ先生の様子を覗き見ると、彼は安心した顔で微笑んだ。
「よかった……。夜、街の方の……お店、予約してくれるって。……大丈夫、送り迎え、するから……」
「はい、ありがとうございます! ……街?」
学校の外へ出る、ということ? この世界に来てから学校以外の場所には一度も足を運んでいない。そもそも外へ出る理由がなかった。人外の生徒たちを見ていっぱいいっぱいなのに、街になんて出てしまって大丈夫だろうか。
街を照らすのはたくさんのランタンの炎の光。オレンジや赤、黄色の光が煌めきネオン街を思い起こさせる。奇しくも美しく幻想的な光に囲まれ、店は活気で溢れていた。
「……カルタ先生、こっち」
「は、はい!」
あまりの景色に見惚れていた僕は人混みに流されそうになっていたようで、クチナシ先生が手を引いてくれたおかげでなんとか店までたどり着くことができた。すれ違う人は皆見慣れない服に身を包み、耳や尻尾などニンゲンとは異なる特徴を有していて、僕はなんとなくウェブサイトに出てくるアプリゲームの広告の異種族美少女を思い浮かべた。
「いらっしゃいませー!」
店に入るとすぐに店員の活力のある声に出迎えられた。飲み屋はどの世界でも同じなんだな。少し嬉しい。
「クチナシ先生、カルタ先生、こっちですよ〜!」
奥の部屋から手招きをするのはチルベッタさんだ。飲み屋に彼女のような少女がいることに違和感を覚えたが、確かエルフ族で長生きだと言っていた気がする。僕よりうんと大人なんだ。
招かれた部屋に入ると僕の知らない人達ばかりで少し怖気付いた。クチナシ先生の影に隠れるようにして席に着き、なるべく体を小さくして目立たないようにする。
そういえばクチナシ先生とチルベッタさん以外の先生とは面識どころか名前も知らない。使っていいと言われた職員室にも顔を出していないのだから当たり前だ。
「カルタ先生……、飲み物、どれがいい? 乾杯するから……先に決めようか」
「あ、えっと……」
この世界の飲み物なんて知らず、ちらりとメニュー表を見てもよく分からない名前のジュースやら知らない果実を使ったお酒やらで頼むのに勇気がいる。しばらく悩んだが、潔く諦めてクチナシ先生に助けを乞う。
「……とりあえずクチナシ先生のおすすめで……」
「ん、わかった」
注文を終え、僕の前に置かれたのは赤い色をした炭酸水だった。「グアの実のジュースだよ」と隣から耳打ちされたが知らない名前の果実なので味の想像がつかない。
「それでは、カルタ先生の赴任を記念して〜、かんぱーい!」
「か、乾杯……!」
チルベッタさんの乾杯の音頭に慌ててグラスを持ち上げる。がちゃん、とガラスのぶつかり合う音がして、飛沫が飛んだ。
「こ、こういう空気……慣れないなあ……」
引きこもりにはなかなか馴染めない空気感に、思わず肩をすぼめた。グラスに口をつけ、チビチビと恐る恐るジュースを飲む。
「……あ、美味しい……」
ベリー系の味がする。苺ともラズベリーとも少し違う、ほのかに桜のような花の香りを混ぜた風味が鼻を抜ける。
「……美味しい? よかった」
「クチナシ先生が選んでくださったおかげです。クチナシ先生は何を飲んでいるんですか?」
「……俺はエール……。一杯目だし、無難に……」
エールは知っている。ビールみたいなやつだったはずだ。異世界と自分の世界の共通点にホッとする。
「へえ……。じゃあ次は僕もエールを頼んでいいですか?」
「えっ? 駄目だよ、これ……お酒、だから」
「……ええ……? あの、僕はお酒を飲んじゃ駄目でしたか……?」
「……カルタ先生は、子供なんだから……。お酒は、大人になってから……」
「……はい?」
理解が追いつかず、ただ目をぱちぱちと瞬かせることしかできない。困惑する僕とは裏腹に楽しそうな声が割って入ってきた。
「まあいーじゃん、カルタ先生だってお酒に興味あるお年頃なんだろ? せっかくの飲み会だし一杯くらいさぁ」
そう言ったのは白いスーツに金髪の男性だ。
「ボクは容認できません。未成熟の体でのアルコールの摂取は成長に悪影響ですから。子供でも美味しく食べられる食事も提供されていますし、わざわざ飲酒を勧める必要はありません」
そう淡々と返したのはペストマスクを被った黒いコートの人物。マスクの下からストローを通して飲み物を飲んでいる。
他にもたくさんの先生たちがああだこうだと楽しげに言い争い、なんだか収拾がつかなくなってきた。
「もう、みんな! カルタ先生が困ってしまいますよ」
そんな騒ぎも、チルベッタさんの声でぴたりと止まる。
「お酒、頼んであげましょうよ。カルタ先生はお酒が飲める歳ですよ」
この国での成人がいくつなのか、僕には分からない。だけど僕は確実に子供と言われる歳ではないはずだ。
全員の視線を浴びながら、僕は小さな声で弁明する。
「……あの、僕……、28、なんですけど」
「えっ!?」
どよめきが伝わってくる。ああ、帰りたい……。寮の部屋でも、自分の部屋でも、どちらでもいい。とにかくこの刺さるような視線と空気から逃げ出してしまいたい。
「カルタ先生本当に28なの?」
白いスーツの彼に問われ頷くと、こりゃおかしいと言わんばかりにゲラゲラ笑い出した。
「カルタ先生が童顔なのか、ナヘンドールが老け顔なのかどっちだよ〜!」
「うるさい」
「おいおい、図星だからってキレんなよ、ナヘンドール」
「お前はわざと俺に突っかかってくる。それが不快だからうるさいって言ってるんだ、ラブラヒュース」
「はあ? 俺からすりゃお前の存在の方が不快なんだけど?」
「なら関わってくるな。声を聞くだけで気分が悪くなる」
唐突にクチナシ先生と白スーツの彼の間で喧嘩が始まった。クチナシ先生は雰囲気こそ怖いけど穏やかな印象があったから、こんな風に誰かと口論をするところを見るのは初めてだ。喧嘩を止めようと「あの」「二人とも」と声をかけてみるが、僕のか細い声はヒートアップする彼らの耳に届かない。縮こまりながらチルベッタさんの隣に避難した。
「あ、あのぅ……。あの二人、仲悪いんですか……?」
「ええ、そうなんですよ。見ての通り……あの二人の喧嘩は日常茶飯すぎて、ほら」
チルベッタさんが指差す方を見ると、二人の喧嘩なんか全く気にせず、他の教師たちはつまみを食べお酒を飲んで談笑している。
「で、でも……、その、種族間の差別とか、そういうのよくないんじゃ……」
「彼らは種族がどうというより……お互いが嫌いなんです」
仲良くしてほしいわよね、なんて言ってけろっと笑った。僕は誰かと誰かが喧嘩しているところを見ると心臓がキュッと縮まってしまう心地なのに、どうしてみんなそんなに平気そうなんだろう。
「二人とも〜! カルタ先生が怖がってますよ! 喧嘩はおしまい! はいはい、二人は席をいっちばん遠くに離して、歓迎会続けてください〜!」
クチナシ先生はハッとしたように僕を見てから眉を下げた。
「……ごめんね、カルタ先生……。怖がらせた……?」
「あ、いえ……」
そろそろとクチナシ先生の隣へ戻って再び飲み物に口をつける。気まずさを誤魔化すようにチビチビとジュースを飲んでいると、新しいジョッキが僕の目の前に置かれた。
「……エール、カルタ先生の分……。ごめんね、まさか、年上だなんて思わなくて……」
「クチナシ先生はおいくつなんですか?」
「今年、25……」
「わ、若い……。ちなみに、僕のこといくつだと思ってたんですか……?」
「…………15、とか……」
「じゅっ……!?」
ああ、分かった。これは僕が若く見えるとかそういうことじゃない。アジア人が海外に行くと幼く見られるのと同じ現象だ。きっと人間である僕の見た目年齢と、魔族の見た目年齢に相違があって、魔族の中では僕の見た目が若年層のそれなのだろう。クチナシ先生も確かに大人っぽく見える。
もしかして、今まで頭を撫でたり、お菓子をくれたりしていたのは僕のことを子供だと思っていたからだろうか。一回りも年が下の子供が教師として赴任してくれば、構ってしまうのも仕方ない。なんだか知らないうちにクチナシ先生の善意を利用していた気になって申し訳ない気持ちになった。
「俺は17、8あたりだと思ってたけどね〜。それにしたって28歳とは思わなかったよ。廊下で見かけた時なんか、生徒か先生か分かんなかったくらいだし!」
「わっ」
先ほどクチナシ先生と喧嘩をしていた白スーツの先生が僕の隣にやってきて肩を組む。クチナシ先生は心底嫌そうな顔をして彼を睨んだ。
「睨むなよ。ナヘンドールと喧嘩しにきたんじゃねーよォ。俺もカルタ先生と交流を深めたいんだ。いーだろ。お前独り占めしすぎ」
「……カルタ先生に変なことをしたらすぐ離れてもらう」
「何様なんだっつーの。……それでそれで、カルタ先生、俺、自己紹介まだだったよな」
「は、はい」
「俺はナイト・ラブラヒュース。担当は思考学ね。座学だけど実技もちょー得意なパーフェクト教師なんでよろしく!」
「ぼ、僕は黒井かるたです。ニンゲン生物学、担当……です。一応……」
「一応ってなにさ。チルベッタ様の後釜でニンゲン生物学教師になったヤベー新任って聞いてるよ」
「あの、まだ慣れてなくて」
「あー、それで謙遜してんのか。魔族なのに謙虚でかぁわい〜! どっかのデカくて黒いだけの陰気な男とは大違いだぜ」
クチナシ先生が怖いくらいにナイト先生を睨んでいる。本当に仲が悪いんだな……。
「ねね、クロナンシア先生もついでに挨拶しといたら?」
クロナンシア先生と呼ばれて振り向いたのは先ほどのペストマスクを被った人だった。現代の日本ではまず見ることのない異様な被り物に思わずギョッとする。
「そうですね。初めまして、カルタ先生。ボクはクロナンシア・クロニカです」
「僕は黒井かるたです……。えっと……、クロナンシア先生は、何を担当されているんですか……?」
「ボクは治癒魔法学を担当しています」
「えっと、治癒魔法学ってことは……、確か、ホアリスさんが教科書を作ったんでしたっけ」
何気なく思い出したことを口にしたのだが、途端にクロナンシア先生がバンッと机を叩いて立ち上がった。
「まさかホアリス様が作られた教科書を使って授業ができるなんて、これほど名誉かつ恐れ多いことはありません……! ボクの治癒魔法の原点であるホアリス様の教科書を拝読し、あまつさえ内容の布教を許されたこの栄誉……! ボクはなんて幸せ者なんでしょうか!」
「あちゃー、酔ってるなこりゃ。ナンシーちゃんホアリス様ラブだからな」
熱く語るその圧に押し潰されそうだ。ホアリスさんといえば、確かクチナシ先生も彼を尊敬していたような……と、彼に視線を向けると、なぜかクチナシ先生も立ち上がっていた。
「クロナンシア先生とは本当に話が合う……! 複雑で繊細な治癒魔法を一つずつ組み解いて丁寧に手順を書いてくださっている。理解ができても言語化することが難しい、感覚に頼る部分の大きい魔法というものをこれほどまでに知り尽くしている叡智、極めるまでに途方もない時間を費やしたにも関わらず後世へ惜しみなく知識を広めてくださる心の広さ……! 俺はホアリス様と同じ種族であることが誇らしくて仕方ない……!」
「ナヘンドールも酔ってるわ」
「二人とも愛がすごいですね……」
「ナヘンドールもナンシーちゃん……クロナンシア先生も、色々あったみたいだしな。ホアリス様を尊敬するのも当たり前だよ」
「ナイト先生もですか?」
「そりゃホアリス様は半世紀前から歴史書に名を連ねている伝説のお人だし、尊敬はしてるけどさ。あの二人は特にすごいぜ」
「へえ……」
「……そりゃ、この世界で普通に生きてりゃ、チルベッタ様と同じ志なんて持つことないしなぁ」
「え?」
「異種族は敵だったり、劣等種だったり、食べ物だったり……。境界線をはっきりと引いて、身内とそれ以外で分けて、それが当たり前のこの世界で、どうして「全ての種族みんな仲良く」なんて考えが生まれると思う? ま、チルベッタ様の推薦で赴任してきたカルタ先生もきっと同じなんだろ」
「同じって……」
「身内とそれ以外ではっきりと分ける種族の中で、その身内から迫害された経験ってやつ」
「……はく、がい……?」
「ええ、近いうちに職員会議を開かないと……。でもその前に、新人のカルタ先生と話をしたいです」
「職員室に来ないもんなー。それなら……」
「え? 歓迎会、ですか?」
本日光曜日の授業を終えると、クチナシ先生から「歓迎会を開くから来てほしい」とお誘いを受けた。
生まれてこの方歓迎会なんて開いてもらったことがない僕は嬉しさと申し訳なさの間で気持ちが揺れ、どうしようと答えを言いあぐねている。
「……その、迷惑……だった?」
僕の沈黙を否定と捉えたのか、クチナシ先生が困った顔で首を傾げるので、僕はブンブンと首を横に振り、慌てて「ぜひ!」と返した。勢いで了承してしまった……。チラリとクチナシ先生の様子を覗き見ると、彼は安心した顔で微笑んだ。
「よかった……。夜、街の方の……お店、予約してくれるって。……大丈夫、送り迎え、するから……」
「はい、ありがとうございます! ……街?」
学校の外へ出る、ということ? この世界に来てから学校以外の場所には一度も足を運んでいない。そもそも外へ出る理由がなかった。人外の生徒たちを見ていっぱいいっぱいなのに、街になんて出てしまって大丈夫だろうか。
街を照らすのはたくさんのランタンの炎の光。オレンジや赤、黄色の光が煌めきネオン街を思い起こさせる。奇しくも美しく幻想的な光に囲まれ、店は活気で溢れていた。
「……カルタ先生、こっち」
「は、はい!」
あまりの景色に見惚れていた僕は人混みに流されそうになっていたようで、クチナシ先生が手を引いてくれたおかげでなんとか店までたどり着くことができた。すれ違う人は皆見慣れない服に身を包み、耳や尻尾などニンゲンとは異なる特徴を有していて、僕はなんとなくウェブサイトに出てくるアプリゲームの広告の異種族美少女を思い浮かべた。
「いらっしゃいませー!」
店に入るとすぐに店員の活力のある声に出迎えられた。飲み屋はどの世界でも同じなんだな。少し嬉しい。
「クチナシ先生、カルタ先生、こっちですよ〜!」
奥の部屋から手招きをするのはチルベッタさんだ。飲み屋に彼女のような少女がいることに違和感を覚えたが、確かエルフ族で長生きだと言っていた気がする。僕よりうんと大人なんだ。
招かれた部屋に入ると僕の知らない人達ばかりで少し怖気付いた。クチナシ先生の影に隠れるようにして席に着き、なるべく体を小さくして目立たないようにする。
そういえばクチナシ先生とチルベッタさん以外の先生とは面識どころか名前も知らない。使っていいと言われた職員室にも顔を出していないのだから当たり前だ。
「カルタ先生……、飲み物、どれがいい? 乾杯するから……先に決めようか」
「あ、えっと……」
この世界の飲み物なんて知らず、ちらりとメニュー表を見てもよく分からない名前のジュースやら知らない果実を使ったお酒やらで頼むのに勇気がいる。しばらく悩んだが、潔く諦めてクチナシ先生に助けを乞う。
「……とりあえずクチナシ先生のおすすめで……」
「ん、わかった」
注文を終え、僕の前に置かれたのは赤い色をした炭酸水だった。「グアの実のジュースだよ」と隣から耳打ちされたが知らない名前の果実なので味の想像がつかない。
「それでは、カルタ先生の赴任を記念して〜、かんぱーい!」
「か、乾杯……!」
チルベッタさんの乾杯の音頭に慌ててグラスを持ち上げる。がちゃん、とガラスのぶつかり合う音がして、飛沫が飛んだ。
「こ、こういう空気……慣れないなあ……」
引きこもりにはなかなか馴染めない空気感に、思わず肩をすぼめた。グラスに口をつけ、チビチビと恐る恐るジュースを飲む。
「……あ、美味しい……」
ベリー系の味がする。苺ともラズベリーとも少し違う、ほのかに桜のような花の香りを混ぜた風味が鼻を抜ける。
「……美味しい? よかった」
「クチナシ先生が選んでくださったおかげです。クチナシ先生は何を飲んでいるんですか?」
「……俺はエール……。一杯目だし、無難に……」
エールは知っている。ビールみたいなやつだったはずだ。異世界と自分の世界の共通点にホッとする。
「へえ……。じゃあ次は僕もエールを頼んでいいですか?」
「えっ? 駄目だよ、これ……お酒、だから」
「……ええ……? あの、僕はお酒を飲んじゃ駄目でしたか……?」
「……カルタ先生は、子供なんだから……。お酒は、大人になってから……」
「……はい?」
理解が追いつかず、ただ目をぱちぱちと瞬かせることしかできない。困惑する僕とは裏腹に楽しそうな声が割って入ってきた。
「まあいーじゃん、カルタ先生だってお酒に興味あるお年頃なんだろ? せっかくの飲み会だし一杯くらいさぁ」
そう言ったのは白いスーツに金髪の男性だ。
「ボクは容認できません。未成熟の体でのアルコールの摂取は成長に悪影響ですから。子供でも美味しく食べられる食事も提供されていますし、わざわざ飲酒を勧める必要はありません」
そう淡々と返したのはペストマスクを被った黒いコートの人物。マスクの下からストローを通して飲み物を飲んでいる。
他にもたくさんの先生たちがああだこうだと楽しげに言い争い、なんだか収拾がつかなくなってきた。
「もう、みんな! カルタ先生が困ってしまいますよ」
そんな騒ぎも、チルベッタさんの声でぴたりと止まる。
「お酒、頼んであげましょうよ。カルタ先生はお酒が飲める歳ですよ」
この国での成人がいくつなのか、僕には分からない。だけど僕は確実に子供と言われる歳ではないはずだ。
全員の視線を浴びながら、僕は小さな声で弁明する。
「……あの、僕……、28、なんですけど」
「えっ!?」
どよめきが伝わってくる。ああ、帰りたい……。寮の部屋でも、自分の部屋でも、どちらでもいい。とにかくこの刺さるような視線と空気から逃げ出してしまいたい。
「カルタ先生本当に28なの?」
白いスーツの彼に問われ頷くと、こりゃおかしいと言わんばかりにゲラゲラ笑い出した。
「カルタ先生が童顔なのか、ナヘンドールが老け顔なのかどっちだよ〜!」
「うるさい」
「おいおい、図星だからってキレんなよ、ナヘンドール」
「お前はわざと俺に突っかかってくる。それが不快だからうるさいって言ってるんだ、ラブラヒュース」
「はあ? 俺からすりゃお前の存在の方が不快なんだけど?」
「なら関わってくるな。声を聞くだけで気分が悪くなる」
唐突にクチナシ先生と白スーツの彼の間で喧嘩が始まった。クチナシ先生は雰囲気こそ怖いけど穏やかな印象があったから、こんな風に誰かと口論をするところを見るのは初めてだ。喧嘩を止めようと「あの」「二人とも」と声をかけてみるが、僕のか細い声はヒートアップする彼らの耳に届かない。縮こまりながらチルベッタさんの隣に避難した。
「あ、あのぅ……。あの二人、仲悪いんですか……?」
「ええ、そうなんですよ。見ての通り……あの二人の喧嘩は日常茶飯すぎて、ほら」
チルベッタさんが指差す方を見ると、二人の喧嘩なんか全く気にせず、他の教師たちはつまみを食べお酒を飲んで談笑している。
「で、でも……、その、種族間の差別とか、そういうのよくないんじゃ……」
「彼らは種族がどうというより……お互いが嫌いなんです」
仲良くしてほしいわよね、なんて言ってけろっと笑った。僕は誰かと誰かが喧嘩しているところを見ると心臓がキュッと縮まってしまう心地なのに、どうしてみんなそんなに平気そうなんだろう。
「二人とも〜! カルタ先生が怖がってますよ! 喧嘩はおしまい! はいはい、二人は席をいっちばん遠くに離して、歓迎会続けてください〜!」
クチナシ先生はハッとしたように僕を見てから眉を下げた。
「……ごめんね、カルタ先生……。怖がらせた……?」
「あ、いえ……」
そろそろとクチナシ先生の隣へ戻って再び飲み物に口をつける。気まずさを誤魔化すようにチビチビとジュースを飲んでいると、新しいジョッキが僕の目の前に置かれた。
「……エール、カルタ先生の分……。ごめんね、まさか、年上だなんて思わなくて……」
「クチナシ先生はおいくつなんですか?」
「今年、25……」
「わ、若い……。ちなみに、僕のこといくつだと思ってたんですか……?」
「…………15、とか……」
「じゅっ……!?」
ああ、分かった。これは僕が若く見えるとかそういうことじゃない。アジア人が海外に行くと幼く見られるのと同じ現象だ。きっと人間である僕の見た目年齢と、魔族の見た目年齢に相違があって、魔族の中では僕の見た目が若年層のそれなのだろう。クチナシ先生も確かに大人っぽく見える。
もしかして、今まで頭を撫でたり、お菓子をくれたりしていたのは僕のことを子供だと思っていたからだろうか。一回りも年が下の子供が教師として赴任してくれば、構ってしまうのも仕方ない。なんだか知らないうちにクチナシ先生の善意を利用していた気になって申し訳ない気持ちになった。
「俺は17、8あたりだと思ってたけどね〜。それにしたって28歳とは思わなかったよ。廊下で見かけた時なんか、生徒か先生か分かんなかったくらいだし!」
「わっ」
先ほどクチナシ先生と喧嘩をしていた白スーツの先生が僕の隣にやってきて肩を組む。クチナシ先生は心底嫌そうな顔をして彼を睨んだ。
「睨むなよ。ナヘンドールと喧嘩しにきたんじゃねーよォ。俺もカルタ先生と交流を深めたいんだ。いーだろ。お前独り占めしすぎ」
「……カルタ先生に変なことをしたらすぐ離れてもらう」
「何様なんだっつーの。……それでそれで、カルタ先生、俺、自己紹介まだだったよな」
「は、はい」
「俺はナイト・ラブラヒュース。担当は思考学ね。座学だけど実技もちょー得意なパーフェクト教師なんでよろしく!」
「ぼ、僕は黒井かるたです。ニンゲン生物学、担当……です。一応……」
「一応ってなにさ。チルベッタ様の後釜でニンゲン生物学教師になったヤベー新任って聞いてるよ」
「あの、まだ慣れてなくて」
「あー、それで謙遜してんのか。魔族なのに謙虚でかぁわい〜! どっかのデカくて黒いだけの陰気な男とは大違いだぜ」
クチナシ先生が怖いくらいにナイト先生を睨んでいる。本当に仲が悪いんだな……。
「ねね、クロナンシア先生もついでに挨拶しといたら?」
クロナンシア先生と呼ばれて振り向いたのは先ほどのペストマスクを被った人だった。現代の日本ではまず見ることのない異様な被り物に思わずギョッとする。
「そうですね。初めまして、カルタ先生。ボクはクロナンシア・クロニカです」
「僕は黒井かるたです……。えっと……、クロナンシア先生は、何を担当されているんですか……?」
「ボクは治癒魔法学を担当しています」
「えっと、治癒魔法学ってことは……、確か、ホアリスさんが教科書を作ったんでしたっけ」
何気なく思い出したことを口にしたのだが、途端にクロナンシア先生がバンッと机を叩いて立ち上がった。
「まさかホアリス様が作られた教科書を使って授業ができるなんて、これほど名誉かつ恐れ多いことはありません……! ボクの治癒魔法の原点であるホアリス様の教科書を拝読し、あまつさえ内容の布教を許されたこの栄誉……! ボクはなんて幸せ者なんでしょうか!」
「あちゃー、酔ってるなこりゃ。ナンシーちゃんホアリス様ラブだからな」
熱く語るその圧に押し潰されそうだ。ホアリスさんといえば、確かクチナシ先生も彼を尊敬していたような……と、彼に視線を向けると、なぜかクチナシ先生も立ち上がっていた。
「クロナンシア先生とは本当に話が合う……! 複雑で繊細な治癒魔法を一つずつ組み解いて丁寧に手順を書いてくださっている。理解ができても言語化することが難しい、感覚に頼る部分の大きい魔法というものをこれほどまでに知り尽くしている叡智、極めるまでに途方もない時間を費やしたにも関わらず後世へ惜しみなく知識を広めてくださる心の広さ……! 俺はホアリス様と同じ種族であることが誇らしくて仕方ない……!」
「ナヘンドールも酔ってるわ」
「二人とも愛がすごいですね……」
「ナヘンドールもナンシーちゃん……クロナンシア先生も、色々あったみたいだしな。ホアリス様を尊敬するのも当たり前だよ」
「ナイト先生もですか?」
「そりゃホアリス様は半世紀前から歴史書に名を連ねている伝説のお人だし、尊敬はしてるけどさ。あの二人は特にすごいぜ」
「へえ……」
「……そりゃ、この世界で普通に生きてりゃ、チルベッタ様と同じ志なんて持つことないしなぁ」
「え?」
「異種族は敵だったり、劣等種だったり、食べ物だったり……。境界線をはっきりと引いて、身内とそれ以外で分けて、それが当たり前のこの世界で、どうして「全ての種族みんな仲良く」なんて考えが生まれると思う? ま、チルベッタ様の推薦で赴任してきたカルタ先生もきっと同じなんだろ」
「同じって……」
「身内とそれ以外ではっきりと分ける種族の中で、その身内から迫害された経験ってやつ」
「……はく、がい……?」

