「……では、授業をはじめます……」
 僕の担当するニンゲン生物学は火曜日の二時間目と光曜日の三時間目。それ以外の時間はクチナシ先生に着いて周り、仕事を学ぶことになった。
 今はクチナシ先生の授業を後ろから見学させてもらっている。
「……教科書、開いて。……魔法陣が、描かれてるでしょ……。分不相応な、強い魔法には、陣や媒介が、いる……。魔法陣は、覚えて。形を間違えると、……作用が変わったり、発動しない……から。基本の陣は千を超えるから……全部覚えること」
 クチナシ先生は術式儀式学……という授業の担当らしい。複雑な魔法陣を全て覚えなければならないなんて、魔法って難しいんだな。僕の基準で考えると……そうだな、漢検一級みたいな感じなのかな……?
「じゃあ、まず……このページの魔法陣、実際に、描いて、発動までするから……見てて」
 指先で床をなぞると、絵筆を滑らせたように線が引かれていき、瞬く間に複雑な図形を組み合わせた陣が作られた。
「……魔法陣は、完成……。必要な媒介、載ってるね。……簡単なやつだから、これに必要なのは、血だけ……。いくよ」
 クチナシ先生が自分の首元に爪を立てる。ガリ、と音を立てて引っ掻くと血がボタボタ床に垂れた。
 陣の上に血が落ちると、線を引いた箇所が輝き教室中が眩い光に包まれた。
「わっ……!」
 あまりの眩しさに腕で顔を覆った。次第に光が弱まり、僕は恐る恐る陣に視線を向ける。
「……え?」
「このように、この魔法陣では……自室に置き忘れたノートを召喚することができる」
 すごく学生向けだ……。
「……覚えると、便利でしょう……? まあ、このくらい……魔法が上達すれば、陣なしでできるよ……。自分の魔法の、力量を把握……して、できないことを、陣で補ってね……」



「……どう、だった? 参考になったなら、嬉しい」
 僕の頭を撫でながらクチナシ先生は首を傾げた。顕になった首元には先ほど作られた新しい傷が血を滲ませている。
「すごくわかりやすかったです! 魔法陣も、召喚術も、その……わあ、魔法だって感じがしてすごかったです。……それで、その……魔法で首の傷って、治せないですか? 痛そうで……」
「……治癒魔法は、使わない」
「……難しいんですか?」
「……俺が、魔族だから……使わない。使いたくない、の方が……あってるかも」
「魔族の方は治癒魔法が嫌いなんですか?」
 クチナシ先生は椅子に座り、隣をポンポンと叩いて僕にも座るよう促した。促されるままに席に着くと、クチナシ先生はある教科書を僕に見せた。
「ええっと……治癒魔法術の教科書?」
「……本当に、すごい。ホアリス様が作った、教科書。あのホアリス様が……この学校のためにご提供くださった、……国の特定禁書と同じレベルの、希少な本、なんだ……」
 確かチルベッタさんもそんなことを言っていた。そんなにすごい人なんだ……。
「クチナシ先生が治癒魔法を使わないのと、そのホアリスさんがなにか関係あるんですか?」
「……ホアリス様は、魔族。……それも、国から追い出された……」
「追い出された? すごい人なんですよね?」
「……俺たちの種族は……強さが、重要。傷は誇りで、治すのは……甘え、みたいな。……ホアリス様は……すごい魔法使いだった。全部、できて、全部が一流……。そんなホアリス様が、次に極めようとしたのが……治癒魔法。……恥だって言われて、追い出された……らしい。その時俺生まれてないから……だいぶ前の話、だけど」
「……でも、ホアリス様……って方は、どうして魔族なのに治癒魔法を……」
「わからない。でも……俺は、素晴らしい方だと思ってる。……今は、魔族の中で、評価が二分されてるけど……他の種族では、名前を知らない人はいない……世界一の治癒魔法師……」
「へえ……! あ、クチナシ先生も傷は誇りだから治さないってことですか?」
「……ううん。……ホアリス様を、追い出した種族が……ホアリス様の築き上げた治癒魔法の数々を使うの、失礼かなって、思うんだ……。ホアリス様を、本当に尊敬しているから……」
「……クチナシ先生」
「……まあ、けど……生徒や、君に何かあったら……ホアリス様の治癒魔法を、使うと思うけど……。でも、自分には使わない……、そう決めてる」
 僕はチルベッタさんからもらった杖を振った。
「クチナシ先生の気持ちはわかりました。だけど、僕が心配なので……絆創膏を貼るくらいなら、許してくれますか?」
「……変な形のシール……だね。それ……傷テープ?」
「えっと、そうです。僕の住んでいたところの……。ペタって貼るだけですから」
「じゃあ……お願い」
 クチナシ先生の傷に絆創膏を貼った。本当は傷を治す魔法があるのなら治してほしい。だけど、それをしないのはクチナシ先生からホアリス様への最大の敬意なのだろう。差別や争いをなくしたいという意思のもとに集まった彼だから、きっと種族を追い出されたホアリス様に心を痛めている。
「……話しすぎちゃった、ね……。ごめん……」
「いえ。知らないことを知れるのは嬉しいです。迷惑でなければ……また聞かせてください」
 来たばかりの僕が理解するには複雑すぎるこの世界だけど、それでも知りたいと思った。そして、図々しくも一緒に良くしていきたいと思ってしまった。人を癒したいと考えた人が国から追い出されてしまう世界なんて、そんなの悲しすぎるから。