用意された部屋は住んでいた安アパートと比較にならないほど豪華だ。ふかふかのベッドに体を沈め、気づけば朝が来ていた。なのに、目覚めたときに見えた天井は馴染み深いアパートの天井ではない。
「……夢から醒めない」
一度寝たのにどうして夢が続くのだろう。僕、本当に死んじゃったのかな。
コン、コン
「は、はい!」
ノックされた扉を開こうとし、慌てて手を引っ込める。昨日、就寝前にチルベッタさんから貰った物がある。
『こちらの魔法道具を常に身につけるようにしてください。耳に装着する魔具と、首につける魔具です。効果は後日説明しますが、必ず着用してくださいね』
ヘッドホンのような形の魔法道具を装着し、飾りのついたチョーカーを首に着ける。少し奇抜な装飾品が魔法道具だなんて信じ難い。
それでもわざわざ反発してつけない理由もないから大人しく従うわけだけれど。
待たせてしまった扉の向こうの誰かに「遅くなりました!」と謝罪をしながらノブを捻る。
「どちらさまで…………」
影が上から落ちてきた。黒くて大きな物がそこにあって、僕を見下ろしている。錆びたおもちゃのようなぎこちない動きで顔を上げると、高い位置に頭があった。
「ヒュ……」
「……おはようございます……。カルタ先生……ですよね……」
僕より頭一、二個分大きなその人は全身が黒色で覆われ、伸ばした髪の隙間から白い目がギラついている。フードを被り、ただでさえ不健康そうな色の肌に影を作っていた。
「は、はい……っ、く、くろいかるた、です!」
不気味。その一言だ。二メートルを越す長身は威圧感を放ち、小さく動く口からは鋭い牙と先の割れた舌が見え隠れする。怖くてろくな返事ができずにいる僕に、彼は言った。
「……チルベッタ様から、聞いてる。君のこと……。んーと……、その、学校の案内と、新人教育……、俺の担当になったんだァ」
「ヒィッ」
まだ戸惑っている僕に構うことなく、彼は僕の手を引いて部屋から引っ張り出した。
「大丈夫……、怖くないから。全部知ってるよ、君……」
もしかして、僕がニンゲンだってこの人に伝えているのだろうか?
「君……、隔離されて、読み書きも教えられず……辺境の地で、生きてきたって……」
「へ」
「なにも、わからないから……全部教えてあげてって、チルベッタ様が、言ってた……。酷い目に、あってきたんだね……。かわいそうに……」
「はい?」
「……? なにか、違った?」
「い、いえ! はい! その通りです!」
僕の手を握りながら廊下をずんずん歩く彼。歩幅の違いに駆け足になりながら着いて行く。
「まず、君の教室を、教える。こっち……。それから、クチナシ・ナヘンドール……俺の名前ね」
「は、はい、えっと、ナヘンドールさん」
「クチナシでいいよ。君と同じ……ここの教師だから」
「じゃあ……、クチナシ先生……?」
「ん」
クチナシ先生に連れられ走る校内は人気がなく閑散としていた。学校が始まる前の時間帯なのか、休日なのか……そもそもここにも土日休みという概念はあるのだろうか。一週間が七日という暦すら僕のいた場所と同じかわからない。
「着いた、ここ」
「はぁ、はぁ……っ、ひ、広いですね、学校……!」
「! 歩くの速かったかも……ごめんね……。カルタ先生、小さいから……」
「クチナシ先生が大きいのでは……」
教室に入ると、そこは大学の講義室のようだった。長机と椅子が半円状に連なり、一番前に大きな板と教卓がある。
「今日は学校ないから……ゆっくり、説明する。前の板に魔法道具で光を当てると、映像が映る。それで授業したりするんだ……。カルタ先生の、ニンゲン生物学は火曜日の二時間目と……」
あ、曜日は異世界でも同じなんだ……。
「光曜日の三時間目」
違う、知らないやつだ。
「椅子、座って……。リラックス、して話そう」
「ありがとうございます……」
一番前の席に座る。クチナシ先生は教壇に背を曲げて立った。
「……魔法学校ハルハードは……いろんな種族が集まる。争いを生まないよう、種族を尋ねることは、あんまりよくない。聞かないようにする。……まあ、見た目でわかることが、多いけど」
「はえ〜……。確かにクチナシ先生も、フードが猫耳みたいになってますよね……」
「これは、ツノ。猫族みたいに、見えた……? 俺は、魔族。特徴はツノ……牙、舌、耳……。羽、は……収納してる。魔族と獣人族が、一番見た目でわかりやすい」
「……あっ、すみません! クチナシ先生の種族を聞いてしまいました……!」
「いいよ……。君も、だって、魔族でしょ?」
「うぇ!? な、なんで……!?」
「消去法で……。一番、見た目に特徴がないのが天使族……。羽だけ。でも、羽は収納する。でも、天使族は黒が嫌い。本当に、すごく、とっても嫌い。……だから、黒髪に黒目の君は違う。エルフ族も耳と整った顔くらい。ただ、エルフは長生きだから……途方もないくらい長生きで、すごく知識が豊富。無知な君はエルフっぽくない。獣人族の特徴もないし……、それに、魔族は黒が大好き。白が嫌い。目も髪も真っ黒だとすごくいい。だから……」
「……えっと、えっと……。答えは、内緒で」
「そう? まあ、君が何者でもいいけどさ……」
「何者でも……? 種族間で、結構いざこざがあると聞きましたが……」
「……ふふ、生徒はともかく、俺たち教師はチルベッタ様の意思に賛同して、ここで教えることを選んだから……みんな同じ気持ちだよ。差別とか、争いとか、なくなればいいなって思ってる」
あ、笑った。
「君がどこの誰でも……大丈夫。これから、一緒に頑張ろうね」
二メートルは超えるであろう背丈を屈ませ、時折見える牙を隠すように口を手で覆う。クチナシ先生は僕のことを魔族だと思っているから、これは僕に対する配慮じゃない。普段からそうやって人と接してきて癖になっているんだ。声が届くように顔を近づけ、怖がらせないように牙を隠す。この人、優しいんだ。
「……はい。正直何をしていいのかも、全然わかってないですが……頑張ろうと思います」
「……うん、うん。いい子だねぇ……」
細められた目の隙間から見える白い瞳が僕を捉える。
「……クチナシ……」
「うん、なに?」
「あ、いえ! ……その……クチナシの花の色だなって……」
「クチナシの花……? 知らない花だな……」
「僕のいた場所には、先生と同じ名前の花があって……クチナシ先生の目の色と同じ白色なんです。……白い瞳なんて初めて見ました。とても綺麗な色ですね」
「……」
「……クチナシ先生?」
目をぱちくりさせたクチナシ先生はしばらくするとくすくす笑いだした。
「……可愛いこと言うね、……カルタ先生」
もしかして僕はとても恥ずかしいことを口にしてしまったかも知らない。
それに気づいて慌てて謝ると、クチナシ先生は僕の頭をポンと撫でた。
「……夢から醒めない」
一度寝たのにどうして夢が続くのだろう。僕、本当に死んじゃったのかな。
コン、コン
「は、はい!」
ノックされた扉を開こうとし、慌てて手を引っ込める。昨日、就寝前にチルベッタさんから貰った物がある。
『こちらの魔法道具を常に身につけるようにしてください。耳に装着する魔具と、首につける魔具です。効果は後日説明しますが、必ず着用してくださいね』
ヘッドホンのような形の魔法道具を装着し、飾りのついたチョーカーを首に着ける。少し奇抜な装飾品が魔法道具だなんて信じ難い。
それでもわざわざ反発してつけない理由もないから大人しく従うわけだけれど。
待たせてしまった扉の向こうの誰かに「遅くなりました!」と謝罪をしながらノブを捻る。
「どちらさまで…………」
影が上から落ちてきた。黒くて大きな物がそこにあって、僕を見下ろしている。錆びたおもちゃのようなぎこちない動きで顔を上げると、高い位置に頭があった。
「ヒュ……」
「……おはようございます……。カルタ先生……ですよね……」
僕より頭一、二個分大きなその人は全身が黒色で覆われ、伸ばした髪の隙間から白い目がギラついている。フードを被り、ただでさえ不健康そうな色の肌に影を作っていた。
「は、はい……っ、く、くろいかるた、です!」
不気味。その一言だ。二メートルを越す長身は威圧感を放ち、小さく動く口からは鋭い牙と先の割れた舌が見え隠れする。怖くてろくな返事ができずにいる僕に、彼は言った。
「……チルベッタ様から、聞いてる。君のこと……。んーと……、その、学校の案内と、新人教育……、俺の担当になったんだァ」
「ヒィッ」
まだ戸惑っている僕に構うことなく、彼は僕の手を引いて部屋から引っ張り出した。
「大丈夫……、怖くないから。全部知ってるよ、君……」
もしかして、僕がニンゲンだってこの人に伝えているのだろうか?
「君……、隔離されて、読み書きも教えられず……辺境の地で、生きてきたって……」
「へ」
「なにも、わからないから……全部教えてあげてって、チルベッタ様が、言ってた……。酷い目に、あってきたんだね……。かわいそうに……」
「はい?」
「……? なにか、違った?」
「い、いえ! はい! その通りです!」
僕の手を握りながら廊下をずんずん歩く彼。歩幅の違いに駆け足になりながら着いて行く。
「まず、君の教室を、教える。こっち……。それから、クチナシ・ナヘンドール……俺の名前ね」
「は、はい、えっと、ナヘンドールさん」
「クチナシでいいよ。君と同じ……ここの教師だから」
「じゃあ……、クチナシ先生……?」
「ん」
クチナシ先生に連れられ走る校内は人気がなく閑散としていた。学校が始まる前の時間帯なのか、休日なのか……そもそもここにも土日休みという概念はあるのだろうか。一週間が七日という暦すら僕のいた場所と同じかわからない。
「着いた、ここ」
「はぁ、はぁ……っ、ひ、広いですね、学校……!」
「! 歩くの速かったかも……ごめんね……。カルタ先生、小さいから……」
「クチナシ先生が大きいのでは……」
教室に入ると、そこは大学の講義室のようだった。長机と椅子が半円状に連なり、一番前に大きな板と教卓がある。
「今日は学校ないから……ゆっくり、説明する。前の板に魔法道具で光を当てると、映像が映る。それで授業したりするんだ……。カルタ先生の、ニンゲン生物学は火曜日の二時間目と……」
あ、曜日は異世界でも同じなんだ……。
「光曜日の三時間目」
違う、知らないやつだ。
「椅子、座って……。リラックス、して話そう」
「ありがとうございます……」
一番前の席に座る。クチナシ先生は教壇に背を曲げて立った。
「……魔法学校ハルハードは……いろんな種族が集まる。争いを生まないよう、種族を尋ねることは、あんまりよくない。聞かないようにする。……まあ、見た目でわかることが、多いけど」
「はえ〜……。確かにクチナシ先生も、フードが猫耳みたいになってますよね……」
「これは、ツノ。猫族みたいに、見えた……? 俺は、魔族。特徴はツノ……牙、舌、耳……。羽、は……収納してる。魔族と獣人族が、一番見た目でわかりやすい」
「……あっ、すみません! クチナシ先生の種族を聞いてしまいました……!」
「いいよ……。君も、だって、魔族でしょ?」
「うぇ!? な、なんで……!?」
「消去法で……。一番、見た目に特徴がないのが天使族……。羽だけ。でも、羽は収納する。でも、天使族は黒が嫌い。本当に、すごく、とっても嫌い。……だから、黒髪に黒目の君は違う。エルフ族も耳と整った顔くらい。ただ、エルフは長生きだから……途方もないくらい長生きで、すごく知識が豊富。無知な君はエルフっぽくない。獣人族の特徴もないし……、それに、魔族は黒が大好き。白が嫌い。目も髪も真っ黒だとすごくいい。だから……」
「……えっと、えっと……。答えは、内緒で」
「そう? まあ、君が何者でもいいけどさ……」
「何者でも……? 種族間で、結構いざこざがあると聞きましたが……」
「……ふふ、生徒はともかく、俺たち教師はチルベッタ様の意思に賛同して、ここで教えることを選んだから……みんな同じ気持ちだよ。差別とか、争いとか、なくなればいいなって思ってる」
あ、笑った。
「君がどこの誰でも……大丈夫。これから、一緒に頑張ろうね」
二メートルは超えるであろう背丈を屈ませ、時折見える牙を隠すように口を手で覆う。クチナシ先生は僕のことを魔族だと思っているから、これは僕に対する配慮じゃない。普段からそうやって人と接してきて癖になっているんだ。声が届くように顔を近づけ、怖がらせないように牙を隠す。この人、優しいんだ。
「……はい。正直何をしていいのかも、全然わかってないですが……頑張ろうと思います」
「……うん、うん。いい子だねぇ……」
細められた目の隙間から見える白い瞳が僕を捉える。
「……クチナシ……」
「うん、なに?」
「あ、いえ! ……その……クチナシの花の色だなって……」
「クチナシの花……? 知らない花だな……」
「僕のいた場所には、先生と同じ名前の花があって……クチナシ先生の目の色と同じ白色なんです。……白い瞳なんて初めて見ました。とても綺麗な色ですね」
「……」
「……クチナシ先生?」
目をぱちくりさせたクチナシ先生はしばらくするとくすくす笑いだした。
「……可愛いこと言うね、……カルタ先生」
もしかして僕はとても恥ずかしいことを口にしてしまったかも知らない。
それに気づいて慌てて謝ると、クチナシ先生は僕の頭をポンと撫でた。

