「紅茶はお好きですか? レモン、お砂糖、ミルク、蜂蜜……お好みのものを入れてお飲みください。コーヒーもありますが、どちらも得意でなけばジュースもありますよ」
「は、はあ……。じゃあ紅茶で……」
「それでは少々お待ちくださいね」
白を基調とした綺麗で、ところどころ幼さを感じる小物の置かれた部屋。天井からはシャンデリアが降り、高そうな装飾を施された机とソファ、そして大きな窓の外には雲が見えた。僕の家は二階だけど、そこから見える景色とは全く違う。もっと高層の、そう……確か学校の屋上から見た、地上より空が近いと錯覚するほど高い場所からの景色だ。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「……ここ、学園長室なんですよ。気になります?」
「すみません! キョロキョロ見てしまって……。その、さっきの場所からは想像もつかないほど綺麗な場所に連れてこられてしまったので、驚いたというか……」
「ああ、あれは特別な儀式用の部屋ですから。この学園長室は私が一番長く過ごす部屋なので、私好みにしているんですよ」
僕の前に紅茶を置いたあと、自分の分の紅茶を手にソファに腰掛けたチルベッタさんは「さて」と話を始めた。
「まずは突然の召喚の無礼をお許しください。改めまして、私はチルベッタ。魔法学校ハルハードの学園長です」
頭を下げられ、僕も咄嗟にペコペコとお辞儀をした。
「く、黒井かるたです。えっと、フリーターです……」
「ふふ、カルタ先生は礼儀正しい方ですね。教師として百点です!」
「きょ、教師……、その、僕免許とかないですし……。それにニンゲン生物学、ですか? そんな専門的なこと学んでこなかったので……」
「ああ、いえ! 専門的なことではなく……それに関しても一から説明いたしますね」
チルベッタさんは紅茶に角砂糖を入れてマドラーでくるくる混ぜる。
「この世界にたくさんの種族がいます。そして、それぞれの種族の関係はあまり……いえ、だいぶよくありません。カルタ先生の世界にも差別や偏見や争いはあるかと思いますが、カルタ先生の世界より数百年は差別意識に遅れがあると考えてください。私はそれを変えたいと考えています」
真っ直ぐに見つめられた僕は、思わず目を逸らした。人と目を合わせて話すことは苦手だ。だけど、チルベッタさんは一言一言伺うように目を見てくる。きっと、彼女はいい人だ。泳がせた目を再びチルベッタさんに向けると、彼女はまだ僕を見ていた。
「ニンゲンはこの世界に存在しません。あなたしか知らない知識を、あなたが積み重ねてきた経験を、ニンゲンという生き物のあり方を、この世界に広めて欲しいのです」
「……一つ、聞いてもいいですか」
「ええ、もちろん」
「ここは魔法学校なんですよね? ニンゲンについて教えて……その、勉強になりますかね? 必要だと思えなくて……」
「あなたは見たことのない花を描けますか?」
「えっ? えっと、無理です……」
「それと同じこと。魔法に必要なのは知識です。それも、果てのないほど幅広い知識が。新しい風をこの学校に吹かせたいと考えています」
「は、はあ……」
「それでですね。異世界から来たニンゲンというのは特別な儀式に材料として使われることが多いので、是非ニンゲンだということは隠してニンゲンについて教えていただければと!」
「ほぇ」
「その代わり危険手当としてお給料は弾みますし、私の守護魔法で死なないようにお守りいたします!」
「え、え?」
「教員寮あり、家賃無料! 三食付いてますよ!」
「あの、えっと……」
「ちなみに光熱費もこちら持ちです!」
「よろしくお願いします」
「やった!」
夏の暑さには勝てない。
どうせ夢だ。すぐに覚めるのなら、今一番求めている快適な温度を前に屈してもバチは当たらないだろう。
「うふふ、嬉しいです。私、ニンゲンさんが好きなんですよ。ニンゲン生物学は私の担当でしたが、本物のニンゲンさんに引き継いでいただけて嬉しいです」
「あの、チルベッタさんは、……ニンゲンではないということですか……?」
「私はエルフ族です。ふふ、あなたよりうんと年上ですよ」
「え、エルフ……。じゃあ、ここはエルフの学校なんですか?」
「いいえ。すべての種族に門を開いております」
「な、仲悪いんじゃ……喧嘩になりませんか?」
「それを禁止しております。禁止してなお、この学校に魔法を学びに皆集まるのです」
「差別や、対立を飲み込んでまでここで魔法を学びたいってこと……? それはどうして……」
チルベッタさんは先ほどまでのあどけない微笑みとは打って変わり、真の通った声で口角を上げて見せた。
「世界で最も優れた魔法使いである、このチルベッタから魔法を学べる唯一の場所だからですよ」
「……っ!」
その分野に従事し、極め、誇りを持っている玄人の自信。
僕にはないものだ。
「それからそれから! 教師の皆様も最高の魔法使いを雇っておりますし、教科書だって各分野で伝説と呼ばれるほどの方に作っていただいてるんですよ! 特にホアリスさんの作られた治療魔法についての教科書は禁書と同じくらい希少価値が高くて、この教科書を買う権利を得られるだけでこの学校に入る価値があると言われるほど……」
「あ、あの! わ、わかりました! わかりました……。これ以上は頭がついていかなくて。す、少し休ませてもらえませんか?」
「はっ! 私としたことが……。それでは寮のお部屋に案内いたしますね。今日はゆっくり休んでください」
なんてファンタジーだ。
夏の暑さに沸いた頭が見せる幻覚は、理解不能で、突拍子もなくて、そしてどこかほんのり優しい温もりがした。
「は、はあ……。じゃあ紅茶で……」
「それでは少々お待ちくださいね」
白を基調とした綺麗で、ところどころ幼さを感じる小物の置かれた部屋。天井からはシャンデリアが降り、高そうな装飾を施された机とソファ、そして大きな窓の外には雲が見えた。僕の家は二階だけど、そこから見える景色とは全く違う。もっと高層の、そう……確か学校の屋上から見た、地上より空が近いと錯覚するほど高い場所からの景色だ。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「……ここ、学園長室なんですよ。気になります?」
「すみません! キョロキョロ見てしまって……。その、さっきの場所からは想像もつかないほど綺麗な場所に連れてこられてしまったので、驚いたというか……」
「ああ、あれは特別な儀式用の部屋ですから。この学園長室は私が一番長く過ごす部屋なので、私好みにしているんですよ」
僕の前に紅茶を置いたあと、自分の分の紅茶を手にソファに腰掛けたチルベッタさんは「さて」と話を始めた。
「まずは突然の召喚の無礼をお許しください。改めまして、私はチルベッタ。魔法学校ハルハードの学園長です」
頭を下げられ、僕も咄嗟にペコペコとお辞儀をした。
「く、黒井かるたです。えっと、フリーターです……」
「ふふ、カルタ先生は礼儀正しい方ですね。教師として百点です!」
「きょ、教師……、その、僕免許とかないですし……。それにニンゲン生物学、ですか? そんな専門的なこと学んでこなかったので……」
「ああ、いえ! 専門的なことではなく……それに関しても一から説明いたしますね」
チルベッタさんは紅茶に角砂糖を入れてマドラーでくるくる混ぜる。
「この世界にたくさんの種族がいます。そして、それぞれの種族の関係はあまり……いえ、だいぶよくありません。カルタ先生の世界にも差別や偏見や争いはあるかと思いますが、カルタ先生の世界より数百年は差別意識に遅れがあると考えてください。私はそれを変えたいと考えています」
真っ直ぐに見つめられた僕は、思わず目を逸らした。人と目を合わせて話すことは苦手だ。だけど、チルベッタさんは一言一言伺うように目を見てくる。きっと、彼女はいい人だ。泳がせた目を再びチルベッタさんに向けると、彼女はまだ僕を見ていた。
「ニンゲンはこの世界に存在しません。あなたしか知らない知識を、あなたが積み重ねてきた経験を、ニンゲンという生き物のあり方を、この世界に広めて欲しいのです」
「……一つ、聞いてもいいですか」
「ええ、もちろん」
「ここは魔法学校なんですよね? ニンゲンについて教えて……その、勉強になりますかね? 必要だと思えなくて……」
「あなたは見たことのない花を描けますか?」
「えっ? えっと、無理です……」
「それと同じこと。魔法に必要なのは知識です。それも、果てのないほど幅広い知識が。新しい風をこの学校に吹かせたいと考えています」
「は、はあ……」
「それでですね。異世界から来たニンゲンというのは特別な儀式に材料として使われることが多いので、是非ニンゲンだということは隠してニンゲンについて教えていただければと!」
「ほぇ」
「その代わり危険手当としてお給料は弾みますし、私の守護魔法で死なないようにお守りいたします!」
「え、え?」
「教員寮あり、家賃無料! 三食付いてますよ!」
「あの、えっと……」
「ちなみに光熱費もこちら持ちです!」
「よろしくお願いします」
「やった!」
夏の暑さには勝てない。
どうせ夢だ。すぐに覚めるのなら、今一番求めている快適な温度を前に屈してもバチは当たらないだろう。
「うふふ、嬉しいです。私、ニンゲンさんが好きなんですよ。ニンゲン生物学は私の担当でしたが、本物のニンゲンさんに引き継いでいただけて嬉しいです」
「あの、チルベッタさんは、……ニンゲンではないということですか……?」
「私はエルフ族です。ふふ、あなたよりうんと年上ですよ」
「え、エルフ……。じゃあ、ここはエルフの学校なんですか?」
「いいえ。すべての種族に門を開いております」
「な、仲悪いんじゃ……喧嘩になりませんか?」
「それを禁止しております。禁止してなお、この学校に魔法を学びに皆集まるのです」
「差別や、対立を飲み込んでまでここで魔法を学びたいってこと……? それはどうして……」
チルベッタさんは先ほどまでのあどけない微笑みとは打って変わり、真の通った声で口角を上げて見せた。
「世界で最も優れた魔法使いである、このチルベッタから魔法を学べる唯一の場所だからですよ」
「……っ!」
その分野に従事し、極め、誇りを持っている玄人の自信。
僕にはないものだ。
「それからそれから! 教師の皆様も最高の魔法使いを雇っておりますし、教科書だって各分野で伝説と呼ばれるほどの方に作っていただいてるんですよ! 特にホアリスさんの作られた治療魔法についての教科書は禁書と同じくらい希少価値が高くて、この教科書を買う権利を得られるだけでこの学校に入る価値があると言われるほど……」
「あ、あの! わ、わかりました! わかりました……。これ以上は頭がついていかなくて。す、少し休ませてもらえませんか?」
「はっ! 私としたことが……。それでは寮のお部屋に案内いたしますね。今日はゆっくり休んでください」
なんてファンタジーだ。
夏の暑さに沸いた頭が見せる幻覚は、理解不能で、突拍子もなくて、そしてどこかほんのり優しい温もりがした。

