絵を描くのが好きだった。
幼稚園の頃、窓から見えた風景を見たまま描いたら、とても上手だと褒められた。母親にも伝えられ、地元のコンクールに出し、幾つも賞を貰った。描くことが楽しい。努力した分褒めてもらえる。好きなことにやってるだけなのに高く評価されることに、快感を感じていた。別に変に天狗になっていたわけじゃない。その感情は子供ならではの無邪気なものだった。
その日、飼っていた猫が死んだ。人生で一番泣いた日だった。生き物の生死が理解できる年齢になって、初めての身近な生き物との別れを経験し、僕は数日寝込むほどに落ち込んだ。沈んで、沈んで、それから、僕はその「感情」を描きたくなった。
今まで目に見えたものを綺麗に、丁寧に描くことが絵を描くということだと思っていた。今心の中に生まれ、確かに存在するこの感情には形がない。輪郭がない。目に見えない。僕の中にあるのにないそれを、どうしても絵にしたかった。どん底のような、上から蓋をされて身動きが取れないような苦しみを、僕は黒で表現した。
それからは、描く絵の全てが感情となった。一度両親に心配され病院に連れて行かれたが、拙い言葉で説明すると「子供特有の自己表現だ」と言われ、それ以降は好きに描かせてもらえた。それきり、賞を取ることは一度もなかった。
しばらくしてから、自分のこれが抽象画に分類されることを知り、自己の内側の表現にさらにこだわった。僕の絵を、みんなが不気味がり、笑い、罵った。それでも描くのをやめなかった。
美術大学に進んだのは、自分と同じ表現者に出会えると思ったからだ。見たものを真似て描くのは得意だったから、デッサンの評価は良く、無事入学できた。抽象画コースを選択し、希望に胸を膨らませて辿り着いた場所で、僕は絶望した。
丸や三角や四角を組み合わせた幾何学模様。様々な色を使った目を刺すようなビビッドカラー。みんな目の前にモデルなんて置かず、描きたいように描いていた。僕も同じだ、そう思ってキャンバスに白と黄色を塗った。ぐちゃぐちゃとまぜて、ザッザッと筆を大きく使う。暗闇から見る出口の光の白と、太陽の下を再び歩ける希望の黄色。時折指を使い、爪を使い、ナイフを使って色を置いた。
『それは、何? らくがき?』
『これは感情の……』
『時々いるのよ。適当に描いたものを抽象画って言って、それを芸術だと言い張る子』
この場所に、僕と同じ人はいなかった。むしろ僕は邪魔だった。心から表現者を目指す他の生徒に失礼だと言われた。
これが、僕の心なのに?
適当じゃない。今まで描いてきた全て、絵を見るだけでその時の感情、気持ち、出来事、引いた線の意味まで全て覚えている。ううん、覚えているんじゃない、描いてあるんだ。そこに描いてある。僕が、明確な意図を持って塗った色たちだから。
『わからないわ。何が描きたいのか』
プツンと、何かが切れた。
その時、自分に才能がないのだと知った。描きたいものを描いて、自分では描けていると、必死に表現して、わかってほしいって、だけど、だけど!
ああ、僕はなんて、無駄な時間を過ごしてきたんだ……。
僕には、何もない。
絵を描くことが好きだった。キャンバスの前が僕の居場所で、キャンバスと向き合いながら自分の感情に向き合った。
絵を描かなくなった。キャンバスの前に座らなくなった。自分の感情に向き合わなくなった。
何も、楽しくなくなった。
『ありがとう。俺も、思ってる。君がいてくれて良かったって』
「__っ!!」
目が覚めた。鈍く痛む頭を抑え、ぼやけた視界が晴れるのを待つ。
今のは、夢だ。……そして、僕の過去だ。
動悸が治らない。息が苦しい。魔法の呪文を唱えるように、何度もクチナシ先生の言葉を頭の中で繰り返した。
僕がいてくれて良かったって、言ってくれた。だから、大丈夫、大丈夫……。
一度強く目を閉じてから、再び開く。そこは美大の教室ではなく、ちゃんと教員寮の自室だった。
「……今日、は……、」
確か、授業は無かったはずだ。
一人でいるのが心細くて、僕は身支度を整えてから職員室へ向かった。
幼稚園の頃、窓から見えた風景を見たまま描いたら、とても上手だと褒められた。母親にも伝えられ、地元のコンクールに出し、幾つも賞を貰った。描くことが楽しい。努力した分褒めてもらえる。好きなことにやってるだけなのに高く評価されることに、快感を感じていた。別に変に天狗になっていたわけじゃない。その感情は子供ならではの無邪気なものだった。
その日、飼っていた猫が死んだ。人生で一番泣いた日だった。生き物の生死が理解できる年齢になって、初めての身近な生き物との別れを経験し、僕は数日寝込むほどに落ち込んだ。沈んで、沈んで、それから、僕はその「感情」を描きたくなった。
今まで目に見えたものを綺麗に、丁寧に描くことが絵を描くということだと思っていた。今心の中に生まれ、確かに存在するこの感情には形がない。輪郭がない。目に見えない。僕の中にあるのにないそれを、どうしても絵にしたかった。どん底のような、上から蓋をされて身動きが取れないような苦しみを、僕は黒で表現した。
それからは、描く絵の全てが感情となった。一度両親に心配され病院に連れて行かれたが、拙い言葉で説明すると「子供特有の自己表現だ」と言われ、それ以降は好きに描かせてもらえた。それきり、賞を取ることは一度もなかった。
しばらくしてから、自分のこれが抽象画に分類されることを知り、自己の内側の表現にさらにこだわった。僕の絵を、みんなが不気味がり、笑い、罵った。それでも描くのをやめなかった。
美術大学に進んだのは、自分と同じ表現者に出会えると思ったからだ。見たものを真似て描くのは得意だったから、デッサンの評価は良く、無事入学できた。抽象画コースを選択し、希望に胸を膨らませて辿り着いた場所で、僕は絶望した。
丸や三角や四角を組み合わせた幾何学模様。様々な色を使った目を刺すようなビビッドカラー。みんな目の前にモデルなんて置かず、描きたいように描いていた。僕も同じだ、そう思ってキャンバスに白と黄色を塗った。ぐちゃぐちゃとまぜて、ザッザッと筆を大きく使う。暗闇から見る出口の光の白と、太陽の下を再び歩ける希望の黄色。時折指を使い、爪を使い、ナイフを使って色を置いた。
『それは、何? らくがき?』
『これは感情の……』
『時々いるのよ。適当に描いたものを抽象画って言って、それを芸術だと言い張る子』
この場所に、僕と同じ人はいなかった。むしろ僕は邪魔だった。心から表現者を目指す他の生徒に失礼だと言われた。
これが、僕の心なのに?
適当じゃない。今まで描いてきた全て、絵を見るだけでその時の感情、気持ち、出来事、引いた線の意味まで全て覚えている。ううん、覚えているんじゃない、描いてあるんだ。そこに描いてある。僕が、明確な意図を持って塗った色たちだから。
『わからないわ。何が描きたいのか』
プツンと、何かが切れた。
その時、自分に才能がないのだと知った。描きたいものを描いて、自分では描けていると、必死に表現して、わかってほしいって、だけど、だけど!
ああ、僕はなんて、無駄な時間を過ごしてきたんだ……。
僕には、何もない。
絵を描くことが好きだった。キャンバスの前が僕の居場所で、キャンバスと向き合いながら自分の感情に向き合った。
絵を描かなくなった。キャンバスの前に座らなくなった。自分の感情に向き合わなくなった。
何も、楽しくなくなった。
『ありがとう。俺も、思ってる。君がいてくれて良かったって』
「__っ!!」
目が覚めた。鈍く痛む頭を抑え、ぼやけた視界が晴れるのを待つ。
今のは、夢だ。……そして、僕の過去だ。
動悸が治らない。息が苦しい。魔法の呪文を唱えるように、何度もクチナシ先生の言葉を頭の中で繰り返した。
僕がいてくれて良かったって、言ってくれた。だから、大丈夫、大丈夫……。
一度強く目を閉じてから、再び開く。そこは美大の教室ではなく、ちゃんと教員寮の自室だった。
「……今日、は……、」
確か、授業は無かったはずだ。
一人でいるのが心細くて、僕は身支度を整えてから職員室へ向かった。

