迫害。その言葉に僕はショックを受けた。その言葉が持つ意味に、というよりも、自分の考えの甘さに怒りが湧いた。
チルベッタさんは言っていた。この異世界は、僕の世界より数100年は差別意識に遅れがあると。今だって、海外に行けばアジア人が差別を受けると聞く。僕は日本から出たことがないからそれを実感したことがないだけで、きっと僕なんかの想像よりもたくさんそれらは蔓延っている。それより、数100年遅れていると言ったのだ。仲が悪いとか、対立しているとか、そんな甘い想像しかできないまま、なんとなくこの夢のような異世界での生活を受け入れ、流されるように教鞭を取っていた自分に無性に腹が立つ。
異種族との大きな確執と争いの中で、きっと同種族の絆はより深く強く繋がる。親密で強固な仲間意識の中で、迫害をされることはどれほど辛いことだろう。逃げ出したくても逃げ場なんてない。だって、内側も外側も敵しかいないのだから。
「……」
「あーっと、ごめんごめん! 歓迎会でするような話じゃなかったな! ほらほら飲め飲め〜!」
「あっ、は、はい!」
俯いてしまった僕を慰めるように、ナイト先生はジョッキを渡してきた。グイッと飲み干すと歓声が上がる。
「カルタ先生ったらいける口ですね! 私も今日は飲みますよ〜!」
「カルタ先生……、うう、やっぱり子供がお酒を飲んでるように見えてしまう……! 次はジュース、頼もう……?」
「駄目だ駄目だ! カルタ先生はせっかく飲めるんだから酒にしろ、ナヘンドール」
「ラブラヒュース、お前は黙ってろ」
「君たち喧嘩しかできないんですか。カルタ先生、ボクらは仲良く飲みましょうね」
「あはは……。そうですね、クロナンシア先生」
騒がしいのは苦手だけど、もう少しみんなと仲良くなりたい、みんなを知りたいと、そう思った。
「今日はありがとうございました」
歓迎会という名の飲み会が終わり、お店の前で僕は頭を下げた。自分のために楽しい時間を作ってくれたことが何より嬉しかった。
「本当に二次会こないの、カルタ先生〜」
「ちょっと酔っちゃって……。また今度誘ってください」
「ナヘンドール、ちゃーんとカルタ先生を寮まで送れよ」
「当たり前だろ。言われなくてもカルタ先生の送り迎えは俺がするつもりだった」
この二人、隙があれば喧嘩をするな……。
「あ、そうだ。チルベッタ様も二次会来ないんですか?」
「ごめんなさい、ナイト先生。実はこの後約束があって……」
「ええ、こんな時間からぁ?」
「そうなんです。今日は教師みんなで歓迎会よ〜って言ったら、「俺も飲みたい気分になってきたから一緒に飲もう」ってお誘いがあったんです」
「チルベッタ様を気軽に飲みに誘える奴なんているんだ……」
「歓迎会の後ならいいよーってことで話がまとまったから、これから合流して飲みに行くんです」
「ま、そういうことなら仕方ないですね」
「ごめんなさいね。ホアリスくんったら言い出したら聞かなくて」
「いえいえ! 二次会なんて俺が急に言い出したことですし!」
「でもまた機会があれば誘ってくださいね。二次会でも三次会でも付き合いますから」
「お、楽しみにしてますね!」
それじゃ、と朗らかに離脱しようとするチルベッタさんを全員で止めた。
「ホアリス!?」
僕がこの世界に来てから何度も聞いた伝説の治癒魔法使い、ホアリス。クチナシ先生やクロナンシア先生が敬愛し、治癒魔法に関する教科書を作成し、その教科書は禁書レベルの価値を持つという……。
「ホ、ホアリス様と、今から会うんですか!?」
「ええ」
「チルベッタ様、是非ボクもご一緒させてください……!!」
「そうしたいのですが……、ホアリスくんったら今「お戯れ中」で、みんなの前に顔を出したくないらしいんですよ」
「お戯れ……?」
「彼の悪癖なんですよ。長く生きると娯楽に飢えるので、楽しいことはなんでもやっちゃうんですよね」
「チルベッタ様がいうと説得力がありますね」
「あ、あの……チルベッタ様……もし可能でしたら、サインとか……」
「ボクも! 失礼でなければ是非……!」
「サインですか……。彼、多分ノリノリで書いちゃいますね」
「ノリノリで!?」
クチナシ先生とクロナンシア先生は終始興奮していた。文字でしか知らなかったホアリスという憧れの人を、チルベッタさんを通して見ているんだ。伝説であり憧れの人の解像度が上がっていくことに感動しているようにも見える。
「……改めて、ホアリスさんってすごい人なんですね。それから……チルベッタさんも」
「チルベッタ様はいつも近くにいてくださるから忘れてしまいそうになるけど、彼女は世界一の魔法使いだからな。魔法の知識と技術で勝るものはこの世界にいない。戦闘と治癒魔法においてはホアリス様が一番と謳われているが、それでもなおチルベッタ様が世界一の称号を得ているのは……異世界へ繋がるほどの高度な空間魔術の構築と、無から有を生み出す物質構成魔術を使える点にある」
無から有と聞いて、はじめに渡された杖を思い出した。欲しいものを頭に浮かべながら杖を振るだけで想像したものが現れる。ありふれたアニメの設定のようでワクワクしたけれど、考えてみれば0から1を生み出すことがどれほど難しいことか、魔法以外のものに置き換えればすぐにわかる。種のないところから植物は育たないし、思考のないところにアイデアは浮かばない。
「でもさ〜、すごいってわかってたけどさー、いざホアリス様と飲み友達ですっていわれるとびっくりして腰抜けるわ。教科書作ってもらってたし知り合いなのは知ってたけどね」
「ナイト先生はサイン貰わなくていいんですか?」
「あの二人に並んでサインくださいとは言えねえな〜。カルタ先生はいいの?」
「僕はあまり、その……ホアリスさんについても詳しくなくて。みなさんから聞いた知識くらいしか……」
「ほえー、カルタ先生ってもしかして世間知らず?」
「まあ、はい。そうだと思います……」
「そっかそっか! ならわかんないこと全部教えてあげるからな、大丈夫大丈夫!」
「……ふっ」
「ん? なんで笑うんだよ」
「いえ……。クチナシ先生も、今のナイト先生と同じことを言ってくださったな、って……」
「! …………ナヘンドールには言うなよ」
「はい、わかりました」
クチナシ先生とナイト先生がどうしてあんなに仲が悪いのか、僕にはわからないけど……二人とも悪い人じゃないってことはよくわかった。だって、見ず知らずの僕を優しく気遣ってくれるから。
「ご、ごめん……、カルタ先生。待たせちゃって……」
「いえ、大丈夫ですよ。ナイト先生とお話ししていましたから」
「……カルタ先生に変なこと吹き込んでないだろうな」
「ねーよ! カルタ先生はお前のこといい子で待ってたんだからさっさと送って帰れバーカ!」
「うっ……。ほ、本当にごめんね、カルタ先生……。ホアリス様の名前を聞いちゃって……、つい……。帰り道、暗いから、手……繋ごうね」
「バカ、カルタ先生年上だって忘れたのかよ。まだ酔ってんのか?」
「そ、そうだった……」
恥ずかしそうに顔を伏せたクチナシ先生の手を、僕の方から握った。
「帰り道は暗いので、僕が手を繋いであげますよ」
「か、からかわないでよ……」
言いつつ手は振り解かれなかった。
二次会へ向かうナイト先生たちに別れを告げ、僕たちはハルハードの寮までの帰路を進む。
チルベッタさんは言っていた。この異世界は、僕の世界より数100年は差別意識に遅れがあると。今だって、海外に行けばアジア人が差別を受けると聞く。僕は日本から出たことがないからそれを実感したことがないだけで、きっと僕なんかの想像よりもたくさんそれらは蔓延っている。それより、数100年遅れていると言ったのだ。仲が悪いとか、対立しているとか、そんな甘い想像しかできないまま、なんとなくこの夢のような異世界での生活を受け入れ、流されるように教鞭を取っていた自分に無性に腹が立つ。
異種族との大きな確執と争いの中で、きっと同種族の絆はより深く強く繋がる。親密で強固な仲間意識の中で、迫害をされることはどれほど辛いことだろう。逃げ出したくても逃げ場なんてない。だって、内側も外側も敵しかいないのだから。
「……」
「あーっと、ごめんごめん! 歓迎会でするような話じゃなかったな! ほらほら飲め飲め〜!」
「あっ、は、はい!」
俯いてしまった僕を慰めるように、ナイト先生はジョッキを渡してきた。グイッと飲み干すと歓声が上がる。
「カルタ先生ったらいける口ですね! 私も今日は飲みますよ〜!」
「カルタ先生……、うう、やっぱり子供がお酒を飲んでるように見えてしまう……! 次はジュース、頼もう……?」
「駄目だ駄目だ! カルタ先生はせっかく飲めるんだから酒にしろ、ナヘンドール」
「ラブラヒュース、お前は黙ってろ」
「君たち喧嘩しかできないんですか。カルタ先生、ボクらは仲良く飲みましょうね」
「あはは……。そうですね、クロナンシア先生」
騒がしいのは苦手だけど、もう少しみんなと仲良くなりたい、みんなを知りたいと、そう思った。
「今日はありがとうございました」
歓迎会という名の飲み会が終わり、お店の前で僕は頭を下げた。自分のために楽しい時間を作ってくれたことが何より嬉しかった。
「本当に二次会こないの、カルタ先生〜」
「ちょっと酔っちゃって……。また今度誘ってください」
「ナヘンドール、ちゃーんとカルタ先生を寮まで送れよ」
「当たり前だろ。言われなくてもカルタ先生の送り迎えは俺がするつもりだった」
この二人、隙があれば喧嘩をするな……。
「あ、そうだ。チルベッタ様も二次会来ないんですか?」
「ごめんなさい、ナイト先生。実はこの後約束があって……」
「ええ、こんな時間からぁ?」
「そうなんです。今日は教師みんなで歓迎会よ〜って言ったら、「俺も飲みたい気分になってきたから一緒に飲もう」ってお誘いがあったんです」
「チルベッタ様を気軽に飲みに誘える奴なんているんだ……」
「歓迎会の後ならいいよーってことで話がまとまったから、これから合流して飲みに行くんです」
「ま、そういうことなら仕方ないですね」
「ごめんなさいね。ホアリスくんったら言い出したら聞かなくて」
「いえいえ! 二次会なんて俺が急に言い出したことですし!」
「でもまた機会があれば誘ってくださいね。二次会でも三次会でも付き合いますから」
「お、楽しみにしてますね!」
それじゃ、と朗らかに離脱しようとするチルベッタさんを全員で止めた。
「ホアリス!?」
僕がこの世界に来てから何度も聞いた伝説の治癒魔法使い、ホアリス。クチナシ先生やクロナンシア先生が敬愛し、治癒魔法に関する教科書を作成し、その教科書は禁書レベルの価値を持つという……。
「ホ、ホアリス様と、今から会うんですか!?」
「ええ」
「チルベッタ様、是非ボクもご一緒させてください……!!」
「そうしたいのですが……、ホアリスくんったら今「お戯れ中」で、みんなの前に顔を出したくないらしいんですよ」
「お戯れ……?」
「彼の悪癖なんですよ。長く生きると娯楽に飢えるので、楽しいことはなんでもやっちゃうんですよね」
「チルベッタ様がいうと説得力がありますね」
「あ、あの……チルベッタ様……もし可能でしたら、サインとか……」
「ボクも! 失礼でなければ是非……!」
「サインですか……。彼、多分ノリノリで書いちゃいますね」
「ノリノリで!?」
クチナシ先生とクロナンシア先生は終始興奮していた。文字でしか知らなかったホアリスという憧れの人を、チルベッタさんを通して見ているんだ。伝説であり憧れの人の解像度が上がっていくことに感動しているようにも見える。
「……改めて、ホアリスさんってすごい人なんですね。それから……チルベッタさんも」
「チルベッタ様はいつも近くにいてくださるから忘れてしまいそうになるけど、彼女は世界一の魔法使いだからな。魔法の知識と技術で勝るものはこの世界にいない。戦闘と治癒魔法においてはホアリス様が一番と謳われているが、それでもなおチルベッタ様が世界一の称号を得ているのは……異世界へ繋がるほどの高度な空間魔術の構築と、無から有を生み出す物質構成魔術を使える点にある」
無から有と聞いて、はじめに渡された杖を思い出した。欲しいものを頭に浮かべながら杖を振るだけで想像したものが現れる。ありふれたアニメの設定のようでワクワクしたけれど、考えてみれば0から1を生み出すことがどれほど難しいことか、魔法以外のものに置き換えればすぐにわかる。種のないところから植物は育たないし、思考のないところにアイデアは浮かばない。
「でもさ〜、すごいってわかってたけどさー、いざホアリス様と飲み友達ですっていわれるとびっくりして腰抜けるわ。教科書作ってもらってたし知り合いなのは知ってたけどね」
「ナイト先生はサイン貰わなくていいんですか?」
「あの二人に並んでサインくださいとは言えねえな〜。カルタ先生はいいの?」
「僕はあまり、その……ホアリスさんについても詳しくなくて。みなさんから聞いた知識くらいしか……」
「ほえー、カルタ先生ってもしかして世間知らず?」
「まあ、はい。そうだと思います……」
「そっかそっか! ならわかんないこと全部教えてあげるからな、大丈夫大丈夫!」
「……ふっ」
「ん? なんで笑うんだよ」
「いえ……。クチナシ先生も、今のナイト先生と同じことを言ってくださったな、って……」
「! …………ナヘンドールには言うなよ」
「はい、わかりました」
クチナシ先生とナイト先生がどうしてあんなに仲が悪いのか、僕にはわからないけど……二人とも悪い人じゃないってことはよくわかった。だって、見ず知らずの僕を優しく気遣ってくれるから。
「ご、ごめん……、カルタ先生。待たせちゃって……」
「いえ、大丈夫ですよ。ナイト先生とお話ししていましたから」
「……カルタ先生に変なこと吹き込んでないだろうな」
「ねーよ! カルタ先生はお前のこといい子で待ってたんだからさっさと送って帰れバーカ!」
「うっ……。ほ、本当にごめんね、カルタ先生……。ホアリス様の名前を聞いちゃって……、つい……。帰り道、暗いから、手……繋ごうね」
「バカ、カルタ先生年上だって忘れたのかよ。まだ酔ってんのか?」
「そ、そうだった……」
恥ずかしそうに顔を伏せたクチナシ先生の手を、僕の方から握った。
「帰り道は暗いので、僕が手を繋いであげますよ」
「か、からかわないでよ……」
言いつつ手は振り解かれなかった。
二次会へ向かうナイト先生たちに別れを告げ、僕たちはハルハードの寮までの帰路を進む。

