夜の冷たい空気に肩をすくめながら、如月は部屋に戻ってきた。

「ふぅ……」

図書館での勉強は想像以上に大変だったが、それなりに充実感もあった。何より、鳳城の説明がわかりやすかったのが救いだ。

(……意外と、優しい人なのかも)

そんなことを考えながら部屋の電気をつけた瞬間、小さな黒い紙切れが視界に入った。

「ん……?」

机の上、スマホのそばに置かれているそれは、真っ黒で正方形の紙だった。まるで吸い込まれるような漆黒。

(こんなの、置いた覚え……あったっけ?)

手に取ってみる。厚紙のような感触だが、裏表どちらも何の模様もない。ただ黒いだけの紙切れ。

(……ちょっと気味悪いなぁ)

ひとまず机の隅に置いて、スマホを手に取った。





何気なく履歴を確認すると、見覚えのないURLが並んでいる。

「……オカルト掲示板?」

開いた記憶はない。それなのに、確かに昨日の夜のアクセス履歴が残っている。

(何これ……)

画面をスクロールすると、いくつかのスレッドタイトルが目に飛び込んできた。

「入れ替わりのお呪い、試してみた人いる?」
「■■■県■■にて男性が行方不明になった事件まとめてみた」
「夢で違う人生を送ってるんだけど、これって前世?」

(……なんか、嫌な予感がする)

少し躊躇いながら、「入れ替わりのお呪い」のスレッドをタップする。

──このページは削除されました。

(……え?)

何度更新しても、結果は変わらない。既に削除されたスレッド。

気味の悪さがこみ上げる。何が書かれていたのかはわからないが、直感的に「見てはいけないもの」だった気がした。

如月はスマホを置き、肩を抱くように腕を組んだ。

(昨日の私……なんで、こんなもの見てたの……?)

削除された入れ替わりのお呪いのスレッド。思わず机に置いた黒い紙切れに目がいった。何故そうしたのかは自分でもよく分からない。

ごくり、と喉を鳴らす。

今考えても仕方のない事だ。明日も早い。さっさとシャワーを浴びて寝るとしよう。










掲示板の前には多くの生徒が集まっていた。成績発表の日は、期待と不安が入り混じる特別な空気が漂う。

如月鈴花は、人混みの中に立ち尽くしていた。

(……私、本当にやれたのかな)

この数週間、鳳城の助けを借りながら勉強に励んだ。しかし、それで十分だったのかはわからない。

「おい、見に行かないのか?」

すぐ隣にいた鳳城が、いつも通りの落ち着いた声で言った。

「……うん」

自信は、正直ほとんどなかった。でも、結果を確かめないわけにはいかない。

掲示板に貼られた成績表を目で追いながら、息が詰まるような感覚に襲われる。

(……ない、ない……やっぱり無理だったのかな)

だが、次の瞬間──

「第十九位 如月鈴花」

視界の中に、確かに自分の名前があった。

「……!」

一瞬、目を疑った。だが何度見返しても、そこには自分の名前が刻まれている。

「……やった……!」

胸の奥が熱くなる。信じられない気持ちと、じわじわと込み上げてくる喜び。

「おめでとう」

鳳城が、珍しく柔らかい口調で言った。

「君の努力が実を結んだな」

「……ありがとうございます!」

その幸福感に浸っていたのも束の間。

スマホが小さく震え、メール通知が表示される。

来栖綾華からだった。

「今から屋上に来てくれるかしら?」

(……え?)

簡潔なその文章は妙に不気味だった。

喜びが、じわじわと別の感情に塗り替えられていく。

私は、そっとスマホの画面を伏せた。









「どうした?」

「えっと⋯⋯。副会長からメールが来ました」

「見せてみろ」

私は鳳城にスマホを渡した。。

鳳城は画面をじっと見つめ、眉をひそめた。

「行かなくていいんじゃないか」

鳳城は真剣に言ったが、その声にはどこか不安が滲んでいた。

来栖副会長を無視するのはさすがに良くない気がする。彼女の要件が何であれ、早めに片付けてしまいたい。

そして何よりも、何故か彼女に会わないといけない予感がするのだ。

私は少しだけ目を細めて結論を告げる。

「……とりあえず、会ってきます」

その返答に、鳳城はほんの少し戸惑ったような顔をするが、すぐに言った。

「ならついて行こうか」

「大丈夫です」

私が歩き出すと、鳳城は黙ってついてきた。
仕方がないので歩みを止めて、鳳城の目を見た。

「あの、ホントに大丈夫ですから」

睨み合いのような謎の膠着状態に陥ったのち、根負けした鳳城がため息をついて言った。

「⋯分かった。終わったら図書館で待ってるから」

実は、図書館にはテストが終わってからも通っていた。テスト後も、日々の授業の復習を鳳城としていたのだ。

「また勉強ですか?」

鳳城は少し顔を赤らめながら、首を振る。

「いや、違うんだ。その⋯如月に、伝えたい事があるんだ」

伝えたい事?ここでは言えない事なのだろうか。

ひょっとして、勉強を教えるのは辞めるとか?それは⋯すごく困るな⋯。

でも、鳳城に頼ってばかりでは良くない。やはり自分でしっかり頑張らないと。

「分かりました⋯⋯。えっと、後で行きます」

鳳城は少し安心した表情を浮かべ、静かに頷く。

「……じゃあ、待ってるから」