一歳になったばかりの息子の一颯(いぶき)をようやく寝かしつけ少しだけ静かになったリビング。
あんなに腕の中に収まってしまうほど小さかった息子が少しずつ成長しているのだと感じつつもやはり苦労はする。初めての事ばかりで妻と共に試行錯誤しながら子育てに挑んでいる毎日。
そんな毎日に特別な日が明日訪れることになっている。それは少し遅くなってしまったものだった。

「もう籍入れて結構経つのにね。今から結婚式なんてなんか変な感じ。でも、一颯も一緒だから幸せだよ」

晩酌をしていた妻が顔を少し赤くしながら嬉しそうに呟く。心の底からそう思っていると伝わってくる嘘偽りのない言葉だった。
俺も彼女と同じ気持ちだ。
本当は籍を入れる前に式を挙げるつもりだったが、先に一颯を宿したことで子育てがある程度落ち着いてからにしようと2人で決めたのだ。
それが今ようやく実現しようとしている。
"絶対に一生忘れない素敵な式にしようね"と妻は嬉しそうに呟く。
その後もいろいろ思い出話や一颯のことで花咲かせながら話してゆく内に酔いが眠気を誘い始める。
欠伸をした妻にそろそろ寝る?と聞くと「うん。これ以上飲んだら二日酔いなりそうだから」と告げた。

「悟はまだ寝ないの?」
「うん。もう少し起きてるよ。まだお酒残ってるし」
「わかった。でも、ほどほどにね。明日は結婚式だし。それじゃおやすみ」
「おやすみ」

俺は一颯がいる寝室に向かう妻の背を見守る。
パタンと扉が閉まると静かさがようやくやってきた。リビングには俺一人しか居なくなった。
席から立ち上がり、仕事用のカバンのポケットに隠し持っていたある手紙を取り出した。
その手紙は同僚に貰った手紙ではない。ずっと前に幼馴染から貰った手紙だ。
数年前に死んだ幼馴染の名波美翔(みと)から結婚式の前の日に読んで欲しいと託されたもの。
親同士が友人同士だったこともあって、子供の頃からずっと仲良しでどこに行くにもいつも一緒だった。
よく子供同士でする大きくなったら結婚しようという約束も交わしたりもしてた。
今になってはいい思い出だが約束を果たしてやれなかった。
ずっとこれからも一緒だと信じていたのに絆はこんなにも簡単にちぎれてしまうのだと思い知らされ、美翔を救えなかった惨めな青春だったが、この幸せをくれた彼女(ひと)との始まりでもある。
この手紙になんで書いてあるのか知るのが怖かった。
だが、ここで怖気付いて逃げてしまったら一生後悔する。
俺は意を決して手紙の封を開けた。
この手紙を読むのに5年もかかってしまった。美翔との約束だから仕方がない。
正直、どんなことが書いてあるのか全くわからない。きっと俺への恨みが書いてあるだろうことは予想できる。
美翔が死んだのは全て俺のせいだからだ。
カランとコップの中の氷が溶けてゆく音が嫌に耳に響く。まるで試練を与えられているような気さえも感じる。
美翔との思い出はとても楽しく幸せそのものだった。本当に心の底から愛していた。
もしかしたら将来美翔と結婚して、子供に恵まれて幸せな一生を共に過ごしてゆくのだと信じて疑わなかった。
けれど、俺達の仲を良く思わない人間の手で簡単に壊されてしまった。嘘と嫉妬と欲望によって簡単に崩れ去った絆は修復なんてできない。
俺は美翔が書いた手紙に目を通す。
ずっと封印していた青春が蘇り始めた。
あまりにも甘く苦しく、出会いと辛い別れをもたらしたひび割れた青春だった。