放課後。河埜が手をあげて、教室に入ってきた。風花の友達は皆部活に入っているし、風花と残る用事もないので、余裕でひとりになることができた。風花は立ち上がって頭を下げながら、かっかと緊張に頬が火照るのを押さえられないでいた。
どうしよう……勉強なんて。絶対にがっかりされちゃう。
いや、自分が出来ないことはわかっているとは思うのだが、たぶん、自分は予想以上だから。せっかく本当にこうして時間を取ってくれた人に、がっかりされるのはつらい。
「さっそくだけど、はじめよっか」
「あ、はい。おねがいします……」
河埜は、おだやかな様子で、風花の前の席に、横向きに座った。風花は心臓を激しく脈打たせながら、テキストを開く。今日の小テストのプリントと、テキストを開いた。真っ黒になったテキストに、身を小さくする。河埜はじっと見下ろして、尋ねた。
「わからないところ聞いてもいい?」
「はい。えっと……」
そこから、言葉が出なかった。頭が真っ白になってしまったのだ。何か、何か言わなきゃ。焦るほどに、言葉が出ない。落ち着いた、穏やかな様子で、河埜は待っていた。この顔ががっかりして、怒るのを見たくない。けど、思えば思うほど、言葉が出ない。
「ごめんなさい。どこがわからないかも……」
なんとかそう言ったのは、ずいぶん経ってからだった。消え入りたい気持ちだった。
何で自分はこうなんだろう。こういうところが、一番人を苛々させて、嫌われる原因だってわかってる。「わからないなら、わからないってはっきり言え。できないくせにプライドだけは高いな」って、何度も言われた。
俯いて「ごめんなさい」と言う。河埜は、「そっか」と応えた。本当に何気ない、相槌だった。思わず顔をあげる。
「じゃあ、わかるところまで、一回戻ってみよう」
本当に何でもない風に言った。なにかちょうどほしいものがあったから、取りに行くみたいな、本当にそんな響き。風花は、「うん」と思わず頷いた。それから、ゆっくり、河埜とテキストをさかのぼりだす。
「ここからなら……」
単元自体違うところに戻ってしまった。身を小さくする。河埜は「うん。わかった」と頷く。
「じゃあ、ここから確認していくとして……とりあえず、テストはパスしたいよね」
「あっはい……」
「じゃあひとまず対処療法で、解いていこう」
「ありがとうございます。その、ごめんなさい……」
頭を下げると、河埜が不思議そうに「どうして?」と尋ねた。風花は「あの、だって」と口ごもる。
「ほ、本当に馬鹿で。ごめんなさい」
言ってから、卑屈っぽさに顔が真っ赤になった。でも、耐えられなかった。河埜は、風花を見て、それから口を開いた。
「生田さんは、馬鹿じゃないと思うよ」
「えっ」
「テキスト見たらわかるよ。ちゃんとできてる」
風花は目を見開いた。河埜の澄んだ目と――それから、自分のテキストを見下ろす。何度も書き込みがされた、真っ黒なテキスト。「馬鹿の証」って、いつも言われてきた。
「それに、ここに受かってるんだし。皆、同じ土俵の上だよ」
「そんな馬鹿な」とか「その土俵から転げ落ちたのでは」など、卑屈な心は、思わなくもなかった。
けど、あんまり河埜が不思議そうに言うので、驚いてしまった。こんなこと、励ましでもなんでもなく、まっすぐ言える人がいるんだ。
なにより、この学校に受かったこと、皆と自分が同じ土俵にいるって言ってくれたことが、嬉しかった。
『まぐれ当たり』『顔で受かった』入学してこっち、ずっと言われてきた。でも、本当に自分は頑張って合格したのだ。
今では劣等生だけど、この制服を着て、校門をくぐったとき、本当に嬉しかった。きっと頑張るぞって思っていたから。じわ、と目にこみあげてくるものをこらえ、風花は頷いた。
「ありがとう。私、頑張る」
胸の中に、火が灯った。きっとそれは、ずっと萎えていた勇気というものだった。
どうしよう……勉強なんて。絶対にがっかりされちゃう。
いや、自分が出来ないことはわかっているとは思うのだが、たぶん、自分は予想以上だから。せっかく本当にこうして時間を取ってくれた人に、がっかりされるのはつらい。
「さっそくだけど、はじめよっか」
「あ、はい。おねがいします……」
河埜は、おだやかな様子で、風花の前の席に、横向きに座った。風花は心臓を激しく脈打たせながら、テキストを開く。今日の小テストのプリントと、テキストを開いた。真っ黒になったテキストに、身を小さくする。河埜はじっと見下ろして、尋ねた。
「わからないところ聞いてもいい?」
「はい。えっと……」
そこから、言葉が出なかった。頭が真っ白になってしまったのだ。何か、何か言わなきゃ。焦るほどに、言葉が出ない。落ち着いた、穏やかな様子で、河埜は待っていた。この顔ががっかりして、怒るのを見たくない。けど、思えば思うほど、言葉が出ない。
「ごめんなさい。どこがわからないかも……」
なんとかそう言ったのは、ずいぶん経ってからだった。消え入りたい気持ちだった。
何で自分はこうなんだろう。こういうところが、一番人を苛々させて、嫌われる原因だってわかってる。「わからないなら、わからないってはっきり言え。できないくせにプライドだけは高いな」って、何度も言われた。
俯いて「ごめんなさい」と言う。河埜は、「そっか」と応えた。本当に何気ない、相槌だった。思わず顔をあげる。
「じゃあ、わかるところまで、一回戻ってみよう」
本当に何でもない風に言った。なにかちょうどほしいものがあったから、取りに行くみたいな、本当にそんな響き。風花は、「うん」と思わず頷いた。それから、ゆっくり、河埜とテキストをさかのぼりだす。
「ここからなら……」
単元自体違うところに戻ってしまった。身を小さくする。河埜は「うん。わかった」と頷く。
「じゃあ、ここから確認していくとして……とりあえず、テストはパスしたいよね」
「あっはい……」
「じゃあひとまず対処療法で、解いていこう」
「ありがとうございます。その、ごめんなさい……」
頭を下げると、河埜が不思議そうに「どうして?」と尋ねた。風花は「あの、だって」と口ごもる。
「ほ、本当に馬鹿で。ごめんなさい」
言ってから、卑屈っぽさに顔が真っ赤になった。でも、耐えられなかった。河埜は、風花を見て、それから口を開いた。
「生田さんは、馬鹿じゃないと思うよ」
「えっ」
「テキスト見たらわかるよ。ちゃんとできてる」
風花は目を見開いた。河埜の澄んだ目と――それから、自分のテキストを見下ろす。何度も書き込みがされた、真っ黒なテキスト。「馬鹿の証」って、いつも言われてきた。
「それに、ここに受かってるんだし。皆、同じ土俵の上だよ」
「そんな馬鹿な」とか「その土俵から転げ落ちたのでは」など、卑屈な心は、思わなくもなかった。
けど、あんまり河埜が不思議そうに言うので、驚いてしまった。こんなこと、励ましでもなんでもなく、まっすぐ言える人がいるんだ。
なにより、この学校に受かったこと、皆と自分が同じ土俵にいるって言ってくれたことが、嬉しかった。
『まぐれ当たり』『顔で受かった』入学してこっち、ずっと言われてきた。でも、本当に自分は頑張って合格したのだ。
今では劣等生だけど、この制服を着て、校門をくぐったとき、本当に嬉しかった。きっと頑張るぞって思っていたから。じわ、と目にこみあげてくるものをこらえ、風花は頷いた。
「ありがとう。私、頑張る」
胸の中に、火が灯った。きっとそれは、ずっと萎えていた勇気というものだった。



