「それじゃ、改めて仕事を確認するぞー」
 同じシフトの男子が、集まったメンバー全員に仕事内容を伝えていく。けれど僕の耳は、彼の言葉を右から左へ流していってしまった。
 脳裏には、先ほどの桜ノ宮さんの何か言いたげな顔が浮かんでいる。
 彼女には数週間前に本性を知られ、それから助けてもらう取引を取り消した。それ以来ずっと、彼女と二人で話していない。相変わらず小峰さんが僕目当てで絡んでくるのもあるけれど、僕の方でも意図的に彼女を避けているからだ。
 だって話してしまえば、彼女の優しさに甘えてしまう。優越感なんて汚い感情から生まれた彼女への思いを、自分でも肯定してしまうことになる。
 そう――彼女への「好き」という思いを。
 元不良なのに、あり得ないと思う。それでも生まれた思いは本物だった。
 無理をして仮面を被る僕に気付いてくれて、いやいやながらも助けてくれて、僕なんかと一緒にいたいと言ってくれた優しい子。
 さっきだって実の弟に嫉妬をしてしまったし、本音を言えば文化祭だって一緒に回りた。それくらい、本心では彼女のことを想っている。
 でもこの思いを叶えてはいけないのだ。最悪から始まったこの恋心は、今だってどんな不純物が混ざっているかも分からない。このまま進んでしまえば、また彼女を振り回してしまうだろう。
 だから――ごめん。
 頭に浮かぶ彼女に、僕は何度も何度も謝った。想像の中で言ったところで、伝わらないのを分かっていながら。
「ほらほら四条くん。一緒に客引き行こ~」
 ぐるぐると考えている間にミーティングは終わっていたようで、小峰さんが腕にすがりついてくる。準備の時に一度揉めているのに、相変わらずつきまとってくるのは逞しい。おかげで僕も我慢は常に限界だった。それでもなんとか微笑んで、看板を持って教室の外へと向かう。
 そのとき、窓際にいた男子の声が聞こえてきた。
「おい、ちょっとあれやばくね?」
「うわほんとだ。しかも絡まれてるの、うちのクラスの女子だよな」
 不穏な会話が聞こえてきて、僕はぴたりと足を止める。なんだか嫌な予感がした。
「ちょっと四条くん?」
 小峰さんの手を払い、僕は他の男子たちと同じく教室の窓から外を見た。
 一年一組の教室は校舎の端にあり、窓を覗けば正門辺りまで見渡せる。とはいえ文化祭の今は生徒や客でごった返しており、誰が何をしているのかなんて分からないはずだった。
 しかし男子たちの指す先には、明らかに人が引いている場所があった。その中心には四人の男女が立っている。見慣れない制服を着ている茶髪と金髪の男子二人組。メイド服を着た女子二人組。女子二人は男子二人に迫られて、逃げるに逃げられないようだ。
 顔までは誰か分からない。けれど片方の女子――ロングヘアにロングスカートのメイドには見覚えがある。
 まさか――桜ノ宮さん?
 どくり、と心臓が大きく震えた。
 本当の桜ノ宮さんなら、柄の悪そうな男子二人に絡まれたところでどうってことないだろう。けれどおしとやかな仮面を被った彼女が、二人を振り切れるとは考えにくい。
 周りの人の様子を見るに、助けようとする気はないのだろう。ならば彼女がこの場を逃れるためにすることは――男子に従うか、本性を晒すかだ。
 ざわざわと心が大きな波を打っていく。
 みんなに避けられたくない一心で不良の素顔を隠し、変わる努力をしていた桜ノ宮さん。そんな彼女が今どれだけピンチなのか、知っている人は誰もいない。
 ただ一人――僕を除いては。
 相手は二人、それも柄の悪い男子だ。もしかしたらかつて自分をいじめていた不良のように悪い人間かもしれない。
 ――けれど。
 僕は看板を放り出し、教室を飛び出した。
「おい四条!?」
「どこに行くの、四条くん!?」
 小峰さんたちシフトメンバーの声が後ろから追いかけてくる。それでも僕は振り返らなかった。振り返れば足まで止まってしまいそうだったから。
 本当はものすごく恐ろしい。握った拳だって震えている。
 けれど桜ノ宮さんは、ずっと僕を助けてくれた。
 だから今度は、僕が彼女を助けたかった。
 それが今までに対する感謝になり――贖罪にもなると思ったから。

   ***